【Tー⑫】The Oath fragment -Theo-
文字数 11,366文字
──じじ、と音が鳴った。
煩わしさよりも疑問が先に過る。
音の所在は、自身の頭の中にあったからだ。
『……ノイズ?』
例えるならば、そ れ 。
思考を巡らせると同時に、また別の音が響いた。
……ノ イ ズ に抱いたほんの少しの疑問はいとも簡単に掻き消される。
──ごと。
何かが落下したような音。
僅かな振動と共に背後から鳴ったそれは、俺の耳を打ち付ける。
……振り返ろうかと思ったが、先に自らを支配したのは別の要因だった。
暗い。
そこかしこに小さな星の様な光源は確認できるが……あまりにも脆弱。
顔に近付けた手の輪郭が、ぼんやりと把握できる程度でしかない。
僅かな冷やかさを伴った空気は、この空間へ施された陰を助長させていく。
……そこまでを認め、ようやく踵を返す。
歩を進める度に地面が足の裏を打つ感覚はあった。
前へ進んでいるのかすら定かではないが、俺は先程の音の出処へ近付いていく。
体感で十歩ほど進んだ時に、つま先に何かがぶつかった。
きっとそれが目的のモノなのだろうと、俺は屈んで拾い上げようとする。
それなりに重量がある。
だが、手のひらに幾重にも伸びる細い糸の様な感触を覚え……持ち易くはあった。
掴み込み、未だ淀む視界に抵抗すべくそれを自らの顔の前まで近付ける。
目が合った。
……目?
ああ、そうか。
他にも鼻、口……細い眉に穴の空いた耳。
そして俺が掴み込んでいたのは……どうやら髪の毛のようで。目を凝らせば、それは金色を携えているようにも伺えた。
…………それらの要素を合わせてみると、こ れ は。
見知った顔、というよりは。
──見知った首だった。
こ の 状 態 になって尚命を散らさずにいる事は、人間として生を受けた以上難しいだろう。
瞳の状態や唇の色、切断面の様子──それらをはっきりと視認する事は出来ないが。
……その摂理に従っているのではと、容易に想像出来た。
よって。
俺は今彼 の生首を片手で持ち上げながら自身の顔面で覗き込み、その様子を伺っているという事になる。
こんな時は、こういう顔をすればいいはずだ
「ト、トラさん……ッッ!?」
思わず顔を背けたくなる様なその惨状に 、俺は発した言葉と共に狼狽する 。
──そして、その意識は瞬く間に掻き消される。
視線の奥に蠢く歪 みが突如生まれ、こちらへ飛び掛かってきたからだ。
暗闇を纏ったその姿は視界に収まるはずがないのに……まるで空間そのものが切り取られ、そのまま迫ってくるようで。
俺は掴んでいた首を放り投げ、身を翻した。
脇を通り過ぎ去っていったそれは途中で直進を止めて、こちらに向 き 直 る 。
……そう称した所以は、横目で追ったその存在が人間の形を成している事を把握したから。
黒に塗り潰されたシルエットはこの場所と相まってより深淵を施す。それでもこちらに対峙していると感じさせる圧力は、絶えずその身から放たれ続けていた。
その一端を担っているのは……手──と思われる部位に握られていた、一振の何か。
打ち付け、斬り裂き、貫き、突き立て…………恐らくそれらの願望を叶えるには充分であるのだろうと見受けられる、剣 の様なモノ。
…………ああ、きっとアレで──
「お前が……」
──だとしたら、こ う か。
「……お前がトラさんの事をッッ!!!!!!!!」
言いながら右手にマナを集中させる。
そして俺の呼び掛けに、身を煌々と輝かせながら応を返すのは……先程光源と認知していた周りの星々だった。
可視化されたマナ、とでも考えれば都合は付くが……そんな状態など見た事は無い。微かに面食らうが、しかしさほど気に留める要素ではない。
ただ、それによって様々な方向から照らされる空間は……やがてあちらの姿を明滅させた。
オニキスの様な黒を携えた髪は肩程にまで伸び、それが少しだけふわりと靡いて…………ブレた。
──その人物は再度、こちらに疾走する。
体付きからして恐らく女、そして馴染みのない衣服に身を包んでいる。この暇 に判別できたのはそのくらい。
別にそれ以上観察しようとも思わないし、知る必要も無い。
俺が願うヤマトは顕現。
閃光を宿した右手と共に輝くマナは、俺自身と相手を照らした。
女の獲物が振るわれる。
横に凪いだ軌跡を途中で遮断、刀身に右手を打ち込んだ。
意に介さず女は身を翻し踵が先行する蹴りを放ってくる、上体を逸らしそれをいなした。
再度剣 を構えた女は、その切っ先をこちらに向けてくる。
そこから、ばちばちと火花を伴った赤が発現していた。
左手を翳す事で応じ氷の弾丸をイメージする。水が端々から凝固し、失くし、刻まれ、音を立て収束していく。
そして互いの意思は放たれる。
互いの射線をなぞり、阻む様に押し付け合う質量はその均衡を保つ事をやがて諦めていく。
跡に残るのは霧散したマナと僅かな靄だけ。
──その中心を破く様に直進を伴う女は、俺の眼前へと迫る。
一度大きく踏み込んだ後に剣、脚、拳を入り乱れさせこちらへ繰り出し続けた。
恐らく。
積み上げてきたモノの結果として在るのだろうそ れ ら は、なるほど。
単純な力比べであれば分を譲る事になるのかもしれないが、迷いの無い所作とそれを行使する心意気が仕上がっているのだろうと察する。
……決して生半可な生き様ではない。もし出会う場が違ったのならば、また別のやり取りが出来たのかもしれないと感じる。
────だが。
がちん、とあちらの獲物が弾かれる音が空間に響く。
同時に点をイメージした風のヤマトをぶつけ、女との距離を強引に引き剥がした。
トラさんへの免罪符になりはしない ──
「ッッああああああああ!!!!」
マナの流動をさらに高めていく。
イメージするのは、自身の持ち得る最強。
脳内からつま先までそれを膨らませ、行き渡らせ、浸透させ、巡らせ、循環させ。やがて圧を帯びた思考はずるりと抜け落ちていく様にその場へ溢れかえる。
ヤマトとして成る光は俺の命を受け、自らの姿を鮮明にさせていった。
