虫すだく 1 (2)

文字数 723文字

 何時間そうしていたのだろうか、髪も服もずぶぬれののぞむはうなずく。
「出されたほうがマシ。あいつの顔を見なくてすむ」
 うつむいて、低い声で早口でつぶやく。寒さで声が震えてしまうのを、矩に気づかれたくなかった。

 矩は小さな手を握りしめる。
 氷のような冷たさが伝わってきた。
 二人は同い年だったが、矩のより少し小さい手を握りしめると、頼りなく、憐れさが胸につのった。

 矩は小さな手をひき、自分の家に連れて帰った。

 矩が門扉を開けると、気配をさっして犬小屋から二頭の犬が出てきた。

 雨が降っているのに、つながれている鎖が許すかぎり矩に近づき、届かないとみると、後ろ立ちになって泥だらけの前足を矩へのばす。裏返った声で鳴き、尻尾をふって大歓迎した。

 二頭の大歓迎ぶりに、矩の顔がほころんだ。
 二頭とも、ダンボールに入れられて川に流されていたところを、矩に救われた子たちだった。

 矩は泥だらけの前足を片方の手のひらで受け、あいた手で頭をなでる。一頭がなでられると、もう一頭もなでてくれと催促の鳴き声をあげた。
 手が泥だらけになっても犬たちを可愛がり、うれしそうに笑う矩の顔を、のぞむは眺めた。

          *

「ただいま」
「お帰りなさい」
 矩が帰宅を告げると、すぐに母親が奥から出てきた。
「遅かったじゃないの。暗くなる前に帰りなさいっていつも言ってるでしょ?」
「先生にわからないところを質問してたんだ。わからないところをそのままにしておいたら、次に進めないでしょ?」
「そ、そうね……」
 息子を諭すつもりが、逆に大人びた口調で諭され、母親は少しとまどったようすを見せた。

「その通りだけど、ほどほどにね。あまり遅くならないようにしてちょうだい。心配だから」
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登場人物紹介

加賀美 朔 (かがみ さく)

他人に興味がなく、感情というものを持ち合わせていない。

人に言えない秘密を抱えている。

自動車整備士。

桂木 奏凪 (かつらぎ そな)

姉に虐待を受け続け、逃げ出した先で朔に出会う。

そのまま朔のアパートに住みつく。

桂木 のぞむ

奏凪の血のつながりのない姉。

地元でも評判の美人だが、近寄りがたい雰囲気を持つ。

倉沢 矩 (くらさわ ただし)

優等生で、かわいそうなものを放っとけない性格。

のぞむの幼なじみで、短大の図書館司書。

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