虫すだく 2 (5)
文字数 643文字
「——おい……のぞむ、どうした?」
怒りが沸々と煮えたぎり、言葉を発することもできないでいるのぞむを、電話越しに父親が心配する。
だが。
「——電話したのがまちがいだった」
つぶやき、
「お父さんに頼るべきじゃなかった。切るよ」
ガチャリと受話器を置く。
「フン」
背後で、井上が鼻を鳴らす音が聞こえる。
のぞむはゆるりとふり返った。
勝ち誇った笑みをたたえ、井上が小さなのぞむを見下ろしていた。
その双眸を、のぞむは仰ぎ見る。
小じわが目立つようになってきた、浅黒い顔。
小柄な体にジーンズ生地のエプロンをかけ、くたくたによれたピンクのポロシャツは色が冷めていた。
井上の前髪に、今まではなかった白髪を一本見つけた時、荒波が立っていた心が不思議と静かになる。
ふと、今、どうしてか、矩を思い出した。泥だらけの前足をさし出され、ためらいもなく手のひらに受ける矩を。
のぞむは悟った、泥まみれの手で、のぞむを汚そうとするものの扱い方を。
のぞむはふわりとほほ笑んだ。
「お父さんから聞いたよ。そんなにうちにいたいんだね」
井上は意味を取りかねて、首をかしげた。急に可愛らしい微笑みを見せるのぞむの意図がわからなかった。
「私に嫌われていることがそんなにつらかったなんて知らなかったよ。平気なんだと思ってた。これからは大好きになってあげる。辞めなくていいんだよ。ずっとこの家にいていいんだからね」
井上は背筋が凍りつくのをまざまざと感じた。優しい声音、慈愛に満ちた言葉なのに、ゾクゾクと寒気を感じる。
怒りが沸々と煮えたぎり、言葉を発することもできないでいるのぞむを、電話越しに父親が心配する。
だが。
「——電話したのがまちがいだった」
つぶやき、
「お父さんに頼るべきじゃなかった。切るよ」
ガチャリと受話器を置く。
「フン」
背後で、井上が鼻を鳴らす音が聞こえる。
のぞむはゆるりとふり返った。
勝ち誇った笑みをたたえ、井上が小さなのぞむを見下ろしていた。
その双眸を、のぞむは仰ぎ見る。
小じわが目立つようになってきた、浅黒い顔。
小柄な体にジーンズ生地のエプロンをかけ、くたくたによれたピンクのポロシャツは色が冷めていた。
井上の前髪に、今まではなかった白髪を一本見つけた時、荒波が立っていた心が不思議と静かになる。
ふと、今、どうしてか、矩を思い出した。泥だらけの前足をさし出され、ためらいもなく手のひらに受ける矩を。
のぞむは悟った、泥まみれの手で、のぞむを汚そうとするものの扱い方を。
のぞむはふわりとほほ笑んだ。
「お父さんから聞いたよ。そんなにうちにいたいんだね」
井上は意味を取りかねて、首をかしげた。急に可愛らしい微笑みを見せるのぞむの意図がわからなかった。
「私に嫌われていることがそんなにつらかったなんて知らなかったよ。平気なんだと思ってた。これからは大好きになってあげる。辞めなくていいんだよ。ずっとこの家にいていいんだからね」
井上は背筋が凍りつくのをまざまざと感じた。優しい声音、慈愛に満ちた言葉なのに、ゾクゾクと寒気を感じる。