1-8 『能力』

文字数 2,789文字

 崩れ落ちた父さんを、私は呆然と見つめていた。白く染まり、もはや人間とは思えない。けれど数秒前までは確かに笑いかけていたはずだった。受け取ったカイロの暖かさなど全く分からない。

「二人共、どうしたの?」

 キッチンから顔を出した母さんが不思議そうにしていた。いつの間にか姿を消していた父さんの姿を探しながら、歩み寄ってくる。

「え、お父さんどこいったの? ……わ、何これ?」

 床に落ちた白い塊を見て、母さんはぎょっと足を止める。しゃがみ込んで塊を不思議そうに眺め回している間も、ただ荒い呼吸を繰り返す事しか出来なかった。

「か、かあさ……」
「何これ、お父さんそっくりじゃない。どういうこと?」

 大方、主人と娘が悪ふざけをして、妙なものを拵えたと思っているのだろう。苦笑を浮かべながら顔を上げた母さんは、顔を青くしている私に気が付くなり、心配そうに駆け寄った。

「ちょっと、どうしたの!? 顔真っ青よ!?」
「か、かあさ、……とうさん、が……」

 父さんが何故こうなってしまったのかなんて、この時は分からなかった。私はただ、母さんに助けを求めただけだった。
 けれど、私が全てに気が付いたのは、思わず掴んだ母の腕が白く染まった瞬間で。しかしそれはもう、何もかもが手遅れになったと言う事でもある。

 それが、二人目だった。


*


「鯨……」
「はい。確かそう言っていました。『鯨さんですか』って」
 
 手渡されたマグカップを両手で包み込んでいると、じわりと手袋の外側から暖かさが伝わってくる。少し熱いくらいのココアが舌が焼き、夏波は思わず顔を顰めた。

「あ、ごめんね、牛乳とか入れられたら良かったんだけど」
「いえ、大丈夫です、ありがとうございます」

 テーブルの上には、手のつけられていないマグカップが一つだけ、所在無さげに湯気を立てている。志賀は目の前に置かれたそれに見向きもせず、口元を手で覆って思案を続けていた。

「何のことか、心当たりがあるんですか……?」

 夏波の問いかけに、志賀はそっけなく「ない事はない」と答える。

「他にはないのか」

 はぐらかされた、というのは肌で感じた。しかし有無を言わさぬ志賀の態度に、夏波は思わず宮藤に視線で助けを求める。しかし彼女も彼女で微笑みながら肩をすくめるばかりで、夏波は仕方なく、昨日の夜の出来事を少しずつ言葉に起こした。
 対面に座る二人はそれには口を挟まず、ただじっと夏波の話に耳を傾けている。

「……彼女は何者なんですか?」

 一通り状況を話し終えた後、夏波は直ぐにその疑問を投げた。両手がズタボロになっていたあの少女は何だったのか。鯨とは一体何の事なのか。あの時、自分の身に一体何が起きたのか。彼女周りの出来事は、夏波には何一つとして理解ができていない。
 志賀は口元に当てていた手を外すと、その質問には端的に答える。

「能力者だ」

 やはり、と夏波は心の中だけで呟いた。
 思い返されるのは、自身の身体が白い砂の塊のようになってしまった光景。言われてみれば、あれは彼女の手に触れた直後の出来事だった。

「彼女の能力は恐らく『塩化』。触れた物全てをそうしてしまっているのでしょうね」

 塩。
 言われてみれば確かに砂のようだった。そしてふと思い至る。自分はその前に一度、似たような物を見たことが無かっただろうか。

「もしかして、志賀さんと初めて会った時のアレって……」

 志賀に蹴り飛ばされたあの日、三科が見つけた崩壊していた壁にも、一部が抉られていた電柱にも、塩の山のようなものが近くにあったはずだ。
 夏波の気付きを志賀は肯定する。

「恐らくはそうだ。彼女の能力が発動された後だろうな」
「じゃ、じゃあ、あの倒れてた人は……!?」
「いや、被害者には違いないが、まだ生きている」

 ほっと胸を撫で下ろす。そんな夏波をじっと見つめた後、志賀がふいと顔を伏せた。

「というか、ずっと訊きたかったんですけど、あの時どうして僕蹴られたんですか?」
「……能力が生き物に被害を及ぼした場合、極稀に延焼のような現象を起こす。あの時はお前が被害者に触れかけてたから、止めようとした」
「だとしても、蹴ったら駄目でしょ蹴ったら」

