第25話 田村弟の葛藤③

文字数 3,272文字

「どうするの?」
 俺がフライドポテトをかじると、芽以が尋ねてきた。
「言っても元の状態に戻っただけだろ」
「それはそうだけど、あれだけ期待を持たされたら……」
 芽以の言葉が国際コース全員を代弁しているように聞こえた。
「自分で考えろって」
「怒ってるの?」
「別に……」
 どうしようもなく俺はイラついていた。うまく行かなかったことに責任を感じていた。
「もう一回、進級券を手に入れるとか」
 その言葉に不快感が全身を巡り、俺は思わず平手でテーブルを叩いた。
「簡単に言うなよ。どれだけストレスがあるのか分かってんのか。お前だって進級券を持つの嫌がってたくせに。どういう神経してんだ」
「一つの案として言っただけでしょ」
「もういい。別れよ」
「なんでそうなるのよ」
 もはや芽以は重荷だ。一緒にいれば気持ちも楽になると思っていたけど、逆効果だ。彼女失格だ。

 昼飯を終え、俺と芽以は会話がないままキャンパスに戻った。ATMでコインを受け取り、元の状態に戻ったことを思い知らされる。今までのことは何だったんだ。
 ドアを開け、小講義室に入る。こっちを向いた顔が樋口のような気がしたが、目が合わないように席に着いた。芽以も一つ席を空けて横に座る。気が重い。家に帰りたい。人の気配がして顔を上げると、樋口が俺を見下ろしながら立っていた。
「田村、二年生の条例ダメだったけど」
「……」
「何か方法は思いついたの?」
「……いや」
「みんな、聞いて」
 樋口に視線が集まる。どこかで見たことある光景だ。デジャヴか……いや、前期の授業が始まった最初の時に同じことがあった。あの時はまだ樋口の名前を知らなかったけど、同じ人物に間違いない。
「誰が勝ち残るか決めよう」
「どうやって?」
「コインを全部集めて、アタリを引いた人が40単位もらえるっていう風にする」
 確か大学を辞めたらとか、そういう話になって、見かねた俺が進級券の話をしたのか。コース内を分断させたくない……そんな風に思ってたんだっけ。でも、今の俺にはどうすることもできない。
「樋口、せっかくここまで仲良くやってきて、コース内を分断する気か?」
 誰かが俺の気持ちを代弁してくれた。見ると丸井だった。
「このまま全員が進級できない状態で待つの? 少しでも安心できる人を増やした方がいいと思うけど。こんな状態で仲良くなんて表面的なものでしかないと思うから」
「……」
 丸井は反論できず、俺も心の中で言い返そうとしたが無理だった。
「昨日、田村から返された30単位をもう一度、出して。アタリを引いた人には40単位渡す。1500単位を40単位で割ると37.5で、20単位余るけど、37人がノルマ達成になるから。じゃあ、みんな、クジ引きでいい?」
 お互いに表情を見ながらうなずき、異論は出なかった。
「田村は責任取ってハズレでいいと思うけど」
 説明していた声質が変わり、樋口に目を向けると、俺を蔑むような顔をしていた。
「……分かった」
「じゃあ、コインちょーだい」
 俺は財布を取り出し、10単位コイン3枚を手渡した。ドアが開き、教官が入ってくる。樋口が席に戻ると不快感が全身を巡り、俺は歯を食い縛った。

「みんな、クジ作ったから。マルがアタリで、バツがハズレ」
 三限目が終わって教官が出ていくと、樋口が立ち上がって言った。見ると穴がキレイに開いたティッシュの箱のような物が、机の上に置かれている。近くにいた渡部(わたなべ)が財布からコインを取り出し、樋口に渡した。箱の中から小さく折り畳まれた紙を一つ摘まみ出す。
「うっし、アタリだ」
「あとで、それと40単位分のコインを交換するから」
 最初の挑戦が終わり、箱の前に列ができる。コインを渡してクジを引く、流れ作業だ。次の授業までの休み時間は10分。ただ見ているだけの俺も慌ただしい空気を感じた。
「……お願い」
 クジを引いて戻ってきた芽以が、恐る恐る紙を広げていく。曲線が見えたかと思うと、折り目の付いた正方形の紙に『○』が現れた。安心した表情を見て、思わず俺も笑みがこぼれる。顔を上げると、隅で肩を落とす丸井の姿が視界に入った。
「丸井、どうだった?」
 近寄って声をかけると、何も言わずに広げたクジを見せてきた。俺の目に『×』が飛び込む。何かおかしい……折り目のついた正方形の紙に違和感を覚えた。しばらくしてアタリクジとコインの交換が始まり、教官が入ってきて、天国と地獄に分断する作業は終わった。

