第3話 早い者勝ち

文字数 2,625文字

 一年生の男子二人が帰り、キャンパスから学生の姿が消え、守衛が正門の学生用の通路を閉める。午後7時。道の暗がりの中から二人の男子が姿を現した。二人ともリュックを背に、手にはコンビニのレジ袋を持っている。誰もいない門の前に立ち、一人がガッツポーズをした。
「よし、誰もいない。俺たちは勝った」
「これで今年は、大学生らしく遊びまくれる」
 二人の顔から満面の笑みがこぼれる。一人が「ウオー」と雄叫びを上げると、もう一人が「ワオー」と応えたが、守衛室から咳払いが聞こえたので口を閉じた。ボトムスが汚れるのも気にせず、二人は地面に腰を下ろす。再び門が開くまで一夜を過ごさなければならない。

「二年生?」
 おにぎりを持つ手が止まり、二人は声がした方を向いた。不精ひげを生やした男子が一人立っている。
「そうだけど」
「他には来てないの?」
「まだみたい」
 その男子は足元にリュックを置くと、天に向かって両手を突き上げた。そのポーズをなかなか崩さないので、UFOか何か降りてくるのではないかと二人は不安になる。ようやく両手が下りたかと思うと、馴れ馴れしく二人のそばに座った。
「これって授業出なくても三年になれるんだよな?」
「たぶんな」
 返事を聞いて、あぐらを掻きながらも、また上を向いて両手を伸ばす。これが彼の喜びの表現であると二人は理解した。
「俺、高橋」
「ああ、俺が佐藤で……こっちが鈴木」
 鈴木がおにぎりをほお張っていたので、佐藤は代わりに言った。
「高知な」
 言葉が短すぎて一瞬何のことか分からなかったが、話の流れで出身地と判断した。
「俺は徳島で……」
 また代わりに言おうかと思ったが、知らなかったので鈴木は視線を送った。最後の一口をお茶で流し込んでから、佐藤が答える。
「愛媛」
「ということは……」
「次に香川が来れば四国が完成するってことか」
 高橋が大声で笑い出したので、鈴木と佐藤の顔からも思わず笑みがこぼれた。散らばっていたピースが急につながり、残すところあと一つとなる。だが、次に来たのは二人組の女子で、しかも離れた場所に陣取ったので気まずくなり、結局この話は終わってしまった。

 鳥のさえずりが聞こえ、空が薄っすらと明るくなっていく。門の前には百人を超える奇妙な行列ができ上がっていた。友達同士で来た者はしゃべり、一人で来た者はスマホをいじる。トイレを我慢する者、ストレッチを始める者、寝そうになって必死で大きく目を開ける者、いよいよ不調が表れ出した。
 ようやく守衛が門を開けに来る。午前8時。その姿を見て鈴木はポケットから財布を出し、そこから学生証を抜き取った。アミューズメントパークのように入口と出口が別々になっている学生用の通路に早足で行く。
 ATMの挿入口に学生証を入れる。下を向くと画面に、学籍番号、名前、現在所持しているコインと進級券の数が表示された。画面の上には取り出し口が二つあり、左はコイン、右は進級券だったが、進級券の数はゼロなので左のふただけがスライドして開く。
 中には一年生の時に取得した100単位に当たる10単位コインが10枚あった。その十円玉くらいの大きさのコインを財布に入れ、ふたが閉まる。学生証が戻ってくると同時に、ガチャっとロックの外れる音がした。銀色のバーを押しながら進むと、バーは90度回転して止まり、正門を通り抜ける。
 すぐに掲示板の隣に設置された交換機に向かう。胸を躍らせながら前に立つと、横長の小さなディスプレイに表示された数字が目に入った。
『進級券1枚=7単位』
 交換レートを定めた一次方程式を、頭に入れていた鈴木は異常に気づいた。追いついてきた佐藤に知らせる。
「これ、おかしくないか?」
「7単位……あれ、6単位のはずだよな」
 呆然とする二人が背中を同時に叩かれる。振り返ると、さらにひげが伸びたように見える高橋が、隣の掲示板に視線を送ったので、佐藤が横に動いた。
「こ、これは……」
 佐藤が鈴木の元へ戻る。
「何があったんだ?」
「オリエンテーションの時にもらったプリントが貼ってあった」
「オリエンテーションの時にもらったプリント?」
「あの、単位について書いてあった……」
「それが?」
 返答に困った佐藤は高橋の方を見た。
「……おそらく一年生が進級券を買ったんだ」
 高橋の言葉を聞き、鈴木と佐藤が絶句する。不穏な様子に後ろから「何してんの」とか「早くしてくれよ」とか中には「交換しちゃダメ」という声も聞こえてきた。佐藤が鈴木に声をかける。
「せっかく並んだんだ。交換して悪いことはないはず。とりあえず買えるだけ買っておけよ」
「いや、待て」
 財布の中の10単位コインを手に取った鈴木を高橋が制止した。
「レートが8単位になったら、一年生が売ってしまうんじゃないか? 最初の奴らは6単位で買っているはず。てことは進級券を5枚持っている。8単位で売ったらノルマを達成できるからな」
 鈴木と佐藤は顔を見合わせた。
「……だとしても、俺たちは進級に大きく近づけるはずだ」
 そう言って鈴木が動き出す。次々にコインを交換機に投入し、クレジットカードと同じサイズの進級券を積み上げていった。あと1枚で進級に必要な分が手に入るのだが、ギリギリ14枚までしか買うことができない。次の佐藤も同じ枚数だけ進級券を手に入れ、一度は止めようとした高橋も結局は交換した。
 二年生たちが交換を済ませていく。だが、その流れは長くは続かなかった。
「あれ、入んねえ……」
 10単位コインが半分くらい入った所で、柔らかい物に当たった感触がして止まる。何度やっても状態は変わらない。
「なんなんだよ、これは! 一体どうなってんだ!」
 寝不足による苛立ちはハンパではなかった。握りこぶしを作ると、コイン投入口を叩き始める。気づいた守衛が駆けつけた。
「どうしたんですか?」
「コインが入んねえんだよ」
 守衛がコインを受け取り、入れようとするが同じように途中で止まった。
「おそらく故障ですね」
 軽く言って守衛は守衛室に戻った。直してくれるのかと思って待っていると、持ってきたのは一枚の紙とセロハンテープだった。まさかと思った不安が的中する。紙には『故障中』とマジックで書かれ、交換機に貼られた。
「マ、マジかよ……ちくしょうめえ! 何時に寝たと思ってんだ……いや、寝てねえ!」
 入口のATMで手続きを終えた二年生が溜まっていく。結局どれだけ文句を言っても、交換機が直ることはなかった。
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