……俺 の周囲に一本、また一本と紫電を纏う閃光の剣が現れる。
秒針の刻みと同程度の増加速度であったそれは、本数が増える度にその頻度を上げていく。
やがて100を超えてから数えるのが面倒になり、やめた。
……幾数の雷光に照らされる女は……体勢を整える程度の時間はあったはずなのに、なぜかその場で蹲ったままだ。
しかし、そんな事はどうでもいい。
俺 は 俺 で あ る 為 に こ れ を 放 つ だ け だ 。
……それでも。
このえも知れぬ空間で出会った彼女へ、俺は最初で最後の贖罪 を送る。
『ごめん』
そして、全ての照準をあちらに合わせ。
俺は心の中でトリガーを引き──
「──雷 ────」
──遮断。
遮 断 される。
それは俺の発した言葉だけでは無い。
体……両の手足、瞳、呼吸までもが駆動を許されていなかった。
なんの前触れもなしに起きた事象に理解が遠のいて…………いや、この思考すら止まってしまうのではないか、とも感じる。
その考えを、動き続ける視界の光景がゆっくりと上書きしていく。
俺の止まったヤマトに呼応し続ける周囲のマナは煌々と輝きを放ち……あちらの姿を、ついにはっきりと明かした。
こつ、こつ、と足音を鳴らしながらこちらに近付いて来る女は……慈愛に満ちた表情を浮かべながら、手にした獲物────木刀を握り直す。
やがて。
その息遣いすら肌で感じる程に女は距離を縮め……俺の顔を躱し、あちらの黒髪が耳元へ触る。
……そして、彼女は小さく一言だけ呟いた。
「────また会おうね」
同時に振るわれた木刀は、俺の首元を目掛け────
────────────
「────龍宮さんっっ!!!!!!」
その声と共に、横からの衝撃を感じた。
瞬間……大きく揺れた視界に通り過ぎたのは一筋の軌跡。
その発生源を辿ると、一人の女性が何かをこちらに凪いだのだと判断出来た。
瞳だけをスライドさせ別の要因を視認。
──恐らく。
その身ごと俺を突き飛ばした真衣さんは、今 の を回避させる為そうしたのだと認める。
「────自己駆動力強化 !!」
真衣さんを抱えながらヤマトを発現させ、足元の軽さを覚えると同時に後方へ翔ぶ。
そしてずしゃ、と鳴る足音と共に着地した俺を見下ろしていたのは……巨大な鳥居だった。
──そうだ。
俺は真衣さんと共にこの神社へ赴き…………
「……真衣さん」
「はい」
「俺はどうなってた」
「……あ れ を見てから、完全に停止していましたよ」
俺の問いに顎で返す彼女の矛先には……どす黒く絡み合う糸の様なものをその身に施しながら、じっと佇んでいる人物がいる。
影と称す事も出来そうな程に輪郭の乏しいその姿を、俺と真衣さんは共通の認識を以って捉えた。
「……サヤカ」
「……沙華」
そう称した女 は手にした剣 の様なモノを数度素振り、こちらに意を向ける。
……もし先程真衣さんが身を挺していてくれなければ、俺はアレに刈り取られていたのだろうと想像するには容易かった。
「ありがとう、助かった」
「いいえ。……一体どうしたのですか」
「…………わからない」
「わからない?」
「目覚めは良い方でさ。何も覚えてない」
「おじいちゃんですか」
いよいよこちらに歩を進め始めたあちらに対し、俺達はそう交わしながら居直る。
女の纏う黒はさらに濃度を深め……その姿からは、幾度か対峙した異 物 を彷彿とさせた。
「どうして、あんな……」
「……ひとつだけ、わかった事があります」
「わかった事?」
「はい。……私と龍宮さんの中にあるサ ヤ カ は、同じであるという事が」
「…………なるほど」
「先程話した、貴方が沙華の名を耳にした時の様子の所以も……これではっきりしました」
女との距離が徐々に縮まっていく。
あちらが一歩踏み出す毎にその足元からは、水溜まりを踏み込んだ時の様な……黒く歪な飛沫が湧き上がる。
「…………話さなくちゃいけない事、増えそうだね」
「そうなりますね。ただ……」
「ん?」
「相変わらず男ウケ良さそうな顔に胸。沙華成分満載ではあるんですが……私には、ア レ が本人であるとはとても思えません」
「それは……」
「……龍宮さんはどうですか」
問われ、外さないままの視線をより強く……女の表情へぶつける。
……見間違うはずもない。
あ ち ら での俺の生きる意味、糧、光──それら全てが今……目の前に存在しているのだ。
「………………わからない」
「……そうですか」
「でも、俺は……っっ」
「…………何にせよ、本人に聞くしかないかもしれませんね」
そこで、張り詰めた空気はさらに軋んでいく。
何れかがひとつ踏み込めば……もはや合致は免れないところまで間合いは狭まっていた。
……あの人物が、サヤカであるのかどうか。可能ならその応えを今すぐにでも質したい。
二度と出逢う事は無いと、自分の中にしまい込んでいた。目の前で無惨な最期を迎えた彼女に対し、何も出来なかった事を謝りたかった。
俺に…………【 過剰なシークエンス 圧縮不可能 修正 修正 】を、もっと感謝したかった。
だが──
「真衣さん」
「はい」
「この時間、神社に人は」
「ほとんどありません……が、保証はしかねます」
「了解。……10秒だけ、頼む」
「わかりました。お互いやる事は変わらなさそうですね」
──あの溢れ出る殺意だけは、容認出来るものではない。
「ッッ────!!!!」
ひとつ呼吸を挟み、マナを急激に取り込んでいく。この島に点在するそれは俺の呼び掛けにすぐさま応じた。
同時に、真衣さんは相手に向かい駆け……曲線を描く様に脚をしならせそのまま放つ。
……女 はその動作に合わせ、軌道を遮るように同じく蹴りを打ち出した。
二人の交わす衝撃が音としてその場を切り裂いた時──こ ち ら の準備も整う。
「──強制空間停止・極 !!!!」
利き手を地面に覆い、ヤマトへ昇華させたマナを浸透させていく。
体現させた願いはこの神社を中心にした空間停止……この場を切り取り、俺 達 の 時 間 を 止 め る 。
マヤやオドに精通していない限り、これで外からの干渉はでき──
「──な…………っっ」
