第136話 近くて遠い距離 6 ~自滅・交渉~ Bパート

文字数 7,614文字


「優希君。私、優希君に朝の事で話したい事があるから、少し待っててもらっても良い?」
 何となくお互いに無言で部活棟と教室棟の間まで来た時、私に用事がある事を伝えると、
「さっきもそんなこと言ってたけど、その用事って学校の?」
「学校しかないに決まっているって言うか、優希君には言ってなかったっけ」
 そう前置きをして、改めて優希君に初学期の時に“雨降って地固まる”と雪野さん交代の話についての教頭先生とのやり取りを一通り話す。
「……その話、誰かにした?」
 その時に見た優希君の表情はなんていうか不満顔だった。
「していないよ。特に倉本君の前では匂わせるようなこともしていないし、話をしたのは間違いなく優希君だけだって」
 さっきまでは気がかりばかりで元気が無かったけれど、久しぶりに見せてくれた優希君の私に対する気持ちで、少し元気が出た気がする。
「その事も、僕に相談してほしかった」
 今なら普通にわかるこの言い方。“やきもち”や独占欲とは少し違って、ただ純粋に私の力になりたいて言ってくれているって。
「ありがとう優希君。でもこの話は元々鼎談の時の話だったから、誰かに相談じゃなくて自分で考えないといけない話だったの……ごめんね。それじゃあ行ってくるね」
「じゃあ僕は図書室にいるから、終わったら来てよ」
 純粋な優希君の気持ちを胸に、待ち合わせ場所だけを決めて職員室へと向かう。


 私が職員室に覗いたとき、やっぱり今日来るのが分かっていたのか、真っ先に教頭先生と目が合う。そして、本当に担任の先生を通すつもりはないのか、そのまま久しぶりとなる応接室の方へと通される。
「岡本さんとはテスト明けの鼎談の時以来ですが、夏休みの間に受験対策は進みましたか?」
 穂高先生が姿を見せるまでは、本題に入るつもりはないのか、柔和な表情を浮かべた教頭先生が、雑談を振ってくる。
「正直夏季課題と夏季講習で手一杯でした」
 習熟度テストの手ごたえ自体はあったけれど、明日の学力テストの事は未知数だし、それが受験対策になっているのかもわからない。
「大丈夫です。あの量の課題で手一杯になるほど真剣に取り組んだのであれば、しっかりと受験対策は進んでいますよ」
 柔和な表情を浮かべたまま、教頭先生はねぎらってくれているように聞こえるけれど、それは本当に額面通りに受け取っても良いのか。教頭先生の言い方なら、あの“程度”の量。とついていてもおかしくないようにも聞こえる。
 でもこの教頭先生の思惑がどうであれ、担任の巻本先生が私の成績なら、朱先輩と同じ学校を受けるのであれば“推薦”を出せると言ってくれたのだ。だったら気遣ってもらったお礼くらいは言っても良いと判断する。

「あら、久しぶりね岡本さん」
 教頭先生との雑談がひと段落したところで、穂高先生も姿を見せる。本当なら皮肉の一つでも言ってやりたかったのだけれど、教頭先生のいる手前“ぐっ”と我慢する。
 その穂高先生に当り障りのない挨拶を返したところで、今度こそ本題に入るための口火を改めて教頭先生が切る。
「それでは改めて岡本さんに伺います①〘どうして養護教諭がいじめの実態を把握しているにもかかわらず、それを岡本さんに匂わせるだけ匂わせて、言わなかった〙のだと思いますか?」
 けれど、初っ端から私の頭が真っ白になる。私との交渉の際に焦点になったのは、雪野さん残留に関する私なりの理由である本音と建前の二つじゃなかったのか。でも鼎談の時にそんな質問をされたことも覚えてはいる。あの時はむしろ私が激高したのを教頭先生に止めて貰うかなんかしたのだから、文句を言えない。
 でも正直言えばそっちの事はあんまり覚えていなかったというか、忘れていた。
 雪野さんの交渉というか、私の二つの意見を聞くのが楽しみと言われていたことにしか頭が行っていなかった。
「あら? 終業式の終わりの時には、回答を持っていそうだったのに、まだ答えを分かってなかったの?」
 答えに窮した私を、安心した表情で笑い出す腹黒。私の答えがない事に安心するような腹黒が、なんで教師を続けられるのか。どう考えてもハメられたのは間違いなさそうだった。
「まぁまぁ養護教諭もそんな言い方をされなくても――岡本さんの事ですから、倉本君にお伝えした課題の方の回答を持って来たって事ですよね」
 その直後に腹黒をたしなめてくれる教頭先生。
「そんな顔をしなくても大丈夫です。私は次回岡本さんと話をする時、本音と建前の両方を聞くと言ったこともちゃんと覚えていますよ」
 その上、柔和な表情をそのままに私のフォローまでしてくれる教頭先生。
 この前の生徒指導の先生とも、私に対して遠慮なく嫌な表情を浮かべている腹黒とも違う。朱先輩には申し訳ないと思うけれど、もう蒼ちゃんの事もこの先生に任せてしまうのは辞めることにする。
 その上で腹黒顔を見るだけでムカついてくるからと、教頭先生の方に体ごと向け直してあの鼎談の日の続き。
 私なりの雪野さんの処遇に対する考え方を口にする。
「雪野さんの交代についてですが

