【Lー⑬】Jihad. -Licorice-
文字数 10,151文字
肌がひりつく様な感覚。
舞台はその存在を讃え、鳴動を繰り返す。
鈍く光る黒を携えた鱗は並び続け……いっそ、美しいとすら感じてしまう程にそれは均等に映り。
展開する翼は空間を容易く引き裂き、景色を塗り替え。
……遥か上部に臨むその瞳 は、確実に私達を収めていた。
龍 は今ここに体現し、対峙するに至る。
違 う事のない認識はその場へ降り……支配を以って思想を制圧した。
────ありがとう。
そ う 在ってくれて、良かった。
ど う し よ う も な く 大 き な 存 在 に 正 面 か ら 立 ち 向 か う 。
かえってそれが私の気を楽にさせる。
余計な事は考えず、ただそれだけに意識を傾けていれば良い。自分の行動に間違いが無いという外的な後押し……もはやそれは、大義名分と言えるのかもしれない。
……だからお願い、そのままでいて。
もし砕けて散っていくというのなら、せめて──
────全てが過ぎた後にして。
「ん……っっ」
……おおん、と龍がひと鳴きし舞台がさらに揺れる。張り詰めた圧はいよいよ臨界を超えようとしていた。
「「────自己駆動力強化 !!!!」」
その音を、メイコちゃんとアイリが遮る。
彼女達は両手を広げヤマトを束ね……私達全員にそれを施した。
それぞれが頷きだけで応を交わし、軽くなった脚を開いて身構える。
……恐らく、上 手 い や り 方 なんてモノは存在しないのだろう。
レイナさんの頬を伝った汗が、彼女自身から離れた瞬間に……
──龍は口を開き、巨大な火球をこちらへ吐き出した。
「ッッ────!!!!」
私達は散開。
解けた音像は一瞬だけその場を収めて────すぐに弾ける。
先程まで足を着いていた舞台は爆炎に包まれた。
駆けた先に踏み抜く鱗を纏った体は、まるで分厚いタイヤの様な感触で……それを土台にし続け、昇り、跳躍。
そして龍の顔は、私の目線と同じ高さへ臨む事になる。
……恐らくレイナさんは、抱えたメイコちゃんを観客席に退避させようとしている。視線だけを動かし対称に翔んだアイリと目配せを交わす。
「──10秒ッッ!! 下さいませ!!!!」
叫ぶ彼女の言葉に頷きを返し……私は龍の顔面に切っ先を仕向けた。
「ッッ────キャンプ……ファイヤああ!!!!!!」
出し惜しみなんてしていられない、落ちていく重力を無視してヤマトへ呼び掛ける。
組まれたやぐらは砲台として龍に矛先を向け……火柱を放出させた。
────そしてその進行を受け止めるように龍は顔……いや、開いた口をこちらに目掛けて…………
違う。
受 け 止 め て いるわけじゃない。
…………私 の ヤ マ ト は 龍 に と っ て 何 の 障 害 に も な っ て い な い ────!!
「あ──っっ」
喰われる。
どうする、どうすればいい。
私の今持ち得る最大を放った。それがこ う では……何を為しても眼前の突破に足るとは考えられない──
「リコちゃんッッ!!!!」
視界の端からレイナさんの声が響く。
それは悲痛とも焦燥とも言えない色で……
「────ぶん殴っちゃえ!!!!!!」
飛ばされた檄 が、耳に通る。
それにより電撃と化した血流は……私の拳 を硬く握らせた。
同時に、構えた木刀にイメージを込める。
「特、大ッッ──ロケット花火!!!!」
矛先は下 へ。
生じた反動は摂理に反発し……落下していた身体を留め、浮かべる。
瞬間、寸でのところで龍の顔面が私を掠め……暴風と共にスライドしていく景色はその目 を晒した。
「ッッだあああぁぁぁぁああ!!!!!!」
そ こ へ打ち込む。
前進を伴う龍の営力が加算された一撃は、ヤマト が施された右腕をもってしても半可な衝撃ではない。
ぐちゃ、という感触を覚えたインパクトの瞬間に私の体は大きく弾き飛ばされた。
せめて外さぬ様にと捉え続けた視線の先で、龍は大きくかぶりを振る様子を観せる。
……その所作は、思わぬ痛みをその身に受けた驚きから──私 程度にそ れ を為された事の憎悪へと移り変わっているように思える。
深紅にどす黒さを交えた瞳でこちらにぎろりと睨みを利かせ、巨体を捻り鋭利な翼をこちらに振りかぶって────
「絶対零度射出・極 ッッ!!!!」
──止まる。
がち、がちと端々から急速に凍り付いていく様に龍はその挙動を遮られ続けた。可視化される青色を携えた帯は……観客席の縁に構えたアイリから長く伸びている。
……今ですわ、と視線だけでこちらへ投げ掛ける彼女に頷きを返して舞台に着地──そこへ控えていたレイナさんが支えてくれた。
「いける? リコちゃん」
「はい……っっ」
それだけを交わし、互いに地面を蹴る。
私は木刀を……レイナさんは火炎を纏った拳を構えながら──示し合わせるでもなく、私達の矛先は駆動を失した片翼に定められた。
言う事の効かない体を蠢かせながら……瞳だけをぎょろりと動かしてこちらを捉え続ける龍を無視し、私達は自らの獲物を振りかぶる。
上から打ち下ろす私と下から突き上げるレイナさんの意思は一点に合致。そして一度だけびし……と歪な音を響かせた後に、龍の翼は硝子の様に砕け散った。
その欠片を掻い潜るようにその場から後退し、再度レイナさんと肩を並べる。
──今は言葉を必要としていない。
ただひとつだけ、この瞬間が好機であるという事だけが私達の意識に落とし込まれる。
アイリの放つヤマトの効力が活きているうちに……ありったけを。
「────ッッ!!!!」
ひとつ呼吸を落とし、連ねた疾駆は彼女と重なる。私達の所作は通 る と理解──ならば、収めるのは残された片翼。
恐らく、龍の機動力を形成する大きな要因であると判断。
そこを削げられれば──!!
