第21話 進級券探し

文字数 3,818文字

「……つまんねえ」
 マクロ経済学の本を開きながら、鈴木が机の上にあごを置く。前に座っていた佐藤が中世ヨーロッパ史の本を閉じた。
「『勉強ができれば女にモテる』って言っておきながら、いきなりそれか」
「噂じゃ、来年は山奥に連れていかれて、監禁させられて、デスゲームやらされるらしいぞ」
「噂だろ。悲観的すぎるって。ていうか鈴木、元気なさすぎ。まだ引きずってるのか?」
「ああ、完全に引きずってる。うまく行ってたら監禁されてデスゲームでも、やる気になってた」
「他の大学の学園祭に行ってみないか?」
 鈴木は首を横に振った。
「あれ以上はない。逃した魚があまりにもデカすぎる。もっと練習してから出会いたかった。海と巨乳の夢は儚く散った」
「これからは秋だ。山と巨乳でもいいだろ」
「いや、ダメだ。山と巨乳は合わない」
「どういうセンスだ」
「佐藤は何かいいことないのか?」
 聞かれて、うなだれる。
「……ない。だから、実は鈴木のことがうらやましかったりする」
「こんな惨めな俺をうらやましがるなよ」
「このまま二年が終わるのか。悲しいな」
 鈴木はマクロ経済学の本を机の上に叩きつけた。
「俺は成瀬のために進級券を探す」
「どうしたんだ、急に」
「あいつのおかげで俺は女のことを考える時間ができた。あいつは今、一年生が進級券を持ってるせいで、交渉が進まずに苦しんでるはずだ。俺はあいつのために動く。恩返しだ」
「進級券を探す意味が分からない。ATMに預けてるんじゃないのか?」
「田中から聞いたんだが、一年生は預けられない。だから、このキャンパスのどこかに隠してるはずだ」
「それは寝耳にミミズだ」
「立ち上がれ、佐藤。善は急ぐぞ」
「おうとも!」
 腰を上げた佐藤が中世ヨーロッパ史の本を机の上に叩きつけると、二人は足早に図書室を出ていった。

 講義室の机、階段の隙間、売店の棚……鈴木と佐藤はRPGで訪れた町のアイテムを探すかのように、視界に入った物を物色していった。交換機の裏を調べ、何もないことが分かると、一号館の裏に足を進める。
「行くのか?」
 佐藤が尋ねた時には、すでに鈴木は足を踏み入れていた。行動力がある反面、後先のことを考えていない。服が汚れないか気にしながら鈴木の背中を追う。日の当たらない柔らかい土の感触が靴の裏から伝わった。
「……花?」
 地面に目を向けると、土の中から白い物が見えていた。鈴木が足を止め、振り返る。
「何かあったのか?」
「花っぽい物がある」
「土があるなら花もあるだろ」
「花が土に埋まりながら咲くか?」
「新種?」
 佐藤は屈み、被さっていた土を手でのけ、花びらを摘まんだ。
「抜く気か? それは人としてどうなんだ?」
「プラスチック、造花だ」
「なんで、こんな所に?」
「ぎょえっ!」
 近くからニョロニョロとミミズが出てきて、佐藤は尻餅をついた。
「寝耳にミミズ、こいつは怪しい」
 鈴木が花を引っ張ると、めくれるように上だけ取れ、茎の部分がなかった。その下を素手で掘り始める。すると料理を保存する時に使うような、透明のビニール製のバッグが出てきた。土を払って、中身を確かめる。
「……進級券だ」
 懐かしい感じがした。一度は手に入れた14枚の進級券。所持禁止条例によって、泣く泣く交換させられた。
「待て、鈴木」
 両手で持ち、横から見てみる。大量だ。パッと見、100枚以上ある。
「鈴木、聞こえてないのか」
「えっ、何?」
「置いた方がいい。俺たちは進級券の所持を禁止されている」
「そうだった」
 鈴木はバッグを穴の中に戻した。
「どうするんだ?」
「別の場所に隠したいが……」
「分かった。田中を召喚する」
「その田中って?」
「前に言ってただろ。マッチングアプリで会った時、たまたまこの大学の一年生と……」
「ああ、そんなこと言ってたな」
 ポケットからスマホを取り出した鈴木は、不甲斐ない水族館デートを思い出して涙ぐみながら、一年生の田中にメッセージを送った。

「こんな所で何をしてるのですか?」
 しばらくして田中が姿を見せた。鈴木が手招きすると、嫌そうな顔をしながら、一号館の裏を歩き始めた。
「お前に頼みがある。この進級券を移動させてほしいんだ」
「……自分ですればいいじゃないですか」
「できないんだよ。俺たちは進級券の所持を禁止されてるんだよ」
「誰も見てないと思いますけど」
「どこに監視カメラがあるか分からない」
 田中が辺りを見回す。
「なさそうですけど」
「監視カメラってのは、見つからない所から撮ってんだ」
「いや、逆でしょ。どこにあるか分かることで抑止力になるのです」
「甘いな。甘すぎる。缶コーヒーに砂糖を入れて飲むようだ。今年の一年生は緊張感がない。去年はゲームでイカサマをした奴を殴って退学、なんてこともあった。一年生が平穏に過ごせているのは、成瀬のおかげだ。感謝しろ」
「そうなのか?」
 佐藤が聞き返した。
「そうじゃないのか?」
「さあ……」
「とにかく、協力してくれ」
 田中は渋々了承した。