、交代に反対です」
 今度は私から口火を切って、形だけはきっぱりと学校側に対立するような意見を述べる。
 それを受けて、本題が始まったと切り替えたのか、教頭先生の持つ雰囲気と共に柔和だったその表情がスッと鋭くなる。
「つまり、統括会は学校側の判断に異を唱ええるという事ですね」
 あれだけ強調して

、と言ったはずなのに統括会はと言い直して、その上声のトーンまで変えた教頭先生の中に、イヤらしさまで混じり始める。
「はい、そうです。そもそも雪野さんに統括会役員として、何か重大な瑕疵があったと学校側は考えているんですか?」
 私の見立て通りなら、倉本君の交渉の意味もない。雪野さんを交代させるつもりもない。雪野さん自身をどうこうする気がないのは明らかなのに。
「逆に聞きますが、岡本さんは生徒間同士のトラブルを積極的に解決するための統括会が、生徒間のトラブルを起こしておいて、雪野議長は統括会の理念を守れていると言い切れるんですか?」
 かと思ったら今度は統括会から、“私”に主語を戻してくる教頭先生。でもここで主語を戻してくれるのなら、私としては好都合だ。
「生徒間のトラブルと言いますけれど、初めから完璧に出来る人なんていると思いますか? 確かに雪野さんは今回の事でトラブルを起こしていますし、私たちも振り回されました。ですが成績自体は統括会の要件を満たしていますし、雪野さんの素行に関してもむしろ校則の模範生徒と言う事で要件からは逸脱しているとは思えないんですけれど。むしろ、だからこそのトラブルもあったと私は、思います」
 あの同じクラスの事の香水の件とか。せっかく主語を私にしてくれたのだから、“私”の思いをぶちまけさせてもらう。
 そして教頭先生の私を見る目が眇められる。
「では今の統括会では、生徒間のトラブル自体は容認すると。勉学の集中は二の次と言う認識で良いんですね」
 その上で今度は主語を統括会へと戻して、今の統括会自体にケチをつけようとする教頭先生。
「教頭先生の話を聞いていたら、重大な瑕疵に至らなかったとしても、何か一つ欠点があるだけで雪野さんには辞めてもらうと言っているように聞こえるんですけれど、そのつもりでしたら統括会としても、私としても受け入れる事は出来ません」
 そんな理由だといくら教頭先生と言えども、私もみんなも納得はしない。
 私

