第17話 破綻

文字数 2,404文字

「少し早いですが、本日はここまでにしておきます。お疲れ様でした」
 教官の意外な判断に、国際コースの一年生の動きが慌ただしくなる。丸井が隣にいる田村弟に視線を送った。
「食堂行く?」
「二号館の方な」
「行っていいのか?」
「他の一年生も普通に行ってる」
「メニューって違うの?」
「だいたい同じだけど、味はうまい」
「マジか」
 丸井の顔から笑みがこぼれた。小講義室を出て、二人が階段を駆け下りる。建物を出ようとした時だった。
「田村」
 呼び止められて振り向くと、一号館の食堂から成瀬が現れた。
「話がある」
「何ですか?」
「外でいいか」
 一号館の外ではなく、大学の外だと察する。丸井は一人で二号館の食堂に行き、田村弟は成瀬について正門の出口に向かった。まだ12時前。人はいない。田村弟は身構え、足を止めた。
「ここでいいですか?」
「単刀直入に言う。進級券を渡す代わりに賛成に入れるよう、倉田と取引したか?」
「……」
「したなら、やめてくれ。今からでも遅くはない。早い者勝ちなんて、二年にとっては迷惑極まりないことだ」
「……成瀬さんの狙いは何ですか?」
「オレは一年も二年も全員を進級させたいと思ってる」
「本当ですか?」
「2000単位で十分だろ。あとは自力で何とかなる」
「本当にそうなら、なんで最初に説明してくれなかったんですか?」
「初対面の奴を信用できるか? 現に今、お前は逆手に取ろうとしてる」
「……何が悪いんですか。利用しようとしてきたから、こっちも利用しただけです。お互い様じゃないですか」
 通りすぎる人が視界に入る。顔を上げると、建物の中に講義室から出る学生たちの姿が見えた。
「もう遅いです。俺の計画は進行中です」
 田村弟は正門に向かう人の流れに乗り、この場から去った。

 6月13日、月曜日。駅の改札を抜け、歩道を進む。人通りのない道に入った倉田は、電柱の裏に行き、嘔吐(えず)いた。今朝、無理やり口の中に押し込んだパンを吐き出しそうになった。
 正門に来る。時刻は8時半。ATMの前にも掲示板の前にも、まだ学生はいない。昨夜は眠れず、自分の体が自分のじゃないような感覚に陥っていた。経営コースの二年生たちに賛成に入れるという説明はしていない。
 手続きを済ませ、キャンパスに入る。倉田の足は二号館ではなく一号館に向いていた。思い切って投票を済ませば、スッキリするはず。あとは誰かに賛成に入れたと言えば、そこからみんなに伝わり説明責任を果たせると考えた。
 誰もいない階段を一歩一歩上がる。用事があると言っていた一番カワイイ女子のことが頭をよぎった。足が止まる。本当に今日来なかったら彼女は退学になってしまう。せっかく話す機会ができたのに残酷な行為だ。投票には行かずに進級券だけ頂こうか。いや、それも卑劣な行為だ。
 八人会議で交渉が決裂した以上、進級は個人で何とかしなければならない。倉田は心を鬼にした。法案が成立して進級券が15枚手に入れば、もう大学には来ない。経営コースの二年生とはもう会わない。バイトして金を稼いで、高校時代の友人とでも遊べばいい。倉田は再び足を進めた。
 四階に着く。奥に投票所が見え、大講義室の前を通りすぎようとした時だった。突然、ドアが開いた。
「わっ!」
 部屋から出てきたのは成瀬だった。
「念のため早く来て正解だった」
「俺のこと待ってたのか?」
「そうだ」
「投票させないために?」
「そうだ」
 倉田は成瀬から視線を背けた。
「ここに来た時点で、もう考えは決まってる。力づくで止めようとしてもムダだから。暴力行為は退学だ」
「考え直さなかったか……一人でも賛成に入れなければ、法案は成立しない状態でリスクを選ぶとはな」
「どういうこと?」
「計算してないのか。お前のコース44人全員が賛成に入れないと、可決に必要な244人にならない」
「……」
 倉田は顔をゆがめ、頭を抱えた。法案が成立しなければ、残りの7枚は手に入らない。すると直立不動だった成瀬の上半身がゆっくり傾いた。
「倉田、悪かった。無理やり代表をお前に決めたこと、申し訳なかったと思う」
 頭を下げながら成瀬が言った。倉田の顔から笑みがこぼれる。
「……良かった。これで誰も退学する心配はなくなった」
「狩野の家でタコ焼きしながら、次の計画を考える。お前も来い」
「分かった」
 うれしそうに倉田は返事をした。

 投票の翌日、田村弟はよく眠れず、朝早くに目を覚ました。昨日は投票に行った二年生を一人も見ていない。居ても立っても居られず大学に行くと、正門の前には三人が並んでいた。最後尾にいた女子が振り向く。
「あっ、真中さん?」
「田村くん、おはよう」
「おはよう」
「どうしたの、こんな早くに来て」
「……ちょっと結果が気になって。真中さんこそ、なんで?」
「私も同じような理由よ」
 しゃべっている間にも守衛が来て門を開けている。入口のATMで手続きが始まり、掲示板で田村弟が追いつく形になった。恐る恐る貼られた結果を見る。
『投票率55パーセント、賛成200票、反対0票で否決。進級券所持法案は成立しませんでした』
「マジか……」
 田村弟が大きく息をつく。真中を含め他の三人はスマホを操作している。それぞれメッセージアプリ内で作った自分のコースのグループに投票の結果を伝えていた。
『進級券1枚=7単位』
 交換機に表示されたレートを確認する。変わっていない。二段構えの計画は両方ともうまく行かず、あっさり終わってしまった。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
 呆然とする田村弟に真中が声をかけた。
「進級券って、どうしてるの?」
 曖昧な質問だったが、聞きたいことは分かった。しかし、答えるわけにはいかない。
「……」
「まあ、いいわ。それより、二年生の代表に賛成に入れてもらうの、失敗したのよね? 次に代表で交渉する時は2000単位分のコインでいいわよね?」
 田村弟は肩を落としながら、静かにうなずいた。
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