【Tー⑨】それは猛り続ける月のよう
文字数 9,920文字
ごと、ごと、と。
俺達を乗せた車は、地面を踏みしめる音を規則的に響かせる。
「……なあ」
「はい?」
その旋律へ不協が混ざる。
出処は、俺の座る後部座席の隣へ控えていたトラさんだった。
「……あの女、全然喋らねえな」
声を落として呟いたその言葉は、俺自身も思うところではある。
片眉を釣り上げる彼に頷きを返し、舗装の行き届かぬ道路はまた何度か車体を跳ねさせた。
……島の案内と銘打たれたこの行軍は……ドライバーを務めている真衣 と呼ばれた女性とのコミュニケーションが全く図れないまま、いよいよ30分程が過ぎようとしていた。
その間も、遮るものの無い日光は容赦なく窓から差し込む。
俺はネクタイを少し緩め──
「──一旦停めますか?」
そこでようやく、彼女は口を開いた。
「ん……いえ、失礼しました。まだ島 の環境に慣れていなくて」
彼女に返しながら、ネクタイを締め直す。
「ああ、お構いなく。楽にして下さい……余 計 な 事 に気を取られては仕事も滞るでしょう?」
これを見本に、と言わんばかりに彼女は片手でシャツのボタンを二、三解いた。
……車内で冷房は利かせてくれているのだが、如何せん直射日光から生じるものだけは防ぎようがない。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
そう言った俺に倣い、トラさんも動作を同じくする。
先程までの静寂を打ち破る様に紡がれるその声は、島へ来た時に感じた風と同じ快活さを覚え──
「あと、私の名前はあ の 女 じゃありません」
──それはすぐに払拭される。
「げっ」
すぐにトラさんが漏らすが、取り繕うにはあまりにも遅すぎた。
「た、大変失礼致しました。……以後この様な事が無いよう努めていきますので何卒」
老若男女問わず、相手は客……事 故 は早々に、穏便に済ませなくてはいけない。
俺は深く頭を下げ、彼女への懇願を迫り……
「……別にいいです。楽にして下さいと言ったはずですよ」
少しだけ首を傾けながら、彼女は俺にそう返した。
「あっほんと?」
「ト、トラさん」
それを受け、横から顔を出した元凶 が呟くが……諌めながら彼女の方へ向き直った。
「お心遣い感謝致しますが、しかし……えっ……と」
言いながら、内ポケットの名刺入れを漁る。
……その行為 自体が失礼にあたるのではと焦りを隠せなかったが、何分つい今し方までやり取りが無かったせいだという事にしておく。
「真衣でいいです」
「え?」
「真衣 でいいです。苗字、好きじゃないので」
「そ、そうですか」
俺の行動にストップを掛けた、バックミラー越しに指すその瞳は……何処と無く遠くを収めている様な気がした。
「奇遇じゃん。俺も俺も」
「わかりました、では……虎太郎さん」
その耽りをトラさんが拭い去っていく。
そしていよいよ普段の調子を取り戻した彼は……んじゃよろしく、真衣ちゃん、と続けたのだった。
「貴方も楽にどうぞ。龍宮さん」
「い、いや……ですが、さすがに失礼になります」
こちらを仰ぎ見る彼女の問いに、些か言葉を濁してしまう。
……仕事として来た以上、それは定められた常識とマナー に沿うべきだ。
ましてや……俺だけの落ち度で済むならまだしも、それは世話になっている上 への無礼へと繋がる事で──
「──そういえばお前のタメ口なんて聞いた事無いな。なんなら真衣ちゃん、発破かけてやってよ」
俺の思考を再び拭うトラさんは、口角を上げながらそう言う。
それを受け、彼女は少しだけため息をついた後……再度ミラー越しに視線を合わせた。
「……貴方が言う失 礼 とはなんですか。そうしてほしいと相手 が伝えた事に応じる事は失礼なんですか。同調で生み出された形なんて浴びせられても何も嬉しくありません。青臭いと一笑に付すのであれば勝手ですが、私はもう貴方に決まり を言いましたよ」
どこか遠くを見ていたはずの瞳は、ハッキリと俺の姿を捉え。
……その色に、俺は自らを叩く。
「…………わかったよ、真衣さん」
…………やはり、俺はまだこ こ への理解が及んでいないのだと改めた。
────────────
──────
───
車窓から横ばいに流れていく景色は、健やかな緑と青で引き伸ばされる。
のどかと称した島の情景は、全体を構成しているものなのだと再認識させられた。
こ ち ら に来てから、ここまでの自然を拝んだ事が無いかもしれない。
…………俺は、移りゆく景色に少しの情緒を駆動させ──
「はへはおほひはふーいふおはっほうえふ」
──異音がそれを阻む。
「……ごめん、もう一度」
頬をいっぱいに膨らませた真衣さんの言葉は、解読を施す事にならなかった。
……俺の言葉に彼女は少し顔をしかめた後、続きを噛み始める。
「龍宮」
「はい」
「真衣ちゃんってよ、意外とこう……なんつーか──」
「──トラさん、聞こえますよ」
横でぽつりと落とす彼を制しながら視界に収めるのは、惣菜パンを口いっぱいに頬張る彼女の後姿。
……島の案内が始まってから先程のやり取りをするまでの間、彼女の寡黙を生み出していたのは……どうやら空腹だったそうで。
彼女が知る最寄りの売店へ一度赴き、戦利品を供給しながら、こうして事なきを得ている次第であった。
「んっ……。龍宮さん、耳の穴詰まってます? 大丈夫ですか?」
「もしかして、さっきのやつを聞き取れなかった事に対して言ってる?」
ようやく口内をクリーンにさせた彼女が放つ言葉に、俺は疑問を返し……
「そうですが」
「……そう」
……それは景色に溶ける。
「宿に行ったら耳掃除しておいて下さい」
「覚えておく。それで、さっきはなんて?」
