1-7 ヒーローにはなれない
文字数 5,140文字
通されたのは、極めて殺風景な広い部屋だ。壁はコンクリート打ちっぱなし。大きな窓を隠すブラインダーカーテンからは、朝の陽の光がこぼれている。
壁に沿って並べられた棚はそう多くなく、中に入っているファイルも片隅しか埋めていない。木製のデスクが数個置かれているが、使われているのはそのうち一つだけのようだった。
他にあるものといえば、部屋の奥に電気ケトルの乗った低めの棚。大きめの透明ボードに、応接用と見られる背の低いテーブルと対面した二つのソファ、くらいだろうか。
「ここが特対、なんですか」
「あぁ。机はそのパソコン乗ってるやつ以外ならどこ使ってもいい」
「……じゃあ、ここで」
そう言いながら、荷物のある机の程近くにある場所を選び、両腕に抱えていた荷物を置いた。
遠すぎず、近過ぎない適当な距離。夏波は志賀をちらりと伺い見るが、彼の仏頂面に変化は見られない。
――マジで読めない
仏頂面の人間には慣れているつもりだったのだが、タイプが全く違う。機動捜査隊の先輩である剣は、自ら表情を“変えられない”人間だった。目つきの悪さから常に睨んでいるように見えるだけで、きちんと感情による表情変化は存在している。寧ろ、感情が素直に出ている分かなり付き合いやすい人物だ。
だが、志賀は表情変化それ自体が起こらない。何を考えているのか。何を感じているのかが全く掴めないのだ。夏波が運び込まれた病院と中央署間の短い車移動でも、それは痛い程感じ取れた。ギリギリ察して取れるのは、不機嫌か、そうじゃないかくらいのものだ。
「そこ座って待ってろ」
志賀は顎で応接用ソファーを示しながら、自らの携帯端末を操作し始めた。夏波は曖昧に頷いて、指示されたとおりソファに座る。一応入口側の下座に座ってしまうのは、染み付いた後輩根性の賜物だ。
外から鳥の鳴き声が聞こえてくる程度の朝の静けさに包まれて、夏波はしばらく呆然と自分の手を見つめていた。志賀はそれ以上動く素振りを見せず、ただ沈黙がその場に降り立っている。
暇だ。ポケットに手をやりかけて、自分の携帯端末の末路を思い出した。写真等のバックアップは自宅のパソコンで定期的にとっていたが、アプリ等は全て諦めたほうが良いだろう。昨今話題の課金ゲームなどに手を出していなくて本当に良かった。
「ハロー!!」
「うわぁっ!?」
それはあまりにも突然の来訪で、どうでもいいことに思考を割いていた夏波は、文字通り肩と足を跳ね上げた。悲鳴を上げて反射的に音の方向へと顔をやる。
「お、いい反応! 志賀君もこれくらい驚いてくれてもいいのに」
「マジでうるせぇ」
志賀はうんざりとした様子で、部屋に入ってきた人物に背を向けると、夏波の方へ歩いた。そして対面のソファにどかりと腰を落とし、背もたれに体を沈めこむ。
「威厳ってモンがねーのか、アンタには」
「出そうと思えば出せるわよ。でも今は必要ないでしょ? 警戒は解いてもらわないと」
「警戒煽っといて何言ってんだ。アホか」
遠慮のない志賀の罵倒を笑って受け流しながら、彼女はふわふわとした足取りでやってきた。ハイネックの白いセーターに緑のロングスカート姿。薄化粧にも関わらず、人形の様な可愛らしさを振りまく彼女は、警察署内の雰囲気にはそぐわない程華やかだ。しかし、夏波は彼女の姿を見るなり、勢いよく立ち上がって背筋を伸ばした。
「署長?!」
「あ、どーもー、署長の宮藤由利 でーす」
さながらアイドルの如く、彼女は手をふりながらも志賀の隣に腰を下ろす。
直接会話した事は一度もないが、顔を見たことなら何度もある人物だった。当然だ。自分が所属する署内のトップ。警察内では勿論、外部の人間にも美人署長として広く知られる人物が、目の前で自分に笑顔を向けている。
うわ、女優さんみたいだ。なんて、その場にそぐわない感想が頭をもたげたのは、まず間違いなく混乱のせいだ。
「あ、座っていいよ」
「は、はい、失礼します」
「うーん、固いなぁ。そんなに畏まらなくても大丈夫なのに。志賀君、何かこの子が怯えるような事したの?」
