第16話 幽霊は気のせいですか?

文字数 4,156文字

 早智、部長、八津貝先輩の三人は、部室を出ると学校の西門を抜け、この前とは反対側の緩やかな坂を下ったところにある駅へ向かっていた。どうやら、相談にきた相手の家は電車に乗って二駅ほどの場所らしい。思っていたより遠出になりそうだ。
今更だけど……古和はこの後授業とか大丈夫なの?
大丈夫だよー、今日は図書館に借りてた本返しに来ただけだから。
部長っていつ授業に出てるんですか? 私たちが部室に来たらたいてい居ますけど……。
お前が本当にちゃんと単位取ってるのか不安になってきたよ……。
二人とも心配症だなぁー、今まで落とした単位は一つもないって言ってるのに。
それって履修した授業が一つもないとかいうオチじゃないですよね……?
こらこら……ちゃんと卒業できるように履修してるって。さっちゃんこそ、一年生なら必修科目が詰まってるんじゃない? この後授業とかは?
それ、連れてくる前に確認してくださいよ……本当は英語の授業があったんですけど、何か講師の先生がお腹壊しちゃったみたいで。さっき休講情報のメールが届いたんです。
もしかして、桑原先生? 毎年この時期にお腹壊してるな……。
 「毎年この時期」と聞いて、4月から6月にスズがよく見ていた幽霊のことを思い出す。
あの……この時期って何か出やすい時期なんですか?
んー?   「出やすい」って、もしかして幽霊のことかなー?
あっ……すみません、変なこと聞いて。
   早智は思わず「桑原先生も何か憑かれてるんじゃ……」と考えかけていたのが恥ずかしくなる。最近色々あったとはいえ、何もかも幽霊のせいにするのはよくない。そういうふうに考える癖がついてしまったら何か嫌だ。
うーん、私はよく知らないけど、今ってキリスト教的に何か警戒しなきゃいけない時期なのかな……どうなのー、八津貝くん?
んっ?   警戒しなきゃいけない時期って?
ほら、キリスト教でも悪霊を追い出す宗教的な行事の期間がなかったっけ?   ハロウィンとか……。
ハロウィンはもともと古代ケルト人のやってた祭りが起源って言われるし、10月31日だからこの時期よりずっと後だよ。


キリスト教も後からその次の日に「諸聖人の日」をかぶせてきて殉教者を覚える日にしたから、死者と関連がないわけじゃないけど……。

ありゃ、そうだっけ?   でも確かこの時期って、キリスト教で何かの苦しみを覚える何ちゃらって期間じゃなかった?
受難節のこと?   キリストがエルサレムに入城してから十字架につけられるまでの苦しみを覚えて、自分の罪を悔い改める期間だね。
そうそう、それー!
……特に幽霊とは関係ないよ。それに、イースター前の四十六日間だから、だいたい二月〜三月辺りになることが多いし、この時期はもう終わってるよ。
   ちなみに、イースターはキリストが復活した日を記念する日曜日で、「春分の日から数えて最初の満月が見えた次の日曜日」に祝われる。そのせいで毎年移動するからややこしいが、だいたい三月末から四月の頭になることが多い。
ふーん、じゃあ別に今が特別不吉な時期ってわけじゃないんだねー。
あっ、すみません……別に何でも幽霊とか悪霊に関係させるつもりはなかったんですけど、この前のことがあったからつい……。
わかってるよー、私も一瞬同じこと思ったしね。
あの……先輩、ついでにちょっと変なこと聞いてもいいですか?
んっ? どうした?
この前、スズちゃんの家に行って色々幽霊のこと考えたじゃないですか……。
うん、さっき見た感じ元気そうだったけど、また何かあった?
あっ、いえ。スズちゃんはもう元気だし、むしろ家で幽霊見ることもなくなったみたいなんですけど……。
んっ? さっちゃんは何か気になることがあるみたいだねー?
先輩は……幽霊を見たこともないし、感じたこともないんですよね。スズちゃんの家に出ていた霊だって、実際には本当にいたかどうかもわからないんですよね?
まあ……この目で見ることができるわけじゃないから。
じゃあ先輩は……スズちゃんが見たっていう幽霊のこと、気のせいだとか心理的なものだとか思ったりしないんですか?
 スズには幽霊が見える時期と見えない時期がある。スズが「一人っきり」になると幽霊が見えやすく、誰かと一緒にいると見えなくなる。それは、彼女自身の心理的な状況と強く関係していると言ってもいい。

 もし、スズが一人っきりのとき、幽霊が「このままじゃダメだ」とスズに思わせていたのでなく、スズ自身が心のどこかで「このままじゃダメだ」と思ったときに霊が現れていたんだとすれば……それはスズが心の中で自分自身に見せていたものと言えるんじゃないだろうか?