「……ではもう一度言います、あれがこの島唯一の学校です」
彼女は空いた手で彼方を仰ぎ、フロントガラス越しに一方を指した。
その方向を見てみると……小高い丘の上に身を構えた施設……ガッコウ、と呼ばれるそれが鎮座していた。
所々に残るサビやまとわりつく蔦、原型を留めていない随所の文字が年季の深さを伺わせる。
……遠目に見ても、既にその役目を終えている様に思えた。
「っっかー……よく持ったなありゃ。いつ崩れてもおかしくねえよ」
その姿を見て、窓を開けながらトラさんが呟く。
……彼が言うのであれば、やはりそうなのだろう。
「数年前に廃校になりました。今の学生達は皆内地で寮生やってますよ」
「……以前は、真衣さんもあそこに?」
ミラー越しに映ったそ こ を臨む彼女の表情が、少しだけ憂いを帯びていた様な気がして……俺は自然とその言葉を発した。
「……はい。私の卒業と同時に、でした」
「…………なるほど」
潮の香りが混ざる風が少しだけ入ってくる。
それは俺達の髪を撫で、すぐに遠くへと向かっていった。
もし、俺達が仕事を進行していけば……ここも取り壊される事になる。
…………社長が言っていた余 計 な ト ラ ブ ル という言葉は、この辺りに追従するのだろう。
決して避けては通れない。
慎重に、段取りと実施を──
「──近くに空手道場があるんですけど、ついでに見に行きます?」
先 を遮断したのは真衣さんの声だった。
別の方向を指差しながら、彼女は言う。
「ドージョー? そんなんあんの」
「今ちょうど稽古中かと」
「せい、せいっつって?」
「せい、せいですね」
拳を交互に突き出すトラさんに、頷きながら真衣さんが交わす。
……今この時点でこ こ に馳す事が出来るモノは、きっとないだろう。
「公共の施設であれば、一度見せてもらおうかな」
「わかりました、案内します」
そう返す彼女はハンドルを切り、俺達は廃校の姿を視界から外した。
───────────
──────
───
近場という彼女の言葉通り、ものの数分で目的地に到着する。
真衣さんは備え付けの駐車場に一旦車を停め、俺達はその場へ降り立った。
……そのまま脇へ視線を送ると、件の空手道場が鎮座している。
古めかしくも格式を伺わせるその佇まいは、道 の名を冠するに相応しいのだろうと感じさせられた。
「やっぱり、真っ最中でしたね」
そして道場の入口を遠巻きに覗きながら、真衣さんは言う。
俺とトラさんも同じ方を見てみると……道着に身を包んだ若者達が一点を臨み、それぞれが掲げる拳と共に声を上げていた。
……心 に届きそうなその音は、断続的に辺りを支配する。
多重に連なった意思は真に、正中を捉えるべくして放たれたものなのだろうか……圧を伴った気概は全てを切り裂くような錯覚さえ感じた。
「っはぁー……すっげ。ガチじゃん」
「トラさん、こういったご経験は?」
「まさか。部活動すらやった事ねぇや」
「自分もです」
互いに物珍しさを覚えながら、食い入るように見つめる。
知識としては頭にあるが、いざ実物を収めるとこれ程に迫るモノがあるのかと思い知らされた。
「体験してみますか?」
その様子を見て、真衣さんがこちらへ投げ掛けた。
「いやいや、さすがに。志の無い素人が混ざっても邪魔になるよ」
「そんなに難しく考える事も無いですけどね、エクササイズみたいなものですよ」
「ん……その口ぶりだと、もしかして真衣さんもここで?」
「ああ、はい。そうですね、最近は仕事の方が優先になってますけど」
……よくよく見ると。
道場の入口付近にいた若者のうち何人かはこちらに気付いたのか、真衣さんに手を振っている様子が見受けられた。
「え、マジで? かっけー」
「かっけーですよ」
トラさんの称賛に応えながら、彼女は両の手足を使い少しだけ舞ってみせた。
スーツ姿のせいか……かえってそれは、より堂に入る様にも思える。
「すごいね。ちなみにいつ頃から?」
姿勢を直した真衣さんに、俺はそう投げた。
……その時に。
また、先刻の様に真衣さんの瞳が遠くを臨み──
「…………七年前から、ですね」
──視線を外さぬまま、彼女はそう答えた。
────────────
──────
───
……その後。
道場を去った俺達は、真衣さんの案内で島の主要施設の視察を続けた。
民間の公共施設、変電所、廃水処理場、ガスプラント等……場所によっては再度赴く事になるかと思うが、幸い明日以降はレンタカーを手配してくれているそうなので、有難く使わせてもらう事にする。
まだ初日だ、とりあえずは島の雰囲気と現状を少しでも理解できればそれでいい。
……一番に思うのは、やはり各所の経年劣化があまりにも激しい事。
どういう経緯 でこの島の開発に踏み切ったのか、俺が及び知るところではないが……相応の状態である事は間違いないようだ。
「……あ、もう結構良い時間ですね」
「ん」
真衣さんの呟きは、車内のナビに映し出された現在時刻を差しながら紡がれる。
彼女の言う通り空は日没へとその姿を変え、辺りを黒に染め上げつつある。
道路に設置されている街灯の数もそこまで多くはなく、ヘッドライトで照らしていないと先が臨めない程であった。
「龍宮さんどうしますか、今日はもうこのくらいで?」
「……そうだね、そろそろ。近場だともう目ぼしい所はないかな?」
真衣さんの提案に頷きを伴いながら返す。
すると、彼女は少しだけ頭を捻ったあと……零すように答えた。
「でしたら……神社、とか」
「神社?」
「はい。例によってこの島唯一の……という具合なんですが、良かったら」
「それなら是非……ただ、部外者が立ち入っても大丈夫なのかな」
神事を司るところ……というのは、個人的にデリケートを大きく感じるところではある。
