第30話 アメリカへ

文字数 3,566文字

「初めまして、大学事業部の本部長をしているグリーンヒルです。よろしく」
 スーツ姿の青い目の男に手を差し出され、成瀬は握手を交わした。ソファに腰を下ろし、プリントを受け取る。編入先のアメリカの大学、学費の免除や生活費の支給などについて記載されていた。説明が終わり「質問はあるかな?」と尋ねられる。
「……この大学の狙いは何だ?」
「狙いとは?」
「作った目的だ。オレたちは一期生だから、判断材料があまりにも少ない。悪いが、簡単に信用できない」
「深読みする必要はない。青田買いというものだ。このシステムで君が優秀だと分かったから選んだ。それだけだ」
「オレの知ってる限り、奨学金を借りてない奴はいない。貸してるのはリンギスじゃないが、どんな会社だ?」
「普通のよくあるファンドだ。利子を取られるとか、学費が高いという意見もあるが、会社の事業なのでビジネスとして理解してもらいたい」
「なるほど……」
「質問は以上でいいかな?」
「いや、まだ。卒業したら本当にリンギスに就職できるのか疑ってる奴も多い。この特待生は学生の信用を得て、モチベーションを上げることを狙ってるのか?」
「それもある。だから、君を悪いようにはしない。信用してほしい」
「分かった。じゃあ、条件を出させてもらう」
「条件? どんな?」
「後期で単位を一番多く取った奴が特待生になる。どう? モチベーション上がるだろ」
「君は断ると?」
「いや、そうは言ってない。オレが一番多く取れば、オレが特待生になる」
「なるほど……なんとなく君の狙いは分かった。面白い。リチャードも喜ぶと思う」
「じゃあ、それで」
「ただ、私が欲しいのは君だ。君が特待生にならない可能性があるなら、交換条件にはならない」
「勘違いしてるかもしれないけど、オレは特待生になりたくないわけじゃない。全ての単位を取れるようベストは尽くす」
「できなかった場合は? どうやって保証する? 私も簡単に信用できない」
「そう言われてもな……」
「では、できなかった場合、君が単位を一番多く取れなかった場合、罰金1000万円ということでもいいかな?」
「……なかなかの額だな」
「金額については変えてもいい。1000万という数字に根拠はない。ただ、100万でも1億でも同じことだと思うが」
「分かった。いいだろ」
 成瀬の返事を聞き、グリーンヒルが宝生教授に目を向ける。
「今の内容で書類を作成すればよろしいですか?」
「覚書で頼む」
「かしこまりました」
 宝生教授が部屋の奥にあるデスクに行き、ノートパソコンで文章を打ち始める。
「成瀬くん、君のために言う。考え直すなら今のうちだ。ムダなリスクを負う必要はない」
「その配慮が他の学生に対してもあったらな」
「……まあ、いい。君を信じよう。いずれにせよ、結果は変わらないということだな」
「……人を信じるのは難しい。信じさせるのはもっとか」
「どういう意味かな?」
「思ったことを言っただけだ。特に意味はない」
「……」
 宝生教授がプリントアウトした覚書を持ってくる。成瀬はためらうことなくサインをした。

 下宿先のアパートに戻ってくる。今日はまた注文を間違って通してしまった。彼に告白されてから自分が自分でないような感覚に陥っている。そろそろ返事をしなきゃいけない……置いていたもう一つのプリンを、由香里はようやく食べ始めた。
「オレがお前を卒業させてやる」
 彼に言われたセリフが頭をよぎる。同時に差し出した右手にコインが1枚落ち、握りしめて胸に当てた光景が蘇る。記憶が彼からコインを受け取った去年まで一気に巻き戻った。
 彼がいなかったら今の自分はいない。それにもし自分から告白していれば、何事もなくスムーズに行ったはず。告白されて戸惑うのはおかしい。素直に飛び込むべき……結論は出た。プリンをペロッと食べ終え、覚悟を決める。
『この前の返事だけど、私で良ければ付き合ってください』
 思い切って送信ボタンを押す。ドキドキしながら待っていると返信が来た。
『悪い、ちょっと考えさせてくれ』
「ええっー!! そんなことあるの!」
 思わず叫んだ由香里は、アザラシのぬいぐるみを壁に投げつけ、賞味期限の切れていたプリンでお腹を壊した。

「内定って言っても一人だけかよ」
「コースによって不公平なんじゃないか」
「ていうか、なんで今なんだ」
 掲示板の前に集まる学生がザワついている。正門で手続きを終えた由香里も来るが、なかなか人が減らない。間に割って入って少しずつ進み、ようやく内容が読めた。