志賀はその言葉に一瞬反論しかけたが、直ぐに苦々しい表情を浮かべて「あー……」と唸り、
「蹴り飛ばした」
「はぁ!?」
信じられないものを見るように、宮藤は志賀から若干身を離す。
「そこは『お前のせいだろ』って返すとこじゃない!? ツッコミ待ちよこちとら! てか、新しく入ってきた子に何してくれてんの!?」
「るっせぇな。蹴りたくて蹴ったわけじゃねえ。つか一昨日の事はちゃんと報告しただろうがよ」
「えっ、その時の子なの?!」
再び宮藤の視線が夏波を捉えた。伸びたままの姿勢を保ち、夏波は唇を噛んで口を引き結ぶ。
「何やってんのよもう……。ごめんなさいね、えっと夏波……」
「あ、夏波 です。夏波奏 と申します」
「夏波君ね。ウチのが大変なご迷惑をおかけしまして……」
「あ、いえそんな……」
宮藤に深々と頭を下げられ、つられる形で夏波も軽く頭を下げる。ちらりと志賀を伺い見れば、不愉快そうに頬杖をついてそっぽを向いていた。
この光景、多分傍から見たら不良少年を引き連れて謝りに来た母親と、新米教師の三者面談みたいになってるんだろうな。
恐らくそれを一言でも漏らせば、志賀の眉間のシワが深くなるだろうことは想像に難くない。
「改めまして、私は青葉中央警察署署長、兼特殊対策室室長の宮藤由利 です。で、こっちは」
「……志賀だ」
「下の名前は?」
宮藤の母親のような問いかけに、大きな大きなため息をつくと、彼は「志賀太陽だ」と吐き捨てた。
「特殊対策室、室長……?」
「そう。兼任してるのよ。まぁ、普段実際に動いてるのは志賀君だけなんだけどね」
そこまで言うと、宮藤は立ち上がり、部屋の奥にあった背の低い棚へと歩き出した。
「この部屋寒ーい! 温かい飲み物欲しくなっちゃった。ついでに淹れるから、何飲みたいか教えて?」
「あ、あの、大丈夫です、それなら僕が……」
「ううん、良いのよ。ここの勝手もまだわからないでしょ?」
ニコリと天使のような笑みを見せ、ウインクまでして見せる彼女に思わず気圧される。アイドル顔負けの仕草に毒気を抜かれた夏波がおずおずと「なら、署長と同じ物を……」と頼むと、彼女は「宮藤で良いわよ」と笑いながら背を向けた。
「志賀君はー?」
「いらん」
「じゃぁココアね」
「飾りか、その耳は」
不満気な志賀をさておいて、電気ケトルの中身を確認してからスイッチを入れる。その間に棚からマグカップやお盆を引っ張り出しつつ、宮藤は
「説明始めといてー」
と声を投げた。
志賀は文句を言うでもなく、というよりも完全に諦めた様子で脱力すると、「悪ィが」と口を開く。
「俺は説明がクソ程苦手なんだ。だが、お前にはちゃんと理解してもらわなきゃ困る。分からん部分は都度質問を挟め」
いいな?と念を押され、夏波はこくこくと頷いた。志賀は難しそうに「どっから話したモンか」としばらく思案し、やがて切り出した。
「まず、お前を機捜から引き抜いた理由だが……、それはお前を俺達の監視下に置くためだ」
「か、監視……?」
「言い方が悪ーい! 保・護・下!」
慄いた夏波に、遠くから宮藤のフォローが入る。志賀は一度舌を打つと、「保護下に置くためだ」と言い直した。
「端的に言えば、お前はもう普通の人間じゃ無い」
「えぇ……?」
突拍子のない発言に、夏波は瞼を瞬いた。しかし、志賀は困り果てた様子で口を閉ざし、二の句を紡がない。
「えっと……僕別に何か変わった感じもしませんし、いきなり普通の人間じゃないって言われましても……」
「見た目はな」
志賀は軽く首を横に振った。
「お前、ミツキコウヘイを知ってるか」
「え?えぇと……俳優で……超能力者の?」
突然出た名前に困惑するも、最近三科と話した話題だったおかげでスルリと答えが出る。志賀はその返答に頷いてから続けた。
「お前も、あのミツキと同じ“能力者”である可能性がある」
「え」
「だが、幸いお前の能力は人に危害を加えるタイプのモンじゃないし、恐らく手袋を着けてりゃ抑制でき――」
「ま、待って! ちょっと待ってください!」
あまりにも突飛な話を淡々とされ過ぎて、夏波は片手で頭を抑えながら呻いた。