下から目線を外し、再度彼女達の方へ面を上げると……そこには不自然な光景が広がっていた。
……真衣さんが、宙に浮いている。
肉薄し相対しているはずの女 は地に足を着け、しかし彼女だけはその状態にあり……空中で留まっているのだ。
「────ッッ!!!!」
瞬間、俺は地面を蹴る。
目に映った情報を処理しきる前にその一手を選ばなければ……間 に 合 わ な い と判断。
真衣さんは両の手足、そして頭をだらりと垂らしながら──時折、びくびくと痙攣しているのが伺える。
そしてその腹部から背中にかけて…………女 の剣 が貫通していた。
同時に撒かれる血飛沫は、真衣さんの口から多量に吐き出され──
「自己駆動力強化・極 !!!!」
自身に圧力をかけ風を引き裂く。
瞬きを一度挟んだ次の眼前に真衣さんが収まった。
「自己治癒力促進 !!!!」
同時にその腹部へ治癒のヤマトを施しながら……
「収束暴風射出 !!!!!!」
穿かれた剣 と共に女 を後方へ吹き飛ばした。
ざん、ざん、と参道をなぞるように転げる彼女を尻目に……真衣さんの治療に集中する。
「──気を強く持て!! 落ちるなッッ!!!!」
「…………っっ……うあ……が…………あ、あっ……!!」
その青ざめた表情からは先程までの活力は見受けられない。脂汗を浮かべ、虚ろな瞳は焦点が合っておらず、歯をがちがちと噛み合わせながら……ただひたすらに痛みを堪えている。
さらに強く、自己治癒力促進 の力を込めていく。
溢れんばかりのマナを一点に集中させ、風穴の空いた体をイメージの基へ落とす。
──もう目の前で誰かを死なせたくない 。
……少しずつ、彼女を構成するモノが芽吹きの様を観せる。穴はゆっくりと閉じていき、彼女の顔に僅かな赤みが戻っていく。
一度だけ大きく咳き込んだ後、彼女の視線が俺の目と合致し……その震える唇を動かした。
「……ん……っっ……た、龍宮さん……」
「真衣さん……!!」
「すみ……ません。本当に、10秒しか……稼げないとは」
「いいから」
「沙華とは、何度かケンカもした事あったんですが……ここまでのは初めて、でしたね」
「そっか」
「あとで仕返し、しておきます……」
「程々にね」
交わしながら、俺達の視線は一方向に移る。
吹き飛ばされた道筋をそのまま戻る様に……女 がこちらへ向かって歩を進めていた。
……この程度の口がきけるのならもう動かしても大丈夫だろうと判断し、俺は真衣さんを抱え足早に境内の周りに茂る木々の下へ向かう。
最中、もう一度だけ治癒のヤマトを施しておく。
そして俺のその手に、彼女はそっと自らの指を重ね……小さく呟いた。
「…………龍宮さん」
「ん?」
「……気を付けて」
「……わかった」
それだけを応え、真衣さんをそっと木陰に降ろした。
……傷がある程度塞がったとはいえ、致死に近い衝撃を受けた事に対する精神的なショックは簡単に拭えはしないだろう。
────そ れ を為したのが彼女 である、という事実が……俺をどうしようもなく失意と焦燥に駆る。
「……なん、で…………ッッ!!」
変わらぬ歩調でこちらに進む女 へ──俺は漏れ出る感情を隠さぬまま、翔ぶ。
右手に雷 を込め、頭上からその矛先を突き立てた。
……女 はそれに合わせ剣 に軌跡を宿す。
俺と彼女の意思は点で交わり、行き場を失った営力は音を立てて弾ける──
「────ッッ!!!!」
着地と同時に大きく逸れた右手を無視し、足に移動させた雷 ごとあちらへ振りかぶる────が、ほぼ何のアクションもないまま女 はその場で大きく跳躍しそれを躱した。
凡そ十数メートル程はあるだろう上空を、その姿と共に収め──
「──閃熱光射出・極 ッッ!!!!」
突き出した両の掌に、願いを灯す。
撃ち貫けと命じた熱は直線を伴って女 へと突出。
……定めた矛先は、彼女の身を確実に覆う──
──ことは無いはずだ。
俺は放ったヤマトの行く末を無視し、すぐさま後方へ向き直る。
いた。
両腕に衝撃が走る。
……いや、両 腕 で 済 ん だ のならまだ良い。既に正拳を放っていた彼女 へ対し何とか防御の姿勢が間に合ったのだ。
「ッッ──ぐ……っっ……!!」
それでも、通 る 。
止めたはずの拳は俺の体を突き抜けて背中から抜けていく錯覚を生じさせた。
一瞬の目眩を悟られぬよう、せめて視線だけはあちらから外さないまま再度右手に雷 を、自らの身体に強化 を施した。
加速する神経に依存を任せ拳を放つ。
……しかし僅かな上体の逸らしと添えられた手で軌道を逸らされ、空 だけを斬る。
同時に女 は自身の纏う黒と共に体を反転し──
「がっっ…………!?」
次の瞬間側頭を襲う衝撃に眼前の距離感を見誤りそうになる。その発現を成したのは彼女の回し蹴りだったと理解──した時には、俺の視界にあちらの剣 の切っ先が覗いていた。
《──楽しいね、セ オ
そして、その音が耳に入る。
…………周りの雑音が全て掻き消され、この瞬間だけ理から外れたあらゆる駆動は彼女の口元だけを動かしている様な気さえした。
だがそれも……別の音で遮断される。
切っ先から発せられるばちばちという音を伴った赤色はやがてひとつの形を象り、放たれた。
「────ッッ」
腕に宿した雷 をそのまま防御として前方に掲げ──ゼロ距離で受け止めた彼女の炎 は、俺を後退 る事で均衡を保つ。
……やがて少しずつ質量を失くしていくそれは、一度完全に消失し──
────時間差で、もう一度弾けた。
「っっ…………」
焼け焦げた自らの腕に自己治癒力促進 を施しながら、空いた距離を臨む様にあちらへ視線を送る。
この独特なヤマト、稀有な体捌き。
…………俺をそちら で称した事……そして、声。
それら全て……アレがサヤカである、という事に拍車をかけていく。
「────あああああああああッッ!!!!!!!!」
しかしそ れ がどうであれやる事は変わらない──と、自分に深く言い聞かせる。
既に実害は出ているんだ、仮にそ う だったとして……先ずあちらを沈黙させなければ何も為す事は出来ない──!!!!
