第11話 十字の切り方はどっちから?

文字数 2,824文字

なるほど、なるほど……それでみんなしてかわいい後輩の家に押しかけようとしているわけですか。
押しかけるって……何でお前はいつもこういうタイミングで出てくるんだ? 本気で盗聴器でもしかけてるのかと思うぞ。
だから言ってるじゃん。八津谷くんが厄介ごとを引き寄せるように、私は事件に呼ばれる体質なのだよ。
あの……お知り合いですか?
 みんなでスズの家へ向かおうとしている矢先、なぜか部長と鉢合わせしてしまった一行。気がつくと、そのまま部長も一緒になって彼女の家へ向かっていた。どうも、部長は「事件」と聞くとついてこずにはいられない性格のようだ。八津貝先輩の慣れている様子を見ると、これが初めてというわけでもないらしい。
この人は八津貝先輩と同じ文芸部の部長をしている古和先輩だよ、ちなみに私も文芸部。
ども、初めましてー。河合古和です。
初めまして……奥野鈴香です。
部長も一緒に来るんですか?
スズさんと八津貝くんのお許しが出るかな? よければついていくよー、今日も授業ないし。
お前が授業で学校に来てる日聞いたことないんだけど……。まあ、スズさんかまわないかな? 突然だけど、なんだかんだ毎回こういう相談があるときは助けてもらってる奴なんだ。
 えっ、そうなの? 早智は思わず部長を振り返る。前聞いたときには「自分は八津貝くんがエクソシストしているところは見たことない」って言ってたのに……彼女はまた、ペロッと舌を出しそうな顔でこちらにウインクした。
(八津貝くんが「エクソシストしている」ところを見たわけじゃないからね……彼はいつも「そんなことしてない」って否定してるし、私が見てるのはただの相談なのだよ)
(だ……騙された)
 どうも何か知っている様子だとは思ったが、やはり部長は八津貝先輩が今まで受けてきた幽霊絡みの相談に関わっていたようだ。茜さんが神学部のチャペルで度々部長を見かけていたのも、もしかしたらそれに関係あるのかもしれない。


   そしてなぜか、部長はそれをあまり表に出そうとしない。かといって隠そうとしているわけでもない。いったい何の意図で動いているのだろう……。

もしかして……古和先輩が八津貝先輩の助手なんですか?
ほほぉーよくぞ……
違うからね。助手なんていないし、こいつはなぜか事件があると出没するだけだから。まあ……助けられることは多いけど。
   最後の台詞を聞いて、早智は何となくピンときた。ああ、そうか……先輩と部長は、自分と杏実のような関係に近いのかもしれない。


   自分たちが八津貝先輩について尋ねたとき、部長が本人に直接聞くよう言ったのも、チャペルまでわざわざ一緒についてきたのも、なんだかんだ先輩を助けるためだったのかもしれない。

そうなんですか……私は人の多い方が、その分怖くなくて済むので。
それじゃ、遠慮なくついていこうか! でも、見られたくないものとかあったら言ってねー、家の中も入られるの嫌だったら外で待ってるし。
 そこはぐいぐい行くのかと思ったら、意外と大人しかった。そういえば、早智が倒れたときも、部長はその理由について深く聞いてきたりはしなかった。早智が八津貝先輩をじっと見つめていた理由も気になってはいたようだが、問い詰めてくるようなことはしていない。

 むしろ、部長が先輩の方をからかってくれたからこそ、早智はこの件を有耶無耶にできたとも言える……案外、部長は自分たちが思っているより、ずっと深く色んなことに気づいて行動しているのだろうか?
ありがとうございます……あっ、次はそこを右です。
スズさんの家って川の方だったんだ。駅から続くあの長い坂登らなくていいって羨ましいな。
お母さんも昔この辺りに住んでたみたいで。毎日あの坂を登るのは辛いだろうって、こっちの方で住むとこ探してくれて。
 早智たちが通っている大学には三つの最寄り駅がある。一番近い駅は距離的には確かに近いものの、駅を出てすぐ急な坂が続いており、そこを登ってくるのに一苦労しなければならない。二番目に近い最寄り駅は大学の東側にあって、ちょうど建物の横を流れている川沿いに位置している。

 こちらの方が、駅から大学まで坂を上らずに済むことができるため、学生たちの多くが利用している。スズの家は、その駅から大学まで流れている川の少し向こう側にあるようだった。学生向けのワンルームマンションも所々立ち並んでいる地域だ。
見えてきました、あのマンションです。
 最近よく見かける、どこにでもあるタイプの白い壁のマンション。早智の目には、全部で四つほど部屋があるように見えた。一階と二階にそれぞれ二部屋ずつ。これといって変わりのない、普通のワンルームマンションだ。
他にも住んでる人いるの?
ええと……隣とその下の部屋は誰か住んでたはず……ゴミ出しとかで最初の頃少し顔合わせた程度だけど。
スズさんの部屋の下は誰も住んでないの?
私が家に戻らなくなってから誰も入ってなければ……物音も聞こえたことないし、誰かが引っ越してきた様子もなかったから。
これだけ学校にも駅にも近くて空いてるって……家賃けっこう高い?
特別高くは……うちの家計的には安いとも言えないけれど。
うーん……別に火事の後とかも見えないし、家賃も普通なら事故物件ってわけじゃなさそうだねー。
えっ、いきなりそんな検証から始まるんですか……。
まあ、とりあえず入ってみようよ。これだけ人数いたら幽霊も出てこないっしょ……けど、一応十字切っとく?
私、普段十字切らないんだけど……。
 よく映画でクリスチャンが十字を切る仕草を色んな場面でしているのを見かけるが、早智にそんな習慣はない。キリスト教会でもみんながみんなやっているわけではないのである。
あっ、これもカトリックの習慣だっけ? プロテスタントはあんまり十字切らないの?
十字を切るのはカトリックと正教会かな。十字の描き方がそれぞれで左右逆の順序になってるんだけど。
確か、プロテスタントでもルーテル教会は十字を切る習慣残ってたりするよね。あと聖公会だったかな……?
そうなんですか……ええと、部屋入る前にみんなで十字切った方がいいんですか?
私はせっかくだからやっとこ。先輩、私たちは左右どっちから十字切ればいいんですか?
一応聖公会と同じ切り方でいいと思うんだけど……正直右から切るんだったか左から切るんだったか忘れた、すまん。
   ちなみに、聖公会の十字の切り方もカトリックと同じで、額、胸、左肩、右肩と順に動かすやり方だ。正教会はこの逆になるが、細かく言うと指の形も変わったりするためややこしいのである。
えっ……じゃ、まあいいか。
えっ……いいんですか?
それじゃあ入ろっか……いいかな、スズちゃん?
はっ、はい!
 普段は十字を切ることのない自分の方が、何だか十字を切らなくていいのか不安になってくる……けれども、早智もごくりとツバを飲んで、扉を開けて入っていくスズとみんなの後に続いていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色