島唯一の、という事であれば歴史もきっと深いのだろう。
……俺が考え過ぎなだけなのかもしれないが。
「その考え方でいくと、むしろ尚更一度顔を出しておいた方が良いのでは。これからしばらくは島 にいるわけですし」
「それは、まあ」
「ちょうど私も行く予定がありますので、ついでで。すぐ着きますよ」
「なるほど。じゃあお願いするよ」
確かに彼女の言葉にも理はある。
掲げられた提案にそのまま乗り、俺は真衣さんのナビゲートに従う事にした。
…………横を見てみると、トラさんが俯きながら船を漕いでいる。
先程彼女が俺を名指ししたのはそういう事か。
「トラさん、トラさん」
そっと肩を揺さぶってみる。
しかし、それ合わせ彼の頭がぐらんぐらんと従動するだけだ。
「…………トラさん、リーチです」
「んがっっ オイそれハネ満……な……?」
俺の言葉にがばっと身を起こしたトラさんは、条件反射でそう返す。
「おはようございます」
「おう、龍宮。良い天気だな」
「もう夜ですよ」
「ほんとそれ」
やり取りを交わす俺達に対し、運転中の真衣さんは僅かに鼻で笑った。……気がする。
一度咳払いを挟みながら、トラさんは取り繕いを質した。
「んで、どうなった?」
「とりあえず今日のところはそろそろ切り上げようかと。最後に神社へ案内してくれるそうですよ」
「なるほど神社ね、いいじゃん。いっちょシメに安全祈願でもしていこうや」
首をごきごきと鳴らしながら、そう答えるトラさん。
その様子を見て……確かに、そこまで重く考える事も無いのかと改める。
「確か、拝礼方式があるんでしたよね」
俺自身そのテの事にさほど造詣が深いわけではないが、社長らに連れられてその動作を行 った事は過去にあった。
……しかし、あまりにも頭の片隅過ぎて今ひとつ表に出せない。
「あーなんつったっけ…………二泊三拍一礼?」
「頭下げる前そんなにビート刻む感じでしたっけ」
「二礼二拍手一礼です。お二人愉快過ぎませんか、着きましたよ」
半開きの瞼をこちらに向け、真衣さんは俺達に投げ掛けた。
同時に車を停車させ、彼女は車外へ降りる。
冗談だって、と言うトラさんへ少しだけ懐疑の目を向けながら……俺もドアを開けその場へ足を降ろした。
「……ここが、そうなんだ」
「はい。 ……ずっと変わりませんね」
そしてそ の 場 を視界に収める俺達は、揃って目線を持ち上げる。
その所以は、それなりの傾斜を携えた長い階段と……頂点にある大きな鳥居が、こちらを見下ろしていたから。
そしてそこまでの道程を左右に掛けられた提灯が照らし……鈍く灯された軌跡は、まるで別の世界に吸い込まれるのではと感じさせる程だった。
「あっ」
「ん?」
「ちょっと用を足してくるので、先に行ってて下さい」
ふいに真衣さんは、階段の脇にある公衆手洗い場を指しながらそう言った。
「ああ、それなら入口前で待ってるよ」
「え、龍宮さん音聞きたい派ですか? さすがに引きます」
「…………先、行ってるよ」
そうして下さい、と返す彼女を後目に俺は再び神社の方へ向き直る。
既に階段を登り始めていたトラさんに追い付き、俺も両足を交互させた。
「おう、お疲れ」
「いえこちらこそ。 ……どうですか、トラさんの所感としては」
「島 か?」
「はい」
「……いやまあ、いいトコなんじゃねえの。普通に遊びに来たいくらいだわ」
「自然豊かですもんね。自分も、とても良い場所だと思います」
一度深呼吸を挟んだ後、トラさんはぐるりと肩を回しながら階段を登り続ける。
そして、その目線を前に置いたまま……
「けどキツいかもしんねーが忘れんなよ。俺達は、ココへ何しに来た」
……眉を少しだけひそめ、そう言う。
「……心得ています」
俺も、彼と同じ方へ瞳を宛てながら返す。
自らがこの場所へ赴いた理由 と役目を、しかと反芻しながら。
「……ま、最初からそんな気張るこたねーのは確かだよ。俺ら以外の業者が揃うのもまだ先だしな」
「そう、ですね。とりあえずは、島の方々とのやり取りをしっかり行っていきますよ」
「そういうこった。ある意味、最初に真衣ちゃんみてーなタイプと接触できたのは好都合だったかもな」
「それは思います、円滑に話が出来そうではありますので」
「だな。……だけど、あの子だって島 の人間である事に違いねーんだ。もしかしたらと ん で も ね え 事 情 を抱えてる可能性だってある。気ぃ付けて言葉選べよ」
「はい、肝に銘じておきます」
……そんなやり取りをトラさんと重ねていくうちに、ついに長い経路は最後の段差を迎えていた。
先程まで遠巻きに収めていた鳥居が、目の前に立ち塞がる。
眼前でそれを目の当たりにすると、存在感がさらに際立って思えた。
「んで」
「はい?」
「お前はどうなんだ?」
「……というと」
「責任者様の所感……ってやつ」
「ん……」
そしてその鳥居をゆっくりと潜りながら……前方からこちらへと視線を移したトラさんは、ぽつりと呟く。
「……二人の時 しか言えない事とか、ねえのか」
「それは…………」
────ある。
ここに来てから、ずっと感じていた事だ。
「もしあるなら、とりあえず言ってみろよ。茶化しゃしねえから」
「……はい。ふたつあります」
俺は、こちらを臨むトラさんの瞳を正面から見据えた。
「おう。ひとつめは?」
「…………この島には、異 常 な 程 に マ ナ が 溢 れ て い ま す 」
──それは、あ ち ら でしか感じた事のないくらいのモノで。
ヤマト を振るう為のそれは、こ ち ら での供給をこれ程までに為した事は無い。
「…………そっか。どーりでココを気に入るわけだな、お前」
「……否定は出来ません」
「お前がこっちに来てから……つって良いのかな、そっから今まででは一番パねぇの?」