「でやああああぁぁああッッ!!!!」
漏れた哮 りを自らの刀身に乗せ、私達は翔ぶ。未だ自由を許されていない龍はこちらの突出に反応を返す事は無い。
このまま意を通せば、確実に望む結果を得られる────
「────え」
…………はずだった。
先に感じたのは、あまりにも直線的な一筋に伸びる線……のようなもの。青白さを携えた光そのものと言えるそれは、視界を強引に遮断するように通っていた。
そして光は……臨んだ龍の瞳から私 へと繋がり──
「……ん……あっっ……!?」
──次に意識を覆ったのは、胸元に生じた熱。
それが痛 み によるモノなのだと認識……したと同時に、私の脚は崩れ景色が横転した。
……リコちゃん、と叫ぶ声が遠くに聞こえる。
霞む視界でそちらを追うと……龍から再び光の線が撃ち出され、身を捩りながら躱すレイナさんの姿が映った。
矛先を失った光はそのまま舞台に突き刺さり、煙を上げながら舞台を易々と抉ってみせた。
…………ああ、そうか。
私はアレで────
「──あっ…………ああああぁぁあうう……っっ……!!!!」
熱い、熱い、熱い。
息がしづらい。当たり前の挙動が出来ない。
ナカをがりがりと、無理矢理、大雑把に削られているような感覚が、胸から背中へと抜け続ける。
晒された神経はもうやめてと悲鳴を上げているのに、掻き乱された思考はそこへの注力を留めず……私への軋轢を絶やそうとはしなくて…………
……だけど。
…………良かった。
こ う な っ た のが、私で。
「自己治癒力促進 ……ッッ!!」
そしてその声と共に、何かが視界に紛れ込む。
私の胸元に手を添えながら……何かを称える人影は────メイコちゃんだ。
…………その瞳には雫を浮かべ、懸命に私の名を呼びながら……きっと。
必死に、私の傷を癒そうとしているのだろう。
──い い よ、メイコちゃん。
────い い ん だ よ 、こ の ま ま で 。
その意を汲んでもらおうと……置かれた手に震えの止まらない指先を重ねる。
だけど、優しく握り返されるだけで処置は終わることはない。
ありがとう。なんて優しいんだろう。
でも、お願い。
お願いだから。
「……っっ…………」
反して、少しずつクリアになっていく視界は龍と対峙しているレイナさんとアイリを収めた。
恐らく先程の光はアイリにも向けられたのだろう、佇んだままヤマトを行使するのが難しくなったのか……二人とも舞台を忙しなく蹴り交差、前進と後退を繰り返しながら龍の脅威に対し激しい攻勢を向け続けている。
端々から覗くその表情は…………ああ、きっと…………よくもリコリスを、許さない、私達だけでなんとかしてやる、これ以上リコリスに無理をさせてなるものか、だとか。
……そ う い っ た 類のモノに違いない。
──やめて。
──お願い。
──私の為に、意識を注がないで。
「リコリスさん!! 動かないで下さい……っっ!!!!」
だめ。
いかなきゃ。
ふたりも、メイコちゃんも。
私 を 軸 に 動いてしまっている。
いやだ。
耐えられない。
じっとしていられない。
落ち着かない。
お願い。
お願いだから。
私に負い目を感じさせないで。
何も出来なくなる。
どうすればいいのかわからなくなる。
対等でいられなくなる。
不安に殺される。
だからわたしは
自分に負荷をかけ続けてきた
自分が損を食う様に努めてきた
その方が安心するから
その方が落ち着くから
その方が楽だから
その方が自分の行動に理由が出来るから──
「う、が…………あッッ……!!!!」
何度も響くメイコちゃんの制止を除けながら、身を起こそうと試みる。
ひとつ何かが駆動する度、胸から全身を引き裂かれる様な痛みが何重にも広がる。
──だがそ れ こそ私が欲し、常に身に付けておきたいモノ。
そ れ さえ携えていれば、私は…………
「リ、リコリスさんっっ!! まだ全然傷が……!!!!」
「っっ……あり、がと。下がって、て……メイコちゃん」
逸る彼女を手で制し、舞台に垂れる自らの血を踏みつけながら……前方を見つめる。
……レイナさんとアイリがなんとか保っていた均衡も、少しずつ解れている。
必死の形相でその一線を譲らない二人へ……私は幾ばくかの感謝 を送り────
「ああああああああああぁぁぁああッッ!!!!」
惚けた自身の体へ、強引に命令を下す。
──皆を助けるんだ 。
握りしめた木刀に、その意図を片っ端から織り込んでいく。
今そ れ を成さねば、私は自分の舵取りが出来ない。
何を指針に進めばいいのかわからなくなる。
刻む意味と手繰り寄せた羨望は……ひとつの結論として自身の内側に響いた。
────私 は 私 で あ る 為 に こ れ を 放 つ 。
「ッッ──ぐ……が……っっ!!!!」
私の中に在るというオド に呼び掛け……その願いを映すのは、一筋の閃光。
度重なる要素は体現への道程を差す。
──彼女 から受け、施された。
──龍 から放たれ、感じた。
────彼 から振るわれ、触れた。
今 ならきっと…………私のイメージは形を作り出していく。
打ち捨て、散らばったいくつもの破片を掻き集め、紡ぎ……その行使を吐き連ねた。
過ぎらせた紫電は疾風 、研ぎ澄まされた鋭利は穿ち貫く事にのみその存在を許す。
ひとつ組み上げる度に脳内がどろりと溶ける様な錯覚に見舞われる。
ひとつ組み上げる度に四肢の端々が爆発する様な錯覚に見舞われる。
──構うもんか。
言う事を聞け、私に出来る事があるなら今やれ。
そして構えた木刀を中心に……ばちばちと青白い光が弾け、混ざり続ける。
暴風と化した流動は私を包み込み……そ れ をヤマトとして顕現させる所作への応えとして広がっていく。
……捉え続けろ、あの輝きを。
……造作もない、造作もないと思い込め。
……全を伴う欠片に私を支配させろ。
────こ れ に通せぬ筋など存在しない…………!!!!
