第8話 怖い理由?

文字数 4,117文字

 突然自分の前で後輩が倒れ、その後も杏実に無理やり同行させられた八津貝先輩はひたすら戸惑っていた。とりあえず、早智が状況を説明する。
えっと、つまりその子は……スズさん? は、俺に相談があってきたと。
はい。
でも、俺が誰かわからなくてチャペルで探していたから、知り合った月無さんが教えてあげたと。
はい。
わかった、それはいいんだけど……何でこの子は俺見た時からずっと震えてるの?
それは……。
   「あなたにいっぱい憑いていたからです」とは言えない……既に八津谷先輩が引き寄せていたものたちは消え、早智自身の鳥肌もスズの鳥肌も引いていた。


   しかし、スズの方はまだショックが大きいのか、早智の服をギュッと握りしめたまま離さない。先輩は先輩で杏実にドアの入り口を塞がれていて出るに出られない。何だこの状況……?

(ねぇ早智、この子も見える人ってこと?)
   杏実が聞こえないようにひそひそ声で早智に聞いてくる。勘のいい彼女は、スズがチャペルを出た時の様子と、それを追いかけた早智を見ただけでほぼ状況を飲み込んだらしい。さすが六年間幽霊に悩む友達をずっと近くで見てきただけはある。
(うん、見えてるみたい……)
(すごい、早智以外に見える人会えたの初めてじゃん!……ってことは、これって先輩に幽霊を祓ってもらう相談に来たってことだよね?   でも、先輩って見えてないんだよね?   どうするの?)
   私が知りたいよ……流れに身を任せて講師控え室までついてきてしまったものの、「霊が見えちゃう相談者」と「霊が見えないエクソシスト」のやり取りがこれからどうなっていくのか全く読めない。


   そして自分もこの部屋でお世話になっといて何だが、こんなにすんなり講師控え室を使わせてもらっていいのだろうか……?   用務員さんは今日も不在だ。早智が倒れた時は許可を貰ったらしいが、今回はその様子も全くない。


   このままここにいていいのか不安な早智は、できれば早く別の場所に移動したいと思っていた。ところが、他学部である杏実の方は、そこのところはあまり気にしてないらしく、逆にスズへ話を振る。

ねえ、相談があるなら言ってみないと始まらないよ。八津谷先輩も心が読めるわけじゃないからさ……たぶん……読めませんよね先輩?
そりゃ心は読めないよ。
よかった……「先輩、今日も髪の毛に中芝(中央芝生)の草つけてますね」って心の中で言ってみたけど、ちゃんと読めてない。
えっ、ずっと草ついてたの? それは言って……。
   ほぼ毎日頭に草をつけてチャペルに出ていることはまだ自覚してないらしい。スズの方は、杏実と先輩のやり取りに少し緊張がほぐれたのか、ようやく先輩に向かって口を開いた。
あっ、あの……他の人に聞いてきたんですけど、八津谷先輩は、霊とか悪魔とか見えるんですか?
   ついに、早智の裾から手を離してスズが口を開いた。いよいよ幽霊に悩むスズと「エクソシスト」との相談が始まる……。
いや、今のところ見たことないけど。
えっ……見えない……んですか?
   「話が違う……」といった顔でスズが早智の方を向く。早智も曖昧に笑って返す。あれだけ霊を引き寄せていながら全くの無自覚……エクソシストであるゆえに幽霊の中でも平気ならともかく、彼は自分の周りに集まっていることさえ知らないのだ。
幽霊が見えるなんて誰にも言ったことがないのに、ちょくちょくそう聞かれるんだよ……。
でも、「神学部に本物のエクソシストがいる」って……。
それは……たぶん俺のことだろうけど……実際悪魔祓いなんてしてないよ。
なっ、なぜ……?
いや、なぜって言われても……。
今まで何人も幽霊に困っていた人の悩みを解決したって聞いたんですけど……。
確かに何人も相談には来たけど、俺が解決したわけじゃないよ。
えっ、じゃあ誰が?
みんな自分自身でどう対処するか見つけていったんだ。
自分で……私、自分でどうにかなんてできないです、あんなの……。
   スズは俯いて唇をぐっと噛みしめる。あっ、まずい……これ泣きそうだ。早智が焦っている間にも彼女の目はじわっと潤い、今にも涙が出てきそうになった。
あんなのって?
   スズが泣き出しそうな中、先輩はためらう様子もなく聞いてきた。それまでと特に変わらない調子で。
ゆ、幽霊が……。
幽霊? 幽霊がどうしたの?
出るんです。
出るってどこに?
うちに出るんです……毎晩。
ん……毎晩家に幽霊が出るから困ってるの?
そうです。
そうか……幽霊が出てくると何が起きるの?
えっ……。
 先輩の問いにスズはキョトンとする。幽霊が出る、その時点でもう何か起きてるのに、「幽霊が出たら何が起きるの?」なんて質問、なぜ今更するのだろう? 
幽霊が出たら……怖いです。
幽霊が怖がらせてくるの?
怖がらせてくるというか……。
幽霊そのものが怖い?
はい……。
普通そうでは?
俺は蜘蛛苦手だから部屋に出てきたら怖いけど、写真とか映像で見るのは別に怖くないよ。幽霊だって見えるのが平気な人もいるし、ちょっかい出されなきゃ大丈夫って人もいるからさ……どっちかな?   と思って。
そっ……そうなんですか。
それに、何かを見て「怖い」って思うのは自然なことだけど、どうして「怖い」って感じるようになったのか考えるのも大事なことだよ。
 どうして「怖い」と感じるようになったのか……「幽霊」=「怖い」が当たり前だった早智は、今までそんなの考えたこともなかった。そしてなぜ、それを考える必要があるのかもよくわからなかった。
スズさんは、幽霊が出たらどうして怖くなるの?
えっ……死んだ人が出てきたら怖いから……。
スズさんの見る幽霊は知り合い? 死んだのを知っている人?
いっ、いえ……わからないです。
わからないってことは、見た目はそんなはっきりしてないってこと?
黒っぽい影みたいな感じなので……。
 スズの見え方も早智とほぼ一緒らしい。早智も幽霊の顔までわかることはほとんどない。たまにはっきりと見えることもあるが、だいたいは粗い白黒テレビの画像を見ているような感じだ。
それじゃあどうして「死んでいる人」ってわかるの?
えっ……どう見ても生きてる人じゃないから……。
生きてる人の霊って可能性はないの?
わっ、わからないです。生き霊と幽霊の区別とかは……。
じゃあ必ずしも「死んだ人」が出てくるのが怖いんじゃないよね。生き霊であっても怖いんでしょ?
はい……。
怖いのは「人」じゃないものが出てくるから? その姿が怖いの?
姿というか……関わっちゃいけないもの? が自分に関わってくるから。
どうして幽霊は自分に関わっちゃいけないの?
えっ……。
 スズは思ってもみなかった質問が続いて戸惑った様子だ。なかなか次の言葉が出てこない。早智も先輩の質問に戸惑っていた。なぜ幽霊が怖いのか? 幽霊の何が怖いのか? 改めて考えてみると、すぐには言葉になって出てこない。先輩は一息置いて、スズに質問を変えてきた。
スズさんは、その黒っぽい影みたいな幽霊が出てきて、何か生活に支障が起きている?
毎晩家に出てくるので……ここ一週間くらい怖くて帰れてないんです。
家に帰れないって……もしかして一人暮らし?
はい、実家が愛知なので今年の3月からワンルームに引っ越して……でも夜になるとそれが出るようになって。
えっ……きついね、それ。
   早智と杏実も岐阜から関西に来たのでそれぞれ一人暮らしだ。二人とも同じマンションに引っ越したため、なんだかんだ帰ってもどっちかの部屋で一緒にいることが多い。その理由の一つは、早智が自分の部屋の安全を確信するまで一人になりたくないというのがある。

