5-10 ささやかな願い
文字数 2,556文字
「信じられない……」
後部座席から身を乗り出していた宮藤が、頭を押さえて深く息を吐き出した。
「なんかおかしいと思ったのよ。志賀君が部下とはいえ女の子を家に住まわせるなんて言い出すから……」
「ならそん時に指摘しろ。俺の家がどうのと的外れな事言いやがって」
「だって!ツッコミどころ多過ぎてどこからツッコんでいいか分かんなかったんだもんっ!」
「キモいから『もん』は止めろ」
「酷い!!」
運転席でハンドルを切っていた志賀から暴言が飛ぶと、宮藤は座席に戻りながらさめざめと顔を手で覆った。
「夏波君と伊霧君の安全を考えたら、最適かなと思ったのも事実だったのよ。能力への対処はしやすいし、ミヤギからは守れるし、この弩級の朴念仁に危険性があるわけが無いし」
「馬鹿にしてんのか」
「してるよ!?すごいしてる!丸3ヶ月だよ!?もう数日で年明けるのよ!?その間 ずっと夏波君の性別勘違いして接してたお馬鹿はどこの誰!?」
「だから……謝罪はしてる」
「あ、あの、僕は全然大丈夫なので……」
言い合いの真ん中に挟まれた夏波が、おずおずと止めに入った。余りの痛たまれなさに涙が出そうだ。身体を固めながらも、目の奥で辛うじて押し留める。
「本当にごめんね夏波君……こんなのでもウチの主戦力だから、訴えるのだけは勘弁して頂戴ね……」
「う、訴えませんよ!僕だって志賀さんには沢山助けられてきましたし……!」
そう。散々助けられてきた。その中で志賀が夏波に接触する機会も、何なら抱き抱えられる機会も何度かあったはずだ。それなのについ昨日まで女性であると思われていなかった。という事は。
シートベルトの通った自分の胸部を見下ろして、夏波は思わずため息を吐く。幸い車の走行音に掻き消され、2人には聞こえていないらしい。
気にした事は殆ど無いし、男だと見られていた方が警察という組織内ではかなり立ち回りやすい。自ら進んで勘違いされに行っている節があるくらいだ。が、今回に限っては、何故だか傷ついている自分がいた。
「それに関しては全面的に俺が悪かった。……家を引き払うなら、それなりに援助もする」
珍しく非を認めている志賀に、夏波はゆるゆると首を横に振った。
「い、いえ、あの、……できれば、あのまま住ませてもらえたらなー……と」
「無理はすんな。同居人は仮にも男2人だ」
「いえ、お2人の事は信頼してますし、……何より、その……」
怖いんです。
ポツリと溢れた言葉に、志賀と宮藤は目を見張る。
「1人で部屋に帰ってきて……また、誰かがいたらどうしよう、って……、前まですごく怖くて」
思い出すだけで背中に怖気が走る。
ミヤギが部屋に入り込んでからというもの、夏波は自宅に帰る度に、同じ恐怖に苛まれていた。
女性であるが故、三科と同じ独身寮に入るわけにもいかず、例え引越しをしてセキュリティの厚いマンションや寮に住んだとしても、『誰かが入っているかも』という懸念は付き纏う。最早家が精神を休められる場所では無くなっていた所に、今回の救いの手だ。
「あの家に帰ってくる時は基本匠君と一緒ですし、もし誰かいたらって想像しても、『怖い』より『守らなきゃ』って思えるんです。……それに、何かあったら迷わず志賀さんを呼んで良いんだって思ったら、すごく心強くて……。だから……その、このまま置いてもらえると有り難いなと……」
無論匠の身の安全を守りたい、力になりたいという思いが前提だ。けれど、既に手に入れてしまった安寧を逃したく無い、という私欲があるのも確かだった。
チラリと隣の運転席を盗み見ると、志賀は明らかに複雑そうな表情を作っている。
「あっ、で、でも、志賀さんが嫌なら別に……」
「夏波君、その話を聞いて突っぱねる奴がいたら、それは鬼か悪魔よ」
夏波の両肩に白い手袋を装着した手が乗った。宮藤は有無を言わせぬ笑顔で志賀の横顔に圧をかける。
「私の家にとも考えたけど、そういう事情なら2人と住んだ方が良さそうよね?ね?流石に断ったら今後鬼って呼ぶからね?というかそもそもこの子泣かせたらただじゃおかないからね?」
