第27話 コイン売買

文字数 3,802文字

『投票率100パーセント、賛成166票、反対0票で可決。コインのレート条例案(二年生)が成立しました。明日よりコイン1単位につき5万円未満で売ると退学処分となりますので、ご注意ください』

 高架下の牛丼屋で、食べたうどんをテーブルに置いたままスマホをいじる。深夜まで居酒屋のアルバイトをしていて終電がなくなった。明日の授業なんて、もうどうでもいい。由香里の気持ちはリンギス大学から離れていた。
 SNSにログインして、投稿していたサーロインステーキ丼に自己満足する。ネームは『ましゅま』で、マシュマロから取っていた。コインを売るための文言を考える。
『リンギス大学の2年生です。コイン売ります』
 これ以上は書くことが思いつかず、シンプルに投稿する。所持している142単位を全て売ることができれば、二年分の学費550万円をチャラにして、160万円も残る計算だ。これだけ手に入れば次につなげることができる。由香里は期待に胸を膨らませた。

 数日後、朝起きてSNSをチェックすると二件のDMが来ていた。
『単位を売る件について直接会って話をしたい』
 先に来ていたのは『GOD』というネームからで、文面は短く無礼な印象だった。もう一つは『ビーバー』からで、内容を見てみる。
『はじめまして、法曹コースの1年生です。コインを売っていただきたいのですが、何単位分売っていただけますでしょうか?』
 丁寧な文面に好感を持った由香里は早速、返信する。
『142単位あります。何単位ほしいですか?』
『一度会ってお話をできればと思うのですが、よろしいでしょうか?』
『はい、お願いします』
 その後もやり取りはスムーズに進み、この日に会うことになった。
 四限目が終わり、上野駅近くにあるチェーン店のカフェに向かう。店に入ると若者が多く、由香里は挙動不審になった。SNSに連絡が来ていないか確かめようとすると、店員に「ご注文をお伺いします」と言われ、ホットのカフェラテを頼む。商品を受け取ると座る席を探して、またキョロキョロし始める。
「ましゅまさんですか?」
 振り向くと、黒髪の清楚な女子がいた。
「……ビーバーさんですか?」
「はい、そうです。法曹コース一年の阿立(あだち)と言います」
「国際コースの国柴です」
「こちら、どうぞ」
 二人掛けのテーブル席に案内され、腰を下ろす。とりあえずホッと胸をなで下ろした。先輩として話をリードしようと考えるが、緊張して言葉が出てこない。
「……コインを売っていただけるってことなんですけど」
「は、はい、売ります」
「全部、売っていただけるんですか?」
「はい、あの……大学は、辞めようと思ってて」
「そういうことなんですね」
「そうゆうことです」
「全部、私に売っていただけるって約束してもらえますか?」
「えっ、全部……5万円で?」
「値段ですけど、お金は大学の外で払って、コインは大学の中で渡せば、5万円にこだわる必要ないですよね?」
 妙なやり方に頭の中でブレーキが掛かる。ナメられちゃいけない。由香里は理解したフリをして進めた。
「じゃあ、いくらですか?」
「1万円くらいになりません?」
 計算は難しくない。全部売れば142万円。
「あの、できれば学費の分は取り戻したいと思ってるんで……」
「具体的な値段はまた交渉しながらでもいいですので、他の人には売らないっていう約束だけしてもらえませんか?」
 すぐに「はい」と出そうになった言葉を飲み込む。頭の中が渋滞し始め、由香里は冷静になろうとした。
「ご、ごめんなさい。ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「他に買いたいっていう人がいるとかですか?」
 そう聞かれてGODのことが思い浮かぶ。
「は、はい、そうです。まだ会ったことないんですけど」
「……分かりました。他に買いたいっていう一年生もいるでしょうし、私を通した方が国柴先輩もやりやすくなると思いますので、今後ともよろしくお願いします」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
 由香里が軽く頭を下げると、阿立は不敵な笑みを見せて応えた。

 SNSにログインする。ジーオーディー……由香里はGODをそう読んでいた。ビーバーとの話がうまく行けば、会うつもりはなかったが、お金を大学の外で払うなどと妙なことを言ってきた。頭では理解していなかったが、交渉相手は複数の方がいいと感じていた。アルバイトがない日を確かめ、GODにDMを送る。
『返信遅くなってすみません。明日の四限目の後は空いていますが、いかがでしょうか?』
 すぐには返ってこないだろうと、一度ログアウトした。しばらく経ってから確認する。
『日時は了解だ。16時半に場所は東京駅、丸の内中央口で』
『分かりました。よろしくお願いします』
 疑問文ではなく、一方的に決めつけられる感じに、淡々と返信した。

