待宵草 4 (5)

文字数 772文字

 薄暮に白く浮かび上がる牡丹の花のようだった。
 息を切らせ走ってきたさまは、風にたゆとう純白の大きな花房。
 しかし花弁は、精巧な氷細工のようであった。ふれたら最後、指は凍りつき、無理にひきはがそうとすれば、皮膚ははがれ、赤くただれる。

 最初に出てきた女とは正反対で、きちんと靴をはいていた。背が高く、ほっそりしているが、ほどよく肉づいている。
 良家の子女らしく手入れがよく行き届いている髪は、風に乱されてもすぐにストンとまとまる。

 まなざしが、奏凪の姿を捕らえる。
 奏凪はびくりと肩を揺らした。
 必死に逃れてきたのに、再び捕らえられてしまった。
 奏凪の背筋は凍りつき、体がこわばっていく。
 絶望感が奏凪を支配する。
 
 奏凪を凝視していたまなざしは、すべるように朔へと移る。
 奏凪の体寸前で横向きに停車しているバイクと、夕暮れの空をひき裂いたブレーキ音が、細い路地で起こった出来事を物語っていた。

「ひかれなかったの?」

 聞く者の耳に、鋭く刺さる声音と残酷な言葉。
 
「ひき殺してもよかったのに」
 と、朔へ向け、憎悪を吐き出す。
 奏凪がバイクにひき殺されなかったことを、女は心底残念がっていた。

 メットのシールド越しに、朔は女のまなざしを見返した。
 黒目がちな大きな双眸はどこまでも澄んでいるが、昏く、激しい炎をたぎらせていた。

「この女が今死んでも、誰も気づかないし、誰も悲しまない」
 言い終わらないうちに、女は奏凪の髪の毛をわしづかんだ。
 容赦なくひっぱられ、奏凪はよろけてたたらを踏む。痛みに耐えかねて小さな悲鳴をあげた。

「家に入るわよ、まだ話は終わってない」
 女は奏凪を門の中へひきずり込もうとした。
 奏凪が苦痛を訴えても、髪をつかむ力をゆるめようともしない。
 その手を、奏凪がふり払った。

 女はハッとする。
 意外だった。
 奏凪が逆らうなんて。
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登場人物紹介

加賀美 朔 (かがみ さく)

他人に興味がなく、感情というものを持ち合わせていない。

人に言えない秘密を抱えている。

自動車整備士。

桂木 奏凪 (かつらぎ そな)

姉に虐待を受け続け、逃げ出した先で朔に出会う。

そのまま朔のアパートに住みつく。

桂木 のぞむ

奏凪の血のつながりのない姉。

地元でも評判の美人だが、近寄りがたい雰囲気を持つ。

倉沢 矩 (くらさわ ただし)

優等生で、かわいそうなものを放っとけない性格。

のぞむの幼なじみで、短大の図書館司書。

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