第1話 同級生は憑かれてる?

文字数 4,003文字

とうとう来てしまった……。
お互い無事に受かってよかったね。
   四月二日、大勢の学生が入学式を迎えようとして大学の体育館に集まっていた。入学式はいくつかの学部でまとまって行われ、午前と午後の部に分けられている。早智と杏実は二人とも午前の部だった。
人多いなぁ。
さすが、近畿地方の四大大学に数えられるだけあるね。
学生全員合わせたら2万人以上いるんだっけ? ここにいるのも新入生の4分の1なんだよね。
ええと、うちらの学部は……あっ、あそこに社会学部のプレート持って立ってる人いる。私あっちだ!
じゃあ、一旦ここでお別れだね。後で入学式と学部の説明会終わったら一緒に部活回ろう。
うん、神学部どんな人たちが集まってるのか後で教えてね!
はい、はい。また後でね。
   杏実と別れると、早智はさっそく自分の学部が座るはずの席を探す。ズラッと並んだ椅子の前に、それぞれ学部のプレートを持った人たちが立っている。神学部もそのどれかにあるはずだ。
ええと、神学部は………………あれ?
   何列にもわたって並んでいる社会学部や文学部の学生たちは見えるものの、神学部の場所が見当たらない。まさか、神学部だけ別の会場になったのだろうか?
おかしいな……。
なあ、もしかして神学部探してる子?
えっ、あ……はい。
   不意にハスキーな声で呼びかけられ、振り向くと背の高い女性が「神学部」のプレートを持って立っていた。思わず、綺麗……と見惚れてしまうような整った顔立ちをしている。

 キリッとした細長い眉、つんっと伸びた綺麗な鼻、真っ黒で艶やかな髪は背中まで届いていた。スーツ姿の彼女は、まさにクールでかっこいいお姉さんというイメージがぴったりの人だ。
悪いね、ちょっと煙草吸いに行ってたら遅れたよ。神学部はこっち。
   学生の案内係なのだろう。煙草を吸いに行って遅れるのはマズい気がするが……次の瞬間そんなことは早智の頭から抜けてしまった。彼女の細長い指がさした方向、それを見て、早智は思わず「へっ?」と間抜けな声を漏らしてしまう。
あの……一列ですか?
そ、一列。みんな驚くけど見たとおりだよ。
   そう、他の学部が十数列近く席を並べているのに対して、神学部はたった一列だけ、まるでハブられているかのように体育館の一番隅に並んでいた。てっきり来賓の偉い人とかが座る場所と思っていたら、そこも新入生の席だったらしい。
君は最初の方みたいだね。ほら、あそこに座っているおばさんの前だ。行っておいで。
は、はい……。
 「おばさん」とストレートに呼んでたが、確かに四十代くらいに見える女性が前から二番目の席に座っていた。髪を後ろで丸くまとめた大人しそうな人だ。どうやら、他の神学部生はまだ来ていないらしい。誰もいないわけじゃなくてよかった……と思いながら、早智は女性の前に来る。
よかった、このまま他に誰も来なかったらどうしよう……って思ってたの。初めまして、社会人編入の大葉茜です。あなたは現役生?
はい、月無早智です。どうも初めまして……ぐっ……ふっ……え……!?
えっ、どうかしたの? 大丈夫?
い、いえ。すみません、ちょっと埃吸い込んじゃって。
   早智は慌てて喉元に手を当てながら、もう一度おそるおそる茜さんの肩に視線を走らせる。見間違いではない。確かに、ゴツゴツした男性のものらしき手首が彼女の肩に乗っかっている。

 手首から上は何もない……よく心霊番組で誰のものかわからない手が心霊写真として紹介されることがあるが、ちょうどそんな感じの青白い手だ。これは……さすがに話せない。ましてや初対面で。
ここ乾燥しているわよねぇ。よかったら飴ちゃん舐める? りんご味とマスカット味があるけど、どっちが好き?
り……りんご味で。ありがとうございます。
どういたしまして。やっぱり神学部って少ないのね。去年まで科目等履修生だったから、学生が少ないのは知ってたけど、座席が一列とは思わなかったわ。
そうですね……ちょっとびっくりです。
   今びっくりなのは彼女の肩に乗った手首の方なのだが、なるべく変に見えないよう普通に会話する。普段、早智が見る霊はあまり輪郭のはっきりしないユラユラした影のようなものが多い。それがここまでハッキリ見えるのは久しぶりだ。