 早智の場合は、自分に見えていた幽霊がスズにも見えていたことを知っている。だから、彼女の見ていた幽霊も実際そこに現れたんだろうと思っている。


   けれども、先輩の場合は違う。もしかしたら口では否定しないけれど、心の中では幽霊なんて非現実的なもので、見ている人の心が見せたものだと考えているかもしれない。

心理的なもの……か。月無さんはどう思う?
えっ、私ですか?
そう、スズさんが見ていた幽霊は、本人が心の中で無意識に作り出したものなんだ、って思ってる?
 まるで今考えていたことを読まれたようで、早智はドキッとしながら答えた。
正直、よくわからないです……周りの人に見えなければ、自分の心が作り出したものか、自分にしか見えない何かがいるかなんて確かめようがないし……「心理的なもの」とか「科学的に説明できる別の事象」とか言われたら、そうなのかな……とも思うし。
うん……俺もまあ、似たような感じだよ。それにぶっちゃけた話、どっちでもいいかなって思ってる。
えっ、どっちでも?
「心理的なものだよ」って言おうが、「何かの霊だよ」って言おうが、こっちに見えてないんだから正解はわからないし、月無さんの言うとおり確かめようがない。

見えていようが見えていまいが、正体のよくわからないものを自分が説明できる形で捉えようとしている点は変わらないよ。勝手に納得できる方を選択してるって意味ではどっちの捉え方もたいした違いはないと思う。
たいした違いは……ない?
幽霊の正体も、幽霊が出る原因も、見えない俺にはわからないし、考えてもたぶん自分が納得できる説明を勝手に選択するだけだと思う。


それを押し付けるのは誠実じゃないし、それよりは幽霊が出た結果、何が起きるのか一緒に考えた方が問題の中身も向き合い方もわかってくる気がするんだよ。

幽霊の正体はわからなくてもいいってことですか?
幽霊の正体よりも、幽霊が何をしてくる存在なのかってことだと思う……「その幽霊は数年前に死んだ人だ」とか「心理的なものだ」とかその人に言っても、悩んでる状況が何か変わるわけじゃないし。

でも、今回のスズさんみたいに、幽霊が出た結果「自分は一人っきりじゃなくなる行動をしてるんだ」ってわかれば、「幽霊が出る前に人と一緒にいる行動をしてみよう」っていう考えが出てきたりする。
「どうして」から「どうやって」……何だか原因論より目的論のアドラー心理学と似てるねー。
それに、「あなたが見てるのは幽霊じゃなくて心理的なものだよ」って言って問題が解決するならいいけど、そう言って解決しそうな人はほとんどいなかったよ。
 確かに、早智もそう言われたところで自分の悩みが解決しないことはよくわかる。
逆に「幽霊が見える」って相談してくる人のこと考えたらさ、けっこう勇気のいる告白だと思うんだ。「そんなわけない」って言われるかもしれないし、「あなたがおかしい」って言われるかもしれないし。


それでも相談してみようって思ってくれた人に「気のせいじゃないですか?」っていきなり言えないよ。その人の悩みは現実なんだ。

実際、気のせいかこっちにもわかんないしねー。
じゃあ……幽霊っているかもなって先輩も思います?
まだ自分の中で幽霊の定義ができてないけど、「いるかもな」って思うときはあるよ。その人が望む望まないにかかわらず、見えてしまうものがあるんだろうって……。


俺だっていつか見えちゃうかもしれないから、そのときはこういうふうに一緒に考えてくれたらなって思う方法を探しながらやってるよ。

 そう……望む望まないにかかわらず、早智にも見えてしまうのだ。見たくて見ているわけでは決してない。自分が心の中で作り出したものじゃないかと何度も何度も考えた。


   自分が自分に見せているものなら、自分でどうにかするしかないと、人に言っても解決しないと必死に言い聞かせてきた。「気のせいだよ」「自分でどうにかするしかないよ」そう言われてしまうことを恐れてた。

 スズと出会ったとき、自分の見ているものが他の人にも見えていると知って、不謹慎だとわかっているけど喜んでしまった。「この子にも見えてるんだ」「私がおかしいわけじゃないんだ」と嬉しくなってしまった。


   けれど、「私も見えるよ」とは言い出せなかった。それどころかまた、見えるのは自分だけになってしまった。スズは「一人っきり」じゃなくなったけど、早智はみんなと一緒にいるとき「一人っきり」だ。

あれ、さっちゃん……?
 気がつくと、早智の目からポタポタ涙が落ちていた。幽霊を気のせいだと思いますか? という質問は、早智にとって「私だけの問題ですか?」「みんなには関係ないことですか?」という質問だったのかもしれない。


   先輩はそれに対して「俺だっていつか見えちゃうかもしれないから……」と答えた。それが聞けただけで、早智には十分だったのかもしれない。

 早智は黙って涙を拭いた。部長はスッと早智の隣に並んで鼻かみを出す。わかってる……きっとこの人は何で自分が泣いているのか聞いてこないし、泣いているのを無視もしない。早智は小さく「すみません」と言って鼻かみを受け取った。

これ、なかなかセレブでしょ。花粉症の私が愛用してる超ソフトなティッシュだよー。
……高いから返してとか言わないですよね?
さすがに使用済みティッシュを集める趣味はないよー。
 笑いながら答える部長に、八津貝先輩も肩をすくめる。何となく、兄と姉に挟まれて歩いているような気分がして、少しだけ早智は気恥ずかしくなった。
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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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