よし……もう一度、この「悪魔」について整理してみよう。
おっ、何か掴めたみたいだねー。いいよー、まずは「悪魔」にできることとできないことからかな?
たとえば、この「悪魔」は食事中に出てくるけれど、他のときには出てこない……だから、いつでも弥恵さんのところに出てこれるってわけじゃない……とかだよー。
「悪魔」が出て来れる場面ももうちょっと限定できるかもしれない。
早智のとったメモを見ながら、先輩が自分の方に視線を向けたのを見て、早智も気になっていたことを口にした。
……弥恵さんとお母さんとお父さん、「三人が揃ってるとき」ってことですか?
そう……弥恵さんが引っ張られるのって、夕食のとき以外は一度もなかったんだよね?
朝食や昼食のときに「悪魔」が出てくることはなかったんだよね?
今もわりと明るいですよー、夕食始まったの早かったですし。
……夕食以外で家族三人が揃うってこと、なかったんじゃないですか? 朝も昼も……。
朝は先に夫が仕事で出て行くから私とこの子だけだし、昼は職場や学校で食べてるから確かにバラバラだけど……それがどうしたの?
そっか……この前のスズちゃんと逆なんだね。この「悪魔」は弥恵さんが一人のときには出てこないで、三人揃ったときだけ出てくるのかー。
みんなバラバラのときは、誰も「悪魔」に引っ張られたことがないんですよね?
そして、「悪魔」は弥恵さんを引っ張ったり叩いたりしてくるけど、物を投げてきたりはしない……。
だけど、さっき……弥恵さんが触れてないカップが割れちゃいましたね……あれも「悪魔」がしたことなら……。
弥恵さんが触れてない物にも「悪魔」は触れるってことかな?
弥恵さんもお母さんも怪我しそうになったことはあるけど、実際に怪我したことはないんですよね? 危ない目には遭ってるけど。
えっ……まあ…………いつも、この人が止めてくれるから……。
「悪魔」は本当にみんなを傷つけるような行動はできないってことですか?
というより、「悪魔」が行動した結果、誰かが傷つくような事態は起きてないってことかな……。
……怪我までいかなくても……私のせいでお母さんも危ない目に遭うし、お父さんも心配するし……。
弥恵さんのカップが割れてお茶がこぼれたときは、お母さんの方にこぼれていった……弥恵さんが引っ張られたときはお母さんが巻き込まれたのが見えた……他のときはどうなのかな?
弥恵さんが引っ張られてスプーンを放り投げちゃったとき……椅子を引かれてスープをこぼしちゃったとき……お皿の中のものを落としちゃったとき……誰かが危ない目に遭うとしたら、お母さんだけ?
……私がいないときには出なかった…………私がいても、私には何も起きなかった……。
……あなたも私を庇って何度か危ないことあったじゃない?
…………だが、私は引っ張られなかった……こぼれた物もかかってこなかった……。
「悪魔」が現れると弥恵さんが引っ張られる。弥恵さんが引っ張られるとお母さんも危なくなる……お母さんが危なくなると、お父さんにはどんな変化が起きてますか?
……はっきり引っ張られてるのが二人にわかってからは……そうかも……ほとんど毎日何かをこぼして、いつもお母さんが巻き込まれて……最後にお父さんが大声出して……。
弥恵さんが引っ張られる前のお父さんは……食事中お母さんには全く話しかけないんですか?
全然ってわけでは……テレビがあった頃は時々話しかけてわよね?
テレビが来てからでしょ……「何が見たい?」とか「こういうのが人気なのか?」とかお父さんがしゃべるようになったの……テレビが来る前は何も話してなかったよ。
何でそんなムスッと言うの……たまにだけど、弥恵に「学校はどうだ?」とか声かけてたじゃない?
私にじゃなくてお母さんにだよ! 何にも話しかけてなかったの……。
前は全然お母さんに話しかけないで、私にだけたまに話しかけてきて……でも、テレビが来てからはお母さんにも見たいもの聞いたり話しかけたりしてたから「よかった」って思ってたのに……。
普通はテレビがない家にテレビが来ると、食卓から会話が減るって言うけどその逆だねー。
確かにテレビが来たときは食事中でも急に話しかけてくるようになったから驚いたけど……。
私もご飯食べながらしゃべるの苦手だし、食事中静かなのは別にいいの……でも私だけたまに声かけられて、お母さんには何も話しかけないの、正直見てるの嫌だった……。
さっき、お父さんが帰ってくる前に弥恵さんが言いかけていた「普通に食事ができるようになりたい」っていうのは、「お父さんがお母さんにも話しかける食事」ってこと?
