2-6 ヒーローになれる
文字数 3,595文字
「それ……本当ですか」
「いきなりこんな事言われても、信じてもらえないかもしれませんが……」
美月幸平は、目を丸くした。
夏波が“能力”について切り出したのは、店で料理の注文をしてすぐのことだ。
村山の話を受けて、ずっともやもやしたものを抱えたままの食事は無理、と判断したのだ。
ウェイターが二人分のサラダをテーブルに置き、一礼して去っていく。その後、頼んでいたウィンナーだのフライドポテトだのが一通り出てくるまで、ミツキは夏波の顔を凝視して固まっていた。
小洒落た雰囲気の店内にはジャズの音楽が流れているようだったが、店内で人々が談笑をする声にかき消され、どんな曲調なのかすら分からない。
頼んでいた最後の品であるカルボナーラを机に置きながら、女性のウェイターが「ご注文は以上でよろしいですか?」と問いかけてきた。
はたと我に返ったミツキがにこやかに「はい、ありがとうございます」と返すと、ウェイターは一瞬怯んだ様子を見せつつ、そそくさとその場を離れていく。
恐らく目の前の青年があのミツキであると気が付いたのだろう。が、個室であることも相まってか、彼女は極力反応を示すことなく立ち去ってくれた。それが夏波にとっては救いだった。
この有名人と一緒にいるのが、どこにでもいるちんちくりんとなれば、何を言われるかわかったものではない。
小心者過ぎる、と自分自身に嘆くも、こればかりは一朝一夕に治るものではないのだ。
「えっと……なんかすみません」
いたたまれなくなって、思わず謝ってしまう。何かを思案していたミツキが、慌てた様子で首を振った。
「あ、ボクこそごめんなさい、ちょっとあんまりにもびっくりして」
言うと同時に、彼はそれまでの笑顔を取り戻す。
「ちなみに、どんな超能力なんですか?」
「ええと……多分『傷ついたモノやヒトの記憶を読み取る』だと思います」
「多分?」
「使わないようにって言われてしまったので、あまり確認ができてないんです」
結局、夏波は伊霧芽郁の一件以降、一度も能力を使用していない。
本来であれば条件や能力の内容をしっかりと確認したいところだったが、志賀から『能力を二度と使うな』と念を押されてしまったのだ。無闇やたらに使って思わぬ弊害を生んでも、現状では誰も対処ができないからと。
使えるものは使うと何度か豪語していた志賀にしては、些か消極的な気もするが、指示に従わなかったらそれはそれで恐ろしい。
幸い自分の傷等には一切反応がないために、うっかり発動する、なんて事は起こらなかった。明確に傷だと思う自分以外のものに触れない限りは発動しないのかもしれない。現状はそう仮説を立てている。
「言われたって……特殊対策室の、志賀さん……でしたっけ? 彼からですか?」
「そうですね」
ミツキの声は柔和だが、口振りから志賀に対しての興味が全く無かったのだろうなと察せられた。
夏波は運ばれてきた料理を皿に取り分けてからミツキに手渡す。なにか作業をしていなければ、なんとなく座りが悪かった。
「自分はあんまり能力について知らなくて。だからミツキさんに色々お話を聞きたいなって……」
「なんだ、それなら前回言ってくれたら良かったのに」
「すみません……沢山人がいる場で『実は自分も超能力者なんです』って切り出す勇気がなくて……」
ミツキはそう返した夏波を驚いたように見、ふふ、と声を出して笑った。
「そっか、そうですよね。超能力なんて、普通誰も信じませんからね」
ミツキはなおも楽しそうに笑うと、やがて「いただきます」と料理に手を付け始めた。
「信じてくれるんですか?」
「信じますよ」
あっさり首を縦に振られる。これには流石に目を見張って、夏波は思わず「どうして……」と呟いた。
てっきり『証拠を見せろ』と言われるかと思ったのだ。けれどミツキは朗らかに食事を促すばかりで、夏波に手袋を外せ、などと言い出す素振りすら見せなかった。
「これまでもボクの興味を引こうと『自分も超能力者だ』って言う人は居ましたけどね。でも、夏波さんが今日になって切り出す意味も分からないし、何よりボクは夏波さんを信じたいので」
やはり直球しか投げてこないミツキから、夏波は「そうですか……」と気恥ずかしさに顔を伏せる。
俳優さんって、みんなこうなのか?
