【Lー⑤】臨む光の眩しさと共に

文字数 5,899文字

「……んん…………」

 日差しが瞼を焼き付ける感覚に、私の意識は反応を示す。
 肌に触れる感触はとても柔らかく、思わずそのまま惰眠を貪りたくなる衝動に駆られる──



「────って……!!

 それはすぐに払拭される。
 なぜなら、私の脳裏に残る最後の映像が()()()対峙していた彼女が、覚えのある姿を見せたその瞬間であったから。

「あっっ……う……!!

 体を起こそうとした私に、それは悲鳴を上げる事で反応する。
 腹部を中心に、全身に亀裂が入ったような痛みが走った。

……むしろそれで目が覚める。

 ようやく広がった視界を見ると、私は覚えのない服を身にまといベッドで横になっていたようだ。

 さらに見渡すと、そこはまだ記憶に新しい空間の中。

 ここは────


「あ!! リ、リコリスさん……!!
「…………メイコちゃん」

──目を大きく見開き、そう言いながら現れた彼女の部屋だ。


「あああ良かったぁぁーーっっ!! リコリスさぁぁぁぁん!!
「メイコちゃおうっふ……ッッ」
 数メートルはあった距離をものの一瞬で詰めて私の懐に突撃してくる。
……かなり響いたけど、とりあえず我慢。

「うう……も、もう目を覚まさないのかと……っっ!!
「…………心配、かけちゃったみたいだね」

 私のお腹に埋めた顔をそのままぐりぐりと捻りながらそう言う彼女。
……少しだけ混じる涙声に、私は頭を撫でる事で返した。

「ぐすっ……もう、大丈夫なんですか?」
「うん、なんとか。メイコちゃんは平気?」

「私はもう全然っ、ぴんぴんしてます」
「そっか、良かった」
 ひとしきり私の手を堪能した彼女はベッドの脇に立ち直り、両手を万歳させて私に応えた。

「私よりもリコリスさんですよっ、丸二日も寝ていたんですよ……?」
「……そうだったんだ」

「はい。傷はある程度私のヤマトで塞がっていたので……後はリコリスさんが起きてくれればって感じだったんです」
「そっか。……本当にありがとう、メイコちゃん。いっぱい助けられちゃったね」

「な、何言ってるんですかっっ……リコリスさんがまたこうして……うっ……うええぇぇぇぇぇぇん良がっだよぉぉぉおお」

 再度私に触れる感触はとても暖かく。
 それだけで、彼女とまたこうしてやり取りが出来た事に深く喜びを覚えた。

 ただ、それだけの時間を眠りこけていた感覚が全く無い……身体を取り巻く倦怠感はそのせいだったのか。

 今着ている服……どうやって着せてくれたんだろう、とか。
 色々気になるところはあるけど。


……今は、それよりも先に聞いておきたい事がある。


「メイコちゃん」
「……はい?」


「…………レイナさんは……?」
「あ…………」


 それは私の意識が覚醒してからずっと脳裏にこびり付いていたモノ。
 見慣れぬ()()へと変貌を遂げたレイナさんの安否だ。
 先程も脳裏を過ぎったとおり、その姿を這者から元の彼女へと推移させたはず。


()()()、どうなったの……?」


 恐らく私の中の映像が()()で途切れているという事は、私が伏せたのはそのタイミングだったという事。

 這者としての立ち回りから私とメイコちゃんとの対峙の末、異常な煙を巻き上げながらその姿を現したレイナさんは……凡そまともな状態では無かったはず。

 そして、事の顛末を知り得ているのはその時に横にいたメイコちゃんだけだ。

……さらに言えば、レイナさんは彼女の母親。
 私なんかよりもずっと、その安否は第一にその頭にあったはずだ。


「…………そ、それは……」


 その彼女が、言葉を濁している。
 視線を決してこちらに合わせる事はなく。

「メイコちゃん……?」
「あ、あう……」

 ついにはこちらに背を向け、表情すらも伺えなくなった。

「……お願い、メイコちゃん。どうなったのか教えて」
「う、うう……っっ」

 そして漏れ始める彼女の嗚咽は…………


…………私に、()()()()()を連想させるにはあまりにも容易過ぎた。


「…………ま、まさか……!!

「あう……っっ……うううっっ…………」


…………なんという事だ。

──メイコちゃんが必死に駆け付けてくれた。
──私も、持てる力の全てを振り絞った。


 それが彼女を救う事には繋がらず。
……全て、無に帰したというのか。


「そんな……っっ!!

 身を預けているシーツを、思わず握り締めてしまう。

……レイナさんの優しい顔がすぐに浮かんでくる。

 短い時であったにも関わらず、私の中に大きくその存在を残していて。


 滲む心に、自然と在りし時の姿を映す彼女は────






「ああああんリコちゃぁぁーーーん!! 起きてるううぅぅうーーーー!!

「おうっふッッッッ!!


