第86話 並び立つ男

文字数 5,861文字

「君は確か前埜君預かりの雪月君だったかね」
「はいそうです」
 時雨さんは今まで戦いの場でしか見せたことのない厳しい顔付きをしている。だがそれだけじゃない、服装は青みの掛かった紺のレディーススーツを隙無く着こなし、髪型もストレートに整え、いつものナチュラルメイクで無く薄化粧を施す。少女っぽさを少しでも消して見くびられないように努めて来た。それら全てここを戦場と見なしこの場に相応しい戦士としての身嗜みを整えてきたということ。
つまりこの場に巣くう魑魅魍魎共と戦う覚悟と決意を持ってきた心の顕れ。
何をする気なんだ時雨さん、俺を助けに来たと思いたいがタイミングが可笑しい。時雨さんの迫力に冷や汗が滲む。
時雨さんは集中する部屋中の視線など意に介さないように背を伸ばし、きびきびと歩いて行く姿はとても女子高生とは思えない毅然さがある。
「それで異議とは何かね?」
 五津府に促され時雨さんは俺の斜め前に位置取ると、俺を掌で指し示し異議を唱える。
「そこの男ですが、退魔官と言ってますが、それは真っ赤な嘘。彼はただの大学生の民間人です」
 言ってしまったか。全ては虚飾に彩られた悲劇、喜劇に成り下がる。それを言ったら根底から覆るリーク。
「なんだとっ」
 大人しくなりかけた体育会系がいきり立つ。意外だな此奴は俺がいつ退魔官になったのか本当に知らなかったんだな。っということは青山も知らない。五津府と前埜だけの裏取引、二人は純粋に退魔官としての俺の過失を追求して俺に全責任をおっかぶせようとしていたのか。
「それで」
 収まり掛けた場を引っ繰り返され、その上秘密事項を暴露されたというのに五津府は泰然と問う。ああ、こういうのが本当の狸親父なんだと痛感させられる。
「つまり彼に警察官を指揮する権限なんて無かったんです」
「もし、それが本当ならゆゆしきことだが、仮にそうだとして君は彼への処分をどうするべきだと思う?」
 五津府は時雨さんの真意を探る為、結論を一気に問う。
「身分詐称、そして事件を防げると思い上がった過失により引き起こされた事件の重さを鑑みるに、懲役刑が妥当だと思われます」
 流石弁護士の指導を受けているだけはある。中々様になっている。眼鏡でも掛けていたらちょっと若いが敏腕判事に見えなくもない。
 優しさという甘さを削ぎ落とした凜々しいその姿は断罪の天使、そんなに俺が目障りだったのか。
まあそうか、脅迫して付き合う恋人なんかストックホルム症候群にでも成らない限り好かれるわけが無いか。
 1年以上も刑務所に入っていたら契約期間が終わってしまう。この最大のチャンスを掴むべく、時雨さんが隠していた牙を剥いた訳か。
 いいさ、無関心よりはいい。
 時雨さんがそんなに俺を排除したいなら、俺は全力で抗うまで。
 潔く身を引いて何てやらない。
 俺は嫌な奴だからな。
 契約期間は石に齧り付き泥水を啜ろうとも傍にいてみせる。
「確かにそれが妥当ですね。それに彼がもし民間人だというなら、この査問自体が茶番となります。これは裁判で争われる案件かと」
 青山が時雨さんに追従するように言う。
「ふむ、これについて何か反論はあるかね?」
 五津府はこの流れを嫌って俺に振る。今の流れどこいら辺が五津府のお気に召さなかったんだ? 