「ぐっっ……ああああ……ッッ!!!!」
……流転し、渦を巻き続けるマナを一点に掻き集め俺はひとつのイメージを命じていく。暴れ、飛び回り、霧散と凝縮を繰り返すそれらは行使に対する反応を示し続けた。
こ れ を発現させる事への負荷と困難を……否が応でも理解 らせる。
だが──
────この場所 なら、撃てる。
俺の望みは一本、また一本と紫電を纏う閃光の剣が現れる事で顕現していく。
周囲を覆うヤマトの流動は俺を内から切り刻み……それでも穿てと投じた意を汲み取らせ、矛先を女 へと向けた。
先程と同じ様に、ゆっくりとこちらへ歩を進める彼女の表情は伺えない。
俺の行動を意に返していないのか、それとも別の…………
「──サヤカ…………ッッ!!!!」
……いや、考えるな。つい今しがたやる事は変わらないと戒めたばかりだ。
より深くマナへの干渉を強め、剣の本数を増やしていく。固着したトリガーは一振一振へ多大に込められ…………その全ては、先の存在を殲滅せんと誓いを立て続けた。
やがて数十を超えるに至った閃光は……今か今かと、俺の発射命令を待つのみの状態となる。
「ッッ──」
一度だけ、こちらに寄る女 の顔を仰ぎ見た。
その表情は、柔らかな慈愛に満たされていて──
「────雷神剣射出 ッッ!!!!!!!!」
そして俺の呼応に、数多の剣は彼女へ向かい邁進を…………
──する事は無かった。
「え……」
俺の周囲へ浮かび続ける剣は……発現した時とは逆に一本、また一本とその姿を消失させていく。
マナが流動する力場はみるみるうちに弱まり、放たれていた紫電はブレーカーが落ちたかの様にぴたりと光を遮断させた。
…………残されたのは、ただ脱力のみが表面化した自分の体と──
「──ごッッ……!?」
サヤカの繰り出した蹴りが生じる、脇腹の痛みだけであった。
堪らず後方へ距離を取ろうとするが……ほんの数メートルのみの挙動で自身の脚は悲鳴を上げ、その場に膝を着いてしまう。
……それを。サヤカは先程と同じく表情を浮かべたまま見下ろし、ゆっくりと呟いた。
《…………上 手 に な っ た ね 、人 間 ら し さ
その音 は、俺の深層に突き刺さる。
ぐずぐずになったアイスクリームに、ステンレスのフォークを力強く抉り込む様な──
《前 のセオならあのまま撃てたかもしれないのに、頑張ったね。……でもそっか、死別したはずの昔の人が世界を跨いで突然現れた……なんて。絶好の機会だもんね》
「サヤ……カ……?」
《さっき真衣を助けてる時も、すごい必死な感じ強調してたみたいだったし。……もしかして好みだった?》
「何を、言って」
《あとなんだっけ……そうそう。社会人として、みたいなの、色々。先輩後輩上司部下、仕事の筋を通して、恥をかかせない、云々。……すごいね、笑っちゃった》
「え…………」
変わらぬ声色でこちらに投げ掛け続けるサヤカは、そこで。
唇が触れ合いそうになる程の距離まで顔を近付け……その瞳で、俺を容易く飲み込んだ。
《──ね、別になんとも思ってないよね?》
先程まで木々を揺らしていたはずの風はぴたりと止み…………代わりに、自分の心音とその言葉だけが俺の中に響き渡る。
《どうしてそんなこと、してるの》
《貴方から見たら、ヒトなんて取るに足らない存在だよね?》
《必死に怒ったり頑張ってるフリしなくても、いいんじゃないかな》
《本当の自分を偽り続けて生きていても、苦しいだけだよ》
《私にはわかるよ、隠しきれてないもん》
《貴方にとって、ほとんどの事がどうでもいい》
変わらぬ声色で俺に投げ掛け続ける彼女へ応を返す事の出来ない自身に、なぜかと問う。
……あろう事か、龍宮 はサヤカの声をもっと聞いていたい、という答えを持ってしまっていた。
《こ っ ち に馴染む為に頑張ってたんだよね》
《どうしようもない価値観の違いとか、押し殺して》
《それらしい言葉を選び続けて、それらしい行動を吟味し続けて》
《合意と同調に身を預けて、人間のやり取りに寄り添おうとしてたんだよね》
《色々なもの、引きずったまま》
彼女の羅列に合否を称える判断が……付くことは無い。
今はサヤカが俺を瞳に収め、俺に言葉を弄し、それが龍宮 へ向けられているという事自体に…………
《でもね……私だけはそんな貴方を受け入れる事が出来る》
《私だけは貴方の望むイメージを実現し続ける事が出来る》
《もう悩まなくていいんだよ》
《もう我慢しなくていいんだよ》
《無理に演じ続ける事もないんだよ》
やがてその声は、淡い雫となって俺の胸中へ落とし込まれる。蘇るのは後悔と……過ぎた過去。
……サヤカと共に歩んだあの日々を、掬い取る事の出来なかった無様なあの日を、せめて懺悔する事が可能ならば──
《ね……………帰ろう? セオ》
──そして。
両腕を大きく広げ小首を傾げて観せるサヤカに……俺は。こ ち ら での望みを天秤にかけ、同じ方向に傾く。
もう、サヤカがいればいいのではないか。
発せられたひとつひとつが俺と同化し……ひとつの光となっていく。
刺す瞳に一筋の軌跡を結び、自分が彼女を求めその意を乗せていると自覚したのと同時に……サヤカは口角を上げる。
その笑顔は────
────横に大きくブレた。
「な──ッッ!?」
そ う な っ た のは彼女の笑顔だけではなく、その体ごと地面を擦りながら吹き飛んでいく。
視線をずらすと、すぐ脇に見知った人物が立っていた。片足を大きく掲げたまま蹴 り 飛 ば し た サヤカへと睨みを効かせながら──
「──ト、トラさん……!?」
「うるせぇ喋んなタコ」
それだけを言い残し、着崩したスーツの上着を無造作に投げ捨てながら大きな足取りでサヤカへと近付いていく彼は……そのまま彼女の胸倉を強引に掴み上げた。
「デケぇ声でぎゃあぎゃあ喋くりやがって、頭ん中にガンガン響いてんだよ」
その言葉と同時に、鈍い音が通る。
……トラさんがそのままの体勢で、彼女に頭突きを見舞っていたからだ。
「……テメェ、俺の部下に何吹き込んでんだコラ」
再度、音が鳴る。
サヤカは掴まれた手を振りほどこうと抵抗をしているが……トラさんは、その繋がりを断つ事は決して無かった。
「揚げ足取れて嬉しくなっちまったか?自分 の事で頭いっぱいか? あ?」
もう一度鳴る。
トラさんの額からは鮮血が漏れ……それは彼の瞼を通過して頬に留まる。
……それを拭う事もせず、彼は境内に怒声を轟かせた。
「龍宮 の昔がどうだったかなんて……今の龍宮にゃ何の関係も無ぇんだよ!!!!」
「自分の生き様張る為に死ぬ気でヤる事の、どこがいけ好かねえってんだクソが……!!!!」
