第2話 神学部イメージと違うじゃん!

文字数 4,553文字

何とか無事に終わった……。
   茜さんの肩に乗っていた手首は、式が始まって間も無く消えたらしい。途中で首もとの鳥肌が治まった早智がチラッと振り向いた時には、もう見えなくなっていた。その後も入学式は滞りなく進み、それぞれの学部に別れてのオリエンテーションも今終わったところだ。
お待たせ〜どうだったー? 
   大学食堂「ビックリママ」の前で待っていた早智の所へ、青い紙袋を持った杏実がやって来る。他にも食堂前は紙袋を持った新入生で埋め尽くされていた。体育館横の建物でわかりやすいと思ったものの、あまりの混雑に早智は待ち合わせ場所にしたことを後悔していた。どこも部活の勧誘でチラシを持った先輩たちでいっぱいだ。
人少なすぎてびっくりしたよ。一学年三十五人だよ?
知ってる、式のとき社学は隣だったからね。実は神学部が一列だけなのも見えてたんだ。あれじゃ隣の人としゃべることもできないよねー。でも早智、後ろの社会人っぽい人と話してたじゃん。仲良くなれた? どんな人だった?
何だ、見えてたの? あの人は茜さん、去年まで科目等履修生だったみたい。良い人だったよ……肩に手首乗ってたけど。
肩に手首? こわっ! それ本人気づいてるの?
ううん、やっぱり見えてないみたい。肩凝りがひどいみたいだけど、あれ自体が何か悪いことしてるわけじゃないと思う……たぶん。
まじか……呪われてるわけじゃないよね?
違うと思うけど……呪われてるかどうか見てもわかんないし。
まあ、神学部にいる人なら大丈夫でしょ。神様が守ってくれるって!
 杏実が言うと、何だか本当に何とかしてもらえるという気がしてくる。さっきまで、自分に見えているものが天国に行けなかった人たちの魂なのか考えて沈んでいた早智は、少しだけ元気を取り戻せた気がした。
他には? どんな人がいた? 面白い人いた?
あと、霊南坂さんだっけ? 院生の人に会ったよ。背が高くてすごい綺麗だった。
その人も肩に何か乗ってた?
やめてよ……そんなの身がもたないって。
ごめん冗談。ところで社会人とか院生とか上の人ばっかだけど、同じ新入生はどうだったの?
実は他の学生同士ではあまり話せてないんだ……式が終わった後すぐ神学部のチャペルで礼拝して、そのまま学生情報カードの記入したり、教学Webサービスの登録手続きしてたから。私も茜さんと仲良くなってなかったら全部一人でやってたし。
 茜さんは、「もう若くないから色々覚えられるか心配……」と言っていた割には、パソコンもWebの操作もお手のものだった。話し方は丁寧で優しいものの、思っていたより何でもテキパキとこなしてしまう人のようだ。おかげで茜さんにくっついていた早智はすんなりと手続きを済ませることができた。
えっ、入学式で礼拝やったのに、神学部でもっかい礼拝やったの?
うん、高校の教室くらいのチャペルだけど、小さなステンドグラスとでっかいロウソク立てもあって良い雰囲気だったよ。
さすが神学部……じゃあ、まだどんな人がいるのか分かるのはこれからぁ。みんな聖書暗記してたりするのかな?
さすがに丸暗記している人はいないと思うけど、どうなんだろう? 教派も教団も違う人たちが集まるから、私もよく分かんない。
教派ってキリスト教の中で分かれてるグループのことだっけ……? あれでしょ、カトリックとプロテスタント、だいたいこのどっちかなんでしょ? 早智はプロテスタント!
そうだけど、正確にはまず西方教会と東方教会だよ。カトリックとプロテスタントは西方教会の中で分かれてて、プロテスタントの中でまたたくさん分かれてるの。
そうなんだ、知らなかった! 西方と東方ってどう違うの?
うっ……正直、東方教会のことはあまりよく知らないけど。比較的派手でキラキラした格好の人がキラキラした聖堂で礼拝してる? 儀式的な感じが強いかな……あと、イコンっていう有名な聖人の絵がある教会。
へぇ〜、もしかして神学部に来てる人も、見た目でどこの教会の人かわかったりするの? 何か制服みたいなの着てる人いる? ローブとか。
シスターとか修道士じゃないから……見た目じゃ分かんないよ。救世軍とかは制服とかバッチがあるみたいだけど、うちには来てないかな? 金髪の人もいたし、ピアスつけてる人もいたよ。あと坊主頭の人も。話しかけられなかったけど。
えっ、それみんな牧師になるの? イメージ変わるなぁ。
みんなじゃないよ。三十五人のうち牧師を目指す伝道者コースは八人で、あとはみんな思想文化コースだから。クリスチャンでない人も多いし。
へ〜神学部ってクリスチャンでなくても入れたんだ? 早智は牧師を目指さないけど伝道者コースなの?
うっ……まあ、お父さんに「神学部行く」って言ったとき、思想文化コースにとは言えなくて……一応、「牧師も視野に入れて聖書の話を伝えていく働きがしたいです」って面接では言ったよ。

思想文化コースは、キリスト教の美術とか文化とか歴史とか学びたい人で、クリスチャンじゃない人も入れるように作ったんだって。他の学部みたいにスポーツ推薦で入った人もいるらしいけど、誰かは分かんない。
神学部にスポ選……まじですか。
ところでさっきから質問ばっかりだけど、終わったら部活一緒に見て回るんじゃなかった? 
そうだった! 早智はどこ行きたい? 聖書研究サークルは私ちょっと入りづらいからさ、先に別のとこから見に行けると嬉しいな。
 以前、杏実が早智のために調べてくれたように、この大学には聖書研究サークルがある。だいたい略して「聖研」と呼ばれるのだが、早智もまだ、どんな人たちが集まるところなのかよく知らない。