「えっと……つかぬ事をお伺いしますが……。真面目な話、なんですよね……?」
「冗談言ってるように聞こえたか」
「いや、そういうわけじゃないんですけど、でも流石に……」
夏波はそこで言葉を切ったが、言ってしまえば『そんなほいほいと信じられるか』というのが素直な感想だ。
確かに三科たちとミツキの話をした際に『超能力者がいるのかも』くらいは思ったが、まさかそれが大前提で、ましてや自分の進退にまで絡められるとなると話が違ってくる。
「気持ちは分かるわ。いきなり能力とか言われてもね」
陶器と金属がぶつかる音を立てながら、宮藤はココアの粉をマグによそっていた。
「でも、残念ながら本当に存在するのよ。そういう“力”を持った人っていうのが」
先程までの賑やかな喋り口調から一転し、宮藤は静かに語りかける。鈴を転がすような声だ。こちらを見る事こそしなかったが、その仕草こそが、これは冗談などではないと言外に示していた。
「存在するって……いや、でも……」
そこで夏波は押し黙った。きっとこれは、一度『超能力』という言葉を飲み込んだ上で話を聞いた方が良いのだろう。まさか夏波をからかうために時間を割くような人物たちでもあるまい。昨日の出来事を加味しても、恐らくこれは理解しなければならない事柄の説明なのだ。
志賀は夏波の様子を窺いながらも、続きを口にした。
「お前が疑う理由も分かる。だがさっき宮藤が言った通り、この世界には不可思議な能力が使えるようになってしまった人間が、確かに存在している」
「……なってしまった?」
「あぁ」
彼は頷く。
「人間が発現させる能力ってのは、それぞれ特性が違う。ミツキのように物を浮かせる能力もあれば、それこそ漫画やゲームにあるように、火を出したり、物を凍らせたりする能力もある。漫画の中の世界と明確に違うのは、能力者がその力を操れるか否かだ」
夏波が思い描いていたのは、最近話題の異能力を扱う漫画だった。キャラクターが各々能力を持ち、その能力を駆使して悪を討つヒーローモノ。彼らは手や身体から火を出したり、自分の影を操ったり、はたまた時を操ったりして、人を苦しめるヴィランを打ち倒すのだ。正義を全うする、爽快感のあるストーリーが人気だった。
だが、もしも。能力を持っているキャラクターが、手や身体から出したその能力を操れないなんてことがあったとしたら。発動できないならまだいい。発動した上でなら、大惨事は目に見えている。
「能力は本人の意志で扱える代物じゃない。ある日突然発現して、条件さえ達しちまえば否が応にでも行使される。それもその条件は」
志賀は、黒い手袋のはまった右手を夏波に見せるように開いた。
「手で触れること」
「……それだけ、ですか?」
「そう。それだけだ」
志賀は拳を握り、それをパーカーのポケットにしまい込む。そのままソファに深く沈み込んで、仏頂面のまま続けた。
「能力に目覚める前兆なんてモンはない。大体の能力者がいつの間にか能力を発現させて、そして何気なく何かに触れちまう」
例えばそれが、モノを燃やすなんて能力だとして。何気なく触れたモノが、人間だったとしたならば。
志賀はそんな例えを持ち出して、しかしその結論は口にしなかった。
ふと、夏波は三科が見せてくれたあの動画を思い出す。動画内のミツキは、終始不安げな顔をしていた。あの時の自分には、彼が何故そんな表情を浮かべているのかは分からなかったが、もしも志賀の話が本当で、ミツキも同じ条件を持つ能力者だとしたのなら。物を“浮かせている”のでは無く、触れたものが全て“浮いてしまっている”のだとしたら。自分が制御しきれない力に対しての不安が、あの表情の正体だったとでもいうのだろうか。
「漫画やゲームの登場人物が能力を使って人を救えているのは、それを自分の意志で扱えるからだ。だが現実はそうじゃない。操る事も出来なければ、使わないという選択すらも取れない。
特殊対策室の使命は、そうして立ちいかなくなった能力者の保護。及び――能力の『撲滅』だ」
「撲滅って……」
あまりの言い方に夏波は思わず宮藤を見やる。しかし宮藤は困ったように笑うだけで、先程のようにフォローする素振りは見せなかった。志賀はお構いなしに続ける。
