第135話 妹と修羅場

文字数 5,133文字

「おいしかったわね、兄さん」
 巷で噂になっているジェラート屋を出ると燦はご機嫌な様子で自然に俺と腕を組んでくる。もう演技をする必要は無いというのにサービスのいいことだ。まだまだ中性的な体付き官能は呼び覚まされないが、少女に抱きつかれるのは悪い気はしない。
 言い訳が出来ないことに俺は鼻の下が全く伸びてないとは否定しきれない。
 ここは大都会、どれだけの人がいるのか想像もつかない。
 対して俺に知り合いは少ない。
 仕事関係を抜きにした人間関係など両手で余ってしまう。
 なのにこういう巡り合わせになるというのはピンポイントで俺の運は悪いのか?
 それとも仕組まれた陰謀だというのか?
 冷や汗が一筋頬を流れていく。
「何しているの?」
 目の前にいる時雨の口調に棘を感じるのは嫉妬してくれたらいいなと願う幻聴だろうか。
 目の前にいる時雨の目が少し険しく感じるのはやはり嫉妬してくれたらいいなと願う幻覚だろうか。
 路上でばったりと時雨に出会ってしまった。
 燦のサービスにうつつを抜かしたばっかりに前方注意が疎かに成り時雨の接近に気付けなかった。
 完全に俺の失態だ。
「兄さん、この人誰?」
 それだ。ナイスだ。
 ピンチはチャンス、燦によって逆境に追いやられるが燦の言葉に逆転の芽が合った。
「この人は雪月 時雨、兄さんの彼女さ」
 兄さんの言葉を強めて俺が時雨を紹介すると、突然燦は俺の腕を放し止める間もなく時雨に襲い掛かる。
 咄嗟のことで時雨も反応出来ずその両手を掴まれてしまう。
「えっ」
 虚を突かれた顔をする時雨、しまった完全に油断していた。話し合えた気がしたが所詮魔人ということか、今の一連の流れの何処に反応したか分からないが信じ掛けていただけに怒りが湧く。だが、今はそれより時雨の安全を確保しなくては、俺が愛銃を引き抜くため懐に手を入れると同時に燦が口を開く。 
「兄さんに脅されているの?」
 燦は時雨の手を握ったままに身を案ずるように問い掛ける。
「おい」
「気の利いたこと一つ言えない兄さんが女の人を口説けるわけが無い。なのに彼女がいるなんて、導かれる真実は一つしかないわ。
 兄さんにどんな弱みを握られたの。私に言ってくれれば力になるわよ」
 あながち嘘とばかりとも言えないというか、見事な推理で真理なので文句も言えない。
「兄さん? 妹なの?」
 時雨は事態の急展開に付いてていけず戸惑いのままに燦に問い掛ける。
 時雨は俺の家族構成など知らない。このまま燦が妹ですと押し切ってくれれば、この修羅場も無事切り抜けられる。
 俺は祈るような気持ちで燦の次の言葉を待つ。
「はい。早乙女 燦と言います」
「名字が違わない」
 惜しい、流石に俺の名字は覚えているか。
「はい、自称ですから」
 義理より酷いこと言いやがる。せめて義理と言ってくれればまだフォローのしようがあったというのに。
「自称?
 君ってそういうプレイをする趣味が合ったの?」
 時雨の俺を見る目が俺の願望で無く実際に冷たく厳しい。
 愛する男の浮気を咎めると言うより、変態男を糾弾する目だ。
 どうする? どんな手を打てばこの窮地を脱することが出来る。
 俺の人生シミュレーションにおいて、こんな修羅場想定したことが無い。
「はい、兄さんは色々と変態ですから」
「へーーーーーーーーーーーーーーー」
 俺の見る時雨の前が益々細まっていく。
 やばいやばい、あの目はやばい。
 嫉妬なら嬉しいが変態を糾弾する目は耐えられない。
 この場で土下座でもして御免なさいと謝るか?
 だが浮気も変態プレイも実際にはしてないのに謝るのは釈然としないし、それは浮気をして変態プレイで楽しんでいると認めてしまう行為。しかも謝っていいのは、許されることが前提にある。だが時雨が俺に惚れているなら兎も角、そうでないので許されない。つまり恋人契約終了でお別れだ。