「はい。初めてです……だからと言ってどうというワケではないのですが、一番に感じた事はそれでしたね」
「なるほどな、俺も一応覚えとくよ。……それで、もうひとつは?」
「はい──」
──そこまでで俺は一旦トラさんから視線を外し、辺りを見渡す。
マナと同じく、島へ到着してからずっと俺の意識にこびり付いていたモノ。
……それは、今俺が立っている神社でも例外ではなく────
「──この花の名前は、なんですか?」
霧散した朱 は、花弁ひとつひとつに落とし込まれ……そして束ねられた糸のように広がる放物線は、まるでひとつの生命の始まりをも連想させた。
ここまでの道すがら、至る所にその花は咲き誇り……目に映る度に俺の脳裏へと焼き付いていたのだ。
「花? ああこれな、確かに珍しいっちゃ珍しいかもな」
「トラさんはご存知で?」
「一応な。確か──」
そしてトラさんも俺と同じくその花へ目を向け、こう応える。
「──彼岸花、つったっけな」
「……ヒガン、バナ」
聞き慣れない言葉、ではあった。
ただ……そ の 花 の名前であるという事実が何よりも勝り、それは俺の中へ深く浸透していった。
「そうそう今ので思い出した。昔な、女にモテたくて無駄に花の名前やら種類とか覚えてる時期あってな」
「そ、そうだったんですか?」
「おう。んで、その彼岸花の別名が────」
────その時、視界に収めていた彼岸花の輪郭が著しくブレた。
同時に、自身の半身へ大きな衝撃が伴っていた事をすぐに理解する。
「──龍宮ぁぁああああ!!!!」
それを為したのは、すぐそこで俺の名前を呼ぶトラさんである事も……すぐに把握した。
────彼は、俺を横から突き飛ばしたのだ。
その動機。
おおおおん、という風を切る音と同時に。
俺 が 元 い た 場 所 へ 何かが振るわれる音と圧を覚える。
トラさんは。
その脅威から俺を退ける為にその手段を行使した────
「────龍宮!!!!」
「はい……ッッ!!」
すぐに体勢を立て直し……
そして俺達は同時にそ れ を視界に収める。
境内の奥……提灯と月の光が届かぬ深淵を纏う黒から。
かち、かち、と。
手 から金切り音を軋ませながら。
「…………ア イ ツ ら ……だよな……!?」
「……間違いありません…………!!」
巨大な蟷螂 を象った異物が、俺達と同じ空間に現れたのだった。
「────ッッ!!!!」
そ こ まで結論付けられたのであれば、もはや行動は単一に絞られる。
なぜここに、などと。
そんなものはすぐに胸中で鳴りを潜ませた。
──人、無し
──視界、悪し
──対峙、刃を伴う
──足場、良し
「多重自己駆動力強化 ──!!!!」
すぐにマナを掻き集めヤマトを行使。
その瞬きは、俺とトラさんの両方を認 める。
普 段 であれば使う事の無いヤマトも、今 であれば容易に発現が可能だった。
…………えも知れぬ島の在り方に、今は甘えておく。
「トラさん!! ……手伝ってもらえますか……ッッ!!」
「ったりめーだろ……高所と危険作業は二人以上って相場が決まってんだよ」
言いながら煙草を咥えるトラさんに、俺は頷きだけを返し──
────その一線に、蟷螂は大きく腕を振り下ろしながら強引に割り込んでくる。
「ッッ──!!!!」
躱す──という行為に、意識のほとんどを持っていかれる。
それ程に、アレの手 は鋭利を易々と収めていた。
「──くれてッッやらぁああ!!!!」
蟷螂を挟み向かいからトラさんが叫ぶ。
……その手には、オドに染められた巨大な金槌 が握られていた。
ずどん────
と、地鳴りにも近い響きを生じさせるその衝撃は体現する力を誇示するかのように……
一本、そのヤマトは蟷螂の後脚を叩き潰して観せた。
「ッッしゃあ!! 這いつくばってろ虫野 ろ──」
「──トラさん!!!!」
蟷螂はその大きな複眼をぎょろりと動かし、瞬時に彼を捉えた。
足を失った事によるバランスの崩れをそのまま利用、回転し──
「────ぶっっ!?」
蟷螂は、トラさんの顔面に展開した羽根を打ち付けた。
「トラさん……!!!! くっっ──」
その光景をただ黙って眺めているわけにはいかない。
咄嗟に次のヤマトを生成しようとして──
「────てめェ」
口端から垂れ落ちる血を無視し、トラさんは蟷螂に向き直っていた。
「なに人の顔面 に上等決め込んでんだゴラァァアアアアア!!!!」
そして蟷螂のあ る は ず の な い 胸 ぐ ら を強引に鷲掴み、逆三角形を象るその脳天へ思い切り反動をつけた頭突きを見舞う。
──奴の肢体が揺れる。
そのまま尻もちを着いたトラさんを端に収め……俺は次 を紡いだ。
「ぎッッ────!!!!」
右手に雷 を集中させ。
それは幾重にも束ねられ、閃光の渦として俺の手を渦巻きながら染め上げていく。
ばちばちと音を鳴らす明滅を拝む蟷螂は、頭をフラつかせながらこちらへ刃を振りかぶり──
────ぱん、と。
一瞬だけ、その音は響く。
結果として表面化する事象は、奴 の 刃 が 片 方 再 起 不 能 に な っ た という事だけ。
──俺の右手 は、その刃へ握り潰す事を成した。
「ッッ────!!!!」
間髪を入れず、次に定めた頭蓋へ向けて再度拳を伸ばす。
────瞬間
ぶぶぶぶ、と断続的に何かが震える音が辺りに響き渡る。
所以はすぐに理解。
蟷螂は羽根を全て展開し、その場で瞬時に浮遊し始めたのだ。
俺の拳は、空間をなぞるだけになる。
「野郎ォ……何する気──」
その姿を仰ぐトラさんが全てを言い切る前に、奴は俺を横切り──鳥居の方向へ飛翔する。
「なっ──!?」
そのスピードにも驚かされたが、次に視界へ映り込んだモノは……俺に巡る血を一瞬で冷やし尽くした。