「──!!────ッッ──!!!!」
頭の中でがりがりと音を立てながら処理は刻まれて…………やがて木刀は剣になり、周囲を覆っていた力場は刀身に向かって収束していく。
……眼前に映るのは、ただ一振。
私 の ヤ マ ト として成ったモノがそこにあった。
──同時に。
ずしゃ、と二つの人影が私の左右に散らばる。
…………それが苦悶の表情を浮かべるレイナさんとアイリである事を確認し、いよいよ龍との均衡が崩れたのだと認めた。
「リコちゃん……!?」
「リ、リコリス様!?」
そして二人はタイミングを同じくして私の方に顔を向ける。
「伏せて──!!」
それだけを返し、自らと剣 の矛先を龍へ定める。
自身を留めるモノの無くなった龍は……一度だけ咆哮を響かせる。激しく揺れる舞台を踏み直し、私は自分とあちらを結ぶ線のイメージを重ねた。
…………私は本当の意味でコ レ の名を知らない。
目と耳にした事はあっても、それがコレであるという事に結び付きはしない。
だから私にとってコレを象るのは、ただの形容でしかなかった。
「雷神剣射出 ──」
──鳴き終わる龍は、全身の圧を私に向ける。
差す瞳に開いた口……広がる片翼と踏み込む両足。その全ては、凡そ人間程度が収めるにはあまりにも過剰であると改めて思う。
だ か ら 私 は ト リ ガ ー を 引 く 。
その誓いを心中に立てた時。
…………掲げた剣は、自らの手を離れた瞬間を私に認知させなかった。
ただ、結果のみが後の映像として廻る。
ほんの僅かな……瞬きすら許さない間に眩い光が私から龍へ伸びた──それだけしかわからない。
だが……先へ臨む龍の体が、その光は何を齎 したのかをはっきりと提示してみせた。
「は……ッッ……あっっ……!!」
深く呼吸を落とし込んだ私の意に入り込んだのは……その体に大きな風穴を空けた龍の姿だった。
……舞台の向こう側が、そこから覗いている。
それを収めた時、龍はぐらりとその巨体を静かに傾け──ずどんと倒れたのだった。
そこから生じる揺れに合わせ…………私の脚は、舞台に立っている事を完全に拒否した。
「──リコリスさんッッ!!」
崩れ落ちる体を、メイコちゃんが受け止めてくれる。
ありがとう、と言葉に出したかったけれど……それが形になる事は無かった。
「メイコさんっっ!! 処置が先ですわ!!」
脇に駆けてきたアイリがそう叫ぶ。
頷きを返したメイコちゃんと共に、自己治癒力促進 のヤマトを私に施してくれる。
「……本当に、すごいね。かっこいいよ、リコちゃん」
そして舞台に横になる私の頭を膝に乗せてくれたレイナさんが、優しく呟いた。
…………ああ。
胸元に感じる暖かさは、きっとヤマトによるものだけじゃない。
私はそれを傍受するだけの場を作れたんだ。
ようやく、私 が こ う 在 る に 足 る 状況であると……心から思える様になった。
私は──
────私 でいられるんだ。
「もう…………ほんとに、ほんとにいっつも!! いーーっっつも!!!! リコリスさんの、ばかぁ!!」
耽る私に、メイコちゃんが頬を大きく膨らませて私に放った。
「こらメイコ、ヤマトに集中しな」
ぺし、とメイコちゃんの額を叩くレイナさんにさらに膨らませた頬をそのままに、メイコちゃんは鼻を鳴らしながら処置に戻る。
…………彼女達のおかげで、少しずつ体に息吹が戻ってくる。
ようやく、少しだけ口が動かせる様になったので先んじて呟いた。
「…………ご、めんね」
その音を聞いたレイナさんは、僅かに目を見開いた後に私の頭を優しく撫でた。
「謝らないで。……アタシらが不甲斐なかったってのもあるんだからさ、胸張ってよ」
「そうですわ。リコリス様に謝られては、私 達の立つ瀬がありませんの」
アイリもそれに混じり、私への施しを行いながらこちらへ投げ掛ける。
「あはは……」
「……それにしても、リコリス様」
「ん?」
「貴女が先程紡いだヤマト。あれはもしかして──」
「──ううん。……違うと思う」
「え……?」
「…………たぶん。本当ならあ れ は私なんかじゃ到底辿り着けないところにあるんじゃないかなって、そう思うんだ」
アイリの言わんとする事はわかる。
模範した先に彼女がいたのも事実ではあるが、恐らく……身に余るとはこの事なのだろうと覚えた。
「偶然、だよ。たぶんもう一度やれって言われても出来ないや」
「なるほど。…………しかし、なんにせよ」
「ん?」
「次に手合わせをする時は、本気を出さなくてはいけませんわね」
そして、互いに笑みを交わす。
レイナさんとメイコちゃんもそれを見て同じ表情を重ねた。
「っっ……」
ちくりと胸元が痛む。
思わず俯き、少しだけ乱れた呼吸を制した。
私はむしろそれに心地良さを覚え……自らをひと撫でする。
快復に向かう自身の経過に、礼を携えて再度彼女達に視線を向け────
────そこから、アイリの姿が消え去っていた。
「ッッリコちゃ──」
次いで響いたレイナさんの声も不自然に途切れる。
瞬間的に視界から失したその身は────違う、消 え た んじゃない────!!!!
「メイコちゃん下がってッッ!!!!!!」
それだけを言うのが精一杯だった。
さらなる言葉を弄する前に──次 の所作に移らなければ、より今 が悪化する────!!!!