 何を悩む、俺はそもそも浮気なんかしていない。正直に全ての経緯を話して、燦とは心など通じ合っていない、これは仕事で演技で仲良くしているだけだと言い切ってしまうか?
 きっと時雨なら誤解だったと理解してくれる。だが代わりに僅かばかりに積み上がった燦との信頼の砂山は吹き飛び、最悪二度と信頼関係は築けないかも知れない。しかも、この場で燦が自暴自棄になって暴れ出したらどうする? 通行人は兎も角、今腕を掴まれている時雨が真っ先に犠牲になる。それだけは絶対に避けないといけない。
 なら正直に経緯を話して、燦と心が通じ合ってしまったので仲良くデートをしてましたと言うのか?
 それって浮気しましたと言っているのと同じだろ。言ってどうする。
 なら俺が知っているクズ男を真似てみるか?
 うるせえ、抱かせもしないくせにぐだぐだぬかすなと逆ギレして時雨の頬を叩き、時雨が捨てないで泣きながら俺に縋ってくる。
 ないないそんな事起こるわけないだろ、なら別れましょうで終わりなだけだ。
 不謹慎だろうが、今このときにシン世廻の魔人にでも襲われれば全てが誤魔化せるのだが、俺が願ったことが起きるわけが無い。
 仕方が無い、覚悟を決めよう。
 兎に角この場は曖昧模糊にして流して逃げる。後日前埜にでも泣いて縋り付いて時雨との間を取り持って貰おう。嫌だけど。
 今俺は初めてドンファンの仮面を被る。
「全く何を誤解しているんだい、マイハニー」
 俺は今までしたことの無い歯が輝く笑顔を浮かべて時雨に近寄っていく。俺は色男、俺はドンファン、女に対して疚しいことなど一点も無し。女を愛し女を愛でる男。
 暗い影など全て捨て去る。
 太陽のように明るく、風のように爽やかに、羽毛のように軽やかに、俺はドンファン。
 燦は呆気に取られ固まり、時雨はそんな俺に嫌な予感がしたのか距離を取ろうとするが燦に腕を握られているので逃げられない。
 ここしかチャンスは無い、跳ねるステップで時雨の息が掛かるほどに近寄ると、そのままに抱きついた。抱きしめると柔らかい弾力が返ってきて暖かく、どこか官能の香りが俺の鼻を擽ってくる。
「ちょっちょっと」
「嫉妬するハニーも可愛いぜ。益々惚れたぜ」
 俺は時雨の背中につつつっと人差し指を滑らせる。
「ちょっと何をするの、くすぐったい」
「可愛い女だ。俺の愛する女はお前だけだぜ」
 俺は気障な台詞と共に時雨の可愛い顔にうっとりとする目で時雨の瞳を一時見詰めると、餅のように柔らかそうで滑らかな耳たぶに甘噛みした。
 くにゅっとした歯ごたえが心地いい。
「うきゅっ」
 時雨から今まで聞いたこと無い素っ頓狂な声が漏れ、溢れる愛おしさのままに時雨の耳の穴に舌を入れてしまう。柔らかくうねる狭い穴に挿入し優しく愛撫される舌が今まで味わったことの無い甘露に震える。
「んっはああっ―――――――――――――――――――――――――――――――」
 時雨は真っ赤になって力が抜け腰が抜けた。
 唇を奪ったわけでも無いのに時雨は初心過ぎるぜ。耳を甘噛みしてこれではキスをしていたら気絶していたのか? まあいい、兎に角今しか無い。俺は腰の抜けた時雨をゆっくりと地面に降ろし、おでこにキスをする。
「このままベットに行きたいところだが外せない野暮用があってな。可愛いマイハニー、股を濡らして俺の帰りを待っていてくれ」
 俺は気障な台詞を吐きつつ固まっている燦を抱き抱えると、その場から逃げるように立ち去っていくのであった。
これは以前バイト先で見たプレイボーイの修羅場回避術を真似たのだが、あの時は心底軽蔑したがまさか俺がやることになるなんて、人生は分からない。

