さっちゃんからも恵弥さんに聞いておきたいことないかなーって話。
月無さん、メモ取ってくれてありがとう。俺も確認したいから、ちょっと今まで取ったメモ見せてくれる?
早智は今まで取っていたメモを先輩に渡す。最初はなるべく速記していたが、だんだん手が疲れてきて途中からは気になったことだけをまとめていた。
八津貝先輩は、なぜか最初の細かく書いていたメモの方にはあまり目を留めず、どちらかと言えば適当になってきた途中からのメモをじっと見つめている。
(あの……これって結局何のためにとってるんですか?)
早智は隣の部長に小声で質問する。後ろになれば後ろになるほど適当なメモになってしまったが、本当にこんな書き方でよかったのか不安になってきた……。
(前に八津貝くんに聞いたんだけど、病院とかホスピスに行って一定期間、霊的なケアを求める人と対話して、カウンセリングの訓練をするプログラムがあるんだって。
その時に、実習生は患者さんとの会話を「逐語録」っていうものに起こすらしいんだー)
(それもあるけど、むしろ「カウンセリングをしてる自分が何かに陥ってないか気づくため」って八津貝くんは言ってたかな……)
(そう、たとえば相手が失敗した過去を自分の失敗した過去と結びつけて、自分の望んでいた解決の方向へ誘導しようとしたり……相手の沈黙を恐れてとにかく話で埋めようとしてたり……そういう自分自身の姿勢に気づきつつ、相手のことを理解するために後から会話の内容を書き起こすんだって)
(えっ……それじゃ先輩本人がやらなきゃ意味ないんじゃ? それに、後から思い出して書き起こすなら今私がメモする必要なかったんじゃ……)
(八津貝くんは、臨床牧会実習と同じことをしようとしているわけじゃないんだと思うよー。
そんなキッチリしたものじゃなくて、自分や第三者が「引っかかる」ものをヒントに自分と相手のことを理解しながら対話を進めたいって前言ってたから……)
(あまりよくわからないけど……相談してきた相手の理解だけじゃなくて、相談されてる自分たち自身のことも見つめなきゃならないってことですか?)
(うん、たぶんね〜。特に、相手と似たような悩みや過去を持ってるときは注意しなきゃならないって言ってたよー)
思わずドキッとしてしまう。相手と似たような悩みや過去を持っている……それはまさに、メモを取らされていた早智自身に当てはまるからだ。ちょうどその時、先輩がメモから目を離して早智に声をかけた。
なるほど……月無さんからもメモ取りながら気になったこととかあったら教えてくれる?
突然自分に振られても正直困る。さっきまでメモを取るのに必死だったのだ。自分が質問する方になるとは思ってなかったし、どんな質問をすれば役に立つのかもよく分からない。そもそも相談されてるのは八津貝先輩だ。
早智がオロオロしていると、なぜか弥恵さんの方から自分に質問が飛んできた。
以前私みたいな体験をした古和さんが呼んだってことは……月無さんも何かそういう体験されていたんですか?
一気に顔の温度が上昇する。まさか相談者からそんなことを聞かれるとは思っていなかった。早智は今日、ただ第三者として少しだけ手伝えばいいだけかと思っていたのに、そうは問屋が卸さないらしい……。
今ここで自分が「見える」ことを言ったら、先輩と部長はどんな反応をするだろう? きっと、二人は早智が内緒にしてほしいことを誰かに話したりはしないだろう。あるいはもう、何となく自分の秘密に気づいているかもしれない……。
それでも、自分から話すのは何だかためらわれた。今自分が「見えてしまう」ことを話せば、相談してくれたスズに自分のことは黙っていたのも、先輩を試すような質問をしたことも、全部認めることになる。
上手く言葉が出てこない。じっと自分を見つめる弥恵さんの顔が直視できない。本当は何と答えればいいのだろう? 言葉を探しながら、口が動かない。
さっちゃんは前にも手伝ってくれたんだよー。幽霊が出て困ってたけど、誰に相談すればいいかわからなかった人がいてね。
さっちゃんのおかげで誰にも相談できなかった人が、八津貝くんに相談できたしね。この人は信用できるなー……と思って連れて来たんだ。
助け舟だったのだろうか? 部長のおかげで、何とか答えなくても済みそう……と思ったのもつかの間、再び弥恵さんが口を開いた。
何かに引っ張られたり、つかれたり、何かが見えたりとか……そういうのはなかったんですね……?
