第143話 人知を尽くした先

文字数 2,961文字

 銃声が木霊する。
 引かれ飛び出た弾丸は、俺に少しの罪悪感を植え付けてくせるの額を貫くはずだった。
「ぐあっ」
 俺の掌をハンマーで潰された様な衝撃と痛みが走り、引き金を引くはずだった銃は弾き飛ばされる。
「くそったれが」
 銃声の方を見ればいつの間にか立ち上がっていた大原が硝煙上がる銃口を俺に向けていた。
「新キャラは実はシン世廻のスパイだったという訳か。会ったばかりの奴に裏切られても白けるだけだぜ」
 これが物語ならもう少し絡ませて、情が湧いてから裏切らせた方が深みが出る。パッと出てパッと裏切られても何の感慨も無い。
 物語としてのタイミングは最悪、俺にとってもタイミングは最悪。得の無いタイミングだぜ。
「さっきの慟哭は素晴らしかったな、すっかり騙された。お前自衛官より女優の方が向いてるぜ」
 もはや俺は精々皮肉を言うくらいしか出来ない。
「黙れっクズ。演技じゃ無い。私は恋人を殺され、本当に悲しかったんだ」
 あれかスパイ活動を円滑にするために恋人を演じて抱かれている内に情が移ったとかいう奴か。この女に取ってみれば恋人が殺されたのは誤算。
 まあ、今更どうでもいいか。結果が全てで結果こうなった。
「何か勘違いしているようだが、私はスパイじゃ無い。
 恋人が殺されたと思って、さっきまで悲しみと怒りに私の心は染まっていた」
「まさか」
 その言葉で騙されたな馬鹿と言われた方がまだマシな可能性が脳裏に浮かび俺は戦慄する。
「くせる様の救世に触れて分かったわ、英治は殺されたんじゃ無い救済されたんだ」
 うっとりとした目で恋人が殺されて救われたと語る大原、人ごとじゃ無い。俺も後一歩踏み込まれて救世されていたら、こうなっていた。
 憎しみが敬愛に反転する。もはや理屈じゃ無い世界、理解は放棄する。
「心がこんな穏やかな気持ちになったのは初めて、もう少しもう少しでくせる様に救われて生き地獄に抜け出すことが出来たというのに。
 お前が邪魔をした」
 うっとりとした目が憎悪に染まって俺を睨む。
 命を救って恨まれる。
 日本じゃ命を救えば救った人に感謝される価値観だが、大陸の方じゃ命を救えば救った人に責任を持って面倒見ろと言われる価値観。
 救ったことで受ける恩も恨みも抱え込めということか、日本も大陸風になったもんだ。
「そりゃ悪かったな。次は邪魔しないぜ」
 俺の関係無いところでくせるに救世られるのをわざわざ邪魔に行くほど俺も無粋じゃ無い。もう大人で一人の人間なんだ、自分の命くらい自分で責任持って使ってくれ。
「でもいいの。私分かったの」
「何が?」
「あそこでくせる様に救われなかったのは、まだ役目があったから」
「へえ~」
「菩薩であるくせる様を守るという大役。この為に私は一時救世が伸びたんだわ」
「天命果たせて良かったな。もう思い残すこと無く極楽に行けるな」
「天命を授かるというのは素晴らしいのね」
 心からの賛辞を送ってやったのに、果たしたとは言わない大原。
「さっきまでの如何に自分が卑小だったか手に取るように分かるくらい、心が大空のように澄み渡ったわ。
 だから、さっきの暴言は許してあげるわ」
「ありがとうよ」
 ニッコリ微笑んで言うが、暴言というと俺が抱いてやるとか言った奴か。あそこをもがれる心配が無くなったというのに、どうしたことか許して貰えて恐怖深まる。
「だから、これは私怨じゃ無い。信徒としての使命よ」
 大原の銃口が真っ直ぐ俺を狙う。
 私怨で殺しては信徒が廃るか、俺にとってはどっちでも同じなんだがな。
「俺を殺してどうする積もりだ?」
