4-6 罪と罰と
文字数 2,597文字
「夏波」
しばらく黙り込んでいた志賀が、口を開いた。
「お前も話せ」
ぶっきらぼうに投げられた言葉に対し、夏波はすぐに答える事ができなかった。
だが、何の話をしているのかは分かる。昨日志賀に抱きついて泣いた理由を話せと言っているのだ。
話さなければならない。誤魔化してはいけないとも理解していたが、どうしても喉の奥に言葉が突っかかる。
夏波はしばらく自分の手を見つめ続けていたが、志賀は急かすことをしなかった。
「……取り返しのつかないことをしました」
掠れる声。志賀が「能力を使ったな」と宙空に声を投げる。夏波は驚いて志賀を見上げた。
「どうして分かったんですか」
「分かるさ」
彼は嘯いて、地面を見下すように視線を落とす。
「記憶を読み取る以外に、何か起こったんだろ」
「……はい」
夏波は話した。以前病院で伊霧匠と出会った時の話。自分が伊霧匠の記憶を見た事。そして昨日、伊霧匠が姉である伊霧芽郁の存在を忘れていた事実。
「3年前の事を調べてたのか」
「どうしても気になって……」
話をしながら脳裏を掠めるのは、ミヤギの顔だった。話してしまった方がきっと楽になれる。しかし、一度家に入り込まれた身としては、どこでどう聞き耳を立てているかわかったものではなく、ただ恐ろしかった。
結局ミヤギの存在を伝える事はせず、3年前の事柄については自分が興味を持った体で、宮藤を忘れた青年の話も洗いざらい口に出す。
志賀は夏波の話を一通り聞き終わると、深く胸の中の空気を吐き出した。
「……悪かった」
話している内に涙が溢れていたことを悟られたくなくて、夏波は声だけを必死に取り繕う。
「な、何で志賀さんが謝るんですか? 悪いのは全部僕で、……忠告さえ守っていれば、こんな事には」
「いや、お前にとって納得できる事じゃないってのは……薄々理解していた。一見害がなく、有益な情報ばかりが手に入るのなら、尚更な」
事実、宮藤と志賀の間でも意見は割れていたのだ、と志賀は話す。
「能力の得体の知れなさを、もっと話すべきだったんだ。それなら幾らでも説明できた。それを俺は怠った」
それは違う、と夏波は反論のために呼吸を整える。
志賀は確かに説明をしたのだ。能力を使うと何が起こるか分からない事も、何かが起こった時誰にも対処が出来ないという事実も。実際、夏波だって一度はそれに納得した。志賀の懸念を汲み取っていたくせに、踏み越えたのは夏波自身だ。
しかしいざ夏波が口を開こうとした瞬間、志賀の声が被さる。
「1人で背負うな」
その懇願に、何とか収めたはずの涙がまた溢れた。ボタボタとコンクリートに水が落ちる。
縋ってはいけない言葉だと分かっていた。そのまま飲み込んで、夏波の過ちを志賀に背負わせる事は間違いだ。
責めて欲しい。怒ってほしい。その方がまだ楽になれる。
そう考えて、また自己嫌悪が巡った。
――楽になれるってなんだ
どこまでも卑怯な自分自身に嫌気が差す。この期に及んでまだ自分の事しか考えてないのか。
何をしても、何を考えても許されない気がしていた。誰の手に縋ることも、楽になる事もなく、苦しさに溺れ続ける事だけが贖罪たりうる。そうとしか考えられない。
「夏波」
頭の上に手が乗って、ビクリと身体が跳ねた。涙でぼろぼろになった顔を見せられないと、夏波は俯いたまま「すみません」と呟く。志賀は困ったように「何に謝ってんだお前は」と吐息混じりに零した。
「過去は戻らない。取り返しがつかないのも事実だ。だが、お前が傷つき続ける事は、罪滅ぼしにはならない」
「でも……僕は」
「苦しんで、立ち上がれなくなって、それでどうなる。お前が苦しいと思い続ける事で誰か救われんのか」
痛い。耳を塞ぎたくなる言葉に奥歯を噛む。
しかし、その1つ1つを、志賀はまるで自身にも言い聞かせているかのように落としていく。
「誰も望んでないんだ。誰一人として、お前が苦しむ事を望んでない。苦しまない事を不謹慎だと思うな。楽になる事は悪じゃない」
ゆっくりと頭を撫でられ、不思議と息苦しさが薄らいだ。胸の中の蟠りが、僅かに解ける。