「分かった。分かったから取り敢えず黙れ」
疑問符を並べ立てている割に、志賀にはまるで回答権がない。宮藤の様子が以前志賀にくってかかった村山に重なって、夏波は困ったように微笑んだ。対する志賀は端的な暴言を投げつつ、ブレーキを踏む。
車が止まった事を確認し、彼は夏波の顔を覗くように視線を向けた。
「本当に良いんだな。昨日みたいな事が無いとは言い切れんぞ」
「の、ノックくらいしてくださいよ!」
「……お前の部屋と風呂場周辺は徹底する」
「匠君の部屋も、そうした方いいと思います」
会話の途中、宮藤が「え、待って、何かあったの?」とか「あれ?無視?」とか言ってはいたが、ここは流石に返事をしない。
「あと……あの……」
もう1つ、いやできれば2つ程要望はあるのだが、何となく切り出し難く言葉を濁した。もじもじと言い淀んでいる夏波に、背後の宮藤は「言いたい事は、言わなきゃ伝わらないわよ!」とエールを送る。
「お、お願いがあって」
「何だ」
「…………家に帰ってきたら、『ただいま』って……言ってもらえませんか」
ぴしり、と何故か宮藤が固まった。
「いきなり声かけられるとびっくりするのでっ、……あと、折角なのでご飯も……食べてくれると、嬉しいなって……」
沈黙を恐れて一気に言い切る。それはあまりにも細 やかな願い事。しかし夏波にとっては、志賀の迷惑にならないか心配で仕方がない要望だ。
「そんな事か」
と、彼はどこか気の抜けた調子で答えた。
「それくらい濁さず普通に言え」
「い、嫌じゃ無いですか?」
「別に。むしろ飯に関しては、あるならもらう。美味かったし」
今度は夏波が固まった。あまりに予想外の言葉に、時が止まったような心地さえする。
「あ、……ありがとう、ございます……」
お礼を言いながら、夏波はさりげなく志賀から顔を背ける形で窓の外を見やった。
そういえば今日の朝、志賀用によそっていた分の肉じゃががいつの間にか無くなっていたのを思い出し、顔がみるみる熱くなっていく。
「私今、新婚夫婦に挟まれてたりする?」という宮藤の呟きは、ノールックで放たれた志賀の裏拳で強制停止させられていた。
後部座席から身を乗り出していた宮藤が、頭を押さえて深く息を吐き出した。
「なんかおかしいと思ったのよ。志賀君が部下とはいえ女の子を家に住まわせるなんて言い出すから……」
「ならそん時に指摘しろ。俺の家がどうのと的外れな事言いやがって」
「だって!ツッコミどころ多過ぎてどこからツッコんでいいか分かんなかったんだもんっ!」
「キモいから『もん』は止めろ」
「酷い!!」
運転席でハンドルを切っていた志賀から暴言が飛ぶと、宮藤は座席に戻りながらさめざめと顔を手で覆った。
「夏波君と伊霧君の安全を考えたら、最適かなと思ったのも事実だったのよ。能力への対処はしやすいし、ミヤギからは守れるし、この弩級の朴念仁に危険性があるわけが無いし」
「馬鹿にしてんのか」
「してるよ!?すごいしてる!丸3ヶ月だよ!?もう数日で年明けるのよ!?その
「だから……謝罪はしてる」
「あ、あの、僕は全然大丈夫なので……」
言い合いの真ん中に挟まれた夏波が、おずおずと止めに入った。余りの痛たまれなさに涙が出そうだ。身体を固めながらも、目の奥で辛うじて押し留める。
「本当にごめんね夏波君……こんなのでもウチの主戦力だから、訴えるのだけは勘弁して頂戴ね……」
「う、訴えませんよ!僕だって志賀さんには沢山助けられてきましたし……!」
そう。散々助けられてきた。その中で志賀が夏波に接触する機会も、何なら抱き抱えられる機会も何度かあったはずだ。それなのについ昨日まで女性であると思われていなかった。という事は。
シートベルトの通った自分の胸部を見下ろして、夏波は思わずため息を吐く。幸い車の走行音に掻き消され、2人には聞こえていないらしい。
気にした事は殆ど無いし、男だと見られていた方が警察という組織内ではかなり立ち回りやすい。自ら進んで勘違いされに行っている節があるくらいだ。が、今回に限っては、何故だか傷ついている自分がいた。