早智は、弥恵さんが「……もともと普通じゃ……」と呟いていたのを思い出す。彼女が求める「普通」とは、賑やかな食事のことではなくて、父親が口数は少なくても、自分と母親の両方に声をかけてくれる食事のことだったのかもしれない。
そうだと……思います。「悪魔」が出てこなくなっても、お父さんはまたお母さんに話しかけなくなるだけだから……「前みたいに戻りたいの?」って聞かれても上手く答えられなくて……。
……弥恵さんが「悪魔」に引っ張られる前は、食事中お父さんとお母さんの間に会話がなかったけど、「悪魔」に引っ張られてからは会話が生まれるようになった……ってことですか?
「幽霊が出た結果、何が起きてるの?」……先輩がスズから相談を受けたとき、最初に聞いた質問の意味がようやく早智にもわかってきた。なぜ弥恵さんが見えない何かに引っ張られるのかはわからない。
でも、引っ張られる前と後で、確実に何か変化が起きている……それは、見えないものが現れる原因や正体を突き止めようとするよりも、ずっとはっきり何かを教えてくれるような気がした。
お父さんは「悪魔」が弥恵さんを引っ張って起きたこの変化について……どう思いますか?
…………正直……出てくるとホッとするところもあった……。
……お前と……何を話したらいいかわからないんだ……。
今まで口を開いても少ししか話さなかったお父さんが、ポツポツと早智たちの前で話し始めた。
……昔は……弥恵が物心つく前は、お母さんとも……もっと話してたんだ。
えっ……私が生まれてからお母さんに話さなくなったの?
……お母さんは若かったが、私はだいぶ離れていたから……子どもができるとは思っていなかった……期待すらしていないときに生まれた子だったから……かわいくてお前にばかり話しかけるようになったんだ……。
……仕事から帰ってきたら、私には「おかえり」も言わないでこの子のとこへ行ったものね……。
…………お母さんがいてもお前ばかりに話しかけていたから……拗ねられてな……。
…………確かに拗ねてたけど……あなた気づいてなかったんじゃ……?
……まずいと思って話しかけようとしたが…………拗ねてるお母さんにどう声をかけたらいいかわからなくて……気づいてないふりしてずっと弥恵にだけ話しかけていた……。
シリアスな話が続くのかと思ったら、予想していたよりずっと可愛い会話が始まって早智はどんな顔で聞いたらいいのかわからなくなってきた……娘の弥恵さん自身も「えっ? えっ?」という顔で二人の話を聞いている。
…………別に私、ずっと拗ねてたわけじゃないわよ? あなただって二人でいるときは話しかけるようになったじゃない?
……仕事が忙しくて……夕食のときくらいしか、弥恵と話せなかったからな…………まともに三人が揃うときはほとんどお前と話していなかった……。
うん……私、お父さんがお母さんにちゃんと声かけるの、ほとんど見たことない……。
えっ…………そういえば慣れちゃったけど……私と弥恵がいるときは相変わらず弥恵ばかりに話しかけてたっけ……もともと口数少ないから……。
確かに、食事中に話すのが一言か二言だけなら、それが娘だけにかけられたものでもあまり気にならなかったのかもしれない。なにせ、二人きりになればお母さんも話しかけられていたのだ。でも、弥恵さんの目から見れば、彼女のいる前でお父さんがお母さんに話しかけていることはなかったのだ。
……私も三人でいるときは弥恵にだけ話しかけるのに慣れてしまって…………お母さんと二人だけのときは普通に話せたんだが……食事中はどうも……。
娘に見られてると、お母さんに話しかけるの緊張しちゃうとかですかー?
…………三人でいるとき、お前に話しかける話題が思いつかなくて……きっかけにしようと……。
結局テレビがなくなったら、また話しかけるきっかけが作れなくて黙って食べるようになったと……。
だったら、会社からテレビもらえるの待たないで早くまた買ってくればよかったんじゃ……。
…………いつまでもテレビに頼るのは……よくないかと思ったんだ。
私……お父さんって全然お母さんに話しかけないから、お母さん寂しくないの? ってずっと思ってたんだ。テレビがなくなってから前みたいに戻っちゃったから、余計そう感じて……。
部長は自分が寂しかったときに幽霊が現れた。けれど、弥恵さんの場合は自分が寂しいときじゃなくて、お母さんが寂しいんじゃないかと思ったときに「悪魔」が現れた……本当に、正体のわからない何かが現れるタイミングは人ぞれぞれだ。
そういえばそうだ。これも、ある意味「悪魔に弥恵さんが引っ張られた結果」なのだろうか?
それに……私の目を見てれくれるでしょ、声かけられないときだって。
出会った頃からあなたは無口だったし、私といてもずっと口もごもごさせてるだけだったけど……話しかけようとしていつも私の目、見ててくれたでしょ? 食事中だって。
まあ、たまには声かけてほしいなって思うこともあったけど……弥恵が心配するほどお父さんは私に無愛想じゃないのよ? 夜中にあなたの部屋覗きに行ったときだって、戻ってきたら必ずお父さんも起きて待ってるし、「どうだった?」って聞いてくるし。