「それに、お前はまだ間に合う。伊霧匠は死んだ訳じゃないだろ。何か手段を講じれば記憶が戻るかもしれないし、そうでなくとも、お前が伊霧芽郁の事を伝えればいい」
だからもう苦しむな。
優しい声音、とは言い難い。全く言い慣れていないのだろう口調で、それでも必死に言葉を紡いでくれているのだと分かる。
夏波は長く息をついた。昨日今日で泣きすぎて、もう目の腫れぼったさなど気にならない。
「何もできてなくて……色んな人に、迷惑ばかりかけて……。助けたいと思うのに、僕は……」
全てが裏目に出る。救おうと手を伸ばしても、助けたいと駆けつけても、何かを救えた試しはないのだ。
もういっそ何もしない方が――
「止めるのか」
頭を撫でていた手が止まる。はっとして、夏波は体を強張らせた。
「それがお前の選択なら、それでも良い」
受け入れているようであり、突き放すようでもあった。僅かに逡巡する様子を見せたが、志賀はそれきり口を閉ざす。
夏波はすぐに、首を横に振った。
「できない……です。……だって、僕は誰かの助けになりたくて、警察になったから」
今更変われない。何もしないなんて、どうせできない。困っている人がいたら手を差し伸べてしまう。誰かの助けになって、誰かの幸せを願って、そうして生きていたい。
伊霧匠の事も、志賀の事も、何もかもを放り出すなんて選択肢は取れないのだ。
「……だろうな」
酷く寂しそうな声だった。頭から手が離れると同時に、夏波は志賀を見上げる。
「すみません……。自分で言ったくせに、自分で否定したりして……」
「そんなもんだ」
志賀はまた街並みへと視線を戻し、素っ気のない返事をした。
――僕が苦しんでても、何も変わらない
志賀の言葉を反芻すると、苦しさよりもやらなければならない事が湧き上がる。完全に前を向けたとは言えないが、少なくとも溺れていた場所から引き上げてもらった心地ではあった。
涙を拭う。そして立ち上がる。
「……ただ……お前は何もしなくても、お前で良い」
隣でぽつねんと志賀が呟いた。しかしその意味を上手く汲み取れず、夏波は首を傾ぐ。
「何でもない」
志賀は頭を振った。
そしてまた、ぽつぽつと過去の記憶を話すべく、口を開くのだ。
しばらく黙り込んでいた志賀が、口を開いた。
「お前も話せ」
ぶっきらぼうに投げられた言葉に対し、夏波はすぐに答える事ができなかった。
だが、何の話をしているのかは分かる。昨日志賀に抱きついて泣いた理由を話せと言っているのだ。
話さなければならない。誤魔化してはいけないとも理解していたが、どうしても喉の奥に言葉が突っかかる。
夏波はしばらく自分の手を見つめ続けていたが、志賀は急かすことをしなかった。
「……取り返しのつかないことをしました」
掠れる声。志賀が「能力を使ったな」と宙空に声を投げる。夏波は驚いて志賀を見上げた。
「どうして分かったんですか」
「分かるさ」
彼は嘯いて、地面を見下すように視線を落とす。
「記憶を読み取る以外に、何か起こったんだろ」
「……はい」
夏波は話した。以前病院で伊霧匠と出会った時の話。自分が伊霧匠の記憶を見た事。そして昨日、伊霧匠が姉である伊霧芽郁の存在を忘れていた事実。
「3年前の事を調べてたのか」
「どうしても気になって……」
話をしながら脳裏を掠めるのは、ミヤギの顔だった。話してしまった方がきっと楽になれる。しかし、一度家に入り込まれた身としては、どこでどう聞き耳を立てているかわかったものではなく、ただ恐ろしかった。
結局ミヤギの存在を伝える事はせず、3年前の事柄については自分が興味を持った体で、宮藤を忘れた青年の話も洗いざらい口に出す。
志賀は夏波の話を一通り聞き終わると、深く胸の中の空気を吐き出した。
「……悪かった」
話している内に涙が溢れていたことを悟られたくなくて、夏波は声だけを必死に取り繕う。
「な、何で志賀さんが謝るんですか? 悪いのは全部僕で、……忠告さえ守っていれば、こんな事には」
「いや、お前にとって納得できる事じゃないってのは……薄々理解していた。一見害がなく、有益な情報ばかりが手に入るのなら、尚更な」
事実、宮藤と志賀の間でも意見は割れていたのだ、と志賀は話す。
「能力の得体の知れなさを、もっと話すべきだったんだ。それなら幾らでも説明できた。それを俺は怠った」