 何とかあの場を誤魔化し去った後、電車に乗り込み揺られるままに、どうやって今回の尻ぬぐいをするかずっと考えていたが、いい案は思い付かないままに駅に着いてしまう。
「兄さん、着くわよ」
 電車に乗っている間、俺が黙り込むものだから俺が買ってやった文庫をずっと読んでいた燦が文庫から視線を上げて俺に言う。
「ああ」
 俺はボックス席を立ちドアに向かう。
「大丈夫よ」
 燦が励ますようガッツポーズを作って言う。
「何が?」
「兄さんが変態でも私は見捨てないから」
 この元凶が、誰の所為でこうなったと思っている。
 とは言えいつまで考え込んでいるわけにもいかない。如月さんからのメールから、迎えが来ていることになっている。そいつに燦を引き渡せば俺の任務は終了、帰ってから幾らでも言い訳を考えればいい。
 今は多大な犠牲を払って遂行した任務を果たすことを考えよう。

 燦と二人、平屋の駅舎から出るとロータリーとその向こうに連なる山々が見える。ロータリー周りは、ちらほらと飲食店などがあるが、どうにも寂れた感じは否めない。
 さて迎えはどこにいると見渡すとロータリーに止められていた車から男女二人が降りて、俺達の方に真っ直ぐ向かってくる。二人とも軍や警察のような制服を着て、どちらも若く俺とそう年は変わらないだろう。
 迎えかと安心するのはまだ早い。ここ最近の出来事で大分用心深くなった。俺は袖口に仕込んでいる射出式スタンガンの用意をしておく。
 二人は俺のそんな警戒を読み取ったのか2メートルほど前で止まると背筋を伸ばして敬礼してきた。
「初めまして、自衛隊特殊戦部隊 大原 三尉です」
 軍人の女性らしくショートにした髪型で少し堅い感じ高校生なら委員長でも似合ってそうな女性でだった。
「同じく、影狩 三尉です。よろしくっ」
 サングラスを掛け髪型も決めた、どこか軍人と言うよりバンドマンでも似合っていそうなノリがある。
「如月警視より連絡を受けて迎えに上がりました」
 如月さんの名前まで出したか、一歩信用して一歩前に出る。
「申し訳ありませんが、身分証を見せて貰えますか?」
「はい」
 こんな事でボロを出すとは思えないが一応確認しておく。二人は素直に俺の方に身分証を提示してくる。顔写真と名前が記載され、如月さんから連絡のあった名前とも一致している。アランのように本物が洗脳されているのならどうにもならないが、そこまで疑っていては仕事は進まない。今回の件は燦の衝動的家出、凝った仕込みをしている時間は無かったはず。ここらで一旦切り上げて仕事を進めるか。
「一等退魔官の果無です」
 礼儀として俺も敬礼を返し身分証名称を提示する、もちろん警部と書かれた方じゃ無い一等退魔官と書かれた方である。
「確認しました。
 お疲れ様でした一等退魔官殿、後は我々で引き受けます。今回は此方の不手際で、ご迷惑をおかけしました」
 大原は深々と頭を下げてくるなか、背中にプレシャーを感じる。分かってるよ、兄さんは約束は守る。こうなったら意地でも約束を果たして燦の信頼度を上げておいてやる。
「悪いが俺は帰るわけにいかない」
「それはどういう意味ですか?」
「其方の責任者に会って、今回の件について話がしたい」
「それについて後日此方から報告書を提出します」
「それには及ばない」
「えっ」
「こっちは忙しいだ、善処します後日という先送りに付き合う暇は無い。俺が直接現場を見て直接判断する」
「しかし、それは・・・」
 どうやって断ろうか言い淀む大原。疚しいことは無くても、部外者に荒らされたくない気持ちは分かるが引いてはやらない。
「毎度毎度休日を潰される身も考えて欲しいな」
「しかし許可無く連れて行く訳には・・・」
「誰の許可があればいい?
 ちなみに一等退魔官はユガミや魔人関連に関してなら、警察で警部、自衛隊で一尉の権限があるが、それでは足りないというか?」
 ほとんど警察機構に所属し指揮をするが、最悪の場合の掃討戦を想定し自衛隊の部隊を指揮する権限も一応ある。まあ自衛官を直接指揮することは滅多に無いだろうし、そもそも自衛隊を指揮したくなっても誰に話を持っていけばいいのか分からない。
「少し上と話をさせて下さい」
 大原は少し離れて誰かと電話をし出す。
「あんまり香貫花ちゃんをいじめないで、彼女まじめなのよ」
「あんたは不真面目そうだな」
「そそっ仕事は適当に力ぬかないとね~」
 悪びれずに言える態度に俺とは気が合いそうも無いと感じた。
「貴方は抜きすぎです」
「失礼しました。上司も数々の戦果を上げてきた果無退魔官と話がしたいそうです」
「それじゃあ」
「はい、我々がご案内します」
 こうして俺は燦とともに国立能力開発センターに行くことになったのであった。

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