 きっとしばらくすればいつものように消えるだろうと思いつつも、式が始まれば自分の背後にそれがあると思うと落ち着かない。しかも今は杏実がいないから、早智一人で対応しなければならないのだ。
うちの学部、席数えたら35人しかいないのね。院まで含めて200人いないとは聞いてたけど、ちょっと寂しいわ。
 この大学全体で二万人近くの学生がいるとすれば、神学部生はその一パーセントにも満たないことになる。日本のクリスチャンも一パーセントに満たないことを考えると、まさに社会の縮図だ。
そうですね、私もさっき女の人に教えられるまで神学部の席分かりませんでした……(何か肩の上で手動いてる……)。
あっ、霊南坂さんに教えてもらったの? あの人クールでかっこいいわよねぇ。院生で教学補佐をやってるから、授業の課題とか提出物出すときにお世話になると思うわ。
院生なんですね。大人っぽくてクールだなって思ってたんですけど……(左肩から右肩に移動してる……こっち来ないよね?)
そっか、新入生ってことは霊南坂さんの4つ下なのよね。当たり前だけどやっぱり若いのねぇ。いいわねぇ……この歳になると授業で覚えなきゃならないこと、ついていけるか心配で。
   私はその手首がこっちについてこないか心配です……と思いながら、早智はいえいえと首を振った。茜さんは良い人そうだが、あの手首が何なのか気になって仕方がない。さっきから茜さん自身も時折肩をさすっている。早智のように霊が見えている様子はないが、何か感じているのだろうか?
あの……もしかして肩凝ってます?
   気になりすぎてつい聞いてしまった。普段は早智に見えているものが早智以外に影響を与えることはあまりない。かといって、全くないわけでもない。本人には見えていなくても、早智に見えているもののせいでダルそうにしていたり、気分が優れないように見える人も時たまいるのだ。
あら、ごめんなさいね。肩こんなにさすってたら気になるわよね。私、昔から肩凝りひどくてこうするのが癖なのよ。亡くなる前は夫がよく肩揉みしてくれたんだけど。
そうなんですか……お連れ合いさん失くされてるんですね(えっ、じゃあその手って……)。
不器用な人でね。自分は肩揉み上手いと思って毎日してくれたんだけど、いつも力が強すぎて困ったわ……私もそれを言い出せなかったから、結局最後まで自分は肩揉みが下手だって知らないままいっちゃったの。
 手がちょっとしょげているように見えるのは気のせいだろう。早智の見てきたものが人間の言葉や行動に明確な反応を見せたことはほとんどない。人間に悪さをしようとしているのか、何かを教えようとしているのか、はたまた意思なんてもう残っていないのか……早智にはわかった試しがなかった。
でも、肩揉みしてくれるなんて優しい方だったんですね。
そうね、優しかったわね。力の加減を覚えてもらえないのは辛かったけど……今でもあの人が思いっきり肩を押してくるような気配が時々するのよ。気のせいだってわかってるんだけど、つい肩の上に彼の手が乗ってるんじゃないかって思っちゃって。

でももう、天国に行ってるはずだしね。私の夫、教会で牧師をしてたの。ずっと辛いことばかりだったから、今頃神様が「お疲れ様」って言ってくれてるはずだって信じてるけど……。
 「天国に行っているはず……」頭の中で、その言葉がぐるぐると回った。死んだら天国に行く、それはクリスチャンなら誰もが考えていることだ。けれども、「全ての人が天国に行けるか?」という点では必ずしも皆同じ考え方ではない。

 「神様を信じれば、洗礼を受ければ天国へ行けるんだ」と考えてる人がほとんどで、「誰でもみんな天国へ行ける」という考え方は、どちらかというとキリスト教会では一般的でなかった……聖書には救われる人と裁かれる人がいると書いてあるし、イエス様も洗礼を施すよう弟子たちに勧めたからだ。

 けれども、早智のお父さんは違った。お父さんは天国にいけない人、救われない人は一人もいないと信じている。「この世に幽霊なんていないさ」と口にするのも、神様はみんな天国に連れて行ってくれると信じているからだ。小さい頃からよく自分に話してくれたことを思い出す。
全ての人を救うためにキリストは十字架にかかったんだから、その救いから漏れる人なんてありえないと思うんだ。洗礼は救いの条件じゃない。救いを信じて感謝を表すことだ。

もし、生きてる間に神様を信じられなかった人がいても、お父さんはイエス様が導いてくれるって信じてるよ。
 早智も、この言葉を疑ったことはない。けれど、もし早智に見えているものが本当に幽霊なら、この世に留まる死者の魂なら……彼らは天国に行けなかった者たちなのだろうか? 救いから漏れてしまった人がいるということなのだろうか? 

