【Tー⑤】望む楔の輝きと共に

文字数 5,370文字

「……ん…………」

 淡い日差しが瞼を焼き付ける感覚に、俺の意識は反応を示す。
 肌に触れる感触はとても柔らかく、思わずそのまま惰眠を貪りたくなる衝動に駆られる──



「────ッッ……!!

 それはすぐに払拭される。
 なぜなら、俺の脳裏に残る最後の映像が()()()対峙していた彼がその自我を表面化させていた瞬間だったからだ。

「ぐっっ……う……!!

 体を起こそうとした俺に、それは悲鳴を上げる事で反応する。
 全身に亀裂が入ったような痛みが駆け抜けた。

……むしろそれで目が覚める。

 ようやく広がった視界を見ると。
 俺はあの時のままの作業着を身にまとい、ソファで横になっていたようだ。

 さらに見渡すと、そこはまだ見慣れた空間の中。

 ここは────



「おおーっ……目、覚めた?」
「しゃ、社長……っ」

 いつもの口調で現れた人の取り仕切る事務所……その仮眠室だった。


「いやー良かった、さすがに焦ったよ。救急車呼んどく?」
「……いえ、大丈夫ですよ」

 言われ、半身だけ起こす。
……多少の疲労感はもちろんあるが、そこまでの状態ではないと判断。

「……そっか、本当に何かあったら言いなね。全然労災でも構わないから」
「いえそんな、大袈裟ですよ」
 少しだけその言葉に笑みを返した。


「しかし二、三時間寝てたからね。そりゃ大袈裟にもなるよ」
「……そうだったんですか」

 替わる表情を携え俺を覗き込み続ける。
……如何せん仕事中の有事だ。
 その大小に関わらず、長の人間としては気にかけたくもなるのだろうとは思う。

「ご心配お掛けしました」
「ん、とりあえず大丈夫ならいいよ」

 その顔を普段のにこやかなものに移し、そう俺に返す。
 突如訪れた非日常は、その佇まいによって払拭されていく。

「…………社長」
「ん?」

 しかし、俺にはまだ欠けているものが多い。
 あの仕事場からどうやって俺はここまで帰ってきたのか、だとか。
 あの後どうなったのか、だとか。

 色々と確認したい事はあるが。


「…………トラさんはどこに……?」
「…………」

 それは俺の意識が覚醒してからずっと脳裏にこびり付いていたモノ。
……見慣れぬ()()へと変貌を遂げた、トラさんの安否だ。
 先程も過ぎったとおり、一度は自身を取り戻していたようにも伺えたが……

…………言葉を選ばずに言えば、俺よりも彼の方が会社にとっては有益をもたらす存在だ。
 社長にとってその安否は俺よりも、第一にその頭にあったはず。


「…………トラは……」

 その社長は、問われて口篭る。
 視線を決してこちらに合わせる事はなく。


「……社長?」
「…………ううむ」


 ついにはこちらへ背を向け、表情さえも伺えなくなった。


「……お願いします、社長。教えて下さい」
「…………」

「…………社長!!
「………っっ……」


 そして震え始める社長の肩は…………


…………俺に、()()()()()を連想させるにはあまりにも容易過ぎた。


「…………ま、まさか……!!

「……くっっ……う……っっ」


…………なんという事だ。

──トラさんが決死の意地を観せた。
──俺も、持てる()の全てを振り絞った。


 それが彼を救う事には繋がらず。
……全て、無に帰したというのか。


「くっ……そ…………!!!!