 クリスチャンと一口に言っても、聖書に書いてあることの読み方や考え方は多種多様だ。聖書の記述は一言一句誤りのない正しい言葉だと信じる人もいれば、時代の制約を受けた人間の手で書かれたものだから、中には文字通り受け取るべきではない言葉もあると考える人もいる。

 その意見の食い違いによっては大喧嘩になったり、相手も自分も傷ついてしまうことがあるため、興味はあってもなかなかすぐに聖研へ行こうとは思えなかったのだ。
いいよ、私も今日聖研行くつもりはなかったから。アンちゃんの行きたい所言ってよ。そこから見て回ろ。
じゃあさ、一緒に文芸部見に行かない? 爬虫類同好会と「節足動物を愛でる会」も気になったんだけど。
文芸部にしよ(即答)。
じゃ、先にビックリパパの方でご飯食べよ。こっちの食堂混みすぎだし。
えっ、食堂もう一個あるの?
あっちのL字の建物の地下にあるんだよ。その4階に文芸部の部室あるしちょうどいいでしょ。
   杏実は自分が興味を引くことに関しては驚くべき速度で情報を集めてくる。その中でも食べ物については随一だ。さすが高校で「B級グルメチェッカー」と呼ばれていただけある。早智は密かに感心していた。
何か今失礼なこと考えなかった?
(むしろ尊敬しているよ) 気のせいじゃない? お腹すいたし早く行こ。
へいへい。
   ビックリパパはビックリママと違って食券購入式の食堂である。地下にある分少し小さいが、麺類や丼物のメニューが充実している。ちなみに、地下一階には他にもいくつか定食屋が並んでいるため、ビックリママより比較的空いていることが多い。
(ズズズッ……)アンちゃんて、文芸部前から興味あったの?
(ズズズッ…)まあね。高校の頃も本当は文芸部入りたかったんだけど、うちの学校なかったからさ。
   二人して塩ラーメンをすすりながら、早智は杏実の誘った文芸部について考える。大学と言えば、高校にはなかった部活や同好会が数多く集まる場所だ。確かに、自分たちの高校に文芸部はなかったが、杏実が行きたいと言うにしては地味な部活だ。現に、他の二つの候補は早智が聞いたこともないサークルだった。
文芸部って、読書会とかするんだっけ? 何か自分たちで作品書いたりもするの?
ここの文芸部はけっこうしっかりした部内誌出してるよ。文化祭のときは一人一作品ずつ本を作って発行して、誰の作品が一番持って帰ってもらえたか部数ランキング作ったりしているよ。
へぇ、本格的だね……アンちゃんもそうやって本作ったり小説書いたりしたいってこと?
書きたいって言うか、もう色々書いてて新人賞に応募もしてるんだけどね。まあ、全部落ちてるけど……そういうの、一緒に目指せる仲間が欲しいなってずっと思っててさ。
そうだったの? 知らなかったよ……アンちゃん、小説書いてたんだ。どんなの書いてるの?
……早智には悪いけど、その、ホラーとかさ。
えっ、別に悪いことないよ。もとからアンちゃんホラー好きだし、私が「見える」からって今さら……。
 早智が「見える」ようになる前は、よくホラー映画のDVDを借りてきて杏実の家で見させられたものだった。早智ももともと、そんなに怖がりな方ではないし、スプラッタ系でなければまあまあ怖い話も楽しめる方だった。まさか自分が体験する方になるとは思ってなかったからだが……。
いや、まあ……実際に見える友達から話聞いてると、どうしても自分の作品に影響してきちゃうじゃん。ちょっと悪かったかなぁ……と。
んっ?
いっ、いつか言おうとは思ってたんだよ。早智には新人賞とったら一番に話そうと思ってるし、できあがった作品も見てもらいたいし……でも、早智の話を参考にしながら小説書いてたら……予想以上に、その……登場人物のイメージが似通っちゃって。
「似通った」って……もしかして私と?
ズバリそうです。
その作品、他の誰かに見せたりした?
ひ、一人だけ……。
まじか……。
ごめんね、早智のこと知らない人だし、同じ高校の人でもないから! 私も初めて小説書き上げて浮かれてた時だったからさ……つい、自分と似たテーマで面白い作品書いてたから私のも見てもらいたくて……。
いいよ、別に……アンちゃん以外に私が「見える」こと誰も知らないし、登場人物と私が一緒なんて思う人いないでしょ。
   杏実は誰が見ても早智がモデルだとわかるような書き方を黙ってする友人ではない。きっと似通ったと言っても、早智だけが自分のことだとわかってしまう程度だろう。ただ本当は、自分よりも先に杏実が小説を見せた相手がいる、ということの方が少しショックだった……。
でも誰にその小説見せたの? 私のこと知らなくて、同じ高校の人でもなくて、アンちゃんと同じテーマで小説書いてるって……。
   (あ、もしかして一緒に文芸部見に行こうって誘ったのは……)
そう、去年ここの文化祭であった文芸部の先輩。あの時四回生だったから、今年はもうOBのはずだけど。
受験真っ只中の時に小説書いて大学の文化祭に来たの!? さすがアンちゃんの図太い精神……あれ? でもOBなら、その先輩もう文芸部にいないんじゃない?
ううん、そのまま院に進むって言ってたから、学部を卒業してからもちょくちょく部活覗きにくるって言ってた。ちなみにね、その人ほら。
   杏実はおもむろに紙袋から大学案内のパンフレットを取り出し、パラっと神学部のページを開いた。彼女が指差したのは、神学部のゼミ風景を撮った一枚の写真に写る、眠そうな顔に眼鏡をかけたボサボサ髪の男だった。
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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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