 翌日、由香里は大学から直接、待ち合わせ場所に行った。改札を抜けてくる人を眺める。どうやって見つけるのか分からない。手でも振れば気づいてくれるんだろか。それは恥ずかしい。
 自分の特徴を教えてないのに、ビーバーは声をかけてきた。なんとなく分かるんだろか。辺りを見回す。スマホをいじっている背の高い男性がいた。あの人がGODかもしれない。違ったら違ったで一言謝ればいい。由香里が勇気を出して足を踏み出すと、その男性は外に向かって歩き出した。違った。
 改札を抜けてくる人を眺める。スマホで時刻を確認すると『16:32』だった。由香里は自分から動くのをやめ、声をかけてくるのを待った。お腹すいた。無性にプリンが食べたくなってきた。銀座のデパートに行きたくなってきた。
「国柴」
 名前を呼ばれ、振り向く。
「こんなとこで、何してんだ?」
 成瀬だった。思わぬ展開に焦って、自分の髪を摘まんで擦り出す。
「ちょっと、ひ、人と待ち合わせを……」
「そっか」
「成瀬くんは?」
「オレも待ち合わせ」
「ここで?」
「ああ、ここで」
 会話が止まる。成瀬がスマホをいじり始めたので、由香里も横に並んだままスマホを出した。待ち合わせって、誰と? デートじゃないかと不安になる。どんな相手か見てみたい……突然、成瀬の顔がクルッと向いた。
「まさか、お前がましゅまか?」
「えっ、じゃあ、ジーオーディーって成瀬くん?」
「そう読んだのか」
「???」
 由香里の頭は状況を処理できず、パニックになった。

「SNSを使って単位を売るとは……自分で思いついたのか?」
 成瀬についていくと、まわりの近代的なビルに融合したヨーロッパ風のカフェに着いた。そして、店員に注文を済ませた後の一声目がこれだった。
「バ、バカにしないでよ。成瀬くんこそ、コイン買ってどうすんの?」
「コインを買うために来たわけじゃない」
「じゃあ、何しに来たの?」
「コインを売るのを止めに来た」
「ど、どうゆうこと?」
「コインのレート条例を作ったのは、二年に余分に単位を取らせるためのインセンティブに過ぎない。実際に売ってもらっては困る」
 さらに処理できない情報が飛び込んできて、パニックは続く。
「……またコインを徴収するの?」
「前のようなことはない。一年が進級券を所持できなくなった以上、二年を納得させる理由がなくなったからな。ただ、最終的にはそういうことになる」
「……成瀬くんは、どうしようとしてるの?」
「一年も二年も全員を進級させるつもりだ」
「なんで?」
「去年、オレたちは騙してコインを奪い合う、嫌な姿を見てきたはずだ。それで気が病んだ奴もいる。同じ思いを後輩にはさせたくないって思ったから」
「そうなんだ」
 返事はしたが、理解は追いついてこなかった。何から考えれば頭の中が整理されるのか分からない。店員が来たことに気づかず、目の前に注文したドリンクが置かれる。
「……ここって、よく来るの?」
「八人会議、代表の話し合いをここでやってた。グループ作ったから、もうここでやることはないと思うけど」
「そうなんだ」
 他の話をしたかったが、すぐに引き戻されてしまった。
「ていうか、売れるほど前期で単位を取ったのか?」
「実は……大学、辞めようって思ってて」
「えっ、辞めんの?」
「うん。他の大学を受け直そうって考えてて、お金も必要だし……」
「……考え直さないか?」
 由香里は首を横に振った。
「ワタシ、奨学金を借りてて。あれって借金なんだよね。あと二年もちょっと無理。普通に戻ることにした。だから、ごめんなさい。少しでも稼がないと、未来がなくなっちゃうから、コインはできるだけ売らせてもらうね」
 言い切ってから視線だけ向けて表情をうかがうと、成瀬の顔は見たこともないほど険しかった。由香里はまだ半分以上残っていたコーラを飲み干した。
「ごめん、そろそろ行くね」
 黙ってうなずいたのを見て、由香里が立ち上がると、成瀬も腰を上げた。
 店を出る。成瀬の表情は変わらず、こわ張っていた。由香里は彼の計画に水を差すことに罪悪感を覚えていた。
「じゃ、じゃあ、また大学で」
 居酒屋でのアルバイトのように笑顔を作るが、見られないようすぐ背を向ける。
「待って」
 成瀬に手首を掴まれ、由香里は振り返った。
「好きな食べ物は?」
「好きな食べ物? ステーキかな」
「スイーツじゃないのか?」
「スイーツだったら……プリンかな」
「分かった。じゃあ、また大学で」
 成瀬が背を向け、歩き出す。そびえ立つ無機質なビルが二人を見下ろしていた。
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