2-8 不許可

文字数 3,129文字

 ミツキと別れ、家に帰った夏波が最初に触れたのは、最近ヒビを入れてしまったお茶碗だった。
 まず手始めに、自身の能力を知らなければならない。
 手袋を外してヒビの入った部分に触れるなり、ぐるりと視界が暗転した。そして次の瞬間には食器棚の中と思わしき場所で、身動きも取れず、夏波は自分で自分が家に入って来るところを見たのだ。

『お昼のニュースです。例年警視庁が算出している自殺死亡率が、数年ぶりに減少傾向にあるとの発表がありました』

 テレビをつけた自分自身は、その後すぐにベッドに倒れ込んで眠りにつく。昼に帰ってきているということは、つまり機動捜査隊時代の夏波ということだろう。
 そう判断すると同時に、夏波は目を覚ました。夢のような感覚だが、夏波はその場に茶碗を持って立ち尽くしているばかりで、そう時間が経ったようには思えなかった。

――いっつも長い間気絶してるのに

 それはつまり、ミツキの言う通り、訓練さえすればかなり使い勝手の良い能力になるのではないかという期待にも繋がった。
 次に触れたのは、仕事帰りに見かけた手負いの猫だ。
 こちらも触れた瞬間、まるでその猫になったかのような記憶の追体験を起こした。果たしてそれが事実なのかは猫のみぞ知るところだが、少なくとも夏波はこの猫が飼い主に可愛がられていたということが分かった。
 体感で1分程。夏波はすぐに元の自分の意識に戻り、やはり今度も倒れたりはしていなかった。
 それなら、もう一度触れたらどうなるのか。夏波は我に返ると同時に、再度猫の傷に触れる。すると、先程見た光景とはまた違う場所にいて、小学生から全速力で逃げている真っ最中だった。これには流石に肝が冷えた。
 

【・傷ついたモノなら、人じゃなくても記憶を読み取れる
 ・物品からは1つの記憶しか読み取れない
 ・生き物は見る度に違う記憶が見える
 ・小さいモノなら気絶しなくてすむ?
 ・いつの記憶が見れるかは分からない
 (メイちゃんは家族の記憶と“鯨”の記憶、時期不明
  茶碗は少なくとも1ヶ月くらい前
  猫はここ2、3日以内?)】

「いつの記憶が見れるか分からないのがネックだなぁ……」

 手帳に書き込んだこれまでの情報を眺め、夏波は口を曲げる。
 ガチャリと扉が開く音と同時に志賀が特殊対策室に顔を出し、

「行くぞ」

 と夏波に声をかけた。
 夏波は急いでカバンの中に手帳を突っ込むと、彼の後を追いかける。
 車の運転は、すっかり夏波の担当だ。志賀は必要に迫られない限り運転はしない。

「えっと……今日の聞き込みは宮町、でしたか?」
「いや、事情が変わった。ここに行け」

 言うなり、ホルダーにガツ、と地図の表示された端末を差し込む。驚いて志賀を見ると、彼は珍しく夏波の目を見つめ、そして言った。

「塩化の被害者だ」

 
*

 中央署からは程近い場所にそれはあった。
 
「これ……は……」

 元が何なのかは、もはや分からない。白い結晶がまばらに落ち広がり、窓から差し込む光できらきらと光っているその様子は、もはや幻想的ですらある。
 
「人……なんでしょうか」
「恐らくな」

 志賀が示した場所は、夏波が初めて伊霧芽郁と遭遇した公園と、警官の遺体があった通町交番の中間部分に位置していた。空き店舗のようで正面のシャッターは降りていたが、建物横にポッカリと四角い穴が開いており、そこから中に入れてしまう。金具が壁側についているのは、恐らく扉を取り外した跡だ。
 志賀はその穴から、部屋の内部を見渡して居る夏波に声をかけている。室内には生活感が溢れていた。といっても、カップ麺や寝袋が無造作に敷かれ、文庫本とマグカップとゴミがまとめ置かれている様子を見るに、ホームレスの住処なのだろう。