「本 当 の 自 分 とやらで過ごせなきゃガチじゃねえってか!? バカじゃねえのかテメェ!! ママゴトがしてぇならよそでやれや!!!!」
「見知らぬ地で自分の身一つで成り上がるのが簡単だと思うなよッッ!!!! ……それを、コケにしやがって……テメェ如きが龍宮の今を否定するなんざ──」
「──ちっとは社会勉強してこいやクソガキャァァァアアアアッッ!!!!!!!!」
ずどん、と地響きに近い衝撃が届く。
トラさんは……叫びと共に掴んだサヤカを地面に叩き付けた。
「龍宮ああぁぁぁ!!!!」
「は、はい……っっ!?」
そしてトラさんはこちらに向き直る。
……その瞳には、滴る血が涙の様に伝っていた。
「──テメェが命張ってまで守った女ってのは…………こんなクソアマなのかよ!!!! 答えろセオさんよぉ!!!!!!!!」
────その言葉を受けて。
俺は彼 女 へ、再度視線を送る。
………………覗くその顔は、少しづつ歪み。
先程までとは似ても似つかない……異形を携えた、ヒトではない別の生き物のそれに変わっていった。
────爬虫類。
恐らく、そう称するのが一番近い。
「………………」
その造形自体におぞましさは無い。
……ただ。
それが彼 女 かと問われれば──
「…………違い、ます」
「っっしゃおら」
俺の応えに、トラさんはようやくその表情に笑顔を張り付ける。
それと同時に、女 は大きな呻き声を上げながら……灰色に染まった瘴気の様なモノを放ち始めた。
《アアアアッッ──セオ……セオォォォオオオオオ!!!!!!!!》
そして俺 の名を呼びながら……その体躯は、みるみるうちに巨大になっていく。
……やがて首をもたげる程にまで膨張したその姿は、まるで────
「────龍 ……」
黒い、龍。
いつか見た、あ の 造形に近いと…………俺は深く感じた。
……響く地鳴りは心臓まで届く。
深紅の瞳から感じるプレッシャーは、足元を覚束せる。
ひとつ羽ばたけば、たちまちにその場を更地にしてしまうのでは……とも思う。
…………だが。
俺は、そこから目を背ける訳にはいかない。
《セォオオオ……カエル……イッショニ カエル…………ッッ》
「ひっでぇ女に捕まったな、おい」
「はは……」
「今日の酒の肴は決まったな、さっさと終わらせようぜ」
猛る龍を鼻で笑いながら、トラさんは俺に肩を回してきた。
……その後ろから、別の声が掛かる。
「私も混ぜて下さい。……ちゃっかりこんなイケメン彼氏を作りやがった経緯を、聞かなくてはいけないので」
横に並ぶ真衣さんも、対峙する龍へと視界を収める。
…………俺も再び龍を臨み、構えた。
自身に走るノ イ ズ は……彼女への何かを沸き立たせ。
それは、きっと俺が俺である為に必要な事であるのだろうとは考える。
それを、紛いだろうが何だろうが今この時に顕現したきっかけをくれたあ な た へ…………俺はもしかしたら感謝をしなくてはいけないのかもしれない。
《セオォォォオオオ……ワタシノ……ワタシノ、セオオォオ……オ……ッッ》
「だってよ」
「ん……」
トラさんが顎で指した存在に……心中で灯された僅かな耽りを認める。
それを焼き付けた果ての俺 に投げ打つのは、過ぎた光への渇望とも取れたが…………しかし。
……今 の俺にとって何が大事なのかは、揺るぎそうにない。
だから、ごめん──
「君の思い通りにはさせない 」
煩わしさよりも疑問が先に過る。
音の所在は、自身の頭の中にあったからだ。
『……ノイズ?』
例えるならば、
思考を巡らせると同時に、また別の音が響いた。
……
──ごと。
何かが落下したような音。
僅かな振動と共に背後から鳴ったそれは、俺の耳を打ち付ける。
……振り返ろうかと思ったが、先に自らを支配したのは別の要因だった。
暗い。
そこかしこに小さな星の様な光源は確認できるが……あまりにも脆弱。
顔に近付けた手の輪郭が、ぼんやりと把握できる程度でしかない。
僅かな冷やかさを伴った空気は、この空間へ施された陰を助長させていく。
……そこまでを認め、ようやく踵を返す。
歩を進める度に地面が足の裏を打つ感覚はあった。
前へ進んでいるのかすら定かではないが、俺は先程の音の出処へ近付いていく。
体感で十歩ほど進んだ時に、つま先に何かがぶつかった。
きっとそれが目的のモノなのだろうと、俺は屈んで拾い上げようとする。
それなりに重量がある。
だが、手のひらに幾重にも伸びる細い糸の様な感触を覚え……持ち易くはあった。
掴み込み、未だ淀む視界に抵抗すべくそれを自らの顔の前まで近付ける。
目が合った。
……目?
ああ、そうか。
他にも鼻、口……細い眉に穴の空いた耳。
そして俺が掴み込んでいたのは……どうやら髪の毛のようで。目を凝らせば、それは金色を携えているようにも伺えた。
…………それらの要素を合わせてみると、
見知った顔、というよりは。
──見知った首だった。
瞳の状態や唇の色、切断面の様子──それらをはっきりと視認する事は出来ないが。
……その摂理に従っているのではと、容易に想像出来た。
よって。
俺は今
「ト、トラさん……ッッ!?」
──そして、その意識は瞬く間に掻き消される。
視線の奥に蠢く
暗闇を纏ったその姿は視界に収まるはずがないのに……まるで空間そのものが切り取られ、そのまま迫ってくるようで。
俺は掴んでいた首を放り投げ、身を翻した。
脇を通り過ぎ去っていったそれは途中で直進を止めて、こちらに
……そう称した所以は、横目で追ったその存在が人間の形を成している事を把握したから。
黒に塗り潰されたシルエットはこの場所と相まってより深淵を施す。それでもこちらに対峙していると感じさせる圧力は、絶えずその身から放たれ続けていた。
その一端を担っているのは……手──と思われる部位に握られていた、一振の何か。
打ち付け、斬り裂き、貫き、突き立て…………恐らくそれらの願望を叶えるには充分であるのだろうと見受けられる、
…………ああ、きっとアレで──
「お前が……」
──だとしたら、
「……お前がトラさんの事をッッ!!!!!!!!」
言いながら右手にマナを集中させる。
そして俺の呼び掛けに、身を煌々と輝かせながら応を返すのは……先程光源と認知していた周りの星々だった。
可視化されたマナ、とでも考えれば都合は付くが……そんな状態など見た事は無い。微かに面食らうが、しかしさほど気に留める要素ではない。
ただ、それによって様々な方向から照らされる空間は……やがてあちらの姿を明滅させた。
オニキスの様な黒を携えた髪は肩程にまで伸び、それが少しだけふわりと靡いて…………ブレた。