二つの主語を使い分けている事に気づいていたクセに驚いたふりをする教頭……先生。
「それに学校という場所は勉強だけじゃなくて、“和”や“集団行動”を教える、経験する機会、場でもあるんじゃないんですか?」
 これは実祝さんのお姉さんから教えてもらったことだ。
「集団行動と言うのであれば、何も統括会である必要はないのではないですか? そもそも何か一つ欠点があるだけでと言いましたが、統括会として、生徒から多数文句と不満が上がっていますが、そちらはどうするつもりですか? 初学期の終業式や中学期の始業式の反応を見る限り、もう一つの統括会の理念にもある学校側と生徒側の折衝、緩衝すらも出来る状態とは言い難いと思いますが、その辺りもどうですか?」
 私は教頭先生にバレないように歯噛みする。
 間違いなく私たちに始業式を使って、現実を見せつけた上での今日の交渉というか、面談を仕組んだのだと、だからこその中学期での面談だったと理解する。
「つまり今の統括会は、理念にある生徒が過ごしやすくするのも、学校側との折衝、緩衝をするのも後回しで、身内の保身を優先するって事でよろしいですね」
 悔しいっ。私たちの思いを“身内の保身”と言われた事も、それに対してとっさに反論できなかった自分にも腹立つし、悔しい。
 その気持ちが爆ぜた瞬間、取り繕う事も、何もかもをあきらめた言葉が私の口から飛び出す。
「待って下さい! 私の話はまだ終わっていません『それ以上は屁理屈になり――』――教頭先生がどの件の生徒間同士のトラブルの事を言っているのかはわかりませんが、以前先生の方から“雨降って地固まる”の話をして下さいましたよね」
 少しだけ聞いた二年での雪野さんとの香水の件についてのトラブル。今となってはもう答え合わせが済んでいる御国さんの“家の手伝い”の事。それに優希君と一時期三角関係だったことも含めて、合っている間違っている、共感出来る出来ないは置いておくとして、お互いに主義、言い分自体はあるのだ。あの時の教頭先生は主義主張があれば喧嘩、言い争いを認めていたはずなのだ。
「では、今回の雪野議長の件にしても、雪野議長の一方的な話ではないと」
 教頭先生の割り込みも意に介さず、私は言い切った。
 どうして友達同士のけんかに対しては先生の方から“雨降って地固まりますか”と聞いてくるのに、雪野さんになったとたん、統括会の理念を盾に言い合いすらも許さないという答えに変わってしまうのか。
 ……気が付いてしまえば腹立って来た。
「そうです。確かに学校側の言う通り、私も含めてそうですが雪野さん自身にもまだまだ粗はあります。でも先の集団行動もそうですが、勉強以外のそう言う事を教えるのもまた学校なんじゃないんですか?」
 実祝さんのお姉さんが教えてくれた学校の事、成績は下がっても良いからとまで言って喧嘩と仲直りの経験をして欲しいと口にしていた。
「それに教頭先生が私に言ってくれたんですよ。鼎談の時に教頭先生が“こう言うことが本来、学校ではなく大人が教えるべき事”だと。だったら雪野さんに対しても、雨降って地固まるを教えてもいいんじゃないですか? それに今回の生徒間同士のトラブルの中には、“無知”であった部分も過分に含まれています。だったら教頭先生自身が、“無知は罪ではない”と、この場合はその限りではないとおっしゃって下さったんですよね? どうして私にはそう言っておきながら、雪野さんにはその事が当てはまらないんですか?」
 元々生徒間のトラブルは、“バイトしている人がいる”から始まったのだから、真実を知らない無知であったことは明白なのだ。だったら教頭先生が認めた先の言葉で、全てが片付いてしまうんじゃないのか。
 一方私を煽ったきり、教頭の隣でずっと黙り込んでいる腹黒も私が『健康診断の配慮』をお願いした時、優珠希ちゃんに言いくるめられていたはずなのだ。 
(82・120話)
 せっかくだからこの先生も巻き込んでやる。
「“雨降って地固まる”と言う事は、今回の当該生徒のアルバイトの件は、ただ単なる家の手伝いだったことも、今では分かっているという認識で良いですね」

 教頭先生が、表情を柔和とまではいかなくても、少しだけ柔らかくするけれど何が認識なんだか。大体私にも無知は罪ではないと言っておきながら、そのくらいの事は知っておけって事じゃないのか。その上『善意の第三者』という言葉を教えてくれたのもこの先生じゃないのか。
 いくら教頭だか知らないけれど、こんな先生に負けてたまるか。善意の第三者の事までは全容を把握している事をこっちから教えてやる。
「人と人の繋がりはお互いが信じてはじめて成立するものだと思いませんか? もし初めから疑ってばかりいたらこの世の中、みんながギスギスして、みんなが疑心暗鬼になって、その中で人らしい生活が、人間らしい感情が、相手を思いやれる心が育つんですか? 今回雪野さんは結果として残念な結果になってしまいましたが、それって統括会を本当に降りなければならない程の事だったんですか? むしろそれでも人を信じようとした雪野さんこそ、素晴らしい人物なんじゃないですか? 教頭先生はそれらも含めて“無知は罪なりと言う考え方は、今回に限り間違いである”と仰ったのではないんですか?」
「それと穂高先生。教師が生徒(大人が子供)に教えるのに、どうして私と雪野さん、私と後輩二人の間で差が出来るんですか? これは統括会の理念としても反する部分ですけれど」
 私の言葉の何に驚いたかはわからないけれど、教頭先生が感嘆の息を吐いている間に、この腹黒教師に優珠希ちゃんを意識させてやることにする。
「分かりました。岡本さんがそこまで言い切ると言う事は“雨降って地固まる”雪野議長を見せてもらえるという事ですね」
 何を意味深な雰囲気を出しているのか。そっちは初めからそれを課題にしていたんじゃないのか。
「はいもちろんです! 先ほども言いました通り三人が三人とも主義主張を持っています。その中で起こってしまった『善意の第三者』と無知は罪ではないというお話。雨が降った後、地面は固まるに決まっています」
 こっちは初めからお見通しだと言っているのに、先生が不気味に笑う。
「さすがに驚きましたね。そう言う事でありましたら分かりました。岡本さんが自分で考えたにせよ、誰かに相談したにせよ、そこまでの回答にたどり着けたのでしたら50点を差し上げます」
 はぁ?! それだけ意味深に進めておいて、思わせぶりな事ばかりって半分って……どういうことなのか、納得のいく説明――
「――岡本さんの不満顔に対して念のために説明しておきますと、①〘どうして養護教諭がいじめの実態を把握しているにもかかわらず、それを岡本さんに匂わせるだけ匂わせて、言わなかったのか〙の質問に対する回答が0点だからです。ちなみにこれでも点数のおまけはしていますよ」
「……」
 何なのか。確かにもう一つの質問に関しては、私は何も考えられていなかったけれど、私だって受験生なのだから、統括会の事もあって時間のやりくりも大変なのだ。この先生は私が受験生だってことを忘れているんじゃないのか。そして教頭からの50点と腹黒からの50点で100点。しかもこれでまだおまけをしたとか抜かす教頭。
 その上、私の邪魔ばかりする腹黒とは一度本気でやり合わないといけない。目の前に教頭がいる事を忘れて私が腹黒に笑いかけたところで、
「ですから岡本さんに、最後の課題を出します」
 私が受験生だってことを忘れた教頭が、さらに私に課題を出すという。
 もうこうなってしまえば毒を食らわば皿までだ。
「……っとその前に。岡本さんは推薦入試受けるんですか?」
「はい。公立の推薦を受けようと思っています」
 私が受験生だってことを忘れていないことを知らせるための質問なのか、それともまだ何か意図があるのか。取り敢えず朱先輩が在校する学校を受ける事を伝える。
「……分かりました。それでは私から岡本さんへ改めて最後の課題です〘課題:岡本さんからそこまで啖呵を切ったのですから

