第22話 またまたご飯?

文字数 3,590文字

月無さんがメモしていて、他に気になったことはある?
 「他に」と言われても、そう急にポンポンとは出てこない……早智は考える時間がほしくて別のことを先輩に問いかける。
ええと……その前に、弥恵さんを引っ張ってくる幽……霊? か悪魔……? 何なのかよくわかりませんけど、それをどうしたいのか確認しなくてもいいんですか? スズちゃんのときみたいに……。
そうだった……さっちゃんよく覚えてるねー、大事なこと。
そうだね……弥恵さんが何に困っているのかは聞けたから、今度はそれをどうしたいのか確認しようかな。
「何をどうしたいのか」?……私を引っ張ってくるものをどうしたいのか? ってことですか?
そう、弥恵さんは今、食事中見えない何かに手足を引っ張られて困ってるけど、最終的にそれをどうしたいと思ってる?
えっ……普通に食事ができるようになりたいです。
「普通に」っていうのは、「元に戻りたい」ってこと?
元に……というか……。
目に見えない何か……んー、これいちいち言うの面倒くさいなー……とりあえず、弥恵さんを引っ張ってくるもののこと「悪魔」って呼ぶことにしようか。弥恵さんは、それに邪魔されずに食事ができるようになりたいだけ? 
えっと……そうです。
んっ、本当に? それは前と同じように食事ができる生活に戻ればOKってこと?
 弥恵さんが詰まったのを見て、先輩は少し気になった様子で質問を重ねる。
「普通に」食事ができるようになりたいっていうのは、「前みたいに」食事ができるようになりたいってことでいいのかな? さっきも聞いたけど……。
…………もともと普通じゃ…………。
えっ?
 ピンポーン……その時、弥恵さんの返事に途中から重なるように玄関のチャイムが鳴った。
あっ……きっとお父さんね。さっきもうすぐ着くってメールがあったから。ちょっと待ってて。
えっ、もう夕方か……。
 パタパタと玄関に向かった弥恵さんのお母さんは、少しして小柄なおじさんと一緒に戻ってきた。あまり感情を表現するタイプじゃないのか、早智たちを見ても無表情のままだ。何か挨拶しようとして口を開いたように見えたけれども、そのまましばらく言葉が出てこない。
…………ただいま。
おかえり、お父さん。
 やっと出てきた言葉は娘に向かってかけられ、早智たちにはもう一度くるっと振り向いて、軽く会釈だけがなされた。
黒間さん、お久しぶりです。
…………ああ、元気かい?
 しゃがれた低い声がボソリと出てくる。寡黙な人というのは本当らしい……話すのがそんなに得意そうには見えない。
おかげさまで……こうしてちゃんと話すのは初めてかもしれないですね。
…………ああ。
 この人は職場で困らないのだろうか? 思わず心配してしまうほど言葉数が少ない。食事中どころか、ほとんどいつも黙ってそうだ……。
…………君達は?
 弥恵さんのお父さんは、先輩から早智たちの方に目を移して聞いてきた。
ほら、亮くんが連れてくるかもって言ってた学生さんたちよ。今まで弥恵の話聞いて色々教えてくれてたの。
そうか…………ご飯、みんなも食べていくのか?
えっ?
亮くんには夕食まで残ってもらえるようにお願いしてたけど……よかったら他のみんなも食べていく?
俺はもともと実際に何が起きてるのか見て欲しいって言われてたからそのつもりで来たんだけど、古和と月無さんはどうする?
あっ、あの……人前でご飯食べるの苦手って言ってませんでしたっけ?
今日はもともと、そのつもりで用意してたから……私たちだけじゃ、もうどうにもならないし、亮くんに相談するなら実際に見てもらうのが一番早いと思ったの。だから今晩は数人分夕食の用意がしてあって……けど、他の人は無理にとは言わないわ。
でも、よかったら……古和さんと早智さんも一緒に残っていただけると……まだ話の途中でしたし、ダメですか?
おっ、いいんですかー、お邪魔しちゃって? なら遠慮なくご馳走になります。さっちゃんもよかったね、今日は自炊しなくて済むよー。
 うっ……晩御飯まで残っていかなくてはならない雰囲気になってしまった。今は何も見えないが、食事が始まったら現れるという「それ」にご対面する覚悟はできていない。早智は口の中が急に渇いてきた。
あの、私と父のことなら気にしなくても……学校や職場では普通にみんなの前でお弁当食べてますから。
いやー、すみません。ご馳走になります。
あっ、ありがとうございます……。
 結局、早智も八津貝先輩や部長と一緒に夕食まで残ることになってしまった。「そのつもりで用意していた」と口にされたとおり、弥恵さんのお父さんが上着をかけてテーブルに着くと、もう料理はレンジで温めて机に並べるだけになっていた。ちゃんと、先輩が連れてくるかもしれない早智や部長の分までもともと用意してくれていたらしい。
えっと……食事が始まったら、いつもだとしばらくしてこの子が引っ張られるから……急に驚かされるかもしれないけど、ごめんね。
…………怪我だけ気をつけてほしい。
今までも、弥恵さんが引っ張られて怪我しちゃうこととかあったんですか?
私自身は引っ張られても、せいぜい椅子から落ちたりするだけなんですけど……何度かお母さんに料理をぶちまけそうになって……。
だから今日は汁物がないのか……。
あと、引っ張られた拍子にスプーンを手から離して当たりそうになったこともあって……。
あっ、だから使い捨ての軽いスプーン……。
お箸とかフォークだと誰かの目に刺さっちゃうといけないから、食べにくいけどごめんね……私に何か飛んできたときは、いつもお父さんが庇ってくれたから怪我したことはないんだけど。
ああ………だが、みんな気をつけてくれ。
 無口で言葉足らずだけど、弥恵さんのお父さんは悪い人じゃなさそうだ。ほとんど早智たちと目を合わせることはなかったが……「すごくシャイなんです」という弥恵さんの言葉に誇張は含まれてないらしい。
それじゃあ、どうぞいただいて。あっ……亮くんたちは食事前にお祈りするんだったっけ?
人前で食べるときとか外食するときとかは各自で黙祷しているから気にしなくていいですよ。
あっ、先輩の家もそうなんですね。
 クリスチャンによっては、どこであろうと誰の前であろうと必ず食前にお祈りする家庭もあるが、早智は友達の前でそれをするのが恥ずかしくて、小さい頃から短く黙祷だけして食べていた。家にいるときも幼稚園くらいまでは、お祈りに曲のついた短い歌で済ませていた記憶がある。
食前のお祈りって、唱えるときはどんなふうにするんですか? 私の大学もクリスチャンの人何人か来てるんですけど、みんな食事のときは黙祷だから聞いたことなくて。
私も聞いたことないかも……舞もお祈りは必ずしてたけど、いつも黙祷だったから。
そうなのか……みんなが嫌じゃなかったら声に出してお祈りしてもいいけど。
あなた、弥恵のこともあるし、亮くんにお祈りしてもらって食事する?
…………ああ。
なんかこれだけみんな見られてると緊張してきたな……。
 そう言いながらも先輩はスッと手を胸の前で組み、目を閉じてお祈りのポーズをする。ちなみに、お祈りのポーズというのも別に「手を組まなければならない」と決まっているわけではない。

