文字数 2,945文字

 僕は、とりあえずシャワーで血にまみれた(からだ)と床を洗い流した。赤い液体が、一気にその場から消えていく。自分の白い肌に、痛々しい傷痕が目立つ。この傷痕の数だけ、僕は生きづらさを感じているのだろうか。シャワーに付けたばかりの傷痕が染みる。生きる上で痛みを感じるのは当たり前の話だし、その痛みは「心の痛み」なのか「感覚的な痛み」なのかの違いだけである。僕の場合は、多分「心の痛み」を感じる事が多いのだろう。そして、「心の痛み」を自傷行為として転嫁してしまう。そういう悪循環をこの15年間繰り返しているような気がする。このままだと、僕は本当に自傷行為で死んでしまうかもしれない。それだけは避けたいのだけれど、矢張り僕は「生きるべきではない」人間なのだろう。ならば、このまま死ぬだけだろうか。そんな事を考えても仕方がないので、僕は石鹸で髪と躰を洗うことにした。僕は個体としては女性に当たるので乳房が張っている。しかし、正直言ってこんなモノは邪魔だと思っている。どうして僕は女性として生まれてきてしまったのだろうか? それが、分からない。
 長すぎるシャワーを終えて、僕は部屋着に着替えた。そして、髪を乾かした。髪は平均的な女性よりも短いので、すぐに乾いた。もちろん、美容院でのメンテナンスを怠るとすぐに癖毛(くせげ)まみれになってしまうのだけれど、中々美容院に行く機会がない。だから、僕の髪は常にボサボサである。ボサボサの髪を(くし)()いて、とりあえずカタチになるようにした。そして、麦茶で精神安定剤を流し込んだ。そうしないと、僕の精神状態を平常に保つことは難しい。
 スマホを見ると、大量のメッセージが溜まっていた。僕は友達が少ないので、だいたいがスパムか広告である。しかし、ある人物からのメッセージを見て、僕の心臓の鼓動は高鳴った。

 ――アヤナン、元気? アタシ。西澤沙織
 ――覚えてるかな?

 当然、覚えている。さっき幻覚で見たばかりだからだ。僕は、沙織ちゃんに返信を送った。

 ――忘れるわけがないだろう。友達だからな
 ――それで、どういう用事なんだ?

 返事を待っている間に、僕はダイナブックで色んなニュースを見ていた。疫病が明けてから、なんだかこの日本という国は物騒になってしまったような気がする。殺人事件は毎日起こるし、先日銀座では白昼堂々強盗騒ぎがあったという。いずれ、僕が住んでいる芦屋(あしや)や隣町にあたる神戸でもそういう事件が起こってしまうのだろうか。そんな中で、僕はある事件のニュースが目に留まった。

 兵庫県豊岡市でバラバラ死体が発見
 被害者は31歳の女性と見られる

 豊岡というのは兵庫県北部に位置しており、僕の実家がある場所だ。僕は訳あって豊岡から芦屋に引っ越した身だが、矢張り郷土(じもと)でそういう事件があると放っとけない。それにしても、豊岡って殺人事件が起こるような場所だろうか? 治安は兵庫県の中でもかなり良い方だ。ただ、事件の被害者が僕や沙織ちゃんと同世代である31歳の女性というのが気になる。もしかしたら、沙織ちゃんの友人なのだろうか?
 そんな事を思っていると、沙織ちゃんに送信したメッセージに対する返信が来た。

 ――最近、豊岡で殺人事件が起こったのよね
 ――バラバラ殺人事件だっけ?
 ――アヤナンは京極夏彦の『魍魎の匣』っていう作品知ってるよね?
 ――まあ、アタシが勧めたから当然だと思うけど
 ――それで、豊岡に来てその事件を調べて欲しいの
 ――出来そう?

