第7話 「私も見える」って言いたいのに!

文字数 4,421文字

   早智がその子を追ってチャペルを出ると、入り口を出たすぐのところで、彼女は息を整えるように壁を向いて突っ立っていた。まだ肩に力が入った様子だ。うなじから見える鳥肌はきっと背中まで続いているのだろう。
あの……。
ひっ。
   後ろから声をかけた早智に、その子はビクッと振り返る。顔はまだ真っ青だ。早智は落ち着かせようと思って慌てて言葉を探したが、なかなか単語が出てこない。
……気分、悪いの?
いっ、いえ……大丈夫です。
   やっと出てきた一言は本当に一言で、相手から返ってきた言葉も一瞬で途切れる。早智の額からも冷や汗が流れてきた。
よかったら、そこの長椅子で休まない?
   チャペルの入り口の向かいに置いてある古い長椅子を指差して、早智は何とか言葉を紡ぎ出した。よく考えたら、呼び止めてからどうするか全然考えてなかった……口の中が急に乾いて、上手く言えてないような気がする。
あっ、大丈夫です……もう行くので。
あっ……でも……本当は人に会いに来たんでしょ? このチャペル……。
   ピタッと彼女が動きを止める。早智の方もゴクリと息を飲む。顔が急に熱くなってきた。自分は探偵なんかじゃない。ごく普通の(神学部にいる時点であまり普通に見られなかもしれないけれど)どこにでもいる大学生だ。

 それなのに「ほら、あなたのことわかってるんだよ?」なんて真似して引き止めて、いったい何をしようとしているんだろう。この雰囲気は得意じゃないのに……早智は相手が早く何か返してくれるのを必死に願った。
えっ……何で。
   驚いた様子で彼女は早智を見つめる。あまり見つめられすぎてドキドキしてしまうほどだ。早智は視線を少しそらした。緊張して声が上手く出るか不安になる。
他じゃできない相談をしに、神学部の人探しに来たのかなと思って……。
   早智の言葉を聞いてますます驚いた様子でその子は目を見開く。あっ、この子けっこう目大きい……羨ましいな。喉がカラカラになるほど緊張しているくせに、一方で呑気なことを考えている自分がいる。まあ、彼女の反応を見る限り予想は当たっているようだ。そのことに少しだけ安心できた。
   神学部でエクソシストやってる人に……八津谷先輩に相談しに来たんだよね? チャペルが終わったら声をかけるつもりで。今日も、この前も、その前も……。
や、八津谷さんって言うんですか……その、エクソシストやってる人って?
えっ……知らないの?
神学部に本物のエクソシストがいるって聞いたんですけど……誰のことかわからなくて。色んな人に聞いたら、いつも神学部のチャペルに来てる人だって言われて。
   それで毎日神学部のチャペルを覗いていたのか……。
あの……八津谷さん? の友達の方ですか?
え? あっ、いや……後輩です。
後輩……もしかして、一年生?
うん、そうだよ。
じゃ、じゃあ同じ学年……。
 いきなり声をかけてきた相手が、一応自分と同じ学年だと知って安心したのか、彼女は少しホッとした表情になった。
やっぱりそうなんだ……。
えっと、八津貝先輩……今日は来てないの?
あっ、ううん……来てるよ、今チャペルに。
えっ、こ……ここに? 本当に?
うっ、うん……本当。
   彼女は信じられないという顔で固まっている。早智と同じく彼女も幽霊が見えるとするなら、チャペルの中は幽霊の巣窟と言ってもいい状態だ。そんなところに本当にエクソシストがいるのかと不思議に思うのは当たり前かもしれない。しかも、このチャペルに霊を引き寄せている張本人がその人だと、この子はまだ知らない……。
先輩に相談しに来たってことは……悩んでるんだよね? その、幽霊とか悪魔に。
うっ、うん……ちょっと。
   彼女の声が異様に小さくなる一方、早智の心臓の鼓動は異様に大きくなる。やっぱり見えるんだ……自分以外にもこの子にも見えてるんだ! 今まで霊感があるという人のブログや掲示板をいくつも見てきたが、本当に自分と同じように見えているという確信を持てた人はいなかった。それが今、目の前にいる!
あの……八津貝先輩が誰かわからなくて……チャペルから出てきたら教えてもらってもいい?
えっ……い、いいよ。
 幽霊を引き寄せた先輩がチャペルから出てきたとき、「この人だよ」と言ったら彼女はどんな反応をするんだろう……先輩についた幽霊は、いつも礼拝が終わると霧が晴れるように消えていく。

 けれども、入り口から出てくる頃にはまだ少し残っていることが多い。早智も、いつもは幽霊に接近することのないよう、チャペルが終わったら一番に出てくるのだ。
あっ、ありがとう。ずっと誰に声かけたらいいかわからなくて……文学部地理歴史学科の一回生の奥野鈴香です。
ううん、よろしくね。神学部一回生の月無早智です。
   本当は、彼女が学科まで紹介したように、早智も「伝道者コースです」と言うべきなのかもしれないが、何となく「神学部」だけで口が止まってしまった。文芸部に初めて行ったときも、早智はとっさにコース名を言うことができなかった。伝道者コースと言うだけで、「牧師になるの?」とか色々聞かれそうな気がしたのだ。
えっと……月無さんは、八津貝先輩の助手? なの?
えっ! ちっ、違うよ。
じゃ、じゃあ……霊とか見えないよね。
   ごめんなさい、見えてます……でも早智は言い出せない。本当なら「自分も見えてるんです」と話したい。さっきから何度もそうしようか迷っていた。けれども、ここは神学部……人口一パーセントにも満たない日本のクリスチャン、教会関係者の集まる場所だ。


