あの時から(プロローグ)

文字数 2,043文字

「何してんだ?」
 本館三階の廊下から、窓越しに外を眺めてると声がした。振り向くとワタシと同じコースの男子がいた。確か成瀬って呼ばれてたと思う。しゃべるのは初めてで緊張が走った。
「あ、あの、ちょっと、工事の様子を……」
 新館が建つ予定の場所はシートで覆われてる。時々その隙間からヘルメットを被った作業員が見えた。
「面白いか?」
「……」
 視界に入った物を答えただけだった。本当は二年生に進級するための10単位分のコインを手に入れる方法を考えていた。
「ノルマ、まだなのか?」
 見透かしたように彼が聞いてくる。
「うん、まだ……達成したの?」
 余裕の雰囲気にまさかと思って質問を返すと「ああ」と返事が来た。
「ど、どうやって?」
「勝負して」
「勝負?」
「何単位手に入れた? ゼロか?」
「……」
「勝負できないタチか? ギャンブルの経験なしか?」
「……」
 何も答えてないのに次々に質問が飛んでくる。ただ、その質問は当たっていた。すると彼は小講義室を親指で差した。
「今この部屋で丁半バクチやってる奴ら……」
「丁半バクチ?」
「サイコロを振って、偶数か奇数か当てるギャンブルだ」
「あれって、そんなことやってたんだ」
「おそらく親、サイコロを振ってる方が勝つ」
「なんで分かるの?」
「当たれば賭けたコインが二倍になるっていうシンプルなルールだ。お互い勝つ確率は五分五分。それなのに賭ける方が四人もいた。もちろん大勝ちすることもあるが、大負けするリスクもある。そのリスクを負って勝負してるとは考えにくい」
「……」
 突然の解説にワタシはキョトンとなった。
「それにコインを賭け終わってから、サイコロを振ってる。しかもサイコロは一つだ。出目をコントロールしやすい」
「イカサマってこと?」
「ああ」
「やめさせなきゃ」
「いや、オレの推測だ。証拠はない。リスクを負いながら普通に勝負してるかもしれない」
「……」
 なんでこんな話してくるんだろう……困惑してるワタシに彼は顔を近づけてきた。
「だが、オレの推測が当たってれば、逆手に取って勝つことができる」
「ど、どうやって?」
「簡単なことだ。賭けたコインが少ない方に賭ければいい。親がそっちを勝たせてくれる」
「……」
 頭が重たくなってくる。熱が出そうだった。
「お前も入れてもらって、勝負してこい」
「……」
「勝負するのが怖いのか?」
 ワタシは強がって笑みを見せようとした。
「す、推測なんだよね……」
「もしオレの推測が外れても、普通に運の勝負になるだけだ」
「……」
 踏み出すことができなかった。ワタシは負けるのがひどく怖かった。すると彼はポケットから財布を取り出し、その中から1単位コインを出した。
「1枚やる。返さなくていいから、これで勝負してこい」
「……」
 ワタシの右手がゆっくりと動き始める。差し出した手にコインが落ちると、握りしめて胸に当てた。
「成瀬はん」
 ワタシたちが同時に振り向くと、別のコースの男子がいた。
「もうっぺん、オセロで勝負したってえな」
「何単位賭ける?」
「ほな、3単位や」
「時間がもったいないから一手、一分以内で行ってくれ」
「い、一分か。分かった、ええやろ」
「で、どこでやる?」
「講義室か食堂でと思てるけど、あんま野次馬とか集まってこんとこがええな」
 辺りを見回し、大阪弁の男子が悩み出すと、成瀬くんがワタシに強い視線を送ってきた。
「……じゃあ、行ってくる」
「グッドラック」
 妙な英語に背中を押され、小講義室のドアを開けた。部屋の中ではトランプをしたり、将棋をしたりともはや勉強する場所には見えない。ワタシは一人を前に四人が並んでいる所へ足を運んだ。
「ぎゃっ」
 固定された長机の足でひざを打つ。い、痛い……顔を上げると、丁半バクチをやってる五人の視線がこちらを向いていた。
「あ、あの、ワタシも入れて……」
「いいよ」
 サイコロを手にした親があっさりと受け入れてくれた。並んでる四人に交じると、机の上には真ん中に縦線が引かれた紙が置かれ、左に『チョウ』右に『ハン』と書かれている。
「5単位まで賭けられるから」
 他の四人がコインを置いていくのを、じっと見ていると親に説明された。それよりもチョウとハンの意味が分からない。くだらない質問をしてナメられても嫌なので、成瀬くんに言われた通りに賭けることにする。1単位コインがチョウに5枚、ハンに3枚だったので、ワタシはハンに1枚置いた。
「じゃあ、行くよ」
 掛け声と共に机の上にサイコロが転がる。出た目は5だった。
「ハンだ」
 コインを賭けた分だけチョウの方から取っていき、残った1枚を親が持っていく。ワタシは2枚に増えたコインを見て、思わず笑みがこぼれそうになった。
 その後もロジックに従って1枚ずつ賭けていった。毎回最後に賭けてたけど、誰にも怪しまれなかった。チョウとハンが同じ枚数になって負ける時もあったけど、それでも信じて同じように続けた。
 そして、ついにノルマである10枚に達し、この時からワタシは彼のことを好きになっていた。
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