だとしたら恐ろしい人種だ。
「それにしても……『記憶を読み取る』なんて、刑事さんならチートみたいな力ですよね」
「確かに……。でもまぁ、使うなって言われちゃったので、使ってないんですけど……」
「うーん……分からないなぁ」
かちゃりと陶器の皿とフォークがぶつかる音。ミツキが不思議そうに夏波を見た。
「ボクね、東京でも警察に話があるって呼び出された事があるんです」
「え、そうなんですか?」
それは初耳だ。夏波は目を丸くして、パスタをフォークに絡めていた手を止めた。
「その時にね、言われたんです。『困っているのなら力になりますよ』って。確かに触ったものが何でもかんでも浮いちゃうのには最初は困りましたけど……、でもこうしてご飯も食べられるし、手袋さえつけちゃえば、特に不自由することもありませんって返しました。そしたら、東京の……あ、警視庁の方だったんですけど。なんて言ったと思います?」
首を傾げた。
「なんて言ったんですか……?」
「『それは危険な能力だから、極力使わないでください』って。夏波さんが言われたような事を、ボクも言われました」
不意に志賀の仏頂面が脳裏を過る。
警視庁の人間にも、宮城と同じ規模の特殊対策室がある、と一度言われたことはあった。彼らの認識もまた、『能力は危険なもの』であり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
ミツキはそれまで浮かべていた笑顔をしまうと、今度は悲しげに眉を下げる。
「使い方によっては危険なもの、かもしれません。けど、今まで人を傷つけたことは無いし、最近は使うと皆が喜んでくれるんです。
訓練すれば、もしかしたら操れるようになって、もっと素敵な事に使えるかもしれないじゃないですか。人を助けたり、人を楽しませたり、そういう事ができるようになるかもしれない。それを試さないなんて、おかしいと思いませんか」
「それは……」
「ボクはおかしいと思いました。だから今も超能力を使っています。確かに制御は……少し難しいですけど」
夏波は押し黙る事しかできなかった。
能力は危険なもの。その意識は拭えない。救えなかったあの少女――伊霧芽郁の事を思えば、志賀が未知の力を使うことを禁じた理由もわかる。
けれど、心の奥底に違和感もあった。
言ってしまえばそれは、自分の力は伊霧芽郁とは違うのでは、という期待に近い。
伊霧芽郁の塩化と違って、夏波にできるのは恐らく『記憶を読み取る事』だ。そこに危険があるようには思えなかったし、先程ミツキが言ったとおり、刑事としては垂涎の力といえる。
過去に何が起きたかさえ分かれば、どんな事件も解決できる。何なら、この力を使いさえすれば、伊霧芽郁の死の真相――“鯨”にも、早々にたどり着けるかもしれない。
「夏波さんは、……超能力についてどう思いますか」
ミツキは静かに問いかけた。
「ボク、夏波さんの能力は本当にすごいと思います。つかいこなせたら、きっと沢山の人を救うことができるものじゃないですか?」
人を救う。
夏波の心臓がトクリと鳴った。それと同時に、あの日救えなかった手の感触が右手に蘇る。
伊霧芽郁という、目の前で零してしまった命の感触に、夏波は思わずテーブルの下で右手を強く握りしめた。
「あの人の言う通りにしてたら、救える人も救えないんじゃないですか」
ミツキの言葉がひとつひとつ胸に刺さる。
逆らうなんて、考えすらしなかった。言われた通りにしていなければとばかり思っていた。
どうして今まで考えなかったのだろう。
能力を使えば。
――僕だって
「ボクらの能力は、人を傷つけないように使うことができる。警視庁の方は『危険だ』って言ってたけど、ボクらなら」
――誰かを助けられる
「ヒーローに、なれるんじゃないですか」
「……」
レストラン内の喧騒だけが、二人の間に降り立っていた。
鳴り止まない心臓の鼓動を聞きながら、夏波は声を絞り出す。
「僕……僕は……」
あの日掴めなかった手を、ちゃんと掴みたい。
顔を上げることはできなかった。身体に力を入れていなければ、涙がこぼれてしまいそうだったから。
拳を握りしめる夏波を見て、ミツキは満足そうに頷くと、彼はテーブルから軽く身を乗り出した。
「夏波さん。どうかボクを助けてはくれませんか」
「――え?」
思わず顔を上げ、夏波はミツキの顔を見つめる。