   下手に、牧師の娘である早智に幽霊が見えると知られてしまえば、狭いキリスト教界ではあっという間に噂が広まってしまう。そうすれば、自分が「見える」ことを話していない父の耳にも入ってしまうだろう。杏実のように、よっぽど信頼の置ける相手でなければ、早智は簡単に自分のことを話すわけにはいかなかった。

私は……先輩とはこの前初めて会ったばっかりだから。
そうだよね、月無さんも同じ新入生だもんね。
   少し残念そうに呟く鈴香に、早智はちょっと胸が痛くなる。ごめん……本当にごめん。後でちゃんと話せるようになるかな……そうだといいな、と早智は心の底から願う。
でも……どうして私が八津貝先輩を探してるって、幽霊に悩んでるってわかったの……?
あっ……えと、よく先輩に相談に来る人と同じ雰囲気してたから……そうかなって……。
そうなんだ、他にも相談に来てる人いるんだ。じゃあ、珍しくはない……んだね?
うっ、うん……(ごめん、よく知らない)。
 正直に幽霊が見えると話てる相手に対して、自分は色々隠していることに罪悪感が溜まってきた早智は、また違う話題を振ることにした。
あと、名前呼ぶとき「早智」でいいよ、同学年だし。もうすぐチャペルも終わるから、それまで一緒に待ってよ。
なら私も、鈴香って呼んでもらえれば。友達はみんな「スズ」って呼ぶけど。
スズか……かわいいね。私は「さっちゃん」って呼ぶ先輩がいるけど、ありきたりだなぁ。
   そんなやり取りをしている間に、早智がスズを追いかけてチャペルを抜け出してから、もう15分ほど経っていた。大学のチャペルは、10時35分から11時5分までの三十分間で行われる。一時間から一時間半近く行われる教会の礼拝に比べると随分短い。

 ちなみに、大学付属の中等部、高等部でも毎週チャペルが行われているが、そちらはさらに短い十五分間で礼拝を行っている。聞く方はいいが話す方はまとめるのが大変みたいだ。早智がスズにそんな話をしている間に、チャペルの方も終わりに近づいていた。 
あっ、頌栄の賛美歌が聞こえてきた。もうすぐチャペル終わるよ。
   頌栄というは、「父なる神」「子なる神(イエス・キリスト)」「聖霊なる神」の三位一体の神をたたえる歌のことで、だいたい礼拝の最後に歌われるものだ。これが聞こえてくれば、残るは後奏のみとなる。
そっか、もうすぐ出てくるんだ……ねえ、八津貝先輩って怖い人?
えっ、ちょっと不思議な癖はあるみたいだけど……普通に見たら怖い人じゃないと思う。
   ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。その話が本当なら、とてもエクソシストのイメージには合わないし、怖い人とも思えない。あくまで「普通に見る」なら……。
あっ、みんな出てきた。
   チャペルのドアが開き、退堂の後奏を聞きながら杏実や霊南坂さんが出てくる。
あれ、早智ここにいたの? さっきの新入生追いかけて行ったのかと……って一緒にいたわ!
こ、こんにちわ。
あっ、この人じゃないよ。この子は私の友達で社会学部一回生のアンちゃん。
はじめまして。早智のお姉さんやってる小友杏実です。
   今回はお姉さんのくだりについては無視することにした。続いて、霊南坂さんと茜さん、その他の人たちが次々とチャペルを後にする。すれ違いざま会釈した茜さんの肩に、今日はあの手首が乗っていなくて早智はホッとした。
さっきは気分悪くなって出たの? さっちゃんが一緒についていてくれたってこと?
あっ、ええと……。
あっ、そろそろ出てくると思う……。
   八津谷先輩は一番前の席に座っていたため、チャペルから出てくるのは一番後になってしまう。そして、おそらくスズの反応は……。
えっ、こっ……この人?
   チャペルが終わったばかりの先輩には、まだぼんやりとした黒い影がつきまとっていた。チャペルの初めに見た時よりはだいぶ影が薄くなっているから、もうすぐ消えていくはずだ。


   しかし、それでも近くに来るとヒンヤリとした感覚が伝わってくる。先輩のお腹を突き抜けて出たり入ったりする霊が目の前に見えると、早智の肌にも鳥肌が立つ。一週間毎日チャペルに出続けて慣れてきたとはいえ、このザワッとする感覚は好きになれない。

スズちゃん、この人が探してた……八津谷先輩だよ。
んっ?
あっ、あの……うっ、えっ……その。
   早智が先輩を紹介すると、スズは何か言葉を出そうとするものの、先輩にまとわりついた霊に目が行ったまま、口をパクパクとするだけで何も出てこない。すると、タイミング悪くヒラリと先輩から離れた霊が彼女の髪に触れる。

 ビクンッと直立不動になったスズは、そのままヘナヘナと座り込んでしまった。一度引いた汗が再びすごい量になって顔から吹き出ている。
ええと……この前の早智と同じかな? これは体調が悪い奴だね。よし、また講師控え室だ!
   恐るべき勘の良さで状況を察した杏実が機転をきかせ、スズを支えて立ち上がらせる。早智はまた心臓がドキドキなるのを感じながら、八津谷先輩の方を振り向いた。当の彼は、全く状況が飲み込めていない様子だ。
あの、俺……何かした?
いえ……でも先輩に用事の子です。
うんっ?
   それが、先輩の悪魔祓い? に立ち会う早智にとって最初の体験の始まりだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色