──その人物は再度、こちらに疾走する。
体付きからして恐らく女、そして馴染みのない衣服に身を包んでいる。この
別にそれ以上観察しようとも思わないし、知る必要も無い。
俺が願うヤマトは顕現。
閃光を宿した右手と共に輝くマナは、俺自身と相手を照らした。
女の獲物が振るわれる。
横に凪いだ軌跡を途中で遮断、刀身に右手を打ち込んだ。
意に介さず女は身を翻し踵が先行する蹴りを放ってくる、上体を逸らしそれをいなした。
再度
そこから、ばちばちと火花を伴った赤が発現していた。
左手を翳す事で応じ氷の弾丸をイメージする。水が端々から凝固し、失くし、刻まれ、音を立て収束していく。
そして互いの意思は放たれる。
互いの射線をなぞり、阻む様に押し付け合う質量はその均衡を保つ事をやがて諦めていく。
跡に残るのは霧散したマナと僅かな靄だけ。
──その中心を破く様に直進を伴う女は、俺の眼前へと迫る。
一度大きく踏み込んだ後に剣、脚、拳を入り乱れさせこちらへ繰り出し続けた。
恐らく。
積み上げてきたモノの結果として在るのだろう
単純な力比べであれば分を譲る事になるのかもしれないが、迷いの無い所作とそれを行使する心意気が仕上がっているのだろうと察する。
……決して生半可な生き様ではない。もし出会う場が違ったのならば、また別のやり取りが出来たのかもしれないと感じる。
────だが。
がちん、とあちらの獲物が弾かれる音が空間に響く。
同時に点をイメージした風のヤマトをぶつけ、女との距離を強引に引き剥がした。
「ッッああああああああ!!!!」
マナの流動をさらに高めていく。
イメージするのは、自身の持ち得る最強。
脳内からつま先までそれを膨らませ、行き渡らせ、浸透させ、巡らせ、循環させ。やがて圧を帯びた思考はずるりと抜け落ちていく様にその場へ溢れかえる。
ヤマトとして成る光は俺の命を受け、自らの姿を鮮明にさせていった。
……
秒針の刻みと同程度の増加速度であったそれは、本数が増える度にその頻度を上げていく。
やがて100を超えてから数えるのが面倒になり、やめた。
……幾数の雷光に照らされる女は……体勢を整える程度の時間はあったはずなのに、なぜかその場で蹲ったままだ。
しかし、そんな事はどうでもいい。
……それでも。
このえも知れぬ空間で出会った彼女へ、俺は最初で最後の
『ごめん』
そして、全ての照準をあちらに合わせ。
俺は心の中でトリガーを引き──
「──
──遮断。
それは俺の発した言葉だけでは無い。
体……両の手足、瞳、呼吸までもが駆動を許されていなかった。
なんの前触れもなしに起きた事象に理解が遠のいて…………いや、この思考すら止まってしまうのではないか、とも感じる。
その考えを、動き続ける視界の光景がゆっくりと上書きしていく。
俺の止まったヤマトに呼応し続ける周囲のマナは煌々と輝きを放ち……あちらの姿を、ついにはっきりと明かした。
こつ、こつ、と足音を鳴らしながらこちらに近付いて来る女は……慈愛に満ちた表情を浮かべながら、手にした獲物────木刀を握り直す。
やがて。
その息遣いすら肌で感じる程に女は距離を縮め……俺の顔を躱し、あちらの黒髪が耳元へ触る。
……そして、彼女は小さく一言だけ呟いた。
「────また会おうね」
同時に振るわれた木刀は、俺の首元を目掛け────
────────────
「────龍宮さんっっ!!!!!!」
その声と共に、横からの衝撃を感じた。
瞬間……大きく揺れた視界に通り過ぎたのは一筋の軌跡。
その発生源を辿ると、一人の女性が何かをこちらに凪いだのだと判断出来た。
瞳だけをスライドさせ別の要因を視認。
──恐らく。
その身ごと俺を突き飛ばした真衣さんは、
「────
真衣さんを抱えながらヤマトを発現させ、足元の軽さを覚えると同時に後方へ翔ぶ。
そしてずしゃ、と鳴る足音と共に着地した俺を見下ろしていたのは……巨大な鳥居だった。
──そうだ。
俺は真衣さんと共にこの神社へ赴き…………
「……真衣さん」
「はい」
「俺はどうなってた」
「……
俺の問いに顎で返す彼女の矛先には……どす黒く絡み合う糸の様なものをその身に施しながら、じっと佇んでいる人物がいる。
影と称す事も出来そうな程に輪郭の乏しいその姿を、俺と真衣さんは共通の認識を以って捉えた。
「……サヤカ」
「……沙華」
そう称した
……もし先程真衣さんが身を挺していてくれなければ、俺はアレに刈り取られていたのだろうと想像するには容易かった。
「ありがとう、助かった」
「いいえ。……一体どうしたのですか」
「…………わからない」
「わからない?」
「目覚めは良い方でさ。何も覚えてない」
「おじいちゃんですか」
いよいよこちらに歩を進め始めたあちらに対し、俺達はそう交わしながら居直る。
女の纏う黒はさらに濃度を深め……その姿からは、幾度か対峙した
「どうして、あんな……」
「……ひとつだけ、わかった事があります」
「わかった事?」
「はい。……私と龍宮さんの中にある
「…………なるほど」
「先程話した、貴方が沙華の名を耳にした時の様子の所以も……これではっきりしました」
女との距離が徐々に縮まっていく。
あちらが一歩踏み出す毎にその足元からは、水溜まりを踏み込んだ時の様な……黒く歪な飛沫が湧き上がる。
「…………話さなくちゃいけない事、増えそうだね」
「そうなりますね。ただ……」
「ん?」
「相変わらず男ウケ良さそうな顔に胸。沙華成分満載ではあるんですが……私には、
「それは……」
「……龍宮さんはどうですか」
問われ、外さないままの視線をより強く……女の表情へぶつける。
……見間違うはずもない。
「………………わからない」
「……そうですか」
「でも、俺は……っっ」
「…………何にせよ、本人に聞くしかないかもしれませんね」
そこで、張り詰めた空気はさらに軋んでいく。
何れかがひとつ踏み込めば……もはや合致は免れないところまで間合いは狭まっていた。
……あの人物が、サヤカであるのかどうか。可能ならその応えを今すぐにでも質したい。
二度と出逢う事は無いと、自分の中にしまい込んでいた。目の前で無惨な最期を迎えた彼女に対し、何も出来なかった事を謝りたかった。
俺に…………【 過剰なシークエンス 圧縮不可能 修正 修正 】を、もっと感謝したかった。
だが──
「真衣さん」
「はい」
「この時間、神社に人は」
「ほとんどありません……が、保証はしかねます」
「了解。……10秒だけ、頼む」
「わかりました。お互いやる事は変わらなさそうですね」
──あの溢れ出る殺意だけは、容認出来るものではない。
「ッッ────!!!!」