『 特待生について
・対象は二年生で、後期の単位を最も多く取得した一名が特待生に選ばれる。
・特待生は三年次からアメリカの大学に編入し、リンギス社より内定がもらえる。
・入学金や授業料など学費は全て免除され、生活費として毎月2000ドルが支給される』

 コインを売ることができなくなり、大学を辞める気持ちが揺らいでいた時に、飛び込んできたチャンス。選ばれれば、卒業を待たずしてアメリカ行きが決まり、さらに来年度からのお金の心配もない。目の前にニンジンをぶら下げられ、もう一度がんばりたい自分がいることに由香里は気づいた。

「1773年のボストン茶会事件の後、1776年の7月4日にアメリカは独立宣言しました。星条旗の赤と白のストライプは、この当時の州の数を表しています。また、ニューヨークにある自由の女神像は、独立100周年の記念としてフランス人によって贈られ……」
 四限目の講義に耳を傾ける。いつもは聞き流しているような内容が、やけに頭に入ってくる。手元に置いていたスマホの画面が光り、目を向けるとメッセージだった。
『話があるんだけど今日はバイト?』
 離れた所に座る成瀬に顔を向けると目が合い、由香里はスマホを手に取った。
『今日はない』
『五限目は出ないよな?』
『出ない』
『正門を出たとこで待ってる』
 了解のスタンプを送る。授業が終わり、トイレに行ってからキャンパスを出ると、彼が待っていた。黙ってついて行く。隅田川のほとりまで来て、彼の足が止まった。
「単刀直入に言う。オレとアメリカに行かないか?」
「えっ、アメリカ?」
「そう、アメリカだ」
「どうゆうこと?」
「特待生にはオレがなる」
「それって、まだ分かんないよね」
 由香里は苦笑いした。
「いや、そういう約束っていうか、契約になってる」
「……訳分かんないんだけど」
「このまま付き合っても二ヶ月くらいしか一緒にいられない。それなら一緒にと思って……」
「行ったとして、ワタシは何をすればいいの?」
「何をするかは探せばいいと思う。行ってみないと分からない」
「生活費はどうするの?」
「オレと住めば、そんなにかからないだろ」
「……」
「アメリカに行きたいから、この大学に入ったんだよな?」
「そうだけど……」
「ま、すぐに決めるのは難しいか」
「……この前は返事遅くなって、また待たせるの悪いから今言うね。ごめんなさい。一緒にアメリカには行けない」
 成瀬は由香里から視線を外し、口を閉じた。
「ワタシ、好きな人がいて……」
「誰?」
「バイト先の先輩なんだけど」
「だったら早く言ってくれ」
「迷ってたの、ワタシもずっと成瀬くんのこと好きだったから。でも、でも……」
「分かった、もう言うな。バイト先の先輩と幸せになることを願ってる」
 成瀬が背を向け、歩いていく。最後の言葉は嫌味にしか聞こえなかった。

 目が覚める。サッカーの試合が映っているスクリーンが視界に入ると、その前にはコントローラーを操作する峰岸の姿があった。クリスマスの朝。ベッドの中で全裸の自分に気づき、由香里が胸元を隠しながら上半身を起こす。
「起きた?」
 振り向いた峰岸に聞かれ、うなずく。頭が重い。昨夜のワインがまだ残っている。
「朝昼兼用でモーニング食べに行こうか」
「……はい」
 声を絞り出すように返事をした。
 朝11時になり、タワーマンションの24階にある峰岸の部屋を出る。エレベーターで一階まで下り、オートロックの玄関ドアを抜けた。週刊誌に撮られる芸能人ってこんな感じなのかな……そんなことを思った直後、近づいてきた四人の男に行く手を阻まれ、二人は足を止めた。
「峰岸優星」
「何ですか?」
 名前を言った男が手に持っていた物を見せる。警察手帳だった。
「準強制わいせつ罪で逮捕状が出てる。警察署まで来てもらう」
「……」
 男二人に挟まれ、峰岸は抵抗することなく歩き出した。呆然とする由香里に残った二人が声をかける。
「大丈夫? 何かされてない?」
「ど、どうゆうことですか?」
「峰岸は仲間二人と女子大学生に酒を飲ませて暴行した。君はどういう関係?」
「別に暴行とかされてません。だってワタシ、付き合って……」
「警察署の方で詳しい話を聞かせてもらう」
 由香里も男たちに連れられ、車に乗せられた。
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