 もちろん、「何も出る部屋じゃない」という意味での安全だ。一人暮らしを初めてから何日かして部屋に出てくるようになった……という話はけっこうよく耳にする。引っ越してすぐに何も見えなくても安心はできない。
最初は何にも見えなくて、いい部屋だなって思ってたのに……学校始まってから何日かして、帰ってきたら夜出るようになってたんです。
「何にも見えなくていい部屋だな」っていうのは、前から見えることがあったってこと?  引っ越してからじゃなくて。
小さい頃から時々……見える時期と見えない時期があって、高校入ってからはずっと見えてなかったんですけど。
見えるようになったキッカケって何かあるの?
わからないです……小さい時はみんな見えてるかと思ってたし。
帰れないって言ってたけど、今はどうしてるの? どこか友達の家に泊まってるの?
こっち来てからまだそんなに仲良くなってる人いなくて……だいたいネカフェに泊まってます。
それはお財布も痛いね……。
ご飯、ちゃんと食べてる?
お金がちょっと……今日も朝昼抜くことになりそうで。
えっ、食べなきゃどんどん弱るよ。私の持ってきたパンあげるよ。
いいです、そんなの悪いし……。
なんか話聞いてたら私もお腹空いてきたな……後で一緒にご飯食べに行こうよ。どうせ早智もお弁当持ってきてたりしてないでしょ?
   悪かったな自炊さぼってて……杏実をジトっと睨みながら早智も頷く。確かに、スズは小柄とは言え全体的に痩せている感じがする。元からなのか最近食べれてないからなのかわからないが、見ていて心配になってくる。
私、今そんなにお金……。
大丈夫! 私たちも先輩に奢ってもらうから!
……先輩ってここにいるの俺だけだよね?
ごちそうさまです!
まじか……朝飯遅かったのに。
 えっ、奢りはかまわないの? と思う早智をよそに、少し早めのお昼へ行く雰囲気がもうできあがっている。既に杏実は鞄も掴んで準備万端だ。この後授業はないのだろうか……? それに、これからご飯に行ってもその後どうするのだろう? 先輩はスズの話を聞いてどう答えるつもりなのだろう?
それじゃ腹ごしらえに。続きは……ご飯が終わってからでいいか。うん、よし、行こう。
   まだ髪の毛にところどころ中芝の草がくっついている先輩は、とてもこれから幽霊に悩む学生の問題を解決するような人には見えなかった。けれども、結局杏実に押されながら、スズも早智も先輩にご飯を奢られることになった。
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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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