 手から離れたボールは、床の上で美しい曲線を描きながら転がり、磁石のようにヘッドピンに吸い寄せられていった。その運動エネルギーが全てのピンに一様に広がり、一目で分かるストライクに後ろで見ていた田村兄が興奮する。
「これで三連続、ターキーだよ!」
「七面鳥だ」
「どういうこと?」
 戻ってきた成瀬は余韻に浸りながら腰を下ろした。代わって田村兄が投げる。まっすぐ進んだボールはヘッドピンを捕らえるが、スプリットして両端のピンが残った。
「うわー」
「無理だな」
「やってみなくちゃ分かんないよ」
 返ってきたボールをすぐに取り、レーンに向かう。手から離れたボールはガターに落ちそうになりながら進み、水平に弾き飛ばされたピンがもう一つを倒した。
「よしっ!」
 ガッツポーズをして振り返る。成瀬はスマホを操作していた。
「み、見てなかったの?」
「無理だっただろ?」
 顔を上げずに聞き返す。メッセージアプリには勇者が宝箱を開けたスタンプが届いていて、その後に『進級券発見!』と鈴木から来ていた。
『どこで見つけた?』
『一号館の裏の土の中』
『何枚?』
『238枚』
『今どこにある?』
『図書室の本の間に挟んである』
「何かあったの?」
 なかなか投げない成瀬に田村兄が尋ねた。
「お前の弟が……ピンチかもしれない」

 始まった音楽で目が開く。暗闇の中、整然と並ぶ椅子から立ち上がる観客が、シルエットになって浮かんだ。そーっと隣に目を向けると、エンドロールの流れるスクリーンを峰岸がまっすぐ見ている。
 ヤバい、寝てた。この後、映画の話になったらどうしよう。いや、絶対なる。照明が戻って明るくなり、由香里と峰岸は新宿にある映画館を出た。
「面白かった?」
「……」
「どうしたの?」
「最後の方……寝てました」
「後半はあんまり面白くなかったな」
「ですよね」
 ホッと胸をなで下ろし、由香里の顔から笑みがこぼれる。
「ご飯、食べに行く?」
「行きましょう」
 本能的に返事が出た。

 注文した丼ぶりを店員が目の前に置く。サーロインステーキが山のように盛られ、白ご飯が見えなくなっていた。
「しゃ、写真撮っていいですか?」
「いいよ」
 スマホを向け、一枚撮る。
「これ、いくらですか?」
 峰岸のお勧めに従ったので、メニューを見ていなかった。
「値段は気にしなくていいから、食べて」
「すみません、いただきます」
 箸で摘まみ上げ、口の中に落とし込む。
「どう? 美味しい?」
「めちゃくちゃ美味しいです」
「良かった」
 とろける食感でのどを通る肉が空腹を満たし、手が止まらない。噛みながら体を上げると、峰岸の手は動いておらず、目が合った。
「いい食べっぷりだね」
「……すみません」
「別に責めてるわけじゃないから」
「食べるペースとか考えてなくて、お話もせず……」
「気にしすぎだって」
「峰岸さんは、いつもこういう物を食べてるんですか?」
「いつもじゃないよ。学食とかけっこう行くし」
「峰岸さんの大学でしたら、学食もすごそうですね……」
「もしかして、ゆーちゃんの大学、学食ないとか?」
「そんなことないです。さすがにあります」
「それは失礼」
「でも、一回も行ったことないんですけどね」
「なんで?」
「席が少なくて、いっつもいっぱいなんで、あきらめたんです」
「そうなんだ」
 あきらめた……自分の口から出た言葉が自分の耳に入り、重くのしかかる。
「どうしたの?」
 視線を落とし、表情を曇らせる由香里に、峰岸が心配そうに声をかけた。
「……もう辞めようって思ってます」
「何を? バイト?」
「いえいえ、違います。大学、大学です」
「そっちね」
「コインを12枚徴収するっていう変な条例が出たんですよ。なんかもう、うんざりで」
「悪い奴がいるんだ」
 一瞬、成瀬のことが頭をよぎる。
「悪い奴かどうかは……」
「悪い奴じゃないの?」
「事情はいろいろあると思いますんで……」
「辞めて、就職とか?」
「いえ、大学を受け直そうかと」
「いいんじゃない。そっちの方が楽しいと思うし」
「あの……コインを売るのって悪いことだと思います?」
「どうなんだろ。自分の立場からじゃ、何とも言えないけど」
「そうですよね。すみません、変なこと聞いて。何か売る方法ないかって思いまして」
「友達いないから?」
「まあ、そうゆうことです」
「SNSとか。誰かやってるんじゃない」
「なるほど……いい方法かも」
 お腹がステーキを求め出し、由香里はまた丼ぶりをむさぼった。
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