「それに関しては全面的に俺が悪かった。……家を引き払うなら、それなりに援助もする」
珍しく非を認めている志賀に、夏波はゆるゆると首を横に振った。
「い、いえ、あの、……できれば、あのまま住ませてもらえたらなー……と」
「無理はすんな。同居人は仮にも男2人だ」
「いえ、お2人の事は信頼してますし、……何より、その……」
怖いんです。
ポツリと溢れた言葉に、志賀と宮藤は目を見張る。
「1人で部屋に帰ってきて……また、誰かがいたらどうしよう、って……、前まですごく怖くて」
思い出すだけで背中に怖気が走る。
ミヤギが部屋に入り込んでからというもの、夏波は自宅に帰る度に、同じ恐怖に苛まれていた。
女性であるが故、三科と同じ独身寮に入るわけにもいかず、例え引越しをしてセキュリティの厚いマンションや寮に住んだとしても、『誰かが入っているかも』という懸念は付き纏う。最早家が精神を休められる場所では無くなっていた所に、今回の救いの手だ。
「あの家に帰ってくる時は基本匠君と一緒ですし、もし誰かいたらって想像しても、『怖い』より『守らなきゃ』って思えるんです。……それに、何かあったら迷わず志賀さんを呼んで良いんだって思ったら、すごく心強くて……。だから……その、このまま置いてもらえると有り難いなと……」
無論匠の身の安全を守りたい、力になりたいという思いが前提だ。けれど、既に手に入れてしまった安寧を逃したく無い、という私欲があるのも確かだった。
チラリと隣の運転席を盗み見ると、志賀は明らかに複雑そうな表情を作っている。
「あっ、で、でも、志賀さんが嫌なら別に……」
「夏波君、その話を聞いて突っぱねる奴がいたら、それは鬼か悪魔よ」
夏波の両肩に白い手袋を装着した手が乗った。宮藤は有無を言わせぬ笑顔で志賀の横顔に圧をかける。
「私の家にとも考えたけど、そういう事情なら2人と住んだ方が良さそうよね?ね?流石に断ったら今後鬼って呼ぶからね?というかそもそもこの子泣かせたらただじゃおかないからね?」
「分かった。分かったから取り敢えず黙れ」
疑問符を並べ立てている割に、志賀にはまるで回答権がない。宮藤の様子が以前志賀にくってかかった村山に重なって、夏波は困ったように微笑んだ。対する志賀は端的な暴言を投げつつ、ブレーキを踏む。
車が止まった事を確認し、彼は夏波の顔を覗くように視線を向けた。
「本当に良いんだな。昨日みたいな事が無いとは言い切れんぞ」
「の、ノックくらいしてくださいよ!」
「……お前の部屋と風呂場周辺は徹底する」
「匠君の部屋も、そうした方いいと思います」
会話の途中、宮藤が「え、待って、何かあったの?」とか「あれ?無視?」とか言ってはいたが、ここは流石に返事をしない。
「あと……あの……」
もう1つ、いやできれば2つ程要望はあるのだが、何となく切り出し難く言葉を濁した。もじもじと言い淀んでいる夏波に、背後の宮藤は「言いたい事は、言わなきゃ伝わらないわよ!」とエールを送る。
「お、お願いがあって」
「何だ」
「…………家に帰ってきたら、『ただいま』って……言ってもらえませんか」
ぴしり、と何故か宮藤が固まった。
「いきなり声かけられるとびっくりするのでっ、……あと、折角なのでご飯も……食べてくれると、嬉しいなって……」
沈黙を恐れて一気に言い切る。それはあまりにも
「そんな事か」
と、彼はどこか気の抜けた調子で答えた。
「それくらい濁さず普通に言え」
「い、嫌じゃ無いですか?」
「別に。むしろ飯に関しては、あるならもらう。美味かったし」
今度は夏波が固まった。あまりに予想外の言葉に、時が止まったような心地さえする。
「あ、……ありがとう、ございます……」
お礼を言いながら、夏波はさりげなく志賀から顔を背ける形で窓の外を見やった。
そういえば今日の朝、志賀用によそっていた分の肉じゃががいつの間にか無くなっていたのを思い出し、顔がみるみる熱くなっていく。
「私今、新婚夫婦に挟まれてたりする?」という宮藤の呟きは、ノールックで放たれた志賀の裏拳で強制停止させられていた。