 真っ当なツッコミが宮藤から飛ぶ。だが、志賀は完全に無視を決め込んだ。

「まあ、お前には必要なかったみたいだがな」
「必要なかった?」

 はて、と夏波は疑問符が頭の上に浮かべ、瞼をを瞬かせる。志賀は僅かに顔を上げると、夏波と視線を合わせた。

「さっきも言っただろ。お前は“能力者”である可能性がある」
「言われましたが……結局僕の能力って一体何なんですか? 能力が効かないとか?」

 しかしあの夜、夏波は自身の手が白練に染まった光景を確かに目にしている。酔っていた上に夜だったとはいえ、あれだけの月明かりの中見間違えたとも思えない。少女の能力は自分にも発動していると見たほうが良いだろう。
 夏波が頭の中でそう結論付けるとほぼ同時に、志賀もまたそれを否定した。

「いや、恐らく違う。が、厳密には俺らにも分からん」
「分からんって……」
「申し訳ないのだけれど、私達が“能力”について知っている事は、正直な話殆ど無いのよ。『撲滅』を謳ってはいるんだけど、まず正体を探る所からなのよね」

 宮藤が困り眉を作って微笑む。その隣で、志賀は人差し指を夏波の手袋に向け

「お前、その手袋外せ」
 
 と指示した。

「あ、はい……」

 言われた通り、手首のベルトを緩めて手袋を外す。志賀は今度はマグカップの乗った小さな応接机を示すと

「テーブルに触ってみろ」

 と言った。
 
「え、だ、大丈夫なんですか……? 突然浮いちゃったりとか……」
「知らん」

 知らんて。
 素っ気のない志賀に僅かな不安を残しつつ、夏波はおずおずと手を出すと、机をツンと人差し指でつつく。――が、何も起こらない。
 もう一度、今度は数本の指先で触れてみたが、結果は同じだ。

「何ともないですね……」
「まぁ、だろうな」
「だろうなって、じゃあなんで僕が能力者だとか」
「お前」

 夏波の疑問を遮って、志賀が声を飛ばした。炯炯とした瞳に捉えられ、思わず生唾を飲み込む。

「覚えてないのか?」
「な、何を、ですか?」
「あの少女の能力を受けた時の事だ」
「覚えてますけど……でも、手が真っ白になっちゃった以降の事は何も覚えてなくて……」

 歯切れの悪い返答になる事は、この際許してもらいたい。何せ、あの時は激痛にも襲われていたのだ。若干気圧されて背筋を伸ばす夏波から、志賀は視線を外そうとしない。

「まぁ、覚えてないほうが良いのかもな」

 その呟きは、どこか遠くの世界の話をしているかのように感じられた。
 昔から稀に相手の思考が分かる事がある。今から志賀が口にするだろう事柄は、それとは関係なく想像ができてしまった。
 志賀はその想像通りに口を動かし、そして告げる。

「お前はあの時、一度死んでるはずだ」
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登場人物紹介

夏波 奏 《カナミ カナデ》


25歳/O型/167cm/特殊対策室所属


自他共に認める気弱人間

志賀 太陽 《シガ タイヨウ》


28歳/AB型/159cm/特殊対策室所属


中央署の嫌われ者

宮藤 由利 《クドウ ユリ》


?歳/B型/154cm/特殊対策室所属


中央署の名物署長

三科 祭 《ミシナ マツリ》


26歳/B型/178cm/機動捜査隊所属


夏波の元相棒で親友

剣 佐助 《ツルギ サスケ》


28歳/AB型/181cm/機動捜査隊所属


苦労人気質の優しい先輩

村山 美樹 《ムラヤマ ミキ》


31歳/O型/162cm/機動捜査隊所属


飄々としてるけど面倒見はいいお姉さん

美月 幸平 《ミツキ コウヘイ》


24歳/B型/178cm/俳優


爽やかな青年

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