「でやああぁぁああああッッ!!!!」
伏した体へ強引に回転を伴わせ、右脚をそ れ へ振りかぶった。
……硬いとも柔らかいとも形容し難い不気味な感触が足に触る。が、それでも眼前の脅威を一時的にでも凌ぐ事は出来た。
「ッッ────」
驚愕の表情を浮かべながら退避するメイコちゃんを視界の端に認めた後…………私は、舞台の奥で倒れた龍 の方へ目線を投げる。
──ぐず、ぐず、と。
それは、漏れる……と称すのが正しい。
私の空けた風穴から、粘度を保ったどす黒い液体が溢れ…………まるで意志を持っているかのようにそれは右往左往し、跳ね、這いずり回る。
……おぞましさと畏怖の象徴とでも例えたくなる程に、不気味な深淵はそこへ存在していた。
肌に感じるプレッシャーが……龍のそれよりもさらに大きい。
そしてその一部が、まるで太い鞭の様な形状を象っている。
…………アイリとレイナさんを強引に退場せしめたのは、あ れ だ。
轟速でしなり、薙ぎ払われた二人は観客席と場外の壁にめり込むようにして打ち捨てられ……ぴくりとも動かない。
「ん────っっ!!」
その認識と同時に、再度黒の鞭は振るわれる。
僅かに逸らした意を汲んだとでもいうのか、確実に私を貫こうとそれは伸びる。
肩口の薄皮と衣服を引き裂いたのみでやり過ごし──私は前方へ駆けた。
いや────駆 け さ せ ら れ た 。
あの黒は一体何なのか。
龍とはどんな関係があるのか。
放った木刀の所在は。
自分はあとどのくらい動けるのか。
二人の安否はどうなのか。
──それら全てを切り捨て、忘失させ。
散らばる要因へ処理を重ねていてはあまりにも遅すぎる。
一点に臨むのは、黒の駆動のみ。
ただひとつ……それだけに注力しなければ、次の瞬間この場から切り離されるのは自分であると容易に想像し得る。
「ぐ──っっ……だあぁ!!!!」
次に伸びた黒の鞭は私の左腕を抉る──そこへ右の拳を叩き込み、沈黙。
逸る脚だけは決して止めず景色を流転させていく。
──まだ、胸元の疼きも止まらない。
踏み出す度にじくじくと主張するそれらに私は無視しろと言伝る。うろ覚えの痛みなんて……今へ介する余地を残しはしない。
そして引き換えに得た眼光は、ただひと握りの意志によってその情景を灯していった。
────よくも皆を危ない目に合わせたな ──!!!!
「──ッッ────!!」
私の意を招くかの様に……黒はその身を纏め、捻り、突出を繰り返す。
駆け臨んだ渦中への衝動を糧に────
──鞭が増える、知ったことか、やる事は変わらない、躱せ、捌け、打て。
鞭が鎌になっていく。
構うな、見える、読め、穿て、落とせ、退け、千切れ、突け、放て。
鎌がさらに増えていく。
無視しろ、刻め、痛い、叩け、踏め、痛い、飛ばせ、痛い、潰せ。
鎌が巨大になっていく。
黒い、痛い、寒い、痛い、吐け、痛い、痛い、響け、唸れ、痛い。
鎌の疾さが増していく。
黒い、黒い、黒い、痛い、黒い、寒い、痛い、痛い、痛い、裂け。
鎌が剣になっていく。
痛い。 重い。 寒い。
剣はさらに増えていく。
暗い。 見えない。
剣は巨大になっていく。
分からない。何も。
剣は疾さを増していく。
自分の体のどこが繋がっていて。
自分の体のどこが離れていて。
何が利用 えて、何が不良 いるのか。
数多の剣は矛先を定める。
私を示す意識はやがて帰結していく。
剣は────
帰りたい。
「────リコリスさん──ッッ!!!!」
どん、と。
横からの衝撃を覚える。まだそ れ を知覚出来る事を認めて────感触が黒 によるものではないと判断した。
……辛うじて駆動を許されていた眼球を揺らし、その所在を確かめる。
「良かっ……た……」
私に覆い被さる様に、その言葉を口ずさみながら微笑みかけるのは…………メイコちゃんだった。
────ひとつだけ。
ひとつだけ、今の私でも確実に捉えられる要素があった。
軽い。
その体が、軽過ぎる。
「…………リコ……スさ…………わたし、の……マナ……あげ、ます……」
その所以はすぐにわかった。
な ぜ 私 を 突 き 飛 ば し た の か 。
そこから考えられる意図と…………傷付いたメイコちゃん を収め──
「…………にげ…………て……」
そして。
私に掲げられたその小さな手から……暖かな胎動が流れ込んでくる。
ブレ続ける思考は、目の前で起きている出来事に対し明確なレスポンスを打ち出す事はなく────
──かくん、と。
メイコちゃんの頭が垂れた。
「……あ、あ、あ、あ、あ………………」
ようやくひり出した自分の声は、何を形にしようとしているのか理解に及ばない。
──私はどこ?
──私をどうすればいい?
──私の感情は、ど れ ?
「ああああああああああああああぁぁぁあああああああああ!!!!!!」
──やがて。
彼女から渡された熱は、生じた思考をひどくシンプルにさせていく。
あなた が誰 であろうと、この気持ちだけはずっと変わらないままだった。
帰りたい。
その思いが取り巻くイ メ ー ジ は…………私の中に、とめどなく溢れ続けた。
黒 は剣をこちらに伸ばしてくる。
恐らくアレは容易く私を引き裂き、潰し、切り刻んでいくのだろう。
ならば問う。
──あ な た は今、どんな気持ちですか?