薄茶色のきらきらと光を集めるその瞳に、キョトンとした顔の夏波が写っていた。
「夏波さんに、“神隠し”の真相を解き明かして欲しいんです」
「いきなりこんな事言われても、信じてもらえないかもしれませんが……」
美月幸平は、目を丸くした。
夏波が“能力”について切り出したのは、店で料理の注文をしてすぐのことだ。
村山の話を受けて、ずっともやもやしたものを抱えたままの食事は無理、と判断したのだ。
ウェイターが二人分のサラダをテーブルに置き、一礼して去っていく。その後、頼んでいたウィンナーだのフライドポテトだのが一通り出てくるまで、ミツキは夏波の顔を凝視して固まっていた。
小洒落た雰囲気の店内にはジャズの音楽が流れているようだったが、店内で人々が談笑をする声にかき消され、どんな曲調なのかすら分からない。
頼んでいた最後の品であるカルボナーラを机に置きながら、女性のウェイターが「ご注文は以上でよろしいですか?」と問いかけてきた。
はたと我に返ったミツキがにこやかに「はい、ありがとうございます」と返すと、ウェイターは一瞬怯んだ様子を見せつつ、そそくさとその場を離れていく。
恐らく目の前の青年があのミツキであると気が付いたのだろう。が、個室であることも相まってか、彼女は極力反応を示すことなく立ち去ってくれた。それが夏波にとっては救いだった。
この有名人と一緒にいるのが、どこにでもいるちんちくりんとなれば、何を言われるかわかったものではない。
小心者過ぎる、と自分自身に嘆くも、こればかりは一朝一夕に治るものではないのだ。
「えっと……なんかすみません」
いたたまれなくなって、思わず謝ってしまう。何かを思案していたミツキが、慌てた様子で首を振った。
「あ、ボクこそごめんなさい、ちょっとあんまりにもびっくりして」
言うと同時に、彼はそれまでの笑顔を取り戻す。
「ちなみに、どんな超能力なんですか?」
「ええと……多分『傷ついたモノやヒトの記憶を読み取る』だと思います」
「多分?」
「使わないようにって言われてしまったので、あまり確認ができてないんです」
結局、夏波は伊霧芽郁の一件以降、一度も能力を使用していない。
本来であれば条件や能力の内容をしっかりと確認したいところだったが、志賀から『能力を二度と使うな』と念を押されてしまったのだ。無闇やたらに使って思わぬ弊害を生んでも、現状では誰も対処ができないからと。
使えるものは使うと何度か豪語していた志賀にしては、些か消極的な気もするが、指示に従わなかったらそれはそれで恐ろしい。
幸い自分の傷等には一切反応がないために、うっかり発動する、なんて事は起こらなかった。明確に傷だと思う自分以外のものに触れない限りは発動しないのかもしれない。現状はそう仮説を立てている。
「言われたって……特殊対策室の、志賀さん……でしたっけ? 彼からですか?」
「そうですね」
ミツキの声は柔和だが、口振りから志賀に対しての興味が全く無かったのだろうなと察せられた。
夏波は運ばれてきた料理を皿に取り分けてからミツキに手渡す。なにか作業をしていなければ、なんとなく座りが悪かった。
「自分はあんまり能力について知らなくて。だからミツキさんに色々お話を聞きたいなって……」
「なんだ、それなら前回言ってくれたら良かったのに」
「すみません……沢山人がいる場で『実は自分も超能力者なんです』って切り出す勇気がなくて……」
ミツキはそう返した夏波を驚いたように見、ふふ、と声を出して笑った。
「そっか、そうですよね。超能力なんて、普通誰も信じませんからね」
ミツキはなおも楽しそうに笑うと、やがて「いただきます」と料理に手を付け始めた。
「信じてくれるんですか?」
「信じますよ」
あっさり首を縦に振られる。これには流石に目を見張って、夏波は思わず「どうして……」と呟いた。
てっきり『証拠を見せろ』と言われるかと思ったのだ。けれどミツキは朗らかに食事を促すばかりで、夏波に手袋を外せ、などと言い出す素振りすら見せなかった。
「これまでもボクの興味を引こうと『自分も超能力者だ』って言う人は居ましたけどね。でも、夏波さんが今日になって切り出す意味も分からないし、何よりボクは夏波さんを信じたいので」
やはり直球しか投げてこないミツキから、夏波は「そうですか……」と気恥ずかしさに顔を伏せる。
俳優さんって、みんなこうなのか?