「確かに俺は川で戦った時には巻き込まれた民間人でした。よって、先程問題となった川での行為ですが、民間人が命を狙ってきた犯罪者と自衛の為戦っただけでのことで、どんな取引をしようが問題になら無いと言うことになりますね」
「お前、警官と一緒に戦ったじゃないか」
 俺のことをこの件で散々糾弾していた体育会系が梯子を外されまいと食い下がる。
「民間人が警官に協力しただです。むしろ金一封でも貰いたいところです。
 またこの時点で民間人だったのです、やはり私が襲われる原因を生み出した公安・外務省には責任を取って貰いたいですね。
 何せこの時点の私には何の責務も無いのですから」
 こちらも流されたことを蒸し返してやったぜ。これもまた五津府が嫌うことだろ。
「確かにそうかも知れませんが、それは別の場所で議論されることでしょう。問題はその後貴方がN市で明らかに警察の指揮を執っていることです」
 時雨さんも中々、邪魔されないように五津府に逃げ道を与えつつ、確実に本質を突いてくる。
「その時には私は退魔官だったんだ、何の問題も無い」
「詭弁です。川から警察署に着くまでの僅かな間に退魔官になった。まるでマンガのヒーローの変身ですね。
そんなわけ無いでしょっ」
 時雨さんは珍しく声を荒立て小太刀で切りつける如く俺に切り込んできた。旋律同様言葉の切れ味も鋭いぜ。
「成れたんだから仕方ない。
 先程証言した言葉に偽りは無く、私はセクデスを放置できないと考えた。だからフランスの正式な退魔官のジャンヌを補助する形で捜査に関わろうとし、前埜に要請をしました。
 その結果、どこでどうなったのか私自身が矢面に立つ二等退魔官になっていた。成った以上責務を果たすべく尽力しただけだ。
 このことで責められるとしたらむしろ前埜だろ。私が退魔官になったのが詐称だというなら詐称を行ったのは前埜になる」
 時雨さんが好きな前埜を出してやった。時雨さんの心情的に俺は地獄落とせても前埜に迷惑は掛けられないはず。これで引くだろ。
「たとえそうだとしても、それを否定せず同調した以上貴方も同罪です」
 引かなかった、前埜に累が及ぶと分かっていて時雨さんが引かなかった。
 そんなに俺が嫌いなのか。
 いいね。前埜への愛情を俺への憎しみが上回ったわけだ。少し嬉しいぜ。
「ふむ。それについてだが。如月君、退魔官の定義と任命資格についてはどうなっている?」
 五津府が今まで一言も発すること無く存在を忘れかけていた女性に問いかける。
「退魔官とは、民間の退魔士と官の警察・軍などとの連携を調整する為に作られた半官半民の調整役です」
 如月はスッと立ち上がると鈴の音が響くように解説を始めた。
 退魔官。その中二病を擽るネーミングとは裏腹に、やっていることは中間管理職。それ自体に戦闘力を求められるわけで無く、ある意味個性的な退魔官と役所的な警察の間を円滑につなぐコミュニケーション力が求められる。
俺に一番無い能力が求められている。何か今すぐ辞退したくなってきた。
「その権限は魔が絡んだ場合に限り、二等退魔官で警部補、一等退魔官で警部と同等になっています」
 ほぼ現場の権限は握れると思って良いんだな。まあせめて現場においてはトップで無ければ魔などと言う非日常に対処できるわけが無いか。
「そして任命されるには、国家公務員もしくは国家公務員になる資格がある者を承認資格のある退魔士が認めればいいとあります」
「なら、学生に過ぎないその男には資格は無いはず」
 時雨さんが勝ち誇ったように責めてくる。
「残念だけど雪月さん、彼は国家公務員Ⅰ種に合格している。国家公務員になる資格を有しているのよ」
 如月は淡々と事実を告げるが、そこまで俺のことを調べていたのか。
 俺みたいな変人は勉強だけで成り上がっていける仕事が向いていると思っていたからな。研究者になれなかった時の保険の為に国家公務員の資格も取得している。技官系の希望者は文系よりは少ないので受かりやすいこともあるが、バラ色の大学生活の結構な時間を勉強に費やしている。
「通常と手順が逆だけど、彼が退魔官に着くのに何の問題は無いわ。時期についてはそれが直前だろうが1年前だろうが関係ない」
 如月さんの言うことを解釈するに、普通は警察官や自衛官から国が選んだ者を退魔士側が認めてなるようだな。今回は逆、退魔士側が推薦したようだが、その場合国側は誰が承認するんだろうな。
「それでも書類仕事があるはずです。役所の書類仕事がそんなに早く終わるわけが無い」
 なお食い下がる時雨さん。
 だが確かにお役所仕事が僅か1時間で終わるとは思えない。無意味に時間を浪費するのが役所だからな。
「今は書類が揃って退魔官かも知れませんが、彼が指揮を執っていた時点で彼が民間人であることは明白です」
 流石時雨さん、正論なら時雨さんの勝ちだ。
 だがこの世はそんな綺麗じゃ無い。
「確かにそうだな、至急調査をおこ・・・」
「いいのですか?」
 青山の台詞を遮って俺は質問した。
「何がだ?」
「そこをハッキリして、万が一にも俺が民間人だった場合、先程貴方が言ったようにこの査問は中止、裁判になるわけですが」
 ・
 ・
 ・
「本当にその意味を分かっていますか?」
 タップリ三秒の溜めを込めて俺は青山に確認した。
「それはどういう、・・・・・・はっ」
 流石俺が見込んだとおり頭が切れる。俺と同じ結論になったな。