────私の腹部に突撃してきた。




「めっちゃ元気なんですよー」

……本当に良かったです、と。
 ()()()を携えたメイコちゃんがそれに続いた。





────────────

──────

───





「結界、ですか?」
「そ」

 先日も居させてもらっていた食卓で。
 レイナさんが用意してくれた食事を頂きながら、私はあの夜の事を彼女から聞いていた。


「リコちゃんにも話した通り、メイコ(うちの)が近場で這者と出逢っちゃったっていうのがちょっと気になっててね」
「……なるほど、それで結界の効力を確かめに行ったんですね」

「そゆこと。……ま、ついでに野暮用もあったんだけどね」

 野暮用。
 あの日、メイコちゃんと話していた彼女のお父さんの話を思い出す。

……這者に殺されたと、そう聞かされた。
 そのお墓参りを、レイナさんは定期的に行っているそうで。
 また、レイナさん自身もお父さんの事があってから這者やマナ、オドに関しての造詣を深めていったとの事。

…………それに関してはわざわざ今蒸し返す事でも無い、か。


「それで実際、結界の状態はどうだったんですか?」
「……かなり薄くなってた。あんな風になっているのは始めて見たね」

 カップを傾けながらそう呟くレイナさんの目は、少しだけ鋭くなる。

「だからさ、ちょっと補強をしようと思ってね」
「補強ですか」

「うん。それでかなり強めにマナを使ったわけ」
「なるほど」

 そこでひとつため息を吐き、レイナさんは続ける。


「そしたら、急に手足が一気に冷たくなってきた様な感覚に襲われてね。まるで自分のものじゃないような……なんて思っているうちにさ。…………完全に、何もわからなくなっちゃった」

「そう……なんですか」

……少しだけ震える彼女の指先は。
 決して語られる口調の様に軽いものではなかったのだろうと連想させた。

 それを表に出すまいとしてか、レイナさんは言葉を穏やかに紡ぎ続けた。

「何でそうなったのかもさっぱり分からないし……アタシも年相応に色々経験してきたつもりだったけど、さすがにこんなのは始めてだったなー」
「そ、それはまあ。そうですよね」

 ぐいっとカップの中身を飲み干しながら、彼女は笑ってみせる。
 その仕草に、レイナさんの()()をひしひしと感じた。


()()よりも、何よりも……さ」
「はい?」

 こちらに向き直り、彼女は正面から私を見据えた。


「…………リコちゃん、本当にありがとう。言葉だけじゃ伝えきれないくらい、心から感謝してる。アタシとメイコの為に、また体張ってくれたんだよね」

 あの子から聞いたよ、と。
 澄んだ瞳をこちらに向けながら言うレイナさんは、……優しく私の手を取った。


「……女の子がこんなにボロボロになって…………っっ、ごめんね…………ありがとうね…………っっ」


 自身に起きたとんでもない事に対しては最後までその()()を見せなかった彼女が。

…………私を案じたこの時に。
 ついに涙と共にその感情を溢れ出させた。

……本当に、優しい親子だった。


 取られた手を、こちらも握り返す。
 いいんですよと私が呟くと、レイナさんは静かに嗚咽を漏らすのだった。






「…………あ」

 視界の隅にメイコちゃんが覗く。
……本人は、ひどくばつが悪そうな表情を浮かべ。


「娘的にすごい気まずいタイミングでした」
 やっちまった、と顔に書いたままそう続けた。

「んっ…………っっ。……野暮だねこの子は、どうしたの?」
 鼻をすすり、目を拭い。
 ()()()()レイナさんへ戻り、メイコちゃんへそう返した。


「えっと、そろそろ準備終わるよ」
「そっか、了解」

 まるで業務報告でも済ますかの様に、目の前でやり取りを交わした親子。


「準備って、なんの?」


 軽い気持ちで聞いてみたその疑問は────



「この家を出る準備ですよ」



────予想もしない返答で締められた




────────────

──────

───




「…………本当に良かったの?」
「……はい。お母さんと話し合って決めたんで」

 また先日の様に、同じ部屋で床に就く私とメイコちゃん。
 もぞもぞと良い定置を探しながら、彼女は私へ返してくる。

「あとはリコリスさんがちゃんと元気になってくれれば、それでおっけーです」
「そっか。……私は大丈夫、今日休ませて貰えればもう明日には充分動けると思うから」

 先程、食卓でメイコちゃんが言っていた()()