「こんな力は、存在するべきじゃない」
能力者は決してヒーローにはなれない。
彼はそう結論づけた。
壁に沿って並べられた棚はそう多くなく、中に入っているファイルも片隅しか埋めていない。木製のデスクが数個置かれているが、使われているのはそのうち一つだけのようだった。
他にあるものといえば、部屋の奥に電気ケトルの乗った低めの棚。大きめの透明ボードに、応接用と見られる背の低いテーブルと対面した二つのソファ、くらいだろうか。
「ここが特対、なんですか」
「あぁ。机はそのパソコン乗ってるやつ以外ならどこ使ってもいい」
「……じゃあ、ここで」
そう言いながら、荷物のある机の程近くにある場所を選び、両腕に抱えていた荷物を置いた。
遠すぎず、近過ぎない適当な距離。夏波は志賀をちらりと伺い見るが、彼の仏頂面に変化は見られない。
――マジで読めない
仏頂面の人間には慣れているつもりだったのだが、タイプが全く違う。機動捜査隊の先輩である剣は、自ら表情を“変えられない”人間だった。目つきの悪さから常に睨んでいるように見えるだけで、きちんと感情による表情変化は存在している。寧ろ、感情が素直に出ている分かなり付き合いやすい人物だ。
だが、志賀は表情変化それ自体が起こらない。何を考えているのか。何を感じているのかが全く掴めないのだ。夏波が運び込まれた病院と中央署間の短い車移動でも、それは痛い程感じ取れた。ギリギリ察して取れるのは、不機嫌か、そうじゃないかくらいのものだ。
「そこ座って待ってろ」
志賀は顎で応接用ソファーを示しながら、自らの携帯端末を操作し始めた。夏波は曖昧に頷いて、指示されたとおりソファに座る。一応入口側の下座に座ってしまうのは、染み付いた後輩根性の賜物だ。
外から鳥の鳴き声が聞こえてくる程度の朝の静けさに包まれて、夏波はしばらく呆然と自分の手を見つめていた。志賀はそれ以上動く素振りを見せず、ただ沈黙がその場に降り立っている。
暇だ。ポケットに手をやりかけて、自分の携帯端末の末路を思い出した。写真等のバックアップは自宅のパソコンで定期的にとっていたが、アプリ等は全て諦めたほうが良いだろう。昨今話題の課金ゲームなどに手を出していなくて本当に良かった。
「ハロー!!」
「うわぁっ!?」
それはあまりにも突然の来訪で、どうでもいいことに思考を割いていた夏波は、文字通り肩と足を跳ね上げた。悲鳴を上げて反射的に音の方向へと顔をやる。
「お、いい反応! 志賀君もこれくらい驚いてくれてもいいのに」
「マジでうるせぇ」
志賀はうんざりとした様子で、部屋に入ってきた人物に背を向けると、夏波の方へ歩いた。そして対面のソファにどかりと腰を落とし、背もたれに体を沈めこむ。
「威厳ってモンがねーのか、アンタには」
「出そうと思えば出せるわよ。でも今は必要ないでしょ? 警戒は解いてもらわないと」
「警戒煽っといて何言ってんだ。アホか」
遠慮のない志賀の罵倒を笑って受け流しながら、彼女はふわふわとした足取りでやってきた。ハイネックの白いセーターに緑のロングスカート姿。薄化粧にも関わらず、人形の様な可愛らしさを振りまく彼女は、警察署内の雰囲気にはそぐわない程華やかだ。しかし、夏波は彼女の姿を見るなり、勢いよく立ち上がって背筋を伸ばした。
「署長?!」
「あ、どーもー、署長の
さながらアイドルの如く、彼女は手をふりながらも志賀の隣に腰を下ろす。
直接会話した事は一度もないが、顔を見たことなら何度もある人物だった。当然だ。自分が所属する署内のトップ。警察内では勿論、外部の人間にも美人署長として広く知られる人物が、目の前で自分に笑顔を向けている。
うわ、女優さんみたいだ。なんて、その場にそぐわない感想が頭をもたげたのは、まず間違いなく混乱のせいだ。
「あ、座っていいよ」
「は、はい、失礼します」
「うーん、固いなぁ。そんなに畏まらなくても大丈夫なのに。志賀君、何かこの子が怯えるような事したの?」
志賀はその言葉に一瞬反論しかけたが、直ぐに苦々しい表情を浮かべて「あー……」と唸り、
「蹴り飛ばした」
