第三十四話 天職

文字数 2,585文字

 これは何だ。
 これは本当に人だったものなのか?
 一体どういった理不尽が人の尊厳をここまで剥ぎ取る?

「待ちなさい。素人が飛び出すなんて危ない」
 止める間もなく飛び出した俺を心配して時雨さんがベランダに出てくる。
「えっなっ何!? まさか、えっすな・・・」
 しまった。あまりの異様さに我を忘れて俺はカナリアとしての役目を忘れてしまうなんて。
 振り返れば、理解を拒否する理性が削ぎ落ちた時雨さんの顔が見えた。俺は咄嗟に時雨さんに飛びつくと、彼女の顔を俺の胸に押しつけた。
「見るな」
「えっでも」
 時雨さんの吐く吐息が胸を暖かく湿らす。
「時雨は見なくていい」
 静かに言い聞かせつつ俺は力を込めて藻掻く時雨さんを押さえつける。
 花の如く手折れそうな華奢な腰。まだ女に脱皮しない少女の体の肉付きは熟す一歩手前の果物の味。超常の技を振るう時雨さんも単純な力勝負なら俺の敵じゃ無い、ぎゅうっとそれこそ潰せるほどに強く抱きしめる。
「ただの洗濯物だ」
「そうなんだ」
 俺の嘘に時雨さんは騙されることを選んだ。時雨さんの体から力が抜け弛緩する。軟体動物のようにぐにゃりと成った時雨さんを抱き抱え部屋まで押し戻していく。
 そうかそうなんだな。
超常の技を使う旋律士、だがその体は超人で無く少女。
だが何より、その心は百合の如くまだ純真でか弱い。
俺のようにぶっ壊れても無ければ、大人の如く汚れたタフさも無い。
たおやかなる花だからこそ、どこか脆く惹かれる美しさを放つ。
「ちょっと何シグに抱きついてるのよ。この変態ッ」
「矢牛。時雨を頼む」
 猛然と駆け寄ってきた矢牛さんに時雨さんを託す。
「えっちょっと何があったの?」
 いきなり時雨さんを託されて困惑する矢牛の耳元に口を寄せ囁く。
「外に砂府のものと思われる死体がある。俺はこれから詳しく調べるから、お前達は絶対に見るな」
「えっなんであんたが」
 素人が出しゃばるなとばかりの顔をする矢牛。
「知り合いが見ていい死に方じゃ無い。
 見たければ見てもいいが、大友と時雨にだけには絶対に見せるなよ」
 俺は念を押すと再び一人ベランダに出た。

 其処には風に揺られるペラペラとなった砂府がぶら下がっている。
 普通の人間なら吐き数日は悪夢に魘される光景。
 ぶっ壊れた心がここで役に立つとはな。俺はこの光景を眺めて吐き気が催すことはなく、直視していられる。俺は意外と猟奇死体専門の検死官や鑑識が天職かもな。
 そもそもこんな状態になったのになぜ俺は砂府と直感した。
 観察すると、ぺしゃんこに潰されたというより、虎の敷物と同じで皮を剥ぎ取られたようで細胞が潰されてはいない。
 この皮だけとなって中身の無いゴムマスクのようになった顔を見て判断した。確かにそう思ってみれば生前の砂府を連想できるし、髪型も同じだ。
 だが違う。そう思っているからそう思えるだけだ。
 ならなぜ?
 そうかそうだったんだ。
 あまりに冗談ぽかったので思考が拒否していた。この皮だけとなった体に紙の着せ替え人形のように服が着せられている。
 この服は朝見た砂府が着ていた服、それと顔が合わさって砂府だと思ったのか。
 なるほど。
まとめると、これが砂府である可能性は高いが断定できない。別の人間の皮に砂府の服を着せた可能性もある。ミステリーの常套手段だが、何の意味がある? 
 カチャン。
 ん、ポケットから何かが血だまりに落ちた。見るとそれは銀色のハーモニカだった。何か気になった俺は矢牛さんにでも見せようと俺はハンカチを取り出し素手で触らないようにして拾った。
 さてこれ以上は素人の俺では分からない、部屋に戻って行動に移した方がいい。ハーモニカを持って俺は部屋に戻った。

「どうだった?」
 待ち構えていた矢牛さんが訪ねてくる。
「これに見覚えはあるか?」
 俺はハーモニカを見せてみた。
「そっそれは、砂府さんの旋律具。どこにあったの?」
「死体の服のポケットにあった」
「じゃあ、本当に砂府さんなのね」
 死体が砂府のものであることを納得した顔。旋律士にとって旋律具とはそれほどまでに切っても切り離せない重要なものなのか。俺はそんなにも大事なものをカタに時雨さんに交際を申し込んだのか。
 悪党もいいところだな。
「どうかな、顔が判別出来なくて断言は出来ない」
「顔が分からないって」
 困惑した顔で矢牛さんは尋ねてくる。
「それ以上聞くな。それよりも前埜に連絡して応援を呼ぼう。俺達の手には負えない」
「そうね」
 銅の旋律士とかいう時雨さん達から見れば雲の上の存在が殺られたんだ、普通に考えれば俺達の手に余る。それが分かっているのか矢牛さんもすんなり同意してくれた。強気そうだから自分の手で解決しようとして少しはごねるかと思ったが意外と理性的なんだな。
「よし」
 俺がスマフォを取り出そうとした時、矢牛さんの胸が震えた。
 間近で見ると波打っているのが分かる。
「すけべ」
 矢牛さんは胸ポケットからスマフォを取り出した。
「はい」
 矢牛がスマフォにでるのを見て俺は一旦掛けるのを辞めた。
「はい。多分砂府さんだと思います」
 状況の説明をしている相手は誰だ? 前埜?
「分かりました。前埜さんには鵡見さんから連絡してくれるのですね」
 鵡見? 砂府のパートナーとか言う女性か。無事だったのか。しかしツーマンセルで行動をしていると思っていたが、パートナーの安否さえ分からないとは別行動をしていたということか?
「私達は鵡見さんが来るまで移動の準備を整えておきます」
 矢牛さんはスマフォを切った。
「鵡見さんがこっちに来るそうよ。私達は移動の準備をしましょう」
「そうか」
 移動ということは俺達はどこか別の場所に逃げるのか。まあここが敵に知られている以上妥当な判断だな。
「大友さん、外出する準備をしろ。二三日は帰ってこれなくても困らないようにな」
「はっはい」
 部屋の隅で所在なくしていた大友さんに俺は言った。
 問題は。
「時雨大丈夫か」
「うん。みっともないところ見せちゃったね。もう大丈夫」
 そう答えた時雨さんの顔はいつもの日溜まりのような優しい顔で無く、ユガミと戦っている時の戦士の顔をしていた。
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