 身を預けているソファを、思わず殴り付けてしまう。


……トラさんの太陽の様な笑顔がすぐに浮かんでくる。

…………仕事のみならず。
 人として、社会人としてどうあるべきか。
 その模範と生き様を示し続けてくれた。

 俺の中に、大きくその存在を残している…………


 滲む心に、自然と在りし時の姿を映す彼は────







「あああああああーーーっっだづみ”や”だずげでええええええッッ」


────仕切りの向こうから、この世の終わりの様な声を上げながら半泣きで俺に迫ってきた。



「部下の体調管理怠慢、仕事道具の破損に現場管理不届き……。とんでもない量の始末書でね。こんなに机に齧り付いてるトラを見るの始めてで、面白くって」

 思い出したらつい笑いが止まらなかったよ、と。
……笑顔を携えた社長がそれに続いた。




────────────

──────

───




「味噌チャーシュー大のお客様ー?」
「はーいこっちっすーっ」

 注文の品を受け取るトラさんを、テーブルの向かいから眺める。
 次いで、俺の前にもチャーハンが置かれる。
……香ばしい匂いが鼻を掠めた。


──()()を終えたトラさんと共に、最寄りにある行き付けの定食屋へ来ていた俺達は。

 その道程で、何かやり取りを交わすわけでもなく──


「よっしゃ食おうぜ」
「はい、いただきます」

 そのまま。
 その言葉を皮切りに、互いの食を進めていく。

……不自然なまでに、黙々と。


「…………」
「…………」


 普段の豪快な食べっぷりは、どこかへなりを潜め。
 静かにその箸を運んでいく彼の所作は……

……しかし。
 今はかえってそれが、彼への口火を切らせる事を躊躇わせる。


「………わりぃ」
「えっ……」

 それを断ち切ったのはトラさんの方。
 放たれた一言は、ぽつりと謝罪の意を纏う。


「言いたい事色々あんだけど……まだうまくまとまんねんだわ」
「あ、いえ……。自分もです」

 視線をこちらに合わせないまま、彼は紡ぐ。
……間を取り持つ様に口に運ばれる料理は、少しだけ普段の味を損なわせた。


「とりあえず、さ」
「はい……?」

「お互い無事で良かったな」
「……とんでもないです」

「……お前ぶっ倒れてたからさ、運んだったわ」
「……ありがとうございます」

 その言葉達と共に、ようやくこちらへ視線を合わせてくれた。
 俺は水をひと飲みし、その瞳へ応じる。


「んで」
「はい」

「…………()()は」
「はい」


本当の事(ガチ)だったんだよな……?」
「恐らく、ですけど」

「だよな……」
「…………」

 彼は一旦箸を置き、腕を組む。
 ひとつ深呼吸を携え、そのまま続けた。


「お前が社長と電話してる時にさ」
「はい」

「ちょっと立ちくらみしてな」
「そうだったんですか?」

「……暑かったしな」
「ですね」

「んで、一旦足場降りたんだわ…………したらさ」
「はい……?」

「……急に自分の手足が言う事聞かなくなった…………というか。すげえ冷たくなったんだわ」
「冷たく……」


 そこで、彼も水を呷る。
……空になったコップを静かにテーブルに戻し、再度俺に視線を合わせた。



「…………気付いたら、()()だった」
「…………」

 自嘲気味に吐き捨てたその言葉は、彼にとって何を催したのか。
…………その震える瞼だけが、俺にとって唯一の窺い知る方法だった。


「情けねェよな、俺。……ビビっちまってよ」
「いえ、そんな……」

「どんな現場だろうが相手だろうが粋がって突っ込んできたのにな」
「…………」

「……マジもんの恐怖っていうのは、あーいう事を言うのかなって思っちまった」
「……そう、なんですね」


 掛ける言葉が見付からない、とはこの事か。
 自身より先へ往っていると考えられる相手が底を舐めている時に、一体何を(のたま)うというのか。


 だが…………


「でもさ」
「……はい?」


…………()()を払拭し、彼は再度俺に向き直る。

 その表情は────


「お前が、体張ってくれてたんだろ?」


────笑顔を呈していた。



「……おぼろげだけど、覚えてんだ」
「そんな、自分は……」


()()がどうなったかは、さすがにわかんねーけど」
「……それは自分もです」


「だけど」
「はい」

「お前の膝、効いたわ」
「す、すみません」

「謝んなよ」
「すみません」

 俺の言葉にははは、と笑いを返し。


「…………龍宮、本当にありがとう。お前は俺の命の恩人だ」

「……とんでもないです」

 ようやく、いつもの快活としたトラさんがそこに戻ってきたのだった。
…………自分の行った事は間違いなどでは無かったと、そう認識させた。



「……しかしよ、龍宮」
「はい?」

「なんだろうな……その、なんつーか」
「ん?」


「お前()()()()()()なの?」
「んん?」

 彼とのやり取りに普段のリズムを覚えたところで、彼の言葉の意図するところが理解へと及ばなくなった。


「いや、なんて言っていいかわかんねーんだけどさ…………ぶっちゃけ、人間ができる動きじゃ無かっただろあれ」
「…………それは」

「そのなんだ……気功的な? 何かそういう類の嗜みでもあんのかと」
「気功……そ、そうですね……」

「言いたくなかったら別にいいけどさ」
「…………いえ」

 少しだけ彼の顔に寂しさが表れた様な気がして、少々の決心を胸中に改める。


…………ヤマトの事は、極力漏らさないようにと努めてはきたが。

 それを貫くには、目の前の存在は分厚すぎた。



「…………信じてもらえないかもしれませんが、実はちょっとした魔法の様なモノを使う事が……でき、ます」

 自分で口走っている最中に少しだけ後悔した。

……こんな、世迷いごとと吐き捨てられても何らおかしくは無い妄言を────



「マジで!? いやマっジ…………マジでえ!? マジパねぇなおまっっ!! パっねっっ……マジ!?