────今まさに、鳥居を潜らんとする真衣さんが……そこに居たからだ。
「──真衣さんッッ!!!!!!」
半ば条件反射でその名を口にするが──既に蟷螂は残された刃 をそ こ へ向け……
────そしてその脅威は、振り下ろされる事は無かった。
「ッッ──!?」
弾 い た 、と称すのが一番正しい。
降ろされた腕は強引に再び天を仰ぎ……自身も予想していなかったのか、蟷螂の動きが一瞬硬直していた。
そしてその刻は、ひとつの掛け声と共に斬り裂かれる──
「────せっっ!!!!」
真衣さんは脚を大きく上段へ掲げ、そのまま振り切る。
同時に脇へ吹き飛ばされる蟷螂はざざざ、と地面を擦り続けた。
……その間に彼女は、こちらへ駆けてくる。
「──事情は後で伺いますが、とりあえず不審者はア レ ですか?」
「っっ……真衣さん、その」
「……龍宮待て、とりあえずあ っ ち だ」
目の前で起きた出来事 への問い質しは、未だ形を作らない。
……ただ、トラさんの言葉で今は我を戻す。
真衣さんも、それを以て俺達と同じ方向を臨んだ。
────起き上がった蟷螂は、いよいよ殺意でその身を染め上げる。
広がる羽根は歪に駆動を繰り返し、破壊したはずの腕と足は再生をし始めていた。
月明かりに反射する複眼は、俺達を完全に移し込み…………
こちらへ、疾駆を始めた。
「……許さない」
その姿を収めた真衣さんは、それだけを零す。
「こ の 場 所 で好き勝手なんて、絶対に許さない」
それは、今日を通して一度も見た事の無い彼女の表情。
迫る驚異は全てに時間を与えない。
俺は一言だけ、彼女に言った。
「い い の か 、真衣さん」
そして彼女は、俺の問いを鼻で笑いながら──
「はい。親友の受け売り ですから」
────その意思へ向け、構えた。
俺達を乗せた車は、地面を踏みしめる音を規則的に響かせる。
「……なあ」
「はい?」
その旋律へ不協が混ざる。
出処は、俺の座る後部座席の隣へ控えていたトラさんだった。
「……あの女、全然喋らねえな」
声を落として呟いたその言葉は、俺自身も思うところではある。
片眉を釣り上げる彼に頷きを返し、舗装の行き届かぬ道路はまた何度か車体を跳ねさせた。
……島の案内と銘打たれたこの行軍は……ドライバーを務めている
その間も、遮るものの無い日光は容赦なく窓から差し込む。
俺はネクタイを少し緩め──
「──一旦停めますか?」
そこでようやく、彼女は口を開いた。
「ん……いえ、失礼しました。まだ
彼女に返しながら、ネクタイを締め直す。
「ああ、お構いなく。楽にして下さい……
これを見本に、と言わんばかりに彼女は片手でシャツのボタンを二、三解いた。
……車内で冷房は利かせてくれているのだが、如何せん直射日光から生じるものだけは防ぎようがない。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
そう言った俺に倣い、トラさんも動作を同じくする。
先程までの静寂を打ち破る様に紡がれるその声は、島へ来た時に感じた風と同じ快活さを覚え──
「あと、私の名前は
──それはすぐに払拭される。
「げっ」
すぐにトラさんが漏らすが、取り繕うにはあまりにも遅すぎた。
「た、大変失礼致しました。……以後この様な事が無いよう努めていきますので何卒」
老若男女問わず、相手は客……
俺は深く頭を下げ、彼女への懇願を迫り……
「……別にいいです。楽にして下さいと言ったはずですよ」
少しだけ首を傾けながら、彼女は俺にそう返した。
「あっほんと?」
「ト、トラさん」
それを受け、横から顔を出した
「お心遣い感謝致しますが、しかし……えっ……と」
言いながら、内ポケットの名刺入れを漁る。
……
「真衣でいいです」
「え?」
「
「そ、そうですか」
俺の行動にストップを掛けた、バックミラー越しに指すその瞳は……何処と無く遠くを収めている様な気がした。
「奇遇じゃん。俺も俺も」
「わかりました、では……虎太郎さん」
その耽りをトラさんが拭い去っていく。
そしていよいよ普段の調子を取り戻した彼は……んじゃよろしく、真衣ちゃん、と続けたのだった。
「貴方も楽にどうぞ。龍宮さん」
「い、いや……ですが、さすがに失礼になります」
こちらを仰ぎ見る彼女の問いに、些か言葉を濁してしまう。
……仕事として来た以上、それは定められた
ましてや……俺だけの落ち度で済むならまだしも、それは世話になっている
「──そういえばお前のタメ口なんて聞いた事無いな。なんなら真衣ちゃん、発破かけてやってよ」
俺の思考を再び拭うトラさんは、口角を上げながらそう言う。
それを受け、彼女は少しだけため息をついた後……再度ミラー越しに視線を合わせた。
「……貴方が言う
どこか遠くを見ていたはずの瞳は、ハッキリと俺の姿を捉え。
……その色に、俺は自らを叩く。
「…………わかったよ、真衣さん」
…………やはり、俺はまだ
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車窓から横ばいに流れていく景色は、健やかな緑と青で引き伸ばされる。
のどかと称した島の情景は、全体を構成しているものなのだと再認識させられた。
…………俺は、移りゆく景色に少しの情緒を駆動させ──
「はへはおほひはふーいふおはっほうえふ」
──異音がそれを阻む。
「……ごめん、もう一度」
頬をいっぱいに膨らませた真衣さんの言葉は、解読を施す事にならなかった。
……俺の言葉に彼女は少し顔をしかめた後、続きを噛み始める。
「龍宮」
「はい」
「真衣ちゃんってよ、意外とこう……なんつーか──」
「──トラさん、聞こえますよ」