ひとつ呼吸を挟み、マナを急激に取り込んでいく。この島に点在するそれは俺の呼び掛けにすぐさま応じた。
同時に、真衣さんは相手に向かい駆け……曲線を描く様に脚をしならせそのまま放つ。
……
二人の交わす衝撃が音としてその場を切り裂いた時──
「──
利き手を地面に覆い、ヤマトへ昇華させたマナを浸透させていく。
体現させた願いはこの神社を中心にした空間停止……この場を切り取り、
マヤやオドに精通していない限り、これで外からの干渉はでき──
「──な…………っっ」
下から目線を外し、再度彼女達の方へ面を上げると……そこには不自然な光景が広がっていた。
……真衣さんが、宙に浮いている。
肉薄し相対しているはずの
「────ッッ!!!!」
瞬間、俺は地面を蹴る。
目に映った情報を処理しきる前にその一手を選ばなければ……
真衣さんは両の手足、そして頭をだらりと垂らしながら──時折、びくびくと痙攣しているのが伺える。
そしてその腹部から背中にかけて…………
同時に撒かれる血飛沫は、真衣さんの口から多量に吐き出され──
「
自身に圧力をかけ風を引き裂く。
瞬きを一度挟んだ次の眼前に真衣さんが収まった。
「
同時にその腹部へ治癒のヤマトを施しながら……
「
穿かれた
ざん、ざん、と参道をなぞるように転げる彼女を尻目に……真衣さんの治療に集中する。
「──気を強く持て!! 落ちるなッッ!!!!」
「…………っっ……うあ……が…………あ、あっ……!!」
その青ざめた表情からは先程までの活力は見受けられない。脂汗を浮かべ、虚ろな瞳は焦点が合っておらず、歯をがちがちと噛み合わせながら……ただひたすらに痛みを堪えている。
さらに強く、
溢れんばかりのマナを一点に集中させ、風穴の空いた体をイメージの基へ落とす。
──
……少しずつ、彼女を構成するモノが芽吹きの様を観せる。穴はゆっくりと閉じていき、彼女の顔に僅かな赤みが戻っていく。
一度だけ大きく咳き込んだ後、彼女の視線が俺の目と合致し……その震える唇を動かした。
「……ん……っっ……た、龍宮さん……」
「真衣さん……!!」
「すみ……ません。本当に、10秒しか……稼げないとは」
「いいから」
「沙華とは、何度かケンカもした事あったんですが……ここまでのは初めて、でしたね」
「そっか」
「あとで仕返し、しておきます……」
「程々にね」
交わしながら、俺達の視線は一方向に移る。
吹き飛ばされた道筋をそのまま戻る様に……
……この程度の口がきけるのならもう動かしても大丈夫だろうと判断し、俺は真衣さんを抱え足早に境内の周りに茂る木々の下へ向かう。
最中、もう一度だけ治癒のヤマトを施しておく。
そして俺のその手に、彼女はそっと自らの指を重ね……小さく呟いた。
「…………龍宮さん」
「ん?」
「……気を付けて」
「……わかった」
それだけを応え、真衣さんをそっと木陰に降ろした。
……傷がある程度塞がったとはいえ、致死に近い衝撃を受けた事に対する精神的なショックは簡単に拭えはしないだろう。
────
「……なん、で…………ッッ!!」
変わらぬ歩調でこちらに進む
右手に
……
俺と彼女の意思は点で交わり、行き場を失った営力は音を立てて弾ける──
「────ッッ!!!!」
着地と同時に大きく逸れた右手を無視し、足に移動させた
凡そ十数メートル程はあるだろう上空を、その姿と共に収め──
「──
突き出した両の掌に、願いを灯す。
撃ち貫けと命じた熱は直線を伴って
……定めた矛先は、彼女の身を確実に覆う──
──ことは無いはずだ。
俺は放ったヤマトの行く末を無視し、すぐさま後方へ向き直る。
いた。
両腕に衝撃が走る。
……いや、
「ッッ──ぐ……っっ……!!」
それでも、
止めたはずの拳は俺の体を突き抜けて背中から抜けていく錯覚を生じさせた。
一瞬の目眩を悟られぬよう、せめて視線だけはあちらから外さないまま再度右手に
加速する神経に依存を任せ拳を放つ。
……しかし僅かな上体の逸らしと添えられた手で軌道を逸らされ、
同時に
「がっっ…………!?」
次の瞬間側頭を襲う衝撃に眼前の距離感を見誤りそうになる。その発現を成したのは彼女の回し蹴りだったと理解──した時には、俺の視界にあちらの
《──楽しいね、
そして、その音が耳に入る。
…………周りの雑音が全て掻き消され、この瞬間だけ理から外れたあらゆる駆動は彼女の口元だけを動かしている様な気さえした。
だがそれも……別の音で遮断される。
切っ先から発せられるばちばちという音を伴った赤色はやがてひとつの形を象り、放たれた。
「────ッッ」
腕に宿した
……やがて少しずつ質量を失くしていくそれは、一度完全に消失し──
────時間差で、もう一度弾けた。
「っっ…………」
焼け焦げた自らの腕に
この独特なヤマト、稀有な体捌き。
…………俺を
それら全て……アレがサヤカである、という事に拍車をかけていく。
「────あああああああああッッ!!!!!!!!」
しかし
既に実害は出ているんだ、仮に
「ぐっっ……ああああ……ッッ!!!!」
……流転し、渦を巻き続けるマナを一点に掻き集め俺はひとつのイメージを命じていく。暴れ、飛び回り、霧散と凝縮を繰り返すそれらは行使に対する反応を示し続けた。
だが──
────この
俺の望みは一本、また一本と紫電を纏う閃光の剣が現れる事で顕現していく。
周囲を覆うヤマトの流動は俺を内から切り刻み……それでも穿てと投じた意を汲み取らせ、矛先を
先程と同じ様に、ゆっくりとこちらへ歩を進める彼女の表情は伺えない。
俺の行動を意に返していないのか、それとも別の…………
「──サヤカ…………ッッ!!!!」
……いや、考えるな。つい今しがたやる事は変わらないと戒めたばかりだ。
より深くマナへの干渉を強め、剣の本数を増やしていく。固着したトリガーは一振一振へ多大に込められ…………その全ては、先の存在を殲滅せんと誓いを立て続けた。
やがて数十を超えるに至った閃光は……今か今かと、俺の発射命令を待つのみの状態となる。
「ッッ──」
一度だけ、こちらに寄る
その表情は、柔らかな慈愛に満たされていて──
「────
そして俺の呼応に、数多の剣は彼女へ向かい邁進を…………
──する事は無かった。
「え……」
俺の周囲へ浮かび続ける剣は……発現した時とは逆に一本、また一本とその姿を消失させていく。
マナが流動する力場はみるみるうちに弱まり、放たれていた紫電はブレーカーが落ちたかの様にぴたりと光を遮断させた。
…………残されたのは、ただ脱力のみが表面化した自分の体と──
「──ごッッ……!?」
