零日目―02

文字数 2,403文字

 刀矢湊斗(とうや・みなと)は、勉強しているところなんて見たことがないと言われながら、常に学年順位の一桁と二桁とを行き来している男だった(それも一桁の回数のほうが多い)。バスケ部のエースであり、一八八㎝もの偉丈夫であり、愛想がなく、

、できれば卒業するまで言葉を交わすのはもちろん目を合わせることすらしたくないと、ほとんどすべての生徒からそう思われている特異な人間だ。同じ学校の同じ学年の同じクラスにいて欲しくない典型的な少年――彼を前にすると、己の

が際立ってしまう。
 これから先、僕は多くの場面で、このようにして刀矢湊斗の人物像をいくらか大袈裟に肥大化して描くことになるだろう。そもそも高校というところは虚無の王国であるのだから、様々な生徒のあいだには、そうは言っても取るに足りない差異しか存在しないのであり、それを途方もなく過大に見せることができるのは、ひとえに僕の創造力だけであると言っていい。けれども、一八八㎝の大男が成績上位一桁にいるとなれば、高校二年生にとっては充分特別に映る。そのうえ彼は決してハンサムとは言えなかった。デカくて頭がよくてハンサムとは言い難い男にまったく愛想がないとなれば、敬して遠ざけるのは正しい接し方だと思う。
 他方でこの僕・手塚玲央(てづか・れお)は、学校では(学校に限らず)可能な限り気配を消し、成績はいいけれど酷い運動音痴で足が遅く(一所懸命に走ったのは小学一年生までだ)、通学中も電車の窓の外をぼんやり眺めているほかこれと言ってすることもなく、この退屈をどうすればいいのか困惑しているような少年だ。少しでも退屈しのぎになればと考えて塾に通ったりもしている。鶏は三歩歩けば物事を忘れると言われるけれど、鶏でなくても三歩歩けば忘れられてしまう少年――僕を前にすると、みんな少しばかり安堵する。自分と同じようなみっともない奴がいる…と思うのだろう。
 こないだネットで見た情報を信じるならば、僕は身長においてほんの四ミリばかり、体重においてほんの三百グラムばかり、この国の十七歳の少年の平均値を下回っている。四ミリと三百グラムなんて――計算してみると〇・二三%と〇・四八%になる――恐らく計測の誤差に過ぎない。統計学的知見を持ち出してくどくどしく説明する必要もない。そもそも僕には統計学的知見の持ち合わせもないことだし。とはいえ、自分が「平均値」と誤差の範囲でしか違わないなんて、人生でガッカリさせられる事実の中でも最たるものではないか!
 そんな僕らふたりが友人となる契機など、本来ならどこを探しても見つからないはずだった。だけど事実として、刀矢湊斗は僕の友人である。彼は幾度も僕の家に訪ねてきているし、会えば何時間でも話が終わらない。SFやミステリーやマンガや映画やアニメなどに関する僕らの評価は驚くほどに一致する。そうした創作物に関する評価が一致すれば、世間で起きていること、学校で起きていること、同級生や教師に対する評価もまた一致するのは、モノの道理というやつだろう。そしてそのような場面で意見が一致する人間と過ごすのは、言うまでもなく頗る心地がいい。
 僕らは十七歳で、都内にある偏差値の高い有名私大の付属高校に通う二年生であり、なにをやったところでどうせ誰かがすでに終えていることばかりだとか、二十一世紀のこの世界に誰もまだ終えていないことなどありはしないだとか、要するにそんな気分で毎日を過ごしている。僕らは日々、なにが

ではなくなにが

ばかりを突き付けられるよりほかどうしようもない、ふつうの十七歳の少年だ。それならそんな気分になるのも無理はないね…と納得して欲しい。…ということをここでは言っている。わかりにくいかな?
(初めに断っておくべきだったかもしれないけれど、僕はこのようにごちゃごちゃした言説を操るちょっと面倒臭い少年だ。悪いね)
 もちろん、この世界にはまだ終えられていないことが、

。たとえば貧困の撲滅、戦争の放棄、犯罪の一掃、そして宇宙や生命の謎の解明とかだ(挙げて行けばきっと

がない)。将来、僕らも間接的に、貧困の撲滅や戦争の放棄や犯罪の一掃や(ちなみに「撲滅」と「放棄」と「一掃」は入れ替えてもいい)、そして宇宙や生命の謎の解明などに関わることになるかもしれない。君のしていることは実はそれらに貢献しているのだと、いつか誰かに(できれば平和や文学ではなく化学か物理学での受賞者から)指摘される機会が訪れたとしても、僕はこれっぽっちも驚かない。でも、僕はちょっと思うのだけれど、僕らが声を上げて

働いていると口にしていいのは、僕らと固有名で関係することになった僅かな人たちの幸せに関する事柄に限定すべきではないだろうか? 声高に口にはしないけれど実は世界平和のために働いているのだ…なんて囁くやつと出会ったら、

だろうが

だろうが

だろうが

だろうが、そいつはとんだペテン師だと疑っていい。
 実際、確かになにをやったところでどうせ

終えていることばかりであるのは間違いないとはいえ、

なにひとつ終えてはいない。確かに二十一世紀のこの世界に

終えていないことなどあるはずがないとはいえ、

なにひとつ終えてはいない。十七歳であるというのは、つまり、そうした事態の集積の象徴みたいなものだろう。
 この十二月――僕らがそんな十七歳で迎える十二月において、僕と湊斗の日常は、貧困とも戦争とも犯罪とも宇宙や生命の謎とも(たぶん)結びついてはいなかった。他方でこの冬、僕らは一組のとんでもなく美しい母娘のせいで、酷く落ち着かない気分で毎日を過ごすことになった。正直なところ、それは僕らの手に余る、誰憚ることなく溜め息をつきたくなるような事態だった。――ごめん、物語はまだ始まらない。
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