「はぁ!?」
信じられないものを見るように、宮藤は志賀から若干身を離す。
「そこは『お前のせいだろ』って返すとこじゃない!? ツッコミ待ちよこちとら! てか、新しく入ってきた子に何してくれてんの!?」
「るっせぇな。蹴りたくて蹴ったわけじゃねえ。つか一昨日の事はちゃんと報告しただろうがよ」
「えっ、その時の子なの?!」
再び宮藤の視線が夏波を捉えた。伸びたままの姿勢を保ち、夏波は唇を噛んで口を引き結ぶ。
「何やってんのよもう……。ごめんなさいね、えっと夏波……」
「あ、
「夏波君ね。ウチのが大変なご迷惑をおかけしまして……」
「あ、いえそんな……」
宮藤に深々と頭を下げられ、つられる形で夏波も軽く頭を下げる。ちらりと志賀を伺い見れば、不愉快そうに頬杖をついてそっぽを向いていた。
この光景、多分傍から見たら不良少年を引き連れて謝りに来た母親と、新米教師の三者面談みたいになってるんだろうな。
恐らくそれを一言でも漏らせば、志賀の眉間のシワが深くなるだろうことは想像に難くない。
「改めまして、私は青葉中央警察署署長、兼特殊対策室室長の
「……志賀だ」
「下の名前は?」
宮藤の母親のような問いかけに、大きな大きなため息をつくと、彼は「志賀太陽だ」と吐き捨てた。
「特殊対策室、室長……?」
「そう。兼任してるのよ。まぁ、普段実際に動いてるのは志賀君だけなんだけどね」
そこまで言うと、宮藤は立ち上がり、部屋の奥にあった背の低い棚へと歩き出した。
「この部屋寒ーい! 温かい飲み物欲しくなっちゃった。ついでに淹れるから、何飲みたいか教えて?」
「あ、あの、大丈夫です、それなら僕が……」
「ううん、良いのよ。ここの勝手もまだわからないでしょ?」
ニコリと天使のような笑みを見せ、ウインクまでして見せる彼女に思わず気圧される。アイドル顔負けの仕草に毒気を抜かれた夏波がおずおずと「なら、署長と同じ物を……」と頼むと、彼女は「宮藤で良いわよ」と笑いながら背を向けた。
「志賀君はー?」
「いらん」
「じゃぁココアね」
「飾りか、その耳は」
不満気な志賀をさておいて、電気ケトルの中身を確認してからスイッチを入れる。その間に棚からマグカップやお盆を引っ張り出しつつ、宮藤は
「説明始めといてー」
と声を投げた。
志賀は文句を言うでもなく、というよりも完全に諦めた様子で脱力すると、「悪ィが」と口を開く。
「俺は説明がクソ程苦手なんだ。だが、お前にはちゃんと理解してもらわなきゃ困る。分からん部分は都度質問を挟め」
いいな?と念を押され、夏波はこくこくと頷いた。志賀は難しそうに「どっから話したモンか」としばらく思案し、やがて切り出した。
「まず、お前を機捜から引き抜いた理由だが……、それはお前を俺達の監視下に置くためだ」
「か、監視……?」
「言い方が悪ーい! 保・護・下!」
慄いた夏波に、遠くから宮藤のフォローが入る。志賀は一度舌を打つと、「保護下に置くためだ」と言い直した。
「端的に言えば、お前はもう普通の人間じゃ無い」
「えぇ……?」
突拍子のない発言に、夏波は瞼を瞬いた。しかし、志賀は困り果てた様子で口を閉ざし、二の句を紡がない。
「えっと……僕別に何か変わった感じもしませんし、いきなり普通の人間じゃないって言われましても……」
「見た目はな」
志賀は軽く首を横に振った。
「お前、ミツキコウヘイを知ってるか」
「え?えぇと……俳優で……超能力者の?」
突然出た名前に困惑するも、最近三科と話した話題だったおかげでスルリと答えが出る。志賀はその返答に頷いてから続けた。
「お前も、あのミツキと同じ“能力者”である可能性がある」
「え」
「だが、幸いお前の能力は人に危害を加えるタイプのモンじゃないし、恐らく手袋を着けてりゃ抑制でき――」
「ま、待って! ちょっと待ってください!」
あまりにも突飛な話を淡々とされ過ぎて、夏波は片手で頭を抑えながら呻いた。
「えっと……つかぬ事をお伺いしますが……。真面目な話、なんですよね……?」
「冗談言ってるように聞こえたか」
「いや、そういうわけじゃないんですけど、でも流石に……」