「ッッ────!!!!」
両腕を前方に掲げ、瞼を閉じる。
彼女によって施されたマナ は、私の歩む先を示した。
それは私がいつか帰る場所で在るべき所なのだと…………込めた望みを誓いに乗せた。
終 ぞ求めたその光は────瞬く間に私の頭と体を支配し、鳴動する力場として辺りを纏う。
生まれた風はとても懐かしく、雁字搦めになった全てを取り払い深くそこへ浸透していく。
イ メ ー ジ はより鮮明になり、私の呼び掛けへと応え続けた。
朱に交わる赤は紅を散らし。
還る大地への賛美をその身に浴びる。
思わず目を奪われた。
物心ついた時から好きだった。
だから私は、私をこ れ に預ける。
──そこで、再び視界を映した。
いよいよ目の前にまで迫る黒の剣は……さらに数を増やし、その身を膨らませ、疾さを超える。
…………重なる深淵に、私は。
一言だけ応じた。
「────彼岸花────」
瞬間。
私と剣を遮る様に……赤を携えた淡く光る大きな花が広がる。
それはまるで盾のようで──迫る黒を全て受け止め、こちらへと届かせる事は無かった。
やがて全ての剣を打ち切った黒は一度たじろぐ様を観せ……すぐに全ての剣を一本に束ね、再びこちらへ突出させる。
──そして、彼 岸 花 は 咲 い た 。
展開する花弁ひとつひとつから、熱線とも言える圧力を伴った閃光が放たれる。
その全てが黒を打ち貫き、霧散させ、焼き払っていく。
それだけの営力が目の前で散らばっているのにも関わらず、私自身には何の弊害も無かった。
……むしろ、穏やかな暖かさのみが自分の体を包み込んでいくのを感じる。
眼前の光景に灯せるだけの意識も……既に失くしつつある。
絶えず眼前で動き続ける景色に、私は…………ただ視線を送る事しか出来なかった。
…………程なくして。
花の照射により原型を失くした黒は、その身と同じ色の煙をゆっくりと立ち昇らせながら。
…………倒れた龍の体と共に、完全に消失していった。
「────あ……」
もはやただの石と化した舞台に膝をつく。
僅かに吹くそよ風のみが、無音である事の反抗を示していた。
……未だそこへ在り続けるヤマト は、私を見下ろす様に鎮座したままで。
向ける言葉も、所作も、なにも思い付かないまま。
…………花は、音も無く弾けた。
星くずの様に広がったそれは地に落ちる前に、いくつかの塊として眩い光そのものになる。
思わず目を細めた私を意に介さず、そのまま三つに分かれた光は観客席、場外の壁、そして──
────傍らにいるメイコちゃんを包み込んだ。
疑問を呈す私に応を返すように、光はその後すぐに消え去っていく。
……顕 になるのは、彼女の無惨な姿────ではなく。
ヒトとして、在るべき姿に戻っている肢体がそこにはあった。
「──────」
私の意識はここで途切れる。
もっとたくさん、いろんなこと、かんがえなくてはいけないのだと思う。
でも。
最後に私の意識を通ったのは。
良 か っ た 、と。
そう思えた自分に安堵した事だけであった────
舞台はその存在を讃え、鳴動を繰り返す。
鈍く光る黒を携えた鱗は並び続け……いっそ、美しいとすら感じてしまう程にそれは均等に映り。
展開する翼は空間を容易く引き裂き、景色を塗り替え。
……遥か上部に臨むその
────ありがとう。
かえってそれが私の気を楽にさせる。
余計な事は考えず、ただそれだけに意識を傾けていれば良い。自分の行動に間違いが無いという外的な後押し……もはやそれは、大義名分と言えるのかもしれない。
……だからお願い、そのままでいて。
もし砕けて散っていくというのなら、せめて──
────全てが過ぎた後にして。
「ん……っっ」
……おおん、と龍がひと鳴きし舞台がさらに揺れる。張り詰めた圧はいよいよ臨界を超えようとしていた。
「「────
その音を、メイコちゃんとアイリが遮る。
彼女達は両手を広げヤマトを束ね……私達全員にそれを施した。
それぞれが頷きだけで応を交わし、軽くなった脚を開いて身構える。
……恐らく、
レイナさんの頬を伝った汗が、彼女自身から離れた瞬間に……
──龍は口を開き、巨大な火球をこちらへ吐き出した。
「ッッ────!!!!」
私達は散開。
解けた音像は一瞬だけその場を収めて────すぐに弾ける。
先程まで足を着いていた舞台は爆炎に包まれた。
駆けた先に踏み抜く鱗を纏った体は、まるで分厚いタイヤの様な感触で……それを土台にし続け、昇り、跳躍。
そして龍の顔は、私の目線と同じ高さへ臨む事になる。
……恐らくレイナさんは、抱えたメイコちゃんを観客席に退避させようとしている。視線だけを動かし対称に翔んだアイリと目配せを交わす。
「──10秒ッッ!! 下さいませ!!!!」
叫ぶ彼女の言葉に頷きを返し……私は龍の顔面に切っ先を仕向けた。
「ッッ────キャンプ……ファイヤああ!!!!!!」
出し惜しみなんてしていられない、落ちていく重力を無視してヤマトへ呼び掛ける。
組まれたやぐらは砲台として龍に矛先を向け……火柱を放出させた。
────そしてその進行を受け止めるように龍は顔……いや、開いた口をこちらに目掛けて…………
違う。
…………
「あ──っっ」
喰われる。
どうする、どうすればいい。
私の今持ち得る最大を放った。それが
「リコちゃんッッ!!!!」
視界の端からレイナさんの声が響く。
それは悲痛とも焦燥とも言えない色で……
「────ぶん殴っちゃえ!!!!!!」
飛ばされた
それにより電撃と化した血流は……私の
同時に、構えた木刀にイメージを込める。
「特、大ッッ──ロケット花火!!!!」
矛先は
生じた反動は摂理に反発し……落下していた身体を留め、浮かべる。
瞬間、寸でのところで龍の顔面が私を掠め……暴風と共にスライドしていく景色はその
「ッッだあああぁぁぁぁああ!!!!!!」
前進を伴う龍の営力が加算された一撃は、
ぐちゃ、という感触を覚えたインパクトの瞬間に私の体は大きく弾き飛ばされた。
せめて外さぬ様にと捉え続けた視線の先で、龍は大きくかぶりを振る様子を観せる。
……その所作は、思わぬ痛みをその身に受けた驚きから──
深紅にどす黒さを交えた瞳でこちらにぎろりと睨みを利かせ、巨体を捻り鋭利な翼をこちらに振りかぶって────
「
──止まる。
がち、がちと端々から急速に凍り付いていく様に龍はその挙動を遮られ続けた。可視化される青色を携えた帯は……観客席の縁に構えたアイリから長く伸びている。
……今ですわ、と視線だけでこちらへ投げ掛ける彼女に頷きを返して舞台に着地──そこへ控えていたレイナさんが支えてくれた。
「いける? リコちゃん」
「はい……っっ」
それだけを交わし、互いに地面を蹴る。
私は木刀を……レイナさんは火炎を纏った拳を構えながら──示し合わせるでもなく、私達の矛先は駆動を失した片翼に定められた。
言う事の効かない体を蠢かせながら……瞳だけをぎょろりと動かしてこちらを捉え続ける龍を無視し、私達は自らの獲物を振りかぶる。
上から打ち下ろす私と下から突き上げるレイナさんの意思は一点に合致。そして一度だけびし……と歪な音を響かせた後に、龍の翼は硝子の様に砕け散った。
その欠片を掻い潜るようにその場から後退し、再度レイナさんと肩を並べる。
──今は言葉を必要としていない。
ただひとつだけ、この瞬間が好機であるという事だけが私達の意識に落とし込まれる。
アイリの放つヤマトの効力が活きているうちに……ありったけを。
「────ッッ!!!!」
ひとつ呼吸を落とし、連ねた疾駆は彼女と重なる。私達の所作は
恐らく、龍の機動力を形成する大きな要因であると判断。
そこを削げられれば──!!
