第59話 悪魔の旋律

文字数 2,492文字

「どういう意味だ?」
 俺は皇を抱き抱えたままゆっくりと立ち上がっていく。鬼を従えた少年、抱き抱える皇も緊張して体が強張っているのが分かる。今のところ敵意は感じないが何となくだが此奴は嗤いながら相手を突き落とせるタイプだ。一瞬の油断も出来ない。
「そのままの意味だよ。君空気が全く読めないでしょ。それじゃ飲み会とかでみんなの盛り上げに乗れないで、独り取り残されてぽつんとしてるんじゃ無いの?」
 皇はまだ抱き抱えておく、暴走して少年に殴りかかられては困るからな。しっかりと手綱を握りつつ口を開く。兎に角会話を続ける必要がある。
「おかげで醜態を晒さなく済んだぜ」
 俺が空気が読める奴だったら、この耳心地がいいリズムに乗ってみんなに合わせて踊り始めていただろう。
「それって、辛くない。人ってのは正しいことをしても評価されない、波の乗っている奴が評価されるんだぜ。つまり君は絶対に評価されない日陰者だ」
 そんなことは知っている。かつての日本において戦中に反戦だ平和だと今なら正しいことを言えば投獄されて獄死した。
空気を読むとは、空気に同調しろと言うことだ。
「いざとなれば演技の一つもするさ」
 現に大学に入ってからはいい人の仮面を被って過ごしていた。
「はっそれじゃ心からは乗れないって事じゃ無い。万事が万事がそう、君は集団にあってもただ独り。恋人はおろか友達すらいないでしょ」
 ネズミをいたぶる猫のような笑い方をする奴だ。
「それがどうした。独りでも案外楽しく生きていけるぜ」
 ここで恋人はいるぞと言いたかったが、時雨さんとは付き合ってはいるが恋人じゃ無いのが苦しいところだ。
 そもそもひとはひとりだ。苦しみも楽しみも分かち合えない。なぜなら究極の楽である生も究極の苦である死も、己一人で受け止めるしか無いのだから。
「そうかな~少なくても僕は独りじゃ面白くないけどな」
「まあ考え方の相違って奴だ。俺は俺で楽しむからお前はお前で楽しんでくれ」
 本能的に分かる此奴は関わったら終わりの奴だ。此奴は自分が楽しむ為平気で他人に悪意を擦り付けてくる。確かに己が楽しむ為に他人が必要だな。
「いやいや、君みたいに一匹狼を気取っている奴ほど、ちょっと優しくしてやると直ぐ尻尾振って懐いてくるもんだぜ」
 少年がしたり顔で言う、真理を謳う宗教家のように、セミナーで曖昧な理論で明日から人生が変わると断言する講師のように。
「何が言いたい?」
 例えそうだとしても、それを俺に言ってどうする? こういう本心は隠して俺に優しくして利用するものじゃ無いのか? 理屈に合わない。
「随分と時雨に懐いているようじゃ無いか」
 時雨を知っている?
 まさか此奴あの渋谷で会った奴なのか?
 改めて少年を見る。
 背の丈は160前後で小柄かつ中学生か小学生高学年くらいのまだ未成熟な体付き。顔は男に成りきらないあどけなさが中性的可愛さを生み出している。ジュニアアイドルになれば人気が出そうではある。そして何より特徴的なのは、その銀髪、染めた不自然さは無く自然と似合っている。
 これだけの特徴、一度会えば忘れなさそうだが、どうしても渋谷で会った奴なのか断言できない。
「あれは僕が見付けた最高の楽器。君如きの手垢を付けて欲しくないな」
「楽器だと」
「そう楽器だ。
 僕の名は「石皮音 泪衣」魔に墜ちた旋律者さ」
 楽器、楽器だと。時雨さんが楽器。時雨さんは俺にとって幸せを奏でる楽器、と言えば楽器に例えて大事にしている意味になるが、石皮音が言えば碌でもないようにしか聞こえない。まるでスキンコレクターが皮膚が大事と言っているような邪悪さを感じる。
「おや、音楽が止まった。ルナティックは倒されたか」
 石皮音に言われて耳を澄ませばあの狂気に誘うラップは聞こえてこない。音羽の奴は自分の仕事を果たしたようだ。
「それじゃあ僕は今日の所はお暇させて貰おうかな」
 石皮音は音楽が止まってもやはり戻ること無く狂気の舞踊を続ける人々の間に紛れて帰ろうとした。
「時雨に害を為す奴を無事に返すと思うなっ」
 叫ぶと同時に射出式スタンガンを発射した。
 ここで此奴を帰した方がいい。そうすれば今日の所は俺は無事帰れる。俺は一般人、俺に何が出来る、思い上がるなっ。
 そんなこと計算できる。計算できるが俺はこの悪意が時雨さんに迫る未来をどうしても我慢できなかった。
 確かに俺は時雨さんに尻尾を振るう犬なのかも。
「君以外と馬鹿」
 小馬鹿にする石皮音の前に鬼が割って入り電極を掴まれてしまった。
「そう焦らない。時雨に纏わり付くものは一つ一つ壊していくんだ。君も最高の旋律を奏でる為の一音になって貰うよ」
石皮音の言葉に脳内にひらめきが走った。もしかしてこれは音羽を嵌める為の罠だったのか? 
ひらめきだったが、言語と成り確信となった。
だとしたら此奴は相当用意周到に念入りに時雨さんの周りに悪意の巣を張っている。時雨さんの人間関係を調べ上げ、どういう順番でどういう末路を与えていけば効果的に時雨さんに苦しみを与えていけるか考え抜いて悪魔の旋律を編み上げている。
だが其処に俺という異分子が紛れ込んだ。計画は狂い出すが、時雨さんが付き合う俺をただ殺すのは石皮音のプライドが許さない。どうあっても俺を悪魔の旋律の一音に組み込む気だ。
「じゃっシーユーアゲイン」
 余裕綽々で背中を俺に向ける石皮音。用意周到に準備をし罠を張る、積み上げた悪意が圧倒的過ぎて俺如きでは立ち向かえるとは思えなくなってしまう。
 だが。
 しかし。
 そんな奴を倒すなら、異分子として紛れ込めた今しか無い。
「へい、石皮音」
「ん?」
 俺の挑発に石皮音は億劫そうに振り返りる。
「さっさと家に帰って妄想してな。お前が妄想の時雨でマス搔いてる間に俺は生身の時雨の処女膜おいしく頂くぜ」
 振り返った石皮音の前で、俺は左手で輪を作り右手の人差し指で輪の中心を貫いてやった。
 下品この上ないが仕方が無い、だって俺は嫌な奴だからな。
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