第19話 寡黙なお父さん?

文字数 3,068文字

弥恵さんは、こういう体験初めてって言ってたよね?
はい。
じゃあ、見えない何かに引っ張られるとき何か前兆みたいなものあったりするかなー?
前兆……ですか? 特にありません……いつもいきなり引っ張られるか押されるかなので。
 見えないし、前兆もない……つまり、早智のように幽霊が近くにきても鳥肌が立ったり嫌な予感がしたりしないということだ。


   単に、彼女がそういう体質? なのかもしれないが、もしも「早智の目にも見えない相手」だとしたら、こっちもいつ襲われるかわからない……ますますペンを握る手に力が入る。

スプーンを落としたり、スープをこぼしちゃったりするのは、全く予想がつかないからなんだね?
ご飯を食べてるときにやって来るってこと以外は……私には見えないので。
今年の三月までそういうことはなかったみたいだけど、三月から今まではずっとそういうことが続いてたんだよね。今も、ご飯食べてるとき見えない何かに引っ張られて色々こぼすことが多いのかな?
多いというか……ほぼ毎日何かこぼしちゃってます。お茶だったりご飯だったり……。
ちょっと失礼な質問だけど、もともとしょっちゅう色んなものこぼしてたわけじゃないよね? 八津貝くんは日に何度かものをこぼしたりひっくり返したりしてるけど。
おい……。
あっ、わかります。先生よくお茶こぼしてたから。
 クスッとしながら弥恵さんは答える。笑うと可愛らしい人だ。目の下のクマが取れればもっと素敵な笑顔なんだろうな……と早智は思わずペンを止めてしまった。


   思えば、部長にしても神学部の霊南坂さんにしても、早智の周りには顔の整ってる人が多い。相談中にこんなこと考えるのは不謹慎かもしれないが、ちょっと羨ましい……。

こういうふうになる前は食事中に物を落とすとか全然なかったんですけど……今はしょっちゅう食器落としたり椅子がガタガタなったりして、私のせいでうるさくなっちゃいました。もともと夕食のときはとっても静かだったのに……。
今は前より賑やかってことかなー?
賑やかというか……私がこんなだから二人とも驚くし、むしろ迷惑かけちゃって。
弥恵……。
弥恵さんもお父さんも、人前で食事するのが苦手って言ってたよね? 二人ともご飯食べてるときは話すことより食べることに集中するタイプかな? 私の友達にもそういう人いて、誰かと話しながらだと食べづらいって前言ってたんだけど……。
あっ、同じです。私と父はだいたい黙って食べちゃうので。人と話しながら口にものを入れるのって何か上手くいかなくて……。
お母さんも同じタイプですか?
えっ、私……? 私はそうでも……どっちかというと話しながら食べる方だけど、それだと私だけしゃべる感じになっちゃうから……いつもはみんなテレビ見ながら食べてるけど。
そういえば、家庭教師に来てた頃は大きなテレビがあった気がするけど……なくなってますね。
ああ、なんか夫が会社から新しいテレビもらってくるって言うから、思い切って古いテレビ捨てたのよ。そしたら持って帰ってくるはずの日にそれがダメになって……。


何かの手違いだったらしいんだけど、また数ヶ月後にもらえるようになるって言うから、そのまま届くまで待っているところなの。

もともとご飯食べるとき以外、ほとんど誰も見てなかったんですけどね……みんな夕食の後、スマフォかパソコンで好きな動画見てるので。
 うちだとチャンネルの取り合いだったな……と早智は実家のことを思い出す。早智のお父さんは野球を見たがり、お母さんはクイズ番組を見たがり、早智は映画のロードショーを見たがり……と。

 牧師の家庭とはいえ、人様から見えないところでは「譲り合う」なんてことができてるわけじゃない。いつもジャンケンの真剣勝負、ほとんどお父さんが勝っていた。早智はその次、お母さんに至ってはほとんど見たい番組を見れなかったのである。
なるほどね……ここしばらくはテレビもなくて静かなご飯だったけど、最近は見えない何かのせいで夕食の時間がちょっと騒がしくなったってところかな?
はい、そうですけど……それで何かわかるんですか?
弥恵さんが手足を引っ張られるようになる前となった後で、何が変わったかが知りたかったんだよ。
変わったこと……ですか?
他に何か思い当たることがあるかな?
見た目のことを言うのは申し訳ないけど、あんまり顔色良くないのは睡眠不足かなー? 夕食のとき以外は何もないって言ってたけど、夜ちゃんと寝れてる?
あっ、正直あまり寝れてないです……。
ごめんなさい、それは私のせいだと思うわ……。
えっ?
夕食のとき、この子が何かに引っ張られるのを見て……知らないうちにどこかに連れて行かれたらどうしようって不安でね。夜中何度か起きてこの子の部屋を覗いてるの。
お母さん……。
寝たままのふりしてくれてたんだろうけど、本当は私が見に来るたび起こしちゃってたのは知ってるわ……ごめんなさい、弥恵まで寝不足にしちゃって。
 それで二人とも疲れた顔をしていたのか……目元にクマができるほどということは、きっと一回や二回ではなく何度も部屋を覗きに来ていたのだろう。スズのときは本人がどこかに連れて行かれないか心配していたが、今回は本人よりもお母さんの方がその心配をしているようだ。
お母さんもあまり寝れてないってことですねー。ここにいない人のことで申し訳ないんですけど、お父さんの方はどうなんですか?
 申し訳ないと言いながらも、けっこうズカズカ聞けるのが部長である。早智はそろそろメモを取る手がしんどくなっていた……部長の過去の話が聞けるかと思ったら、相手の話を聞いてばかりで自分の話は全然しない……。


   けれど、本当はこれが正しいのかもしれない。聖書の話でも共通の体験でも、「私はね……」と話す前に聞くべきことがいくらでもあるように思えてきた。特にスズの時のことを思い出すと……。

お父さんは……もともと寡黙な人だけど私にはよく声をかけてくれて。こんなふうになってから色々原因調べたり、夕食のあと「いい」って言ってるのに部屋まで付いてきたり……心配してくれてるんだと思います。
あの人、もともと本当に無口な人だけど、この子にはけっこう声をかけるの……でも、最近は私とも娘のことで前よりよく話すようになった気がするわ。今日も仕事でこの時間は戻れないけど、帰ってきたら早く亮くんと話したいって言ってた。
おお、そうなんですか……実は話すの初めてですね。
今まで会ったことなかったんですか?
顔はよく合わせてたんだけど、正直声は聞いたことないんじゃないかな……会ったらいつも目を合わせて会釈してくれるけど。
ごめんなさい、お父さんすごくシャイなんです……なんかすみません。
いやいや、謝ることじゃないよー。こっちこそ人の家のことバンバン聞いちゃってごめんね。私から聞きたいことはそんなもんかな? あとは八津貝くんとさっちゃんから聞いてもらうとして、弥恵さんは確認したいこととか聞きたいこととかあるかな?
あっ……さっき言ってた、私と似たような体験ってどんなかなと……教えてもらっていいですか?
もちろん、そりゃ気になるよねー。
 いい加減ペンを走らせるのがきつくなってきた早智は、その言葉を聞いてもう一度気を引き締めた。今度こそ、部長の過去が聞ける。どうして今まで打ち明けなかったのか? なぜ今回自分を連れてきたのか?


 その理由が、これを聞けばなんとなくわかるような気がする……部長の方も、気を引き締めた自分にチラッと目配せしたような気がした。

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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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