「でやああああぁぁああッッ!!!!」
漏れた
このまま意を通せば、確実に望む結果を得られる────
「────え」
…………はずだった。
先に感じたのは、あまりにも直線的な一筋に伸びる線……のようなもの。青白さを携えた光そのものと言えるそれは、視界を強引に遮断するように通っていた。
そして光は……臨んだ龍の瞳から
「……ん……あっっ……!?」
──次に意識を覆ったのは、胸元に生じた熱。
それが
……リコちゃん、と叫ぶ声が遠くに聞こえる。
霞む視界でそちらを追うと……龍から再び光の線が撃ち出され、身を捩りながら躱すレイナさんの姿が映った。
矛先を失った光はそのまま舞台に突き刺さり、煙を上げながら舞台を易々と抉ってみせた。
…………ああ、そうか。
私はアレで────
「──あっ…………ああああぁぁあうう……っっ……!!!!」
熱い、熱い、熱い。
息がしづらい。当たり前の挙動が出来ない。
ナカをがりがりと、無理矢理、大雑把に削られているような感覚が、胸から背中へと抜け続ける。
晒された神経はもうやめてと悲鳴を上げているのに、掻き乱された思考はそこへの注力を留めず……私への軋轢を絶やそうとはしなくて…………
……だけど。
…………良かった。
「
そしてその声と共に、何かが視界に紛れ込む。
私の胸元に手を添えながら……何かを称える人影は────メイコちゃんだ。
…………その瞳には雫を浮かべ、懸命に私の名を呼びながら……きっと。
必死に、私の傷を癒そうとしているのだろう。
──
────
その意を汲んでもらおうと……置かれた手に震えの止まらない指先を重ねる。
だけど、優しく握り返されるだけで処置は終わることはない。
ありがとう。なんて優しいんだろう。
でも、お願い。
お願いだから。
「……っっ…………」
反して、少しずつクリアになっていく視界は龍と対峙しているレイナさんとアイリを収めた。
恐らく先程の光はアイリにも向けられたのだろう、佇んだままヤマトを行使するのが難しくなったのか……二人とも舞台を忙しなく蹴り交差、前進と後退を繰り返しながら龍の脅威に対し激しい攻勢を向け続けている。
端々から覗くその表情は…………ああ、きっと…………よくもリコリスを、許さない、私達だけでなんとかしてやる、これ以上リコリスに無理をさせてなるものか、だとか。
……
──やめて。
──お願い。
──私の為に、意識を注がないで。
「リコリスさん!! 動かないで下さい……っっ!!!!」
だめ。
いかなきゃ。
ふたりも、メイコちゃんも。
いやだ。
耐えられない。
じっとしていられない。
落ち着かない。
お願い。
お願いだから。
私に負い目を感じさせないで。
何も出来なくなる。
どうすればいいのかわからなくなる。
対等でいられなくなる。
不安に殺される。
だからわたしは
自分に負荷をかけ続けてきた
自分が損を食う様に努めてきた
その方が安心するから
その方が落ち着くから
その方が楽だから
その方が自分の行動に理由が出来るから──
「う、が…………あッッ……!!!!」
何度も響くメイコちゃんの制止を除けながら、身を起こそうと試みる。
ひとつ何かが駆動する度、胸から全身を引き裂かれる様な痛みが何重にも広がる。
──だが
「リ、リコリスさんっっ!! まだ全然傷が……!!!!」
「っっ……あり、がと。下がって、て……メイコちゃん」
逸る彼女を手で制し、舞台に垂れる自らの血を踏みつけながら……前方を見つめる。
……レイナさんとアイリがなんとか保っていた均衡も、少しずつ解れている。
必死の形相でその一線を譲らない二人へ……私は幾ばくかの
「ああああああああああぁぁぁああッッ!!!!」
惚けた自身の体へ、強引に命令を下す。
──
握りしめた木刀に、その意図を片っ端から織り込んでいく。
今
何を指針に進めばいいのかわからなくなる。
刻む意味と手繰り寄せた羨望は……ひとつの結論として自身の内側に響いた。
────
「ッッ──ぐ……が……っっ!!!!」
私の中に在るという
度重なる要素は体現への道程を差す。
──
──
────
打ち捨て、散らばったいくつもの破片を掻き集め、紡ぎ……その行使を吐き連ねた。
過ぎらせた紫電は
ひとつ組み上げる度に脳内がどろりと溶ける様な錯覚に見舞われる。
ひとつ組み上げる度に四肢の端々が爆発する様な錯覚に見舞われる。
──構うもんか。
言う事を聞け、私に出来る事があるなら今やれ。
そして構えた木刀を中心に……ばちばちと青白い光が弾け、混ざり続ける。
暴風と化した流動は私を包み込み……
……捉え続けろ、あの輝きを。
……造作もない、造作もないと思い込め。
……全を伴う欠片に私を支配させろ。
────
「──!!────ッッ──!!!!」
頭の中でがりがりと音を立てながら処理は刻まれて…………やがて木刀は剣になり、周囲を覆っていた力場は刀身に向かって収束していく。
……眼前に映るのは、ただ一振。
──同時に。
ずしゃ、と二つの人影が私の左右に散らばる。
…………それが苦悶の表情を浮かべるレイナさんとアイリである事を確認し、いよいよ龍との均衡が崩れたのだと認めた。
「リコちゃん……!?」
「リ、リコリス様!?」
そして二人はタイミングを同じくして私の方に顔を向ける。
「伏せて──!!」
それだけを返し、自らと
自身を留めるモノの無くなった龍は……一度だけ咆哮を響かせる。激しく揺れる舞台を踏み直し、私は自分とあちらを結ぶ線のイメージを重ねた。
…………私は本当の意味で