だとしたら恐ろしい人種だ。
「それにしても……『記憶を読み取る』なんて、刑事さんならチートみたいな力ですよね」
「確かに……。でもまぁ、使うなって言われちゃったので、使ってないんですけど……」
「うーん……分からないなぁ」
かちゃりと陶器の皿とフォークがぶつかる音。ミツキが不思議そうに夏波を見た。
「ボクね、東京でも警察に話があるって呼び出された事があるんです」
「え、そうなんですか?」
それは初耳だ。夏波は目を丸くして、パスタをフォークに絡めていた手を止めた。
「その時にね、言われたんです。『困っているのなら力になりますよ』って。確かに触ったものが何でもかんでも浮いちゃうのには最初は困りましたけど……、でもこうしてご飯も食べられるし、手袋さえつけちゃえば、特に不自由することもありませんって返しました。そしたら、東京の……あ、警視庁の方だったんですけど。なんて言ったと思います?」
首を傾げた。
「なんて言ったんですか……?」
「『それは危険な能力だから、極力使わないでください』って。夏波さんが言われたような事を、ボクも言われました」
不意に志賀の仏頂面が脳裏を過る。
警視庁の人間にも、宮城と同じ規模の特殊対策室がある、と一度言われたことはあった。彼らの認識もまた、『能力は危険なもの』であり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
ミツキはそれまで浮かべていた笑顔をしまうと、今度は悲しげに眉を下げる。
「使い方によっては危険なもの、かもしれません。けど、今まで人を傷つけたことは無いし、最近は使うと皆が喜んでくれるんです。
訓練すれば、もしかしたら操れるようになって、もっと素敵な事に使えるかもしれないじゃないですか。人を助けたり、人を楽しませたり、そういう事ができるようになるかもしれない。それを試さないなんて、おかしいと思いませんか」
「それは……」
「ボクはおかしいと思いました。だから今も超能力を使っています。確かに制御は……少し難しいですけど」
夏波は押し黙る事しかできなかった。
能力は危険なもの。その意識は拭えない。救えなかったあの少女――伊霧芽郁の事を思えば、志賀が未知の力を使うことを禁じた理由もわかる。
けれど、心の奥底に違和感もあった。
言ってしまえばそれは、自分の力は伊霧芽郁とは違うのでは、という期待に近い。
伊霧芽郁の塩化と違って、夏波にできるのは恐らく『記憶を読み取る事』だ。そこに危険があるようには思えなかったし、先程ミツキが言ったとおり、刑事としては垂涎の力といえる。
過去に何が起きたかさえ分かれば、どんな事件も解決できる。何なら、この力を使いさえすれば、伊霧芽郁の死の真相――“鯨”にも、早々にたどり着けるかもしれない。
「夏波さんは、……超能力についてどう思いますか」
ミツキは静かに問いかけた。
「ボク、夏波さんの能力は本当にすごいと思います。つかいこなせたら、きっと沢山の人を救うことができるものじゃないですか?」
人を救う。
夏波の心臓がトクリと鳴った。それと同時に、あの日救えなかった手の感触が右手に蘇る。
伊霧芽郁という、目の前で零してしまった命の感触に、夏波は思わずテーブルの下で右手を強く握りしめた。
「あの人の言う通りにしてたら、救える人も救えないんじゃないですか」
ミツキの言葉がひとつひとつ胸に刺さる。
逆らうなんて、考えすらしなかった。言われた通りにしていなければとばかり思っていた。
どうして今まで考えなかったのだろう。
能力を使えば。
――僕だって
「ボクらの能力は、人を傷つけないように使うことができる。警視庁の方は『危険だ』って言ってたけど、ボクらなら」
――誰かを助けられる
「ヒーローに、なれるんじゃないですか」
「……」
レストラン内の喧騒だけが、二人の間に降り立っていた。
鳴り止まない心臓の鼓動を聞きながら、夏波は声を絞り出す。
「僕……僕は……」
あの日掴めなかった手を、ちゃんと掴みたい。
顔を上げることはできなかった。身体に力を入れていなければ、涙がこぼれてしまいそうだったから。
拳を握りしめる夏波を見て、ミツキは満足そうに頷くと、彼はテーブルから軽く身を乗り出した。
「夏波さん。どうかボクを助けてはくれませんか」
「――え?」
思わず顔を上げ、夏波はミツキの顔を見つめる。
薄茶色のきらきらと光を集めるその瞳に、キョトンとした顔の夏波が写っていた。
「夏波さんに、“神隠し”の真相を解き明かして欲しいんです」