第23話 悪魔がやってきた?

文字数 3,711文字

…………。
…………。
…………。
 食事が始まると、いつ弥恵さんを引っ張る「悪魔」が現れるかわからないという緊張でか、なかなか誰も話し始めなかった。この家ではそれが普通なのかもしれないが、早智たちを合わせて六人も人がいる食卓で誰も言葉を発しないのはかなり不思議な雰囲気だ。

 時々、お父さんはスプーンを握った手を止めて何か話そうとする気配を見せるが、結局少しするとまた食べ物を口に運び始める……早智も自分の目に何が見えてしまうのか緊張して、あまり食事を味わえなかった。
あの……おかわりしたかったら言ってね。ちょっと多めに作っといたから。
ありがとうございます。
 プラスチックのカップにお茶を注いでもらいながら、八津貝先輩がお礼を言う。他の食器もみんな陶器ではなくプラスチックだ。きっと落として割れたりするのを防ぐためなのだろう。弥恵さんのお母さんはシンっと静まった食卓で早智たちのために、だいぶ気を遣っている様子だ。
そういえば……前、テレビが置いてあったときはチャンネルの取り合いとかにはならなかったんですか? 私の家はけっこう揉めるのでいつもジャンケンで決めるんですけど。
 沈黙の気まずさに耐えきれなくなって、早智はどうでもいい質問をしてみた。お母さんもホッとした様子でそれに答える。
最初にあの大きなテレビ買ってきたのはこの人なんだけど、あまり自分でチャンネルつけたりしなかったわよね?
…………ああ。
だいたい私かお母さんの見たい番組をお父さんも一緒に見てたよね。夕食終わっても自分からテレビつけなかったし。
……そうだな。
 どうして一番テレビに興味ない人が、わざわざ大きなテレビを買ってきたんだろう……早智は不思議に思いながら弥恵さんの父親を見つめる。彼は誰とも目を合わせず、黙々と食事を取っていた。たぶん、緊張しているのだろう。
テレビを買ってきたのって、弥恵さんかお母さんが欲しいって言ったからなんですかー? お父さんはあまり番組に興味なさそうですけど……。
いいえ、特に誰も欲しいって言ったわけじゃなかったんだけど……もともとみんな携帯かパソコンで好きなの見てたから。でも、何でか知らないけど一年くらい前に突然買ってきたのよね……あなた?
…………ああ。
自分で見たい番組があったわけじゃなさそうですけど……どうして急にテレビを買ってきたんですか?
………………………気分だ。
……気分か、なるほど…………。
 部長でもお父さんとは会話を続けられず、また沈黙が始まる……しばらく音のない食事が続く。食器もスプーンもプラスチックのせいで、カチャカチャという音さえあまり出ない。