目と耳にした事はあっても、それがコレであるという事に結び付きはしない。
だから私にとってコレを象るのは、ただの形容でしかなかった。
「
──鳴き終わる龍は、全身の圧を私に向ける。
差す瞳に開いた口……広がる片翼と踏み込む両足。その全ては、凡そ人間程度が収めるにはあまりにも過剰であると改めて思う。
その誓いを心中に立てた時。
…………掲げた剣は、自らの手を離れた瞬間を私に認知させなかった。
ただ、結果のみが後の映像として廻る。
ほんの僅かな……瞬きすら許さない間に眩い光が私から龍へ伸びた──それだけしかわからない。
だが……先へ臨む龍の体が、その光は何を
「は……ッッ……あっっ……!!」
深く呼吸を落とし込んだ私の意に入り込んだのは……その体に大きな風穴を空けた龍の姿だった。
……舞台の向こう側が、そこから覗いている。
それを収めた時、龍はぐらりとその巨体を静かに傾け──ずどんと倒れたのだった。
そこから生じる揺れに合わせ…………私の脚は、舞台に立っている事を完全に拒否した。
「──リコリスさんッッ!!」
崩れ落ちる体を、メイコちゃんが受け止めてくれる。
ありがとう、と言葉に出したかったけれど……それが形になる事は無かった。
「メイコさんっっ!! 処置が先ですわ!!」
脇に駆けてきたアイリがそう叫ぶ。
頷きを返したメイコちゃんと共に、
「……本当に、すごいね。かっこいいよ、リコちゃん」
そして舞台に横になる私の頭を膝に乗せてくれたレイナさんが、優しく呟いた。
…………ああ。
胸元に感じる暖かさは、きっとヤマトによるものだけじゃない。
私はそれを傍受するだけの場を作れたんだ。
ようやく、
私は──
────
「もう…………ほんとに、ほんとにいっつも!! いーーっっつも!!!! リコリスさんの、ばかぁ!!」
耽る私に、メイコちゃんが頬を大きく膨らませて私に放った。
「こらメイコ、ヤマトに集中しな」
ぺし、とメイコちゃんの額を叩くレイナさんにさらに膨らませた頬をそのままに、メイコちゃんは鼻を鳴らしながら処置に戻る。
…………彼女達のおかげで、少しずつ体に息吹が戻ってくる。
ようやく、少しだけ口が動かせる様になったので先んじて呟いた。
「…………ご、めんね」
その音を聞いたレイナさんは、僅かに目を見開いた後に私の頭を優しく撫でた。
「謝らないで。……アタシらが不甲斐なかったってのもあるんだからさ、胸張ってよ」
「そうですわ。リコリス様に謝られては、
アイリもそれに混じり、私への施しを行いながらこちらへ投げ掛ける。
「あはは……」
「……それにしても、リコリス様」
「ん?」
「貴女が先程紡いだヤマト。あれはもしかして──」
「──ううん。……違うと思う」
「え……?」
「…………たぶん。本当なら
アイリの言わんとする事はわかる。
模範した先に彼女がいたのも事実ではあるが、恐らく……身に余るとはこの事なのだろうと覚えた。
「偶然、だよ。たぶんもう一度やれって言われても出来ないや」
「なるほど。…………しかし、なんにせよ」
「ん?」
「次に手合わせをする時は、本気を出さなくてはいけませんわね」
そして、互いに笑みを交わす。
レイナさんとメイコちゃんもそれを見て同じ表情を重ねた。
「っっ……」
ちくりと胸元が痛む。
思わず俯き、少しだけ乱れた呼吸を制した。
私はむしろそれに心地良さを覚え……自らをひと撫でする。
快復に向かう自身の経過に、礼を携えて再度彼女達に視線を向け────
────そこから、アイリの姿が消え去っていた。
「ッッリコちゃ──」
次いで響いたレイナさんの声も不自然に途切れる。
瞬間的に視界から失したその身は────違う、
「メイコちゃん下がってッッ!!!!!!」
それだけを言うのが精一杯だった。
さらなる言葉を弄する前に──
「でやああぁぁああああッッ!!!!」
伏した体へ強引に回転を伴わせ、右脚を
……硬いとも柔らかいとも形容し難い不気味な感触が足に触る。が、それでも眼前の脅威を一時的にでも凌ぐ事は出来た。
「ッッ────」
驚愕の表情を浮かべながら退避するメイコちゃんを視界の端に認めた後…………私は、舞台の奥で倒れた
──ぐず、ぐず、と。
それは、漏れる……と称すのが正しい。
私の空けた風穴から、粘度を保ったどす黒い液体が溢れ…………まるで意志を持っているかのようにそれは右往左往し、跳ね、這いずり回る。
……おぞましさと畏怖の象徴とでも例えたくなる程に、不気味な深淵はそこへ存在していた。
肌に感じるプレッシャーが……龍のそれよりもさらに大きい。
そしてその一部が、まるで太い鞭の様な形状を象っている。
…………アイリとレイナさんを強引に退場せしめたのは、
轟速でしなり、薙ぎ払われた二人は観客席と場外の壁にめり込むようにして打ち捨てられ……ぴくりとも動かない。
「ん────っっ!!」
その認識と同時に、再度黒の鞭は振るわれる。
僅かに逸らした意を汲んだとでもいうのか、確実に私を貫こうとそれは伸びる。
肩口の薄皮と衣服を引き裂いたのみでやり過ごし──私は前方へ駆けた。
いや────
あの黒は一体何なのか。
龍とはどんな関係があるのか。
放った木刀の所在は。
自分はあとどのくらい動けるのか。
二人の安否はどうなのか。
──それら全てを切り捨て、忘失させ。
散らばる要因へ処理を重ねていてはあまりにも遅すぎる。
一点に臨むのは、黒の駆動のみ。
ただひとつ……それだけに注力しなければ、次の瞬間この場から切り離されるのは自分であると容易に想像し得る。