横でぽつりと落とす彼を制しながら視界に収めるのは、惣菜パンを口いっぱいに頬張る彼女の後姿。
……島の案内が始まってから先程のやり取りをするまでの間、彼女の寡黙を生み出していたのは……どうやら空腹だったそうで。
彼女が知る最寄りの売店へ一度赴き、戦利品を供給しながら、こうして事なきを得ている次第であった。
「んっ……。龍宮さん、耳の穴詰まってます? 大丈夫ですか?」
「もしかして、さっきのやつを聞き取れなかった事に対して言ってる?」
ようやく口内をクリーンにさせた彼女が放つ言葉に、俺は疑問を返し……
「そうですが」
「……そう」
……それは景色に溶ける。
「宿に行ったら耳掃除しておいて下さい」
「覚えておく。それで、さっきはなんて?」
「……ではもう一度言います、あれがこの島唯一の学校です」
彼女は空いた手で彼方を仰ぎ、フロントガラス越しに一方を指した。
その方向を見てみると……小高い丘の上に身を構えた施設……ガッコウ、と呼ばれるそれが鎮座していた。
所々に残るサビやまとわりつく蔦、原型を留めていない随所の文字が年季の深さを伺わせる。
……遠目に見ても、既にその役目を終えている様に思えた。
「っっかー……よく持ったなありゃ。いつ崩れてもおかしくねえよ」
その姿を見て、窓を開けながらトラさんが呟く。
……彼が言うのであれば、やはりそうなのだろう。
「数年前に廃校になりました。今の学生達は皆内地で寮生やってますよ」
「……以前は、真衣さんもあそこに?」
ミラー越しに映った
「……はい。私の卒業と同時に、でした」
「…………なるほど」
潮の香りが混ざる風が少しだけ入ってくる。
それは俺達の髪を撫で、すぐに遠くへと向かっていった。
もし、俺達が仕事を進行していけば……ここも取り壊される事になる。
…………社長が言っていた
決して避けては通れない。
慎重に、段取りと実施を──
「──近くに空手道場があるんですけど、ついでに見に行きます?」
別の方向を指差しながら、彼女は言う。
「ドージョー? そんなんあんの」
「今ちょうど稽古中かと」
「せい、せいっつって?」
「せい、せいですね」
拳を交互に突き出すトラさんに、頷きながら真衣さんが交わす。
……今この時点で
「公共の施設であれば、一度見せてもらおうかな」
「わかりました、案内します」
そう返す彼女はハンドルを切り、俺達は廃校の姿を視界から外した。
───────────
──────
───
近場という彼女の言葉通り、ものの数分で目的地に到着する。
真衣さんは備え付けの駐車場に一旦車を停め、俺達はその場へ降り立った。
……そのまま脇へ視線を送ると、件の空手道場が鎮座している。
古めかしくも格式を伺わせるその佇まいは、
「やっぱり、真っ最中でしたね」
そして道場の入口を遠巻きに覗きながら、真衣さんは言う。
俺とトラさんも同じ方を見てみると……道着に身を包んだ若者達が一点を臨み、それぞれが掲げる拳と共に声を上げていた。
……
多重に連なった意思は真に、正中を捉えるべくして放たれたものなのだろうか……圧を伴った気概は全てを切り裂くような錯覚さえ感じた。
「っはぁー……すっげ。ガチじゃん」
「トラさん、こういったご経験は?」
「まさか。部活動すらやった事ねぇや」
「自分もです」
互いに物珍しさを覚えながら、食い入るように見つめる。
知識としては頭にあるが、いざ実物を収めるとこれ程に迫るモノがあるのかと思い知らされた。
「体験してみますか?」
その様子を見て、真衣さんがこちらへ投げ掛けた。
「いやいや、さすがに。志の無い素人が混ざっても邪魔になるよ」
「そんなに難しく考える事も無いですけどね、エクササイズみたいなものですよ」
「ん……その口ぶりだと、もしかして真衣さんもここで?」
「ああ、はい。そうですね、最近は仕事の方が優先になってますけど」
……よくよく見ると。
道場の入口付近にいた若者のうち何人かはこちらに気付いたのか、真衣さんに手を振っている様子が見受けられた。
「え、マジで? かっけー」
「かっけーですよ」
トラさんの称賛に応えながら、彼女は両の手足を使い少しだけ舞ってみせた。
スーツ姿のせいか……かえってそれは、より堂に入る様にも思える。
「すごいね。ちなみにいつ頃から?」
姿勢を直した真衣さんに、俺はそう投げた。
……その時に。
また、先刻の様に真衣さんの瞳が遠くを臨み──
「…………七年前から、ですね」
──視線を外さぬまま、彼女はそう答えた。
────────────
──────
───
……その後。
道場を去った俺達は、真衣さんの案内で島の主要施設の視察を続けた。
民間の公共施設、変電所、廃水処理場、ガスプラント等……場所によっては再度赴く事になるかと思うが、幸い明日以降はレンタカーを手配してくれているそうなので、有難く使わせてもらう事にする。
まだ初日だ、とりあえずは島の雰囲気と現状を少しでも理解できればそれでいい。
……一番に思うのは、やはり各所の経年劣化があまりにも激しい事。
どういう
「……あ、もう結構良い時間ですね」
「ん」
真衣さんの呟きは、車内のナビに映し出された現在時刻を差しながら紡がれる。
彼女の言う通り空は日没へとその姿を変え、辺りを黒に染め上げつつある。
道路に設置されている街灯の数もそこまで多くはなく、ヘッドライトで照らしていないと先が臨めない程であった。
「龍宮さんどうしますか、今日はもうこのくらいで?」
「……そうだね、そろそろ。近場だともう目ぼしい所はないかな?」
真衣さんの提案に頷きを伴いながら返す。
すると、彼女は少しだけ頭を捻ったあと……零すように答えた。
「でしたら……神社、とか」
「神社?」
