第28話 闇バイト

文字数 3,616文字

「……友人や家族でもインサイダー取引になりますので、ご注意ください。えっと、それでは、本日の講義はこれでシシマイです」
 妙な言葉が耳に入ると、教官が教壇の中から赤いしかめっ面した獣の顔を取り出し、口をパクパクさせた。進級券の交換が禁止されて落ち着いた二年生とは対照的に、先行きが見えなくなっている一年生に配慮した行為だったが、場の空気が和むというよりは、大半の学生はビックリしただけだった。
 何事もなかったかのように四限目が終わり、法曹コースの一年生たちが次々に立ち上がる。阿立もペンとノートを片付け顔を上げると、ちょうど出口に向かう安本と目が合った。いつもは見ているだけのその長身でさわやかなルックスに思わず声をかける。
「安本くん」
「何?」
「ここだけの話なんだけど……」
 わざと小声で言って、顔を近づけさせる。
「コイン売ってくれる人が見つかったの」
「……1枚5万円?」
「もうちょっと安くできるかも」
「そんな金ないけどな」
「……」
 ネガティブな言葉に阿立の顔から笑みが消えた。
「あ、いや、何とかできるかも。相談してみる」
「うん。私もがんばって交渉してみるから」
 安本は無理に笑って見せ、この場を離れた。

 トボトボとうつむきながら歩く。阿立が自分のことを見ているのに安本は気づいていた。安本もまた黒髪で清楚な感じの阿立を嫌いではなかった。きっかけさえあれば付き合いたいと考えていた。
 そんな彼女が進級の救いとなる話を持ちかけてくれた。でも、それに応えることができない……お金がないという理由で。男として屈辱的だと安本は感じた。自分を底辺にいるクズだと思った。何としてもこの状況を打開しないといけない。
 下宿先のマンションに帰ってきた安本は、お金を手に入れる方法を考えた。まず思いついたのはギャンブル。だが、確実ではない上に元手も必要となると、貯金がないので選択肢から消えた。投資も思いついたが、同じ理由でダメになった。
 ちゃんと汗水流して働くしかないと、スマホで求人サイトを見る。しかし、高くて日給3万円くらいのアルバイトしかない。彼女と付き合うことになれば、洋服代やデート代なども必要になる。来月にはクリスマスを迎え、今年も終わる。チマチマと稼いでいる暇はない。
 方法を変え、SNSで『#高額バイト』と検索する。すると『運搬業務 30万円+ボーナス』というのが目に止まった。一般の求人の10倍。重労働くらいは覚悟できた。早速DMを送る。しばらくして『ご応募ありがとうございます』から始まる返事が来た。読むとやり取りはメッセージアプリでするとのことで、書かれていたIDを検索して登録する。すぐにメッセージが来た。
『本人確認のため身分証明書(学生証可)を写真に撮って送ってください』
 安本はいつも大学のATMで使っている学生証を取り出し、スマホで撮って送った。次のメッセージが来る。
『日時:12月3日(土)午前9時
 集合場所:田園調布駅
 持ち物:イヤホン』
『了解しました』
 既読になり、やり取りが終わる。簡単に仕事まで辿り着いた。その分、不安も込み上げてくる。面接はないのか。どこの会社なのか。何を運搬するのか。なぜ高額なのか……犯罪? その可能性が安本の頭をよぎった。急に一人で行くのが怖くなる。開いたままのメッセージアプリで、同じコースの友人に連絡した。
『引っ越しのバイトがあるんだけど田中も行く?』
『いくら?』
『ボーナスがあるからハッキリ分からない』
『1万円はもらえる?』
『それは絶対に大丈夫』
『いつ?』
『次の土曜』
『分かった、行く』
 既読になり、こちらの会話も終わる。ただ、仮に犯罪だとしても、やり遂げなければ前に進むことはできない。惨めに落ちていくのを待つだけだ。他に方法はない。田中を巻き込み、安本は覚悟を決めた。