────トラさんはその懐に受け止めた。



「し、信じてもらえるんですか……!?
「信じるも何もお前っ、目の前で見てっかんね俺!?

「そ、それはそうですが……っ」
「あーどうりで!! あーっっ!!

 そういう事かー!!
 と、大きく頷きながら俺の言葉へ反応を繰り返すトラさん。

…………()()()()()()()事に、少しの驚きと大きな安堵。
 自らに賭した事など、この人の前では至極小さな事だったのだと理解させられた。


「あ!!
「はいっ?」

「やっべラーメン伸びてるーーっっ」
「ああーほんとですね」

「さっさと食っちまうわ」
「そうしましょう」

……もはや完全に元の形を取り戻したやり取りは、互いの手を早めた。


「いやしかし……っべーわ、まじやべーわ」
「べーですか」

「こりゃしばらく飲みの肴には困らねえな」
「ま、マジっすかね」


 互いの皿を徐々に空けながら言葉を交わす。
 連ねながら、トラさんはその口角を上げ──


「まあでもちょうどいいや」
「はい?」

「これから二人で打ち合わせする機会増えそうだからさ」
「え?」


──にかりと笑って見せた。





───────────

──────

───





「おはようございます」

 翌日の朝。
 そう言いながら、事務所の扉を開ける。
 奥の社長席では、珍しく起きたままの主がそこに鎮座していた。
 そこの行きすがら、他の先輩方からの心配の声に答えつつ歩を進めていく。


「おーお疲れっ、体調は平気?」
「はい。おかげさまで、もう大丈夫です」

「そっかそっか、なら良かったよ」
「……ご迷惑をお掛けしました。今後は必ず、この様な事が無いように致します」

 まずは頭を下げる。
 ()()とはいえ、作業の遅れや器物の損害を出してしまった事には変わりない。

……そのケツを拭いてくれているのは、紛れも無いこの人なのだから。


「ん、頼むね。……それで、この前話した長期出張の件なんだけどさ」
「…………はい」

 やはり、と思った。

 昇進、初めての大きな案件の従事。
 その二つが決まった矢先に、今回の事が起きてしまった。

…………これら全てが無かった事に……となっても、おかしくはない。


「悪いんだけど……」
「……はい」

…………甘んじて受けよう。
 それが、俺に出来るせめてもの贖罪だ。



「トラも連れて行ってあげてくれる?」

「………………えっ?」



 そう身構えていた俺に降り掛かる言葉は、予想の範疇には無かった。


「えっと……つまり……?」
「うん。今回の事もあってさ、やっぱり一人だと何かあった時対応しきれなくなる事もあるかなって考えて」

 少しだけ表情を固めた社長はそう続けた。

「これに関しては完全にこっちの管理ミス、ほんとごめんね。……だから、気心も知れてるだろうし龍宮君には打って付けのパートナーかなって」

 社長のその言葉を受け。
 脇から、トラさんがういーすと声を上げながら目の前に現れた。

「そういうこった、龍宮。あっちでもガッツリ扱いてやるから覚悟しとけよ」
「……あと前々から長期休暇欲しいとか言ってたから、それもついでにね」

「いよっ、さすが社長!! 日本一!!

 トラさんと社長のやり取りが繰り広げられる。
 目まぐるしく動く状況に、少しだけ整理が追い付かないままだった。


……昨日の食事の際、トラさんが最後に見せた笑いはこの事だったのか。


「ご、ご配慮ありがとうございます。てっきり自分は…………」
「……降ろされるとか思った?」

 社長の返しに頷きを返す。
 トラさんはそれに対し、鼻で笑い。

 社長もまた、悪戯に笑みを浮かべ……

「そんな事するわけないじゃない。……ウチの一番の働き者が、ちょっとミスったくらいで誰に文句言わせるかよ」

……そう俺に呟いた。
 その目はまさしく、長たる者のそれだと認識を改めさせる。


「まっそういうわけだからよ」

 トラさんが後に続いて俺に語りかける。
 その表情は希望に満ち溢れ。


「なんて言われてるっつったっけ、えっと…………あーそうそう」


 その瞳は、穏やかな光に満ち溢れていた。



「行こうぜ、龍宮────」






「────一緒に、始まりの島へ」







…………俺はこの世界で生きたい。
…………この澄み渡る【空】に覆われた世界で。

…………だからこの歩みを止める事は無い。

…………けどそれは。


…………彼等と一緒に。



「───はいっ……!!



 行こう。




 その場所へ────






───────────

──────

───






※虎太郎イメージ

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リコリス

龍宮

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