 どうやら、沙織ちゃんは僕を探偵だと思っているようだ。当然、ツッコミを返す。

 ――僕は探偵じゃなくてフリーランスのWebデザイナーだ
 ――調べるなら自分で調べてくれ

 それから、返事は直ぐに来た。

 ――分かってるけどさ、なんだか不穏なの
 ――それで、アヤナンの力を借りたいの

 確かに、僕は中学校の時に情報部とミステリ研究会の二足の草鞋を履いていた。とはいえ、普段の部活は情報部であり、ミステリ研究会は非公式の部活である。僕と沙織ちゃんの2人で勝手に旗揚げしたら、いつの間にかメンバーがどんどん増えて、気付けば中学校1クラス分の人数は集まっていたと思う。コレには国語の先生でミステリ研究会の顧問も担当していた福井和世(ふくいかずよ)先生もびっくりしていたらしい。
 ミステリ研究会で研究するミステリはコナン・ドイルや江戸川乱歩といった古典的なミステリから京極夏彦(きょうごくなつひこ)森博嗣(もりひろし)といった新世代のミステリまで、とにかくミステリを称する小説なら何でも良かった。ちなみに、僕のお気に入りは舞城王太郎(まいじょうおうたろう)の『煙か土か食い物』だったのだけれど、周りからは「こんなのミステリじゃない」と言われてしまった。その時点で僕は周りとズレていたのだろうか? しかし、京極夏彦と舞城王太郎という2人の小説家が僕の人生に及ぼした影響は計り知れないモノである。実際、フリーランスのWebデザイナーだけは食べていけないので講談社の文芸第三出版部に何度か原稿を送っているが、矢張り脈なしである。それは、僕に文才がないという事を暗に示しているのだろう。というか、僕に文才があればそれで十分食べていけるのだが。
 そういう縁もあって、大人になっても沙織ちゃんとは連絡を取り合っている。しかし、「京極夏彦の新作小説が発売される」というメッセージならまだしも、なぜ「バラバラ殺人事件を調べて欲しい」というメッセージを僕宛に送って来たのだろうか? 気にしても仕方がないので、僕は件のバラバラ殺人事件を調べることにした。
 ネット上の情報によると、豊岡で起こっているバラバラ殺人事件はこれが初めてではなかったらしい。今回の事件は3人目の被害者で、被害者の名前は谷下杏子(たにしたきょうこ)という女性だった。そういえば、僕のクラスにそういう名前の子がいたような気がする。なんとなく、僕は中学校の卒業アルバムを捲ってみた。そこには、確かに谷下杏子という名前の女性がいた。そこから遡るようにして第1の事件と第2の事件も調べてみると、いずれも僕の中学校の同級生だった。1人目の被害者は吉本亜美(よしもとあみ)という女性で、僕も善く知っている人物だった。2人目の被害者は右近菜月(うこん)という女性で、これも卒業アルバムに載っていた女性の名前と一致している。ならば、犯人の狙いは僕が通っていた中学校の同級生なのだろうか? そして、3人目の被害者は谷下杏子である。3人共共通して言えるのは、2年4組の同級生だったことである。しかし、僕は陰キャでコミュ障なので、この3人と面識があったかどうかは分からない。辛うじて、吉本亜美とは同じ班だった記憶がある。確か、赤縁(あかぶち)の眼鏡をかけたやや痩せぎすの女性だったような気がする。多分、僕に対して優しく接してくれていたのだろうけど、その事を思い出そうとすると、(もや)がかかったようになってしまう。もしかして、沙織ちゃんは「自分が狙われている」ということを暗に僕に伝えているのだろうか? ならば、豊岡に向かうしかないのか。芦屋から豊岡までの距離は直線距離で約130キロメートル。バイクでも1日でたどり着けるかどうかは微妙である。それに、現状だと証拠が不十分だ。もう少し調べてから豊岡へと向いたい。そう思いながら、僕は引き続き事件の仔細(しさい)について調べることにした。
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  • Phase 01「僕」という存在

  • 1
  • 2
  • 3
  • Phase 02 山奥の地方都市

  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • Phase 03 見立て

  • 8
  • 9
  • 10
  • Phase 04 追憶の中学2年生

  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • Phase 05 フランケンシュタインの怪物

  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • Phase 06 オール・リセット

  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • Final Phase 僕の遅すぎた青春

  • ***
  • 参考資料

登場人物紹介

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