 当日、安本は田中と一緒に田園調布駅に行き、改札を抜けた。中世ヨーロッパの民家をモデルにした復元駅舎を中心に、ロータリーから扇状に街路が伸びる。二人は初めて訪れる高級住宅街に、ただの引っ越しでも高額になることに納得した。安本が『着きました』とメッセージを送ると、すぐに電話が掛かってくる。
「はい、もしもし……はい、安本です……お願いします……まっすぐ行って左ですね……あっ、はい、大学の友人を一人連れてきました……ハナヤマですね……よろしくお願いします」
 電話が切れ、歩き出す。住宅街に入り、言われた通りの所で左に曲がる。建ち並ぶ豪邸に圧倒されていると突然、田中が後ろを振り返った。
「どうした?」
「誰かにつけらてるような……」
 辺りを見回すが、特に怪しい人はいない。気のせいということにして、また歩き出す。しばらく行って『華山』という表札が目に飛び込んだ。安本が足を止め、メッセージを送る。今度はイヤホンを着けて通話を始めた。
「……はい……ポストの中ですね」
 壁から少し突き出た銀色のポストに、安本は手を突っ込んだ。
「何してるの?」
「鍵があるんだって」
「……」
 何かに気づいた田中がポストの側面を指差す。安本が目を向けると『819』と書かれていた。意味が分からず、首をかしげる。
「切って」
「なんで?」
「いいから」
 田中に腕を掴まれ、仕方なく電話を切った。
「何なんだよ」
「この数字、住人が不在の時間を表してるんだ。8時から19時はいないって」
「……空き巣?」
「本当に引っ越しって言われたのか?」
「いや、運搬業務ってあったから、引っ越しって勝手に思った」
「何ていう会社?」
「知らない」
「知らないって、どこから応募したんだ?」
 その間にも安本のスマホには電話が掛かってきていた。困惑する二人に男が近づいてくる。顔を向けると、その目つきと体格から野生のゴリラのような印象を受けた。
「お前ら何してんだ」
「……」
「早く電話に出て、指示通り動け」
 突然、田中が走り出す。それを見て安本も、後を追って走り出した。
「お、おい、待て! 逃げる気か!」
 何分、何秒経ったか分からない。必死で知らない町の中を二人は駆け回った。ようやく田中が足を止め、息を切らしながら後ろを確認する。
「ここまで来たら大丈夫だろ」
「ハア……ハア……」
 安本は言葉が出なかった。
「さっきの質問の続きだけど、このバイトどうやって見つけたんだ?」
「……SNS」
「薄々危ないって気づいてて、怖くなって俺を誘ったんじゃないのか?」
「……」
「こんな仕事に手を出して、他人を巻き込むなんて、冗談じゃない」
「……おかしいだろ。金のある奴は進級できて、金のない奴はちゃんと単位を取っても進級できないなんて。そんなの不公平だ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「金なんて持ってる奴から取ればいい。それで世の中は公平になる。この辺りの家見ただろ。100万くらいなくなっても、どうってことないって。ああ……なんで俺は逃げたんだ。チャンスを逃した。臆病者のクズだ」
「本気で言ってんのか? 目覚ませよ。逃げて良かったんだって。あのまま泥棒して犯罪者になる方がよっぽどクズだって」
 安本は屈み、頭を抱えた。
「……個人情報、教えてしまってる」
「もう祈るしかない」
 トボトボと二人は歩き出した。

「お疲れ様でした」
 挨拶をして先に外に出た峰岸の後に続く。由香里は早足で追いつき、並んで歩き出した。
「一緒に上がるの久しぶりですね」
「そうだね。たぶん数えるくらいしか。今日は何食べに行く? ステーキ?」
「この前はごちそう様でした。実はSNSにアップしてるんですよ。いいね付いてるかもしれないです」
 スマホを手に取り、SNSを開く。DMが来ていた。送り主はGODだった。
『23時に浅草寺に来てくれ』
 由香里の足が止まる。
「どうしたの?」
「……すみません、急用が入って」
「大丈夫?」
「すみません、本当にすみません」
「食べにいけないのはいいんだけど、何か大変なことがあったんだったら」
「だ、大丈夫です。また今度、絶対埋め合わせしますんで。今日は本当にすみません」
 由香里は深く頭を下げ、早足で駅に向かった。時刻は23時38分。すでに30分以上も過ぎている。SNSにこんなメッセージが来るとは思わなかった。
 息を切らしながら走る。時々早足になったが、すぐにペースを戻そうと腕を振った。雷門の下に着いた時には日付が変わっていた。
「遅かったな」
 呼吸を整えながら顔を上げると成瀬がいた。
「……ずっと待ってたの?」
「日が昇るまでは待つつもりだった。ちょっと着込んできたからな」
「バイトがあったの。他人の予定も聞かず、一方的なんだから」
「オレの気持ちは決まった。どうしても今日じゃないといられなかった。わがままで悪かった」
 目の前に白い箱が差し出され、反射的に由香里は受け取った。
「何これ?」
「プリンだ。好きって言ってだろ」
「……ありがと」
「国柴由香里」
 名前を呼ばれ、視線を上げる。
「オレと付き合ってくれ」
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