サヤカの繰り出した蹴りが生じる、脇腹の痛みだけであった。
堪らず後方へ距離を取ろうとするが……ほんの数メートルのみの挙動で自身の脚は悲鳴を上げ、その場に膝を着いてしまう。
……それを。サヤカは先程と同じく表情を浮かべたまま見下ろし、ゆっくりと呟いた。
《…………
その
ぐずぐずになったアイスクリームに、ステンレスのフォークを力強く抉り込む様な──
《
「サヤ……カ……?」
《さっき真衣を助けてる時も、すごい必死な感じ強調してたみたいだったし。……もしかして好みだった?》
「何を、言って」
《あとなんだっけ……そうそう。社会人として、みたいなの、色々。先輩後輩上司部下、仕事の筋を通して、恥をかかせない、云々。……すごいね、笑っちゃった》
「え…………」
変わらぬ声色でこちらに投げ掛け続けるサヤカは、そこで。
唇が触れ合いそうになる程の距離まで顔を近付け……その瞳で、俺を容易く飲み込んだ。
《──ね、別になんとも思ってないよね?》
先程まで木々を揺らしていたはずの風はぴたりと止み…………代わりに、自分の心音とその言葉だけが俺の中に響き渡る。
《どうしてそんなこと、してるの》
《貴方から見たら、ヒトなんて取るに足らない存在だよね?》
《必死に怒ったり頑張ってるフリしなくても、いいんじゃないかな》
《本当の自分を偽り続けて生きていても、苦しいだけだよ》
《私にはわかるよ、隠しきれてないもん》
《貴方にとって、ほとんどの事がどうでもいい》
変わらぬ声色で俺に投げ掛け続ける彼女へ応を返す事の出来ない自身に、なぜかと問う。
……あろう事か、
《
《どうしようもない価値観の違いとか、押し殺して》
《それらしい言葉を選び続けて、それらしい行動を吟味し続けて》
《合意と同調に身を預けて、人間のやり取りに寄り添おうとしてたんだよね》
《色々なもの、引きずったまま》
彼女の羅列に合否を称える判断が……付くことは無い。
今はサヤカが俺を瞳に収め、俺に言葉を弄し、それが
《でもね……私だけはそんな貴方を受け入れる事が出来る》
《私だけは貴方の望むイメージを実現し続ける事が出来る》
《もう悩まなくていいんだよ》
《もう我慢しなくていいんだよ》
《無理に演じ続ける事もないんだよ》
やがてその声は、淡い雫となって俺の胸中へ落とし込まれる。蘇るのは後悔と……過ぎた過去。
……サヤカと共に歩んだあの日々を、掬い取る事の出来なかった無様なあの日を、せめて懺悔する事が可能ならば──
《ね……………帰ろう? セオ》
──そして。
両腕を大きく広げ小首を傾げて観せるサヤカに……俺は。
もう、サヤカがいればいいのではないか。
発せられたひとつひとつが俺と同化し……ひとつの光となっていく。
刺す瞳に一筋の軌跡を結び、自分が彼女を求めその意を乗せていると自覚したのと同時に……サヤカは口角を上げる。
その笑顔は────
────横に大きくブレた。
「な──ッッ!?」
視線をずらすと、すぐ脇に見知った人物が立っていた。片足を大きく掲げたまま
「──ト、トラさん……!?」
「うるせぇ喋んなタコ」
それだけを言い残し、着崩したスーツの上着を無造作に投げ捨てながら大きな足取りでサヤカへと近付いていく彼は……そのまま彼女の胸倉を強引に掴み上げた。
「デケぇ声でぎゃあぎゃあ喋くりやがって、頭ん中にガンガン響いてんだよ」
その言葉と同時に、鈍い音が通る。
……トラさんがそのままの体勢で、彼女に頭突きを見舞っていたからだ。
「……テメェ、俺の部下に何吹き込んでんだコラ」
再度、音が鳴る。
サヤカは掴まれた手を振りほどこうと抵抗をしているが……トラさんは、その繋がりを断つ事は決して無かった。
「揚げ足取れて嬉しくなっちまったか?
もう一度鳴る。
トラさんの額からは鮮血が漏れ……それは彼の瞼を通過して頬に留まる。
……それを拭う事もせず、彼は境内に怒声を轟かせた。
「
「自分の生き様張る為に死ぬ気でヤる事の、どこがいけ好かねえってんだクソが……!!!!」
「
「見知らぬ地で自分の身一つで成り上がるのが簡単だと思うなよッッ!!!! ……それを、コケにしやがって……テメェ如きが龍宮の今を否定するなんざ──」
「──ちっとは社会勉強してこいやクソガキャァァァアアアアッッ!!!!!!!!」
ずどん、と地響きに近い衝撃が届く。
トラさんは……叫びと共に掴んだサヤカを地面に叩き付けた。
「龍宮ああぁぁぁ!!!!」
「は、はい……っっ!?」
そしてトラさんはこちらに向き直る。
……その瞳には、滴る血が涙の様に伝っていた。
「──テメェが命張ってまで守った女ってのは…………こんなクソアマなのかよ!!!! 答えろセオさんよぉ!!!!!!!!」
────その言葉を受けて。
俺は
………………覗くその顔は、少しづつ歪み。
先程までとは似ても似つかない……異形を携えた、ヒトではない別の生き物のそれに変わっていった。
────爬虫類。
恐らく、そう称するのが一番近い。
「………………」
その造形自体におぞましさは無い。
……ただ。
それが
「…………違い、ます」
「っっしゃおら」
俺の応えに、トラさんはようやくその表情に笑顔を張り付ける。
それと同時に、
《アアアアッッ──セオ……セオォォォオオオオオ!!!!!!!!》
そして
……やがて首をもたげる程にまで膨張したその姿は、まるで────
「────
黒い、龍。
いつか見た、
……響く地鳴りは心臓まで届く。
深紅の瞳から感じるプレッシャーは、足元を覚束せる。
ひとつ羽ばたけば、たちまちにその場を更地にしてしまうのでは……とも思う。
…………だが。
俺は、そこから目を背ける訳にはいかない。
《セォオオオ……カエル……イッショニ カエル…………ッッ》
「ひっでぇ女に捕まったな、おい」
「はは……」
「今日の酒の肴は決まったな、さっさと終わらせようぜ」
猛る龍を鼻で笑いながら、トラさんは俺に肩を回してきた。
……その後ろから、別の声が掛かる。
「私も混ぜて下さい。……ちゃっかりこんなイケメン彼氏を作りやがった経緯を、聞かなくてはいけないので」
横に並ぶ真衣さんも、対峙する龍へと視界を収める。
…………俺も再び龍を臨み、構えた。
自身に走る
それは、きっと俺が俺である為に必要な事であるのだろうとは考える。
それを、紛いだろうが何だろうが今この時に顕現したきっかけをくれた
《セオォォォオオオ……ワタシノ……ワタシノ、セオオォオ……オ……ッッ》
「だってよ」
「ん……」
トラさんが顎で指した存在に……心中で灯された僅かな耽りを認める。
それを焼き付けた果ての
……
だから、ごめん──
「