「ぐ──っっ……だあぁ!!!!」
次に伸びた黒の鞭は私の左腕を抉る──そこへ右の拳を叩き込み、沈黙。
逸る脚だけは決して止めず景色を流転させていく。
──まだ、胸元の疼きも止まらない。
踏み出す度にじくじくと主張するそれらに私は無視しろと言伝る。うろ覚えの痛みなんて……今へ介する余地を残しはしない。
そして引き換えに得た眼光は、ただひと握りの意志によってその情景を灯していった。
────
「──ッッ────!!」
私の意を招くかの様に……黒はその身を纏め、捻り、突出を繰り返す。
駆け臨んだ渦中への衝動を糧に────
──鞭が増える、知ったことか、やる事は変わらない、躱せ、捌け、打て。
鞭が鎌になっていく。
構うな、見える、読め、穿て、落とせ、退け、千切れ、突け、放て。
鎌がさらに増えていく。
無視しろ、刻め、痛い、叩け、踏め、痛い、飛ばせ、痛い、潰せ。
鎌が巨大になっていく。
黒い、痛い、寒い、痛い、吐け、痛い、痛い、響け、唸れ、痛い。
鎌の疾さが増していく。
黒い、黒い、黒い、痛い、黒い、寒い、痛い、痛い、痛い、裂け。
鎌が剣になっていく。
痛い。 重い。 寒い。
剣はさらに増えていく。
暗い。 見えない。
剣は巨大になっていく。
分からない。何も。
剣は疾さを増していく。
自分の体のどこが繋がっていて。
自分の体のどこが離れていて。
何が
数多の剣は矛先を定める。
私を示す意識はやがて帰結していく。
剣は────
帰りたい。
「────リコリスさん──ッッ!!!!」
どん、と。
横からの衝撃を覚える。まだ
……辛うじて駆動を許されていた眼球を揺らし、その所在を確かめる。
「良かっ……た……」
私に覆い被さる様に、その言葉を口ずさみながら微笑みかけるのは…………メイコちゃんだった。
────ひとつだけ。
ひとつだけ、今の私でも確実に捉えられる要素があった。
軽い。
その体が、軽過ぎる。
「…………リコ……スさ…………わたし、の……マナ……あげ、ます……」
その所以はすぐにわかった。
そこから考えられる意図と…………
「…………にげ…………て……」
そして。
私に掲げられたその小さな手から……暖かな胎動が流れ込んでくる。
ブレ続ける思考は、目の前で起きている出来事に対し明確なレスポンスを打ち出す事はなく────
──かくん、と。
メイコちゃんの頭が垂れた。
「……あ、あ、あ、あ、あ………………」
ようやくひり出した自分の声は、何を形にしようとしているのか理解に及ばない。
──私はどこ?
──私をどうすればいい?
──私の感情は、
「ああああああああああああああぁぁぁあああああああああ!!!!!!」
──やがて。
彼女から渡された熱は、生じた思考をひどくシンプルにさせていく。
帰りたい。
その思いが取り巻く
恐らくアレは容易く私を引き裂き、潰し、切り刻んでいくのだろう。
ならば問う。
──
「ッッ────!!!!」
両腕を前方に掲げ、瞼を閉じる。
彼女によって施された
それは私がいつか帰る場所で在るべき所なのだと…………込めた望みを誓いに乗せた。
生まれた風はとても懐かしく、雁字搦めになった全てを取り払い深くそこへ浸透していく。
朱に交わる赤は紅を散らし。
還る大地への賛美をその身に浴びる。
思わず目を奪われた。
物心ついた時から好きだった。
だから私は、私を
──そこで、再び視界を映した。
いよいよ目の前にまで迫る黒の剣は……さらに数を増やし、その身を膨らませ、疾さを超える。
…………重なる深淵に、私は。
一言だけ応じた。
「────彼岸花────」
瞬間。
私と剣を遮る様に……赤を携えた淡く光る大きな花が広がる。
それはまるで盾のようで──迫る黒を全て受け止め、こちらへと届かせる事は無かった。
やがて全ての剣を打ち切った黒は一度たじろぐ様を観せ……すぐに全ての剣を一本に束ね、再びこちらへ突出させる。
──そして、
展開する花弁ひとつひとつから、熱線とも言える圧力を伴った閃光が放たれる。
その全てが黒を打ち貫き、霧散させ、焼き払っていく。
それだけの営力が目の前で散らばっているのにも関わらず、私自身には何の弊害も無かった。
……むしろ、穏やかな暖かさのみが自分の体を包み込んでいくのを感じる。
眼前の光景に灯せるだけの意識も……既に失くしつつある。
絶えず眼前で動き続ける景色に、私は…………ただ視線を送る事しか出来なかった。
…………程なくして。
花の照射により原型を失くした黒は、その身と同じ色の煙をゆっくりと立ち昇らせながら。
…………倒れた龍の体と共に、完全に消失していった。
「────あ……」
もはやただの石と化した舞台に膝をつく。
僅かに吹くそよ風のみが、無音である事の反抗を示していた。
……未だそこへ在り続ける
向ける言葉も、所作も、なにも思い付かないまま。
…………花は、音も無く弾けた。
星くずの様に広がったそれは地に落ちる前に、いくつかの塊として眩い光そのものになる。
思わず目を細めた私を意に介さず、そのまま三つに分かれた光は観客席、場外の壁、そして──
────傍らにいるメイコちゃんを包み込んだ。
疑問を呈す私に応を返すように、光はその後すぐに消え去っていく。
……
ヒトとして、在るべき姿に戻っている肢体がそこにはあった。
「──────」
私の意識はここで途切れる。
もっとたくさん、いろんなこと、かんがえなくてはいけないのだと思う。
でも。
最後に私の意識を通ったのは。
そう思えた自分に安堵した事だけであった────