「はい。例によってこの島唯一の……という具合なんですが、良かったら」
「それなら是非……ただ、部外者が立ち入っても大丈夫なのかな」
神事を司るところ……というのは、個人的にデリケートを大きく感じるところではある。
島唯一の、という事であれば歴史もきっと深いのだろう。
……俺が考え過ぎなだけなのかもしれないが。
「その考え方でいくと、むしろ尚更一度顔を出しておいた方が良いのでは。これからしばらくは
「それは、まあ」
「ちょうど私も行く予定がありますので、ついでで。すぐ着きますよ」
「なるほど。じゃあお願いするよ」
確かに彼女の言葉にも理はある。
掲げられた提案にそのまま乗り、俺は真衣さんのナビゲートに従う事にした。
…………横を見てみると、トラさんが俯きながら船を漕いでいる。
先程彼女が俺を名指ししたのはそういう事か。
「トラさん、トラさん」
そっと肩を揺さぶってみる。
しかし、それ合わせ彼の頭がぐらんぐらんと従動するだけだ。
「…………トラさん、リーチです」
「んがっっ オイそれハネ満……な……?」
俺の言葉にがばっと身を起こしたトラさんは、条件反射でそう返す。
「おはようございます」
「おう、龍宮。良い天気だな」
「もう夜ですよ」
「ほんとそれ」
やり取りを交わす俺達に対し、運転中の真衣さんは僅かに鼻で笑った。……気がする。
一度咳払いを挟みながら、トラさんは取り繕いを質した。
「んで、どうなった?」
「とりあえず今日のところはそろそろ切り上げようかと。最後に神社へ案内してくれるそうですよ」
「なるほど神社ね、いいじゃん。いっちょシメに安全祈願でもしていこうや」
首をごきごきと鳴らしながら、そう答えるトラさん。
その様子を見て……確かに、そこまで重く考える事も無いのかと改める。
「確か、拝礼方式があるんでしたよね」
俺自身そのテの事にさほど造詣が深いわけではないが、社長らに連れられてその動作を
……しかし、あまりにも頭の片隅過ぎて今ひとつ表に出せない。
「あーなんつったっけ…………二泊三拍一礼?」
「頭下げる前そんなにビート刻む感じでしたっけ」
「二礼二拍手一礼です。お二人愉快過ぎませんか、着きましたよ」
半開きの瞼をこちらに向け、真衣さんは俺達に投げ掛けた。
同時に車を停車させ、彼女は車外へ降りる。
冗談だって、と言うトラさんへ少しだけ懐疑の目を向けながら……俺もドアを開けその場へ足を降ろした。
「……ここが、そうなんだ」
「はい。 ……ずっと変わりませんね」
そして
その所以は、それなりの傾斜を携えた長い階段と……頂点にある大きな鳥居が、こちらを見下ろしていたから。
そしてそこまでの道程を左右に掛けられた提灯が照らし……鈍く灯された軌跡は、まるで別の世界に吸い込まれるのではと感じさせる程だった。
「あっ」
「ん?」
「ちょっと用を足してくるので、先に行ってて下さい」
ふいに真衣さんは、階段の脇にある公衆手洗い場を指しながらそう言った。
「ああ、それなら入口前で待ってるよ」
「え、龍宮さん音聞きたい派ですか? さすがに引きます」
「…………先、行ってるよ」
そうして下さい、と返す彼女を後目に俺は再び神社の方へ向き直る。
既に階段を登り始めていたトラさんに追い付き、俺も両足を交互させた。
「おう、お疲れ」
「いえこちらこそ。 ……どうですか、トラさんの所感としては」
「
「はい」
「……いやまあ、いいトコなんじゃねえの。普通に遊びに来たいくらいだわ」
「自然豊かですもんね。自分も、とても良い場所だと思います」
一度深呼吸を挟んだ後、トラさんはぐるりと肩を回しながら階段を登り続ける。
そして、その目線を前に置いたまま……
「けどキツいかもしんねーが忘れんなよ。俺達は、ココへ何しに来た」
……眉を少しだけひそめ、そう言う。
「……心得ています」
俺も、彼と同じ方へ瞳を宛てながら返す。
自らがこの場所へ赴いた
「……ま、最初からそんな気張るこたねーのは確かだよ。俺ら以外の業者が揃うのもまだ先だしな」
「そう、ですね。とりあえずは、島の方々とのやり取りをしっかり行っていきますよ」
「そういうこった。ある意味、最初に真衣ちゃんみてーなタイプと接触できたのは好都合だったかもな」
「それは思います、円滑に話が出来そうではありますので」
「だな。……だけど、あの子だって
「はい、肝に銘じておきます」
……そんなやり取りをトラさんと重ねていくうちに、ついに長い経路は最後の段差を迎えていた。
先程まで遠巻きに収めていた鳥居が、目の前に立ち塞がる。
眼前でそれを目の当たりにすると、存在感がさらに際立って思えた。
「んで」
「はい?」
「お前はどうなんだ?」
「……というと」
「責任者様の所感……ってやつ」
「ん……」
そしてその鳥居をゆっくりと潜りながら……前方からこちらへと視線を移したトラさんは、ぽつりと呟く。
「……
「それは…………」
────ある。
ここに来てから、ずっと感じていた事だ。
「もしあるなら、とりあえず言ってみろよ。茶化しゃしねえから」
「……はい。ふたつあります」
俺は、こちらを臨むトラさんの瞳を正面から見据えた。
「おう。ひとつめは?」
「…………この島には、
──それは、
「…………そっか。どーりでココを気に入るわけだな、お前」
「……否定は出来ません」
「お前がこっちに来てから……つって良いのかな、そっから今まででは一番パねぇの?」
「はい。初めてです……だからと言ってどうというワケではないのですが、一番に感じた事はそれでしたね」
「なるほどな、俺も一応覚えとくよ。……それで、もうひとつは?」
「はい──」
──そこまでで俺は一旦トラさんから視線を外し、辺りを見渡す。
マナと同じく、島へ到着してからずっと俺の意識にこびり付いていたモノ。