それは違う、と夏波は反論のために呼吸を整える。
志賀は確かに説明をしたのだ。能力を使うと何が起こるか分からない事も、何かが起こった時誰にも対処が出来ないという事実も。実際、夏波だって一度はそれに納得した。志賀の懸念を汲み取っていたくせに、踏み越えたのは夏波自身だ。
しかしいざ夏波が口を開こうとした瞬間、志賀の声が被さる。
「1人で背負うな」
その懇願に、何とか収めたはずの涙がまた溢れた。ボタボタとコンクリートに水が落ちる。
縋ってはいけない言葉だと分かっていた。そのまま飲み込んで、夏波の過ちを志賀に背負わせる事は間違いだ。
責めて欲しい。怒ってほしい。その方がまだ楽になれる。
そう考えて、また自己嫌悪が巡った。
――楽になれるってなんだ
どこまでも卑怯な自分自身に嫌気が差す。この期に及んでまだ自分の事しか考えてないのか。
何をしても、何を考えても許されない気がしていた。誰の手に縋ることも、楽になる事もなく、苦しさに溺れ続ける事だけが贖罪たりうる。そうとしか考えられない。
「夏波」
頭の上に手が乗って、ビクリと身体が跳ねた。涙でぼろぼろになった顔を見せられないと、夏波は俯いたまま「すみません」と呟く。志賀は困ったように「何に謝ってんだお前は」と吐息混じりに零した。
「過去は戻らない。取り返しがつかないのも事実だ。だが、お前が傷つき続ける事は、罪滅ぼしにはならない」
「でも……僕は」
「苦しんで、立ち上がれなくなって、それでどうなる。お前が苦しいと思い続ける事で誰か救われんのか」
痛い。耳を塞ぎたくなる言葉に奥歯を噛む。
しかし、その1つ1つを、志賀はまるで自身にも言い聞かせているかのように落としていく。
「誰も望んでないんだ。誰一人として、お前が苦しむ事を望んでない。苦しまない事を不謹慎だと思うな。楽になる事は悪じゃない」
ゆっくりと頭を撫でられ、不思議と息苦しさが薄らいだ。胸の中の蟠りが、僅かに解ける。
「それに、お前はまだ間に合う。伊霧匠は死んだ訳じゃないだろ。何か手段を講じれば記憶が戻るかもしれないし、そうでなくとも、お前が伊霧芽郁の事を伝えればいい」
だからもう苦しむな。
優しい声音、とは言い難い。全く言い慣れていないのだろう口調で、それでも必死に言葉を紡いでくれているのだと分かる。
夏波は長く息をついた。昨日今日で泣きすぎて、もう目の腫れぼったさなど気にならない。
「何もできてなくて……色んな人に、迷惑ばかりかけて……。助けたいと思うのに、僕は……」
全てが裏目に出る。救おうと手を伸ばしても、助けたいと駆けつけても、何かを救えた試しはないのだ。
もういっそ何もしない方が――
「止めるのか」
頭を撫でていた手が止まる。はっとして、夏波は体を強張らせた。
「それがお前の選択なら、それでも良い」
受け入れているようであり、突き放すようでもあった。僅かに逡巡する様子を見せたが、志賀はそれきり口を閉ざす。
夏波はすぐに、首を横に振った。
「できない……です。……だって、僕は誰かの助けになりたくて、警察になったから」
今更変われない。何もしないなんて、どうせできない。困っている人がいたら手を差し伸べてしまう。誰かの助けになって、誰かの幸せを願って、そうして生きていたい。
伊霧匠の事も、志賀の事も、何もかもを放り出すなんて選択肢は取れないのだ。
「……だろうな」
酷く寂しそうな声だった。頭から手が離れると同時に、夏波は志賀を見上げる。
「すみません……。自分で言ったくせに、自分で否定したりして……」
「そんなもんだ」
志賀はまた街並みへと視線を戻し、素っ気のない返事をした。
――僕が苦しんでても、何も変わらない
志賀の言葉を反芻すると、苦しさよりもやらなければならない事が湧き上がる。完全に前を向けたとは言えないが、少なくとも溺れていた場所から引き上げてもらった心地ではあった。
涙を拭う。そして立ち上がる。
「……ただ……お前は何もしなくても、お前で良い」
隣でぽつねんと志賀が呟いた。しかしその意味を上手く汲み取れず、夏波は首を傾ぐ。
「何でもない」
志賀は頭を振った。
そしてまた、ぽつぽつと過去の記憶を話すべく、口を開くのだ。