 幽霊は「救われなかった人」「裁かれた人」の魂なのだろうか? そこに洗礼を受けた人もいるとしたら、牧師になった人まで入っているとしたら……幽霊と思しきものが見える度に、考えないようにしていたことが次々と頭に浮かんでくる。

 早智は軽く頭を振って考えるのを止めた。これ以上考えていたら、余計に気持ちがめげてしまう。しかし、気にしまいと思いつつも、茜さんの肩に乗った男の手を意識すると、自分の体温が徐々に冷えていることも首筋に鳥肌が立っていることも気づかざるをえない。

 どうか今回も早く消えてください……できるだけ早く忘れさせてください……茜さんに悟られないよう、早智はひそかにそう祈った。
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登場人物紹介

月無早智、18歳。

牧師の娘でクリスチャン。中学の頃から幽霊が見えるようになってしまったが、家族にも教会の人にも相談できずにいる。


「聖職者になれば幽霊なんて平気じゃん」と言う友人に誘われたのをきっかけに、総合大学の神学部伝道者コースに入学する。院生の八津貝亮と出会ってから、幽霊に関する様々な事件に巻き込まれるようになった。

八津貝亮、22歳。

神学部思想文化コースの院生。全く霊感がないにもかかわらず、なぜか幽霊に関する事件の相談を受けることが多い。他学部では「神学部のエクソシスト」と呼ばれ有名だが、本人はエクソシストをしているつもりはない。


自覚はないが霊を引き寄せやすく、そのせいかはわからないが常にどこか調子が悪い。かと思えば、以外とタフな一面も見せる。ストレスが溜まるとシャボン玉を吹き始める。

川井古和、20歳。

文芸部の部長をしている文学部心理学科の三回生。文化祭で出会った杏実と仲良し。のほほんとした雰囲気に見えるが素で人を振り回す侮れない先輩。


ミステリー小説をネット上にアップしている。事件と名のつくものがあれば、とりあえず現場に行きたくなってしまう。八津貝亮の周りで何か起これば、たいてい彼女が現れる。

小友杏実、18歳。

早智に幽霊が見えることを知っている唯一の友人。周りからはアンと呼ばれている。明るく話しやすい人柄で口も固い。自分の進みたい総合大学に神学部があることを知り、進路に悩んでいた早智をそこへ誘った。自身は社会学部に入る。


ホラー小説や映画が好きで、自分も文芸部に入って小説を投稿している。文芸部のOBの院生が「神学部のエクソシスト」であることを知り、早智だけでなく彼にも会いに、よく神学部へ遊びに来るようになった。

霊南坂舞、22歳。

神学部伝道者コースの院生で、亮と同じ学年。教学補佐をしており、院生の中では早智たちとよく絡む。見つからない時はだいたい喫煙所にいる。


亮と一緒にいることが多いせいか、付き合っていると勘違いされやすいが、本人は「そういう興味はない」と言っている。どういう意味にとるかは神学部の中でも解釈が分かれている。

大葉   茜、50歳。

神学部伝道者コースの社会人編入生。入学してから最初にできた早智の友人。数年前から科目等履修生をしていたので、学内には詳しい。


本人は気づいてないが、亡くなった夫らしき霊(手首のみ)が憑いている。「幽霊は死んで天国に行けなかった人の魂なのか?」という困難な問題に早智を直面させることになった。

月無葛見、45歳。

早智の父親で牧師をしている。神様は全ての人の魂を救ってくださる方だから、幽霊はいないはずだと思っている。娘に幽霊が見えていることは知らない。


破壊的カルトの脱会活動も行っており、地獄の存在を強調したり、悪魔祓いと称する儀式を行う宗教者を警戒している。そのため、「神学部の悪魔祓い師」と噂される学生の存在が気になっている。

奥野鈴香、18歳。

一人暮らしを始めたばかりの文学部の新入生。小さい頃から時々幽霊を見ていたが、下宿先のマンションで毎晩幽霊が現れるようになり、帰れなくなっていた。


「神学部の悪魔祓い師」の噂を聞きつけ、相談するために神学部を訪れた。亮が多くの霊に取り囲まれているのを見て声をかけられないでいたところ、早智と知り合った。

黒麻弥恵、19歳。

実家通いの商学部の二年生。文芸部で杏実の先輩。新しい家に引っ越してから、度々ポルターガイストの現象に悩むようになった。


毎晩、家族と夕食をとっていると自分の手が引っ張られたり椅子から落とされたりするため、見えない幽霊に怯えて暮らすようになった。杏実の紹介で亮と早智に相談するため、神学部を訪れた。

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