「何かが見えたり」という言葉にどうしようもなく動揺して、早智はビクッと体が動いてしまった。
これ、弥恵さんの相談だよね……? 何で私が自分のこと答えなきゃいけない展開になっちゃったんだろう……。
わっ、私も部長みたいにどこか振り向いた拍子に人影とかが見えたりすることはありますけど……それが気のせいか、本当に何かいるのかはハッキリわからなくて……。
なぜか、「そんなことないよ」とは言えなくて中途半端に答えてしまう。早智はだいぶ焦りながら必死に言葉を選んだ。
嘘ではない。言葉は足りてないけど嘘はついてない。だからこれ以上聞かないで……けれども、早智の願いもむなしく弥恵さんは容赦なく聞いてきた。
人影ってどんなのですか? 本当に気のせいって思える程度のものですか? それとも、古和さんみたいに「何かの霊かもな」って感じるような見え方ですか?
私、自分には何も見えないので古和さんみたいに一部でも見えるなら正体が知りたいなって思って……月無さんも、自分の知ってる人と似ている人影を見るんですか?
今度は、部長も何も口を挟まない。黙って早智が返すのを待っている。八津貝先輩も同じだった。しばらくの沈黙の後、早智は大きく息を吐いて、ポツリポツリと答え始めた。
……………ううん、私のは……私に見えるのは……知り合いとか誰かに似てる人じゃありません。
さっきまでペンを握っていた手のひらが、今度は汗でしっとりと濡れている。先輩と部長がどんな顔をしているのか、早智は見れなかった。
わたしに見えるのは黒くて輪郭のぼやけた影みたいなのが多くて……たいてい人の形をしてるけど、首から上だけだったり上半身だけだったりのときも……あります。
さっちゃんが見てきたのは、黒っぽい影みたいなやつだけ? ハッキリ細部まで見えたことはないんだっけ?
部長は特に驚いた様子もなく、まるで早智からある程度聞いていたかのように質問を重ねる。
たまに青白かったり輪郭のハッキリした鮮明な奴が見えることもありましたけど……。
正直、私クリスチャンだけど悪魔って信じてなくて……私に何が見えてるのかはわかりません。私の心が見せてるものかもしれないし、何かの霊が見えてるかもしれないし、全然別のものかも……。
引っ張られたことはたぶん……あんまり覚えてないけど、触られたことは何回かだけありますけど……。
何も……触られるほど近づかれたら気を失うことが多くて。実際触られたのかもあんまり覚えてないんです……それに、そこまで近づく前に自然に消えちゃうことが多いから。
弥恵さんは、何かに引っ張られたとき体が冷えたりしませんか? 私は見えると……それが近づいてくるほど体が冷えてきて、ひどいと倒れちゃうんですけど……。
私は引っ張られるだけです……そういえば、何かに掴まれたとき「触られた」って感触はあるけど、冷たいとか手の形とか感じたことなかったです……。
椅子ごと引っ張られたり、倒されたりするとも言ってましたよね? 私は自分の周りのものがそういうふうに動かされたり影響受けたりしたことなかったからちょっと驚きました……気になったのは……物が飛んできたりはしなかったんですか?
そうですか……普通、こういうポルターガイストって、物が飛び回ったり、扉が勝手に開いたりするものだと思ってたから……弥恵さんに触れているものしか接触してこないんだなと思って……。
んっ……いいヒントかもしれない。確かに、影響を受けてるのは弥恵さんだけで、弥恵さんご触れてないものは何も影響を受けていないね。お父さんもお母さんも、弥恵さんが使っている以外の食器も。
弥恵さんを引っ張る何かができることとできないことが見えてきたねー。その何かは弥恵さん自身か、弥恵さんの触れているもの、使っているものにしか接触できないってことかー♫
気がつくと、早智が取っていたメモを先輩と部長が二人で見てる。
俺は弥恵さんが何かに引っ張られるってことに気を取られて、「どういう時に引っ張られるんだろう?」とか「何をしている時にそれが現れるんだろう?」とかを気にしてたけど、月無さんはもっと別のことが気になってたんだね。
後の方のメモに「他の物が弥恵さんに飛んでくることはない」とか「食卓以外では襲われない」とか書いてあるから、弥恵さんを引っ張るものに何が可能で何が不可能かが見えてきたよ。
今の会話でも、相手は引っ張ったり叩いたりするだけで、弥恵さんの体温を奪ったり、気絶させたり、掴んだ跡を残したりはしないってわかったしね。
やっぱり、さっちゃんを連れてきて正解だったよー。そのまま気になったこと、どんどん言ってみよ。このメモ見ながらみんなで考えれば、きっと何かが見えてくるよー。
部長がにっこりと早智に呼びかける。自分のことをためらいがちに話して、気になったことを聞いただけなのに、何か役に立ち始めてしまったようだ。今までにない不思議な気分だった。