5

の雨降った地面を固めて下さい。そして固まった地面を私に見せてください〙期限は今月末までとします」
 え……三人じゃなくて五人なのか。なんで二人増えているのか、どこから出てきた二人なのかさっぱりわからない。
「私にそこまでの啖呵を切ったにもかかわらず “良いですか? この問いは相手の気持ちに、

では分かりませんよ。

ないと分かりませんよ” だけを忘れるなんて言う都合のいい事は今更言わせませんよ」  ※82話
 言われて思い出して、そして残る二人に該当をつけて、嫌な汗が体中を伝う。
「もちろん該当の五人が誰かは言いません。そして今回は岡本さんにしか出さない課題ですから、協力は募って構いませんが、問題の提示、相談は一切禁じます。その上で9月30日までに私の前で回答を示してください。ちなみに今回は部分点は一切なしです。0点か満点のみです。ちなみに満点を出す事が出来た時点で岡本さんの中にある二年の杞憂はすべて消えるはずです。そして期日までに達成できた時は私から岡本さんへ、ある贈り物を約束しましょう」
「教頭先生! まさか!!」
 教頭先生の言葉を耳にした腹黒が、驚きを通り越して驚愕の表情を浮かべる。
 二年の杞憂と言う事は、私の思ったメンバーで良いって言う事なのか。それってつまりあの二人もまた……。
「どうしますか? 挑戦するのであれば雪野議長の交代の話はすべて白紙にしますよ」
 そして確信をする。初めからすべて私に解決させるつもりだった事を。
「もう一度伺います。どうしますか? ちなみに失敗を考えての挑戦は受けませんから、失敗した時の話は無しです」
 気づいて熟考する暇もなく退路を断ってくる教頭。
「ちなみに受けないのであれば、9月7日の月曜日に議長交代、立候補受付と公示を合わせて行います」
 その上で私を煽ってくる教頭。間違いなく私にその課題を取り組ませる気なのは明らかだ。
 本当になんて教頭なのか。これじゃあ腹黒どころの騒ぎじゃない。頭の中はコンピュータにでもなっているんじゃないのか。しかも何が贈り物なんだか。そんなのいらないっての。
「分か

ました。やって

みます」
「ぷふ……」
 私の意味の分かりにくい返事に思わず笑う腹黒。
「分かりました。それでは9月末を楽しみにしています」
 最後は柔和な表情を浮かべた教頭先生との面談が終わる。

―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
          「明日のテストも手、抜いたら怒るよ」
        例え喧嘩をしていても、相手を気遣えるかどうか
    「――?! ちょっと優希君?! ここ通学路の往来だよ?!」
             そして何に驚いたのか
  「おい機械! 勉強だけ出来たって何にもならないっつってんだろうが!」
              

悪意……

         「二枚舌を使う人って思ってるだけです」

         137話 飾らないワタシ1 ~防衛本能~
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