文字数 2,816文字

 福井先生は、2人用のテーブル席に座っていた。そういえば、こうやって面と向かって会うのは16年振りだろうか。流石に16年も経つと、シワの数が増えている。しかし、女性の前でそれは禁句だ。
「福井先生、久しぶりです」
「絢奈ちゃんが元気そうで良かった。今、どこに住んでいるの?」
「芦屋です」
「芦屋かぁ……羨ましい」
 福井先生の一言で、僕は顔を紅潮させた。
「な、なんだか照れます。でも、ケースワーカーの提案で芦屋に引っ越して正解でした。豊岡に住んでいる以上働く場所なんてありませんからね」
 僕は、大学を卒業してから職を転々としていた。こんな田舎町で障害者雇用と言えば、大体が軽作業である。僕はそれが(いや)で厭で仕方がなかった。しかし、チャンスは突然巡ってくる。ケースワーカーから「システムエンジニアの障害者雇用がある」と言われて、僕はそれに応募した。結果、僕はその会社でシステムエンジニアとして働くことにした。最初はちゃんとしたプログラミングをやらせてもらっていたが、矢張り僕を善く思わない上層部からのパワハラに耐えかねて2年で辞めてしまった。しかし、そこで得たモノは多かった。こうやってフリーランスのWebデザイナーとして働いているのも、システムエンジニアとしての経験があったからだ。ちなみに、システムエンジニアの仕事を辞めてから再び軽作業の仕事に就いたが、3ヶ月も持たずに辞めてしまった。
 僕はハンバーグステーキとパンのセットを注文して、福井先生はカルボナーラを注文した。ガールズトークを挟みつつ、やがて話は例の連続バラバラ殺人事件へとシフトした。
「なるほど……それにしても、島田荘司先生の『占星術殺人事件』と手口が似ていますね。アレは躰を6つに分解して鉱山の中に埋めていました。でも、今回の殺人事件の手口はどちらかと言えば京極夏彦先生の『魍魎の匣』に近いような気がします」
「言われてみればそうですね。肢体を切断して一部を持って逃走するという手口は『魍魎の匣』のソレです。矢張り、犯人は京極夏彦の小説に影響を受けたのでしょうか? それとも京極夏彦の名を穢すべく敢えてこういう犯行に及んでいるのでしょうか?」
「それは私にも分かりません。でも、犯人がかなりのミステリオタクなのは確かでしょうね。じゃないとこんな残忍な犯行は出来ないでしょうし」
「となると……矢張り、怪しいのは沙織ちゃんですか」
「沙織ちゃんは大丈夫だと思いますよ」
「どうしてそれが断言できるんですか?」
「この間、沙織ちゃんとメッセージのやり取りをしたんです。もちろん、例の事件に関するモノよ。そこで、沙織ちゃんは『自分の命が狙われる危険性がある』と怯えていました。今回の事件の被害者って、全員17年前の2年4組の女子生徒なんですよね。もちろん、絢奈ちゃんも他人事ではないと思います」
「それは分かっています。自分の命も狙われているのは言うまでもありません。それを承知で僕は豊岡へとやって来たのですから」
「ふふっ。なんだか、絢奈ちゃんらしいですね」
「そ、そうですか?」
 僕を「女性」として認知している人間は少ない。髪はベリーショートだし、ファッションも男っぽいモノを好んでいるし、気付けば一人称も「僕」になっていたからだ。多分、中学生の頃だろう。辛うじて乳房が膨らんでいることで僕を「女性」として認知している人間もいるのかもしれないが、そんな人間はそうそういない。でも、僕の事を「絢奈ちゃん」と呼んでくれる人は僕を女性として認知している。ただ、それだけの話だ。
「でも、あまり事件に深入りしないほうが良いですよ? 私は絢奈ちゃんの事が心配ですから」
「それは分かっています。それに、こういうのって刑事さんの仕事だと思いますから」
 多分、兵庫県警の捜査一課の刑事がこの豊岡で事件についての捜査を行っているのは紛れもない事実だ。だから、僕のような一般人が事件に深入りする事自体間違っている。だから、引き下がるなら今のうちだろう。そう考えつつも、僕は頭が痛かった。
「ドリンクバーに行ってきます」
 そう言って、僕はドリンクバーへと向かうことにした。
「行ってらっしゃい」
 コーラを淹れながら、僕は考え事をしていた。あまり考えたくはないけれども、杉本先生や福井先生が一連の事件の犯人だとしたらどうしよう。その時は、僕が刑事さんに対して告発すべきだろうか? それとも、他の手段を選ぶべきだろうか? そんな事を考えているうちに、コップからコーラが溢れてしまった。
「おっとっと……」
 とりあえず、僕は溢れたコーラを(すす)って福井先生が座っているテーブルへと戻った。
「あら、コーラが溢れてるわね」
「ちょっとボーッとしていたら、こうなっていました」
「なんだか、そういうところも絢奈ちゃんらしいですね」
「そ、そうなのか……」
 食後のデザートは、僕がいちごパフェで、福井先生がチョコレートケーキだっただろうか。デザートを頬張りつつ、僕と福井先生は今後の事を考えていた。
「それで、絢奈ちゃんは暫く豊岡にいるの?」
「そのつもりです。多分、この事件が解決するまで僕は豊岡にいると思います。もし、事件で何か分かった事があったらいつでも連絡してください」
「分かりました」
 そういう訳で、女子会もお開きになりそうだったので僕は麻衣にメッセージを送信した。

 ――そろそろ迎えに来てくれ

 数分後、茶色の日産ルークスが停まっている事に気付いた。麻衣の愛車である。
「あら、お迎えみたいね」
「そのようですね。それでは、また」
 こうして、僕は福井先生との女子会を終えた。
 そういえば、福井先生って竹野に住んでいるって言っていたな。竹野といえば、日本海に面した小さな漁村か。豊岡から離れてから、そういう場所にも行かなくなってしまったな。そうだ、明日、行ってみるか。そこで何かが分かるかもしれないし。
 家に帰って、僕はシャワーを浴びることにした。しかし、こういうふとした瞬間に自傷行為への衝動に駆られる事がある。それは、自分の白くて細い腕に付けられた傷痕が証明している。麻衣から「実家でのリスカ禁止条例」が出ているので、こんな場所で自傷行為をする訳にはいかない。自分の裸体を見つめていると、心臓の鼓動が早くなる。心臓の鼓動が早くなるにつれて、呼吸も荒くなっていく。所謂過呼吸だ。僕ハ何ノタメニ生キテイルノダロウカ? ソレガ分カラナイ。分カラナイカラ、生キテイルノカ? 右手デ胸ヲ抑エルト、鼓動ヲ感ジル。どくん。どくん。どくん。耳鳴リノヨウニ、心臓ノ鼓動ガ聞コエテイル。どくん。どくん。どくん。心臓ノ鼓動ノ音ハ、血液ヲポンプデ送リ出ス音デアルト聞イタ。ツマリ、生キテイルトイウコトハ、心臓ガ脈ヲ打ッテイルコトナノカ? どくん。どくん。どくん。剃刀ヲ、右腕ニ握ル。どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。
 ――気付イタトキニハ、僕ノ腕ハ血デ穢レテイタ。
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  • Phase 01「僕」という存在

  • 1
  • 2
  • 3
  • Phase 02 山奥の地方都市

  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • Phase 03 見立て

  • 8
  • 9
  • 10
  • Phase 04 追憶の中学2年生

  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • Phase 05 フランケンシュタインの怪物

  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • Phase 06 オール・リセット

  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • Final Phase 僕の遅すぎた青春

  • ***
  • 参考資料

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