 現代の日本ではそれが一般的なだけで、「オラショ」と呼ばれる両手を合わせた「いただきます」のような姿勢もあるし、左右の手を天に向かって広げて祈る姿勢もある。ようは落ち着いて神様に祈ることができれば、人それぞれのポーズでかまわないのだ。
じゃあ、ひと言お祈りをします。

恵みの神様、今いただく食べ物を、主イエスの名によって感謝していただきます。

弥恵さんの直面している悩みや、お父さんお母さんの不安を取り除いてください。また、一緒に来てくれた古和さんや早智さんのこともお護りください。それぞれが必要としているものをあなたが与えてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
 あっ、懐かしい……と早智が思ったのは、先輩のお祈りに出てきた最初の一文が、小さい頃メロディーに乗せて歌っていたお祈りと一緒の言葉だったからだ。先輩も子どもの頃、もしかしたら同じ歌を歌っていたのかもしれない。
前から気になってたんだけど……お祈りの最後につける「アーメン」ってどういう意味があるの?
聖書の原文に使われている言葉で、「そのとおりです」とか「そのとおりになりますように」っていう意味です。
あっ、学校のキリスト教学の授業で聞いたかも……。
うちの学校でも同じこと習ったなー。さあ、せっかくだから冷めないうちに食べようか? さっちゃん。
あっ、はい。いただきます……。
 スズのときも今回も、どういうわけか先輩のエクソシストに付き合うとご飯に招かれてしまう……久々に家族以外の人とお祈りをして、その日、早智の夕食は静かに始まった……。
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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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