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文字数 2,455文字

 結局のところ、遠藤望海は少年法で保護されることになった。とはいえ、彼女が殺人を犯したことに変わりはないので、少年院へと送致されることになったのだが。望海ちゃんは、まだ10歳だ。だから、これからの人生で取り返していけばいい。そう思っていた。
 令和5年7月15日。その日は近畿地方で梅雨明けが発表された。兵庫県の北部は豪雪地帯として知られているが、夏は夏で猛暑の街としても知られている。故に、この日の気温は人間の体温程あった。多分、36度だろうか。――いくらなんでも、外気温で人間の体温と同じぐらいの暑さを感じると不快だ。
 僕と麻衣は、エアコンの効いた部屋の中でガリガリ君を食べながらこれからの話をしていた。
「でさ、事件解決したけど、芦屋に帰んの?」
「当たり前だ。好きでここにいる訳じゃない」
「だよねぇ。まあ、アンタはアンタの好きで生きていけばいいさ。でも、リスカはダメよ」
「お姉ちゃん、それは分かってるけどさ……」
「今回の事件で、『自分がなぜ生きているのか』が分かったんじゃないの?」
 麻衣にそんな事を言われると、改めて「自分がなぜ生きているのか」を実感するような気がする。特に、今回の殺人事件では7人もの被害者が出てしまった。生きていることは奇跡であり、当たり前のことでもある。だからこそ、僕はこうやって生きているのかもしれない。
 ふと、僕は麻衣の胸に顔を埋めた。
「おい、突然何なんだよ」
 ――どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。生きている音が、聴こえる。自分の心臓の鼓動が聴こえるのは五月蝿いが、誰かの心臓の鼓動を聴いていると、なんだか心が落ち着くような気がした。多分、産まれてくる前の原始の音って、こんな感じなんだろうな。瞼を閉じると、それが善く分かるような気がした。
「そうか――アンタ、寂しかったんだな」
「なぜ、それが分かったんだ」
「だって、アンタさ、正直『孤独』を感じていたんだろ?」
「そりゃ、独り暮らしをしていたら、孤独の一つや二つぐらい感じても良いだろ」
「ちょっと……お取り込み中のところ申し訳ないんだけど、麻衣、何してるんだ」
「あ、博己くん」
「博己くん?」
「ああ、ゴメン。アタシ、結婚してたの」
「え? え? えええええええええええええっ!?」
「言わなかったっけ? まあ、結婚したのも疫病の最中だったし、仕方ないけど」
 どうやら、僕は麻衣に先を越されてしまったようだ。しかし、僕には恋愛の仕方が分からない。それに、自分の趣味を大事にしたいから結婚ということも考えてない。僕は――一匹狼のままでいいんだ。
「それで、僕はいくら結婚祝を持ってくれば良いんだ」
「別にそんなことしなくてもいいのよ。アタシはアンタの姉としての役割を十分果たしてるし、アンタもアタシの妹としての役割を果たしてるからな」
「そうか……」
 後で知った話だが、「神無月麻衣」というのは当然ながら旧姓であり、今の名前は「新垣麻衣」というそうだ。なんだか、女優みたいな名前だな。

 数日後。僕は芦屋に帰っていた。そして、芦屋の大丸の下にあるスタバにいた。スタバといえば、マックを持ってドヤ顔をかましているプログラマが多いが、僕が持ってるノートパソコンは残念ながらダイナブックである。つまり、ウィンドウズだ。しかし、それなりに映えていると思う。そして、目の前にはニコニコ顔の浅井刑事がいる。
「そういえば、浅井刑事って下の名前が『仁美』っていうんですね」
「それがどうしたんですか?」
「僕、hitomiっていう歌手がずっと好きなんですよね。それで、彼女の本名って『古谷仁美』って言うんですよ。警察手帳に『浅井仁美』って書いてあるのを見て、少しシンパシーを感じたんです」
「なるほど」
「まあ、見た目は全然違いますけどね」
 浅井刑事の見た目は、僕よりも少し若いといった感じで、少し似ている。でも、ボーイッシュではないと思う。
 僕と浅井刑事はガールズトークのような何かを続ける。
「それで、あの時の話の続きが聞きたいんですよね」
「どんな話をしていたっけ? 事件に関わってた時期が長すぎて忘れてしまった」
「ほら、ミステリ談義!」
「ああ! アレか! まず――どこからしていこうか」
「そうねぇ……京極夏彦の話とかどうですか? 今年で30周年って聞きましたし」
「そうだな。ちなみに愛蔵版『絡新婦の理』は買ったか?」
「もちろん!」
「だよな。僕も買った。それにしても、重すぎる」
「ですよね。ノベルス版が軽く見えますもんね」
 そういう訳で、期間限定のフラペチーノを飲みながら僕と浅井刑事はミステリ談義に花を咲かせていた。これが、僕の遅すぎた青春なのかもしれない。
 やがて、ミステリ談義も終わったので僕は浅井刑事を芦屋駅の改札口まで見送ることにした。
「神無月さん、今日はありがとうございました」
「いや、絢奈さんで良いんだ」
「コホン。絢奈さん、また何か事件があれば、あなたの力を借りたいと思っているんです」
「そうなのか。僕は探偵なんかじゃないのに」
「いやいや、立派な探偵ですよ!」
「そうか。――そろそろ、新快速が出発するぞ」
「あわわっ! そうでした! それでは」
 浅井刑事は、改札口から消えていった。
 それにしても、この先僕はどうなるんだろうか。そんな事を考えながら、僕は芦屋駅からアパートへと戻っていった。
 相変わらず、女子力がマイナスに振り切った部屋だな。もう少しなんとかしなければ。しかし、ロボットアニメのプラモデルを蒐集している以上女子力マイナスの部屋からは避けられない。まあ、良いんだけど。
 シャワーを浴びながら、鏡の前で自分の傷だらけの裸体を見つめる。こういう時に、僕は自傷行為への衝動に駆られる事がある。けれども、その日はなんだか違った。乳房というか、胸に手を当てる。――どくん。どくん。どくん。ああ、これが「生きている」ということなのか。脈を打つ心臓の鼓動を感じながら、僕はシャワーの蛇口を捻った。

 ――やっと、僕は普通の人間になれたかもしれない。(了)
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  • Phase 01「僕」という存在

  • 1
  • 2
  • 3
  • Phase 02 山奥の地方都市

  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • Phase 03 見立て

  • 8
  • 9
  • 10
  • Phase 04 追憶の中学2年生

  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • Phase 05 フランケンシュタインの怪物

  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • Phase 06 オール・リセット

  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • Final Phase 僕の遅すぎた青春

  • ***
  • 参考資料

登場人物紹介

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