 裁判は査問と違ってオープン、そうなれば民間人に過ぎない俺に警察が指揮をされ、あまつさえ大被害を出した事実が世間に知られてしまう。これが五津府が嫌った流れだ。
「調子に乗るなよ、小僧。そういう手続きを踏まないこともあるんだぜ」
「そうでしょうね」
「平然とした面しやがって、脅しだと思うなよ。査問を開いてやっているだけでも温情なんだよ。このまま網走へ直行させてやろうか?」
「どうぞご自由に。ですがやるなら最初から徹底してやるべきでしたな」
「どういう意味だ」
「こんな査問、開くことも無く実行するべきだったと言っているのですよ。下手に目撃者が多いものだから、隠蔽するにも納得させる為にこんな茶番を開いたのでしょうが、それを引っ繰り返す以上覚悟を求められますよ。
 ここにいる者全員の心に楔を打ち込む暴挙。
 それともここにいる者全員消しますか?」
 傍聴席には少なくても50人はいる。これは大津さんや竹虎警部のようなこの事件の何かしらの関係者なのだろう。五十人もいればほとり二人は確実に叛旗を秘める奴がでる。
「控えろ奥坪、それは法治国家の否定、即ち俺達自身の否定になる」
 勝った。そう思った俺の隙を付かれた。
「提案があります」
負けを認めかけた者、勝ちを意識した者、両者の心の隙を時雨さんが悪魔のような手際で入り込んでくる。
「なんだ」
「裁判を回避し合法的にこの場を納める方法。
彼が元々民間人であり、巻き込まれたことを考慮して保護プログラムを発動することを提案します」
これかこれなにか、こんなのがパッと思い付くわけが無い。初めからこれが狙い、小賢しく抗っているようで全て時雨さんの掌の上だったというのか。
砂漠で砂に飲まれたように体が感じる。
「彼はあくまで被害者か、それだと責任の所在はどうなる?」
「保護プログラムの観点から機密扱いにして封印するのが良いかと」
「なっ」
「彼はあくまで巻き込まれた民間人です。
 手順の齟齬から彼をアドバイザーとして迎えるつもりが指揮官にしてしまった。当然事件の責任は彼が負うべきですが、同時に彼は廻に狙われる民間人でもある。
 よって、人道的見地から保護プログラムを発動、そして保護プログラム発動により彼に関する全ては機密扱いに成り封印されます」
 この事件、どのみち世間に正直に発表は出来ない。隠蔽工作を施される。
なら何の為にこんな査問をするかと言えば、同じ身内の警察内部、協力を仰ぐ対立する他機関に対して、警察という組織は責任を取ったと示す為の政治的パフォーマンス。時雨さんの提案なら俺に責任を被せつつ、詳細民間人が指揮を執っていたなどという失態は機密の名の下に隠せる。少々歪だが丸く収まる。
「具体的には俺はどうなるんだ?」
 詰み掛け抗う時間稼ぎに自分に待ち受ける未来を問う。
「名を変え経歴を変えてどこか遠く廻の手の届かない場所で生きて貰います」
 駄目だよ時雨さん。
 ほぼ勝利を確信して慢心したか。
 自分でも気付いてないのかも知れないが一瞬だが感情が表に出た。
 そんな一瞬でも母のような目をして俺を見てしまって駄目だよ。
 俺は馬鹿だった。
 時雨さんが俺を憎んでいるなんて、自惚れだった。
 ぐっ奥歯を噛み込み悔しさを噛み締める。
 拳を握り締め顔を上げる俺の視界に俺を見る如月の視線が入る。
 その目は何かを訴えている。
 俺に戦う気があるなら私を頼れと言っている。
 独立独歩が信条の俺だが、今だけは俺はその幻想かも知れない糸に意図に縋り付く。
「如月さんで良いのですか?」
「な~に」
 先程のきびきびした答弁と違い、どこか柔らかい。
「失礼ですが貴方の役職は何ですか?」
「公安九十九課 如月 弥生。魔を専門に扱う課の主任よ」
 もはやこれしかない。
 希望に掛ける。
「前埜から退魔官申請があったそして、あなたなら何分で書類を片付けられます?」
「や~ね、お姉さんはそんなに無能じゃ無いわよ。10分もあればハンコを揃えて退魔官にしてあげるわよ」
 何か童貞に男にしてあげるわよと幻聴しそうな甘い言い方だった。
「そんなっ」
 時雨さんがリバースで一枚置かれて黒が白に引っ繰り返されたような顔をする。
「これで問題はあと一つだな」
 後は俺が前埜からの申請を如月さんが受けたのか確認するのみ。
「なんで、君は民間人なんだよ。命を狙われるような生活をするべき人じゃ無いんだ」
 時雨は必死に俺に最期の質問を思い止まらせようと、心からの説得を俺に試みる。
 そして俺が口を開くより早く五津府が俺に問う。
「再度問う。
 君には二つの道がある。
 一つは保護プログラムを受け入れ静かに生きる」
「しかし書類の件は?」
 青山が五津府に問う。
「書類の紛失などよくあることだ」
 こともなげに五津府はさらりと言う。
「二つ目は、退魔官として責任を取る道」
「それですと誰が・・・」
「本来取るべき者が取るしかあるまい。今回は骨が折れるが私が上手く収める。
 それに腹を切れば済むというのは日本の悪しき風習。責任を取るというなら、失態を挽回して貰うのも責任の取り方だ。
 さあ、どっちを取る?」
 まるでラプラスの猫だな。俺の答え次第で書類が消えたり表れたりする。
 俺は時雨さんの方を見る。
「俺は君に母のように守って欲しい訳じゃ無い。
 並び立つ男でありたいんだ」
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