……それは、今俺が立っている神社でも例外ではなく────
「──この花の名前は、なんですか?」
霧散した
ここまでの道すがら、至る所にその花は咲き誇り……目に映る度に俺の脳裏へと焼き付いていたのだ。
「花? ああこれな、確かに珍しいっちゃ珍しいかもな」
「トラさんはご存知で?」
「一応な。確か──」
そしてトラさんも俺と同じくその花へ目を向け、こう応える。
「──彼岸花、つったっけな」
「……ヒガン、バナ」
聞き慣れない言葉、ではあった。
ただ……
「そうそう今ので思い出した。昔な、女にモテたくて無駄に花の名前やら種類とか覚えてる時期あってな」
「そ、そうだったんですか?」
「おう。んで、その彼岸花の別名が────」
────その時、視界に収めていた彼岸花の輪郭が著しくブレた。
同時に、自身の半身へ大きな衝撃が伴っていた事をすぐに理解する。
「──龍宮ぁぁああああ!!!!」
それを為したのは、すぐそこで俺の名前を呼ぶトラさんである事も……すぐに把握した。
────彼は、俺を横から突き飛ばしたのだ。
その動機。
おおおおん、という風を切る音と同時に。
トラさんは。
その脅威から俺を退ける為にその手段を行使した────
「────龍宮!!!!」
「はい……ッッ!!」
すぐに体勢を立て直し……
そして俺達は同時に
境内の奥……提灯と月の光が届かぬ深淵を纏う黒から。
かち、かち、と。
「…………
「……間違いありません…………!!」
巨大な
「────ッッ!!!!」
なぜここに、などと。
そんなものはすぐに胸中で鳴りを潜ませた。
──人、無し
──視界、悪し
──対峙、刃を伴う
──足場、良し
「
すぐにマナを掻き集めヤマトを行使。
その瞬きは、俺とトラさんの両方を
…………えも知れぬ島の在り方に、今は甘えておく。
「トラさん!! ……手伝ってもらえますか……ッッ!!」
「ったりめーだろ……高所と危険作業は二人以上って相場が決まってんだよ」
言いながら煙草を咥えるトラさんに、俺は頷きだけを返し──
────その一線に、蟷螂は大きく腕を振り下ろしながら強引に割り込んでくる。
「ッッ──!!!!」
躱す──という行為に、意識のほとんどを持っていかれる。
それ程に、アレの
「──くれてッッやらぁああ!!!!」
蟷螂を挟み向かいからトラさんが叫ぶ。
……その手には、オドに染められた巨大な
ずどん────
と、地鳴りにも近い響きを生じさせるその衝撃は体現する力を誇示するかのように……
一本、そのヤマトは蟷螂の後脚を叩き潰して観せた。
「ッッしゃあ!! 這いつくばってろ虫
「──トラさん!!!!」
蟷螂はその大きな複眼をぎょろりと動かし、瞬時に彼を捉えた。
足を失った事によるバランスの崩れをそのまま利用、回転し──
「────ぶっっ!?」
蟷螂は、トラさんの顔面に展開した羽根を打ち付けた。
「トラさん……!!!! くっっ──」
その光景をただ黙って眺めているわけにはいかない。
咄嗟に次のヤマトを生成しようとして──
「────てめェ」
口端から垂れ落ちる血を無視し、トラさんは蟷螂に向き直っていた。
「なに人の
そして蟷螂の
──奴の肢体が揺れる。
そのまま尻もちを着いたトラさんを端に収め……俺は
「ぎッッ────!!!!」
右手に
それは幾重にも束ねられ、閃光の渦として俺の手を渦巻きながら染め上げていく。
ばちばちと音を鳴らす明滅を拝む蟷螂は、頭をフラつかせながらこちらへ刃を振りかぶり──
────ぱん、と。
一瞬だけ、その音は響く。
結果として表面化する事象は、
──俺の
「ッッ────!!!!」
間髪を入れず、次に定めた頭蓋へ向けて再度拳を伸ばす。
────瞬間
ぶぶぶぶ、と断続的に何かが震える音が辺りに響き渡る。
所以はすぐに理解。
蟷螂は羽根を全て展開し、その場で瞬時に浮遊し始めたのだ。
俺の拳は、空間をなぞるだけになる。
「野郎ォ……何する気──」
その姿を仰ぐトラさんが全てを言い切る前に、奴は俺を横切り──鳥居の方向へ飛翔する。
「なっ──!?」
そのスピードにも驚かされたが、次に視界へ映り込んだモノは……俺に巡る血を一瞬で冷やし尽くした。
────今まさに、鳥居を潜らんとする真衣さんが……そこに居たからだ。
「──真衣さんッッ!!!!!!」
半ば条件反射でその名を口にするが──既に蟷螂は残された
────そしてその脅威は、振り下ろされる事は無かった。
「ッッ──!?」
降ろされた腕は強引に再び天を仰ぎ……自身も予想していなかったのか、蟷螂の動きが一瞬硬直していた。
そしてその刻は、ひとつの掛け声と共に斬り裂かれる──
「────せっっ!!!!」
真衣さんは脚を大きく上段へ掲げ、そのまま振り切る。
同時に脇へ吹き飛ばされる蟷螂はざざざ、と地面を擦り続けた。
……その間に彼女は、こちらへ駆けてくる。
「──事情は後で伺いますが、とりあえず不審者は
「っっ……真衣さん、その」
「……龍宮待て、とりあえず
目の前で起きた
……ただ、トラさんの言葉で今は我を戻す。
真衣さんも、それを以て俺達と同じ方向を臨んだ。
────起き上がった蟷螂は、いよいよ殺意でその身を染め上げる。
広がる羽根は歪に駆動を繰り返し、破壊したはずの腕と足は再生をし始めていた。
月明かりに反射する複眼は、俺達を完全に移し込み…………
こちらへ、疾駆を始めた。
「……許さない」
その姿を収めた真衣さんは、それだけを零す。
「
それは、今日を通して一度も見た事の無い彼女の表情。
迫る驚異は全てに時間を与えない。
俺は一言だけ、彼女に言った。
「
そして彼女は、俺の問いを鼻で笑いながら──
「はい。
────その意思へ向け、構えた。