「近くにもう一件あるが、そっちはただのゴミかいたずらだと思って片しちまったそうだ」
「そんな……!」
「誰も人間だなんて思わん」

 志賀はそれだけ言うと口を閉ざす。
 夏波もそれ以上は何も言えず、まばらに散らばった塩の山と、そして辛うじて人の形を保っている耳の部分に対して手を合わせた。
 目の前の彼が――もしくは彼女がどんな人物だったのか。夏波は何も知らない。名も知らぬ誰かだ。けれど確かに存在していて、ここにいたはずの人。
 死を認識すらされない。亡くなったと知っているのは、夏波達だけだ。

――触れたら

 また、記憶が見えるだろうか。あの警官のように。
 ちらりと志賀がいた方向を見やると、彼もまたじっと目を閉じていた。
 夏波はそっと手袋をはずし、そして塩の山に触れる。しかし、夏波の意識は途切れない。

――もう、傷ですらないってことなのかな

 手を離し、そして志賀に見られないよう体で隠しながら手袋をつけ直す。
 
「お前」

 突然志賀の声がかかり、夏波は肩を強張らせた。見られたのかと恐る恐る首を後ろに向けるが、志賀は何かを咎めるような口振りではなく、どこか不安気な色を伴って、夏波に問い掛ける。

「大丈夫か」
「え」

 志賀は夏波のその反応を見るなり、ふいと顔を向けて外へと立ち去ってしまった。
 慌てて追いかけると、彼は建物の横にある壁の前にじっと立ち尽くしている。志賀の名前を呼ぶが反応はない。仕方なく近くに駆け寄って、視線の先に目を向けたところで、ようやくは彼は口を開いた。

「通町交番から廃ビルに続いていたものと同じだ」

 壁のごく一部が白く塩化している。そう大きな範囲ではない、爪の先程度の大きさをしたそれは、点々と道路の先へと続いていた。志賀の言う通り、あの日夏波が追いかけたものと酷似している。

「もう一つの現場も同じものがあった。どっちも追えば廃ビルに着く」
「伊霧芽郁は、遺体発見者をあの廃ビルに誘導しようとしていた……とかですか」
「そうだろうな。これだけ点々としていれば、遺体発見をしなくても興味本位で追う輩はいそうなモンだが」

 志賀はそう言うと、くるりと夏波に背を向けてこの場を離れる。

「あの、志賀さん」

 先を歩き始めたその背中に、夏波は呼びかける。

「僕が力を使えば、何か――」
「駄目だ」

 後ろを向いたまま、志賀は歩みを止めなかった。

「二度と使うな」
「どうして……!」
「前にも言ったはずだ。能力は何が起こるか分からない。無闇に使うモンじゃない」

 曲がらない。それが確信できる声。志賀はいつも強く鋭い言い方をするが、今回向けられたのはその比ではなかった。
 夏波は手袋のはまったその両手をぐ、と握りしめ、そんな志賀の後ろ姿を悲しげに見る。
 どうして。
 沸き立つのは、苛立ちに似ている感情だった。胸を燻らせるような不快な重み。いつもならば、夏波はこんな感情は抱かない。理解されなければ、悲しくなったり、諦めてしまったりする。それが常だからだ。
 けれど、今は違う。

「僕の力なら、きっと“鯨”を探せます。伊霧芽郁の動向だってもしかしたら」
「駄目だ」

 にべもない否定。夏波は今度こそ肩を震わせた。志賀の足音が止まる。そして、ギロリと夏波を睨むのだ。

「同じ事言わせんな」

 話は終わりとばかりに、志賀は再び歩き始める。
 その後ろ姿を見つめ、夏波はいらいらと胸に燻る感情を抑え込んでいた。
 諦めきれないからこその苛つきだ。これは決して、志賀に向けていい感情ではないはずなのに。
 それが分かっていてなお収まらない感覚に、夏波はじっと奥歯を噛んで耐え忍んだのだった。



*


 夏波の能力は、その後しばらく何の変化も起こらなかった。
 収穫といえば、保護した猫の飼い主を見つけた事くらいだ。 
 何日かかけて記憶を辿ったので、その頃にはもうすっかり猫は夏波に懐いてしまい、飼い主の元に戻ろうとしない程だった。
 とはいえ、飼い主は喜んでくれたので、結果としては上々だろう。
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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