 何か話題でも探そうと早智が頭の中をぐるぐるさせていると、弥恵さんのお母さんもソワソワしながら何か話そうとしているのが伝わってきた。その時だった、パキンッという音が部屋に響き渡ったのは……。
えっ……?
 何か来たの? もしかして、これがラップ音……? そう考えかけて、早智はすぐ違うことに気がついた。テーブルの上で、いつの間にか弥恵さんの手前から隣のお母さんの方へ何かの液体が流れている。お茶だ……カップに入っていたはずのお茶が、倒れてもいないのにこぼれていたのだ。
あれ? 弥恵さんのカップ、割れてない?
 確かに誰も触っていなかった弥恵さんのカップに、どういうわけか立ったままヒビが入っている……プラスチックに熱い液体を注ぐとたまに割れることがあるが、さっき先輩が飲んでいたお茶はずっと机に置いてあったもので、たいして熱いものではなかった。早智の背筋にゾクリとした感触が走る。
えっ……私触ってないのに………わわっ!
 ガタンッ! 自分のカップが割れてるのを見て固まっていた弥恵さんは、次の瞬間椅子ごと後ろに引っぱられていた……隣にいたお母さんが慌ててそれを掴む。
弥恵っ!
 ヒュンッ……お母さんに掴まれた弥恵さんの腕が、そのまますごい勢いで後ろに引っ張られた。信じられない力で二人は椅子ごと地面に落とされそうになる。
弥生っ! 弥恵っ!
 いつの間にか、飛び上がるように移動したお父さんが二人を後ろから支えていた。そのまま再び、シンっとした静寂が訪れる。こぼれたお茶がポタポタと机から床に垂れる音以外、しばらく何も聞こえなかった。
…………大丈夫ですか?
 机に座ったまま静かに尋ねた先輩の声で、早智はようやく我に返った。
えっ……ええ、大丈夫。
ごっ……ごめんなさい。
怪我は……ないか……?
はい……。
うん……。
 突然の出来事に何もできなかった早智は、慌てて立ち上がってこぼれたお茶を台拭きで拭きとりながら気持ちを落ち着かせる。
びっ、びっくりしたー。
今のが……いつも引っ張られるっていう……?
はい……。
さっちゃんは今、何か見えた?
いえ……何も……見えませんでした。
えっ……?
 そう、早智には何も見えなかった。カップが割れて中身がこぼれたときも、弥恵さんが椅子ごと後ろに引っ張られたときも、彼女を掴んだお母さんとそのまま後ろに倒れそうになったときも……何も見えなかったし、何も近づいた気配さえしなかったのだ。
見えなかった……?
古和さんも?
私も全然見えなかったな……。
…………どういうことだ?
あっ、この二人には……時々その……幽霊とかが見えるみたいで。
…………見える……ちょっと信じられん……。
 正直、早智にも自分の見ているものがまだ幽霊かどうかよくわからない……けれども、彼はそのまま考え込むようにして自分の口元を撫でる。
……だが……今のは……いつも見てるのと違う……ということか?
いつも見てるのが幽霊なら……幽霊じゃなかったってこと?
もしかして本当に……悪魔とかじゃないですよね?
 全員が、テーブルの端に座っていた八津貝先輩の方を向く。先輩はまた頭をぽりぽりと掻きながら首を振った。
毎度、相談された人から自分を悩ませるものの正体が何か聞かれるんだけど……俺にはわかりませんよ。ただ今の状況から考えると、みんなが「悪魔かな?」って思ってるものは、弥恵さんとお母さんとお父さん以外の人間がいるところでも普通に出てくるみたいですね。
三人だけのときも、いつもこんな感じなんですか?
いえ、触ってないのにカップが割れたのは初めてです……。
いつもは弥恵の手足が引っ張られるか、椅子ごと倒れたりするかだけど……今日は一度に色々あったわね……。
……何か……私たちに怒っているんですか?
もしかして、私たちが急にやってきたからじゃ……?
あんまり急に色々な結論を出すのはよくないよ。とりあえず、一つ確認したいことがあるんですけど良いですか?
なっ、何かしら?
食事中、弥恵さんが引っ張られるのは一度起きるともう起きないんですか? 食事を開始したら、また引っ張られたりすることはあります?
今まではなかったです……。
引っ張られるのが止まるタイミングは? 今日はカップが割れたのも、椅子が引かれたのも、お母さんごと後ろに倒されたのも一瞬だったけど、いつもそういう現象は一瞬だけ起きて止むの?
はい……だいたい一瞬で。
私は弥恵さんのお父さんからあんな大きい声が出てびっくりしたよ。話にも聞いてたけど、会ったときから寡黙なイメージだったから……「悪魔」もびっくりして逃げちゃったのかな?
 場を和ませようとしたのか部長がそんな話をしたとき、ピクッと早智は反応してしまった。
んっ? 月無さん、どうかした?
あっ、いえ……私が何か見ちゃったときは、誰かに触れてると早くいなくなってくれるんですけど……もしかして食事中に現れるときは静かだから、「悪魔」も誰かの声に驚いていなくなるのかなって……。
なるほどー……普段も弥恵さんが引っ張られたとき、誰かが声をあげて止むんですか?
いえ……引っ張られたとき私が声をあげても、たいていそのまま引っ張られるか倒されるかしてます。
…………お父さんが声を出したときも?
えっ?
…………私、か?
はい……この三人の中で、一番しゃべらないのってお父さんですよね? さっきもお父さんが二人を呼んでからは、何も起きてなかったので……。
そういえば……この人が私を呼んだ後はいつも何も起きなかったかも……。
「私を呼んだ後」……? 
あっ……さっきも見たからわかると思うけど、弥恵が引っ張られると私が止めようとするから、それで怪我しそうになることが多くて……たいていこの人が庇ってくれるんだけど。
…………ああ……お前も危なっかしい……。
いつもは無口なんですけど……私が引っ張られたり、お母さんが怪我しそうになった後はけっこう怒るので。
……怒ってはいない…………。
普段大きな声出さないから……心配してるのはわかってるよ。
「悪魔」が弥恵さんを引っ張った後は、さすがにお父さんも無口じゃなくなるんですね……。
 あっ、ちょっと失礼なことを言ってしまった……早智がそう後悔したとき、今度は先輩がピクッと反応した。
引っ張られると……会話が生まれるってことか。古和とお兄さんのときみたいに……。
んっ?
 弥恵、部長、そして早智……他の人には見えない何かに悩ませられてきた三人の出来事から、何かがつながって先輩の目に見えようとしていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色