「今度こそ、くせる様に救世って貰うわ」
 迷い無く言い切る大原に頭がクラッとする。
 これは、精神的なものだけじゃ無いな。肉体的にも血が流れ過ぎたか、さっきから思考が上手く纏まらなくなってきた。だがそんな頭でも確実に分かったことがある。
 なんにせよ、千載一遇のチャンスを逃したか。
 視線を前に戻せば、そこにはくせるで無く、鼠のような小狡そうな男に壁のように巨大な男が立ち塞がっている。
 くせるはというと壁男の背後に隠れて良く見えない。つまり手出しはもう無理か。
「おいおい、これはくせるが俺を救えるか否かの菩薩と罪人の一対一互いの存在意義を賭けた勝負、それに割り込むとは無粋が過ぎないか」
 口は出してみた。うまく乗ってくれれば、儲けもの。
「瞑鼠。悪知恵を働かせ菩薩になじられる」
 鼠顔の男が小狡そうに名乗る。
「瞑壁。体を張って菩薩を守る」
 壁のような大男がどっしりと名乗る。
「そしてあそこで剣を振り回している瞑夜は、剣を持って菩薩の敵を切る。
 我等冥界の三鬼。お嬢に仕え、お嬢を助け、お嬢の大願成就の暁には極楽に送って貰う盟約を結びし鬼。
 馬鹿じゃ無いんだ。お嬢が危機だっていうのにぼけっと突っ立っているわけないだろ」
 瞑鼠がいやらしい口調で俺に言う。
 くせるは廻の命令に、三鬼はくせるの命令に、つくづく上の命令に従わない主従だな。
「ここで俺を殺せば、くせるの救うために殺すという大義名分を失うことになるぞ。それは即ち菩薩としての死だ」
「かはっ、良く回る口だな~命乞いにしても一聴に値することを言う。
 だが俺達だってくせるが何の挫折も迷いも無く人類を救世るなんて大願を果たせるとは思っていない。寧ろ挫折を糧にして大きく育って貰わないとな」
 瞑鼠が俺を値踏みするように睨み付けてくる。
「そうかい、なら及ばずながら俺も挫折を与えられるように努力するぜ」
「いやいや、謙遜するな。お前はくせるの救済の手を拒んだ拒めたじゃ無いか、残念だが勝負はお前の勝ちだ。
 認めてやるぜ、大したもんだよお前」
「そりゃどうも」
 嫉妬にまみれた目で褒められても怖いだけ、これで喜べるほどの虚栄心は俺にはない。
「故にお前には永遠に勝ち逃げして貰う。これ以上の挫折は無いよな」
 永遠の勝ち逃げの意味するところは瞑鼠の目を見れば理解する。この手の怖さ、最近縁遠くなっていたが、廻やくせるとは違う俗物線上にある。
「一度の挫折で諦めず、拒んだ手を再度掴むのが菩薩の慈悲じゃ無いのか?
 それを目指してこそ挫折を乗り越えられる」
「そうかもしれんが、実を言うとな嫉妬もあるんだ。
 お前は俺達が心から渇望するくせるの救いの手を拒んだ。
 ちょいとこれは許せねえよな~。
 つまりはこれは俺達冥界の三鬼の憂さ晴らしでもある」
「お~い、菩薩の配下が嫉妬なんかしてるぞ」
 俺は瞑鼠でなく瞑壁の後ろにいるだろうくせるに一縷の希望を込めて呼び掛ける。
「無駄だ」
 瞑壁が少し体をどければ、頭を抱え「分からない分からないと」ぶつぶつ呟いているくせるが見え、俺の声は聞こえている様子が無い。
「諦めろお前は菩薩に見捨てられたんだ。
 もっとも惨めったらしく死ね」
 瞑鼠が腕を払えば、大原が待ってましたとばかりに引き金を引く。
 武器無く血も無く弁論術も及ばず銃声が響き、天使が舞い降りる。
「どうやら菩薩に見捨てられても天使には見捨てられなかったようだ」
 天使の一降り、時雨の一振りが必殺の銃弾から俺を守っていた。

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