虫すだく 5 (5)

文字数 775文字

「飼ったら俺にも会わせてくれる?」
「……そうね……いつかね」
 のぞむは曖昧に答えた。

 すでに飼っていると、心の中でつぶやく。
 でも、会わせたくなかった。
 奏凪は、昔、矩が拾ってきた捨て犬のように哀れっぽかった。

          *
 
 食卓についた奏凪の目の前に置かれたものに、井上と奏凪はとまどう。

「これは何ですか?」
「食器でしょ? 見ればわかるじゃない」
 のぞむの言いぐさに井上はいらだったが、奇怪さのほうがまさった。
「……まさかこれって……犬の……ですか?」
「そうよ」
「そうよって……」
 迷いなく答えるのぞむに、井上はあきれる。
 そういえば昨日、向かいの家の犬が死んだと、ご近所さんづてに聞いた。
 まさか死んだ犬のものなのか?

「まさかとは思いますけど……倉沢さんちの死んだ犬のものじゃないでしょうね?」
「矩が捨てようとしてたのをもらってきたのよ。だって、もったいないでしょ?」
 井上は愕然とした。
 死んだ犬の食器というだけでも気味悪いのに、それをもらってくるとは!

「これからはこれを使って」
「はあ?」
 とうとうのぞむが狂ったのかと思った。
 人間の食事に犬の食器とは!
 正気の沙汰ではない。
 しかも死んだ隣の家の犬の食器をなんて。
 しかし、のぞむは誰よりも冷静だった。
 奏凪が見上げる双眸は、真冬の夜空と同じ色をしていた。

「人の食事を犬の食器に盛りつけられません、お嬢様がなさろうとしていることは正気の沙汰じゃありません!」
「正気だろうがそうじゃなかろうが、なんの違いがあるというの? 『狂ってる』とか、『異常』だとか、可愛らしい修飾語ね。いっそ狂ってるほうがマシだわ。井上さんができないなら、私が盛ってあげる。それを貸して」
 のぞむは食器を取り上げると、手ずから白米を盛った。矩からもらったまま洗いもしないで。
 そして、ドンと、奏凪の前に置く。
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登場人物紹介

加賀美 朔 (かがみ さく)

他人に興味がなく、感情というものを持ち合わせていない。

人に言えない秘密を抱えている。

自動車整備士。

桂木 奏凪 (かつらぎ そな)

姉に虐待を受け続け、逃げ出した先で朔に出会う。

そのまま朔のアパートに住みつく。

桂木 のぞむ

奏凪の血のつながりのない姉。

地元でも評判の美人だが、近寄りがたい雰囲気を持つ。

倉沢 矩 (くらさわ ただし)

優等生で、かわいそうなものを放っとけない性格。

のぞむの幼なじみで、短大の図書館司書。

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