 四限目が終わり、国際コースの一年生たちが、次々にかばんを持って部屋を出ていく。五限目はみんな出ない。今日の授業はこれで終わりだ。
「用事あるから」
 芽以が腰を上げて言い、俺は静かにうなずいた。人の流れに乗って、芽以の姿が消える。芽以は天国で、俺は地獄。何もしてないけど、無条件でそうなった。責任があるとは言え、素直に応じるべきじゃなかったか。俺は少し後悔し始めた。
「あげる」
 机の上に10単位コイン2枚が差し出された。顔を向けると、置いていったのは樋口で、それ以上は何も言ってこなかった。感じの悪い野郎だ。
「俺たち、どうする?」
「この中でノルマを達成できる人を決めるか」
「どうやって?」
「70単位あればいいわけだから、コインを全部集めて70で割れば……」
「私、前期で36単位取ってるから、後期で24しか取れないんだけど」
「ややこしいな」
「負け組の中でさらに負け組を決めて、どうすんだ」
「負け組って言わないで」
 部屋の中に残っていたのは、ハズレを引いた12人だった。
「ああ、こんなことなら地元の公立に行っときゃ良かった。東京に来たいと思って、この大学にしちまった……」
「私……この大学辞める」
「マジで?」
「うん。だから私のコイン、買って」
「あざといな」
「あ、あの……これ、拾ったんだけど」
「アタリのクジ? それが、どうした?」
「折り目を戻すと……」
 気になって俺も目を向ける。小さな正方形の紙が折られると、形が三角になった。さっきの違和感の正体が分かった。
「俺の引いたクジ、四角に折られてる」
 一人が言うと、次々に「私も」「俺もだ」「僕も」と声が上がった。
「どうりで箱とか用意が良すぎると思ったら、最初からそのつもりだったんだ」
「よく見たら樋口と普段、一緒にいる人はここにいないんじゃ……」
「あいつ、途中で自分で引いてたしな」
「分かったんだったら早く言ってよ。みんな帰ったじゃない」
「話が落ち着いてからと思って……」
 たぶん樋口は最初から狙っていた。三限目と四限目の間にやったのは、時間に余裕があるとクジや箱を確かめたり、引く時にいろいろ触ったりする人も出てきて、気づかれる危険性があると思ったんだろ。それに不正を疑われたとしても、追及されないように帰れる時間に合わせたんだ。
 コインとアタリの紙を交換するのもいい方法だった。捨てることができるから証拠が残らない。落ちてたのはミスだろうけど、この一枚だけで追及しても適当に折ったとか、気まぐれで折ったとか言い訳されたら、どうしようもない。結果論でしかないか。
 ドアが開き、教官が入ってくる。入れ替わるようにして、俺たちは講義室を出た。学生はいない。一人ぼっちで講義するのか。何だか申し訳ない……いや、そんなこと考えてる場合じゃない。何か方法を考えないといけない。いいアイデア、俺に降りてこい。
 そうだ。二回目の会議の時に、狩野さんが言ってたプランがある。確かコインとお金のレートを決めて、二年生に単位を余分に取らせるっていう。でも、俺たち一年生が進級券を持ってなければ、わざわざ二年生が実行する意味はないんじゃないか。
 普通にコインを売ってもらえばいい。それこそ兄貴に頼もう。いくらで? 兄貴だったら足元を見てくることはないと思うけど、余分に単位を取れるのか。それか売ってくれそうな人を探してもらうか。ここにいるみんなの分が集まるのか……いや、もう無責任なことは提案しちゃいけない。
「とりあえずグループ作って、何か思いついたら共有しようか」
 一人がそう言って、結局この場は解散となった。
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