夏波はそこで言葉を切ったが、言ってしまえば『そんなほいほいと信じられるか』というのが素直な感想だ。
確かに三科たちとミツキの話をした際に『超能力者がいるのかも』くらいは思ったが、まさかそれが大前提で、ましてや自分の進退にまで絡められるとなると話が違ってくる。
「気持ちは分かるわ。いきなり能力とか言われてもね」
陶器と金属がぶつかる音を立てながら、宮藤はココアの粉をマグによそっていた。
「でも、残念ながら本当に存在するのよ。そういう“力”を持った人っていうのが」
先程までの賑やかな喋り口調から一転し、宮藤は静かに語りかける。鈴を転がすような声だ。こちらを見る事こそしなかったが、その仕草こそが、これは冗談などではないと言外に示していた。
「存在するって……いや、でも……」
そこで夏波は押し黙った。きっとこれは、一度『超能力』という言葉を飲み込んだ上で話を聞いた方が良いのだろう。まさか夏波をからかうために時間を割くような人物たちでもあるまい。昨日の出来事を加味しても、恐らくこれは理解しなければならない事柄の説明なのだ。
志賀は夏波の様子を窺いながらも、続きを口にした。
「お前が疑う理由も分かる。だがさっき宮藤が言った通り、この世界には不可思議な能力が使えるようになってしまった人間が、確かに存在している」
「……なってしまった?」
「あぁ」
彼は頷く。
「人間が発現させる能力ってのは、それぞれ特性が違う。ミツキのように物を浮かせる能力もあれば、それこそ漫画やゲームにあるように、火を出したり、物を凍らせたりする能力もある。漫画の中の世界と明確に違うのは、能力者がその力を操れるか否かだ」
夏波が思い描いていたのは、最近話題の異能力を扱う漫画だった。キャラクターが各々能力を持ち、その能力を駆使して悪を討つヒーローモノ。彼らは手や身体から火を出したり、自分の影を操ったり、はたまた時を操ったりして、人を苦しめるヴィランを打ち倒すのだ。正義を全うする、爽快感のあるストーリーが人気だった。
だが、もしも。能力を持っているキャラクターが、手や身体から出したその能力を操れないなんてことがあったとしたら。発動できないならまだいい。発動した上でなら、大惨事は目に見えている。
「能力は本人の意志で扱える代物じゃない。ある日突然発現して、条件さえ達しちまえば否が応にでも行使される。それもその条件は」
志賀は、黒い手袋のはまった右手を夏波に見せるように開いた。
「手で触れること」
「……それだけ、ですか?」
「そう。それだけだ」
志賀は拳を握り、それをパーカーのポケットにしまい込む。そのままソファに深く沈み込んで、仏頂面のまま続けた。
「能力に目覚める前兆なんてモンはない。大体の能力者がいつの間にか能力を発現させて、そして何気なく何かに触れちまう」
例えばそれが、モノを燃やすなんて能力だとして。何気なく触れたモノが、人間だったとしたならば。
志賀はそんな例えを持ち出して、しかしその結論は口にしなかった。
ふと、夏波は三科が見せてくれたあの動画を思い出す。動画内のミツキは、終始不安げな顔をしていた。あの時の自分には、彼が何故そんな表情を浮かべているのかは分からなかったが、もしも志賀の話が本当で、ミツキも同じ条件を持つ能力者だとしたのなら。物を“浮かせている”のでは無く、触れたものが全て“浮いてしまっている”のだとしたら。自分が制御しきれない力に対しての不安が、あの表情の正体だったとでもいうのだろうか。
「漫画やゲームの登場人物が能力を使って人を救えているのは、それを自分の意志で扱えるからだ。だが現実はそうじゃない。操る事も出来なければ、使わないという選択すらも取れない。
特殊対策室の使命は、そうして立ちいかなくなった能力者の保護。及び――能力の『撲滅』だ」
「撲滅って……」
あまりの言い方に夏波は思わず宮藤を見やる。しかし宮藤は困ったように笑うだけで、先程のようにフォローする素振りは見せなかった。志賀はお構いなしに続ける。
「こんな力は、存在するべきじゃない」
能力者は決してヒーローにはなれない。
彼はそう結論づけた。