虫すだく 6 (2)

文字数 798文字

 洗面所の引き戸の音だ。
 奏凪はハッとし、体をこわばらせる。
 足音とすりガラス越しの人影が浴室に迫ってくる。

 ためらいもなく、風呂場の扉が開けられた。
 出入り口に仁王立ちしているのは、のぞむだった。

 奏凪はとっさに両手で体を隠し、壁に体を向けた。
 たとえ女性でも裸を見られるのは恥ずかしい。湯船の中で必死に身をすくめ、恥辱に赤くなりながら、奏凪は顔だけのぞむに向けた。

「犬は水を嫌がるんだけど、大丈夫なのね。ちょっとつまんない」
 靴下をはいたまま、のぞむはぬれた洗い場の床を踏みしめ、湯船のきわに立つ。
 透きとおった湯に身を沈めている奏凪の、貧弱な裸体を上から見下ろした。

「ほんとに野良犬のようね。汚い野良犬が私と同じ湯船に入るなんて、嫌だわ……やっぱり外の水道で井上に水洗いさせようかしら?」
 と、のぞむは真剣に考え込む。

 犬なのだからと、のぞむはいたって当たりまえのことのように話しているが、奏凪の顔から血の気が失せた。温かいお湯につかっているというのに、全身で寒気を感じた。

 まだ冬だというのに、外で水をかぶれと言う継姉(ままあね)の心理がわからない。
 でも、本当にそうさせられそうで、異常に見えて正気なこの姉が、奏凪は心から恐ろしかった。

 しかし、のぞむの本当の目的は、そのことではない。
「外で水をかぶれ」は、前置きにすぎなかった。

「今、テレビでやってたんだけど、外国の子供がスマホを風呂に落として感電死したそうよ」
 奏凪は、一瞬、ぽかんとする。
 ここで突然ニュースの話をする意図がわからない。

 だが、その手にスマホを見つけると、恐怖が、そして、震えが這い上がってきた。
 喉がひきつり、息が喉の奥で絡み、呼吸できなくなる。

 のぞむは、浴槽の中で、恐怖に顔をひきつらせていく奏凪を、苦しそうに喘ぐ後妻の連れ子を、感情のない瞳で見下ろした。

「本当かしら? スマホで感電死するのかしら? 試してみていい?」
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登場人物紹介

加賀美 朔 (かがみ さく)

他人に興味がなく、感情というものを持ち合わせていない。

人に言えない秘密を抱えている。

自動車整備士。

桂木 奏凪 (かつらぎ そな)

姉に虐待を受け続け、逃げ出した先で朔に出会う。

そのまま朔のアパートに住みつく。

桂木 のぞむ

奏凪の血のつながりのない姉。

地元でも評判の美人だが、近寄りがたい雰囲気を持つ。

倉沢 矩 (くらさわ ただし)

優等生で、かわいそうなものを放っとけない性格。

のぞむの幼なじみで、短大の図書館司書。

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