第12話 田村弟の計画②

文字数 3,655文字

「成瀬くん」
 兄貴が声をかけると、隣の席にいる女子もガトーショコラを手にしながら振り向いた。この人が成瀬なのか。他のコースの学生と勝負してコインを巻き上げてたって、兄貴からウワサに聞いていたけど見た感じ、どこにでもいそうな男子で何のオーラもない。
「向こうにいたんだけど、気づかなかった?」
「気づいてたら、たぶん声くらいかけただろ。で、そっちの色違いは?」
 乱暴な表現だ。そんなに似てないと思うが。とりあえず俺は一歩前に出て、先輩に挨拶をすることにした。
「弟の田村俊です。よろしくお願いします」
「いくつ離れてるんだ?」
 兄貴が人差し指を立てる。
「一つだよ。俊も僕たちの大学に入ってきたんだ。国際コースだから成瀬くんの後輩だよ」
「そっか。単位のシステムはオレたちの時と同じか?」
「さっき兄貴と話してたんですけど、全く同じみたいです。それと、兄貴から聞いたんですけど、成瀬さんゲーム強いらしいですね」
「強いって言い方は好きじゃないが、ま、ゲームは好きだな」
「良かったら俺と勝負してもらえませんか?」
 大したことなさそうだから、思い切って言ってみた。勝って自信につなげたい。こういうのを何て言ったっけ……噛ませ犬だ。
「何の?」
「神経衰弱でお願いします」
「僕は俊に一度も勝ったことがないんだ」
 それは兄貴が弱すぎるからだ。
「いいだろ。何を賭ける?」
 そう来ると思っていた。本当にスゴイのなら、女関係もそれなりにあるはずだ。
「俺が勝ったら合コンを開いてください」
「分かった」
「成瀬くん、女の子集められるの?」
 隣の席にいた女子が急に話しかけてきた。知り合いだったのか。
「勝てばいい」
「……そうね」
 まさか、ぽっちゃり体型が好みなのか。この脂肪の付き方はよろしくない感じだ。合コンはやめといた方が良かったか。
「で、お前が負けた場合だけど、紙を大学の掲示板に貼ってもらう」
「紙? 何かの宣伝ですか?」
「ま、そんなとこだ。さっさと始めようぜ」
 近くを通った店員に成瀬さんはトレーを渡した。

 ムシャムシャ……隣の席では謎のぽっちゃり女子がアップルパイをほお張り、その向かい側に腰を下ろした兄貴が、こっちをガン見している。気が散って仕方がない。俺はボディバッグからトランプを取り出し、テーブルの中央に置いた。
「トランプはチェックさせてもらうぞ」
「もちろんです。負けた後でイカサマとか言われても困りますからね」
 成瀬さんが箱からカードを出し、裏を見ていく。新品じゃないので、何枚かは