…………それは、親子共々この家を空けて()に出るというものだった。


「突然だったね……」
「……そうかもしれません。けど、元々私が外に出たがっていたのも、お母さん知ってたみたいですし」

「そうなんだ」
「あの人には嘘つけないですね」

 お互いの小さな笑い声が重なる。


「ね、リコリスさん」
「なあに?」

「あの時聞きそびれちゃったんですけど……。リコリスさんの行きたい場所っていうのは、どこなんですか?」

 顔だけをこちらに向け、そう呟くメイコちゃん。
 そういえば、まだ伝えていなかった。


「えっとね。……実は、メイコちゃんと同じなんだ」
「えっっ……という事は」


「うん。…………始まりの島に、行きたいんだ」


 ()()を誰かに話したのは始めてだ。
 私が持っているただひとつの目的。


──元の世界へ帰る。


 その為に、私はそこへ行かなくてはならない。



「わーっそうだったんですねー、何だか嬉しいです」
「そうだね。……お互い、見付かるといいね」

 にこやかに応えるメイコちゃんに。
……そうなった経緯だとか、私の事とか……本当はゆっくりお話でもしてあげたいところだけど。

 もう、彼女達は旅に出てしまう。



「…………ちょうど良かったです」


「……ん?」

 小声でぽつりと呟いた彼女の言葉は、うまく聞き取る事ができず。
……それに意識を寄せているうちに、部屋の扉が静かに開かれた。


「アタシも混ぜなさい」
「お母さんっ」
「レイナさん」

 現れたのは、えらくセクシーなナイトウェアに身を包んだレイナさんだった。
……同性とはいえ目のやり場に困ります。


「二人で何楽しそうな事話してるの」
「リコリスさんの目的地が割れました」

「概要は」
「始まりの島ですボス」

「よろしい」

「どうしたんですか二人共」

 目まぐるしく言葉を交わしながら、レイナさんは私とメイコちゃんの間に身を置いた。


「リコちゃん、体は平気?」
「あ、はい。大丈夫です」

「ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます、そうさせてもらいますね」

 そのまま自然と川の字になった私達。
……挟まれているのがレイナさんというのが、少しだけ可笑しかった。


「お家……やっぱり出られるんですよね」
「うん。そうなるね」

「お世話になった身としては、少し寂しいです」
「あはは、そっか。有難い事だね。…………まあでも、こればっかりはね」

 月明かりに照らされたレイナさんの顔が、少しだけ憂いを帯びた様な気がした。


「というと……?」
「…………アタシが()()()()()の、色んな人にバレちゃってるみたいでね。……さすがに、ここに居続けるわけにもいかなくなっちゃった」
「……そうだったんですね」

……過ぎるのは、()()()最初に響いた断末魔にも近い咆哮。
 その音は否が応でもこの町の住人にその存在を知らしめ、その渦中にいた私達がその主要因だと考え付くのは自然な流れだ。

……もっと早く、あの場から離れていれば…………とも思ったが。
 過ぎた時に後悔を灯しても、それが過去を照らす事は一切無いだろう。


「それで、メイコ(この子)はせめてここに……とも思ったんだけど。……まだ目が離せなくてね」
「ふふ、なるほど」

「二人して暖かい目で見ないで下さい」

 レイナさんを挟んで、少しだけ唇を尖らせたメイコちゃんがこちらを仰ぐ。
 ……視界に収めた二つの顔は、やはり親子なのだなと思わせた。


「だからま、仕方ないね」
「仕方ないですね」

「そうですか……」

……そうして、再度彼女らに親子を感じた後。



…………そのまま。

 少しの切なさを携えたまま、恐らく最初で最後であろう三人での夜を明かした。




──────────

──────

───




「んんー……っっ」

 思い切り体を伸ばす。
 まだほんの少しだけ節々が痛むが、活動には充分に足る程に快復している。


「……お二人共、ありがとうございました」

 それを施してくれた相手に頭を下げる。
 対面する彼女達も出立の準備が整ったのか、揃って私と共に玄関先へ佇んでいた。

「いえいえとんでもないです」
「リコちゃんも準備OK?」

「はい、大丈夫です。本当にお世話になっちゃって……私……」


 いよいよ彼女達との別れだ。
……本当に、名残惜しい。

 私がこの道程を行き始めてから、ここまで誰かと関わったのは始めてだった。

 恐らく今後も……こんな出逢いは無いかもしれない。
 そう考えると。
 お互いに違う歩を進める事に、私は──


「──はいっ、これからも沢山お世話させて頂きますねーっ」
「そういう事。じゃあ出発だねリコちゃん!」

「…………えっっ!?

 沈む私に、二人からの言葉は大きく耳に刺さった。
……まだ、頭の処理が追い付いていない。


「え、えっと……?」

「お母さんは準備大丈夫なの?」
「ばっちり、サバイバル上等。…………()()()()()()も済ませてきた」

 そんな私を他所に二人は出立の意気込みを確かめ合う。
 狼狽えの色を隠し切れず、自分の口からはおかしな言葉しか出てこない。

「ふぁ……あの、あのっ」

「私達もご一緒しますよ、リコリスさんっ」
「……アタシ自身まだまだ勉強が足りないって感じてさ。できれば見聞を広めて、這者やヤマトについてもっと知らないといけないって思ったんだよね」

 その内容は、先程までの私を払拭させる。
 こちらを見つめる二人の瞳は、穏やかな光に満ちていた。



「行きましょう、リコリスさん──」
「行こうよ、リコちゃん──」




「「──一緒に、始まりの島へ」」





…………私は自分の世界へ帰りたい。
…………この無骨な【そら】に覆われた異世界から。

…………だからこの歩みを止める事は無い。

…………けどそれは。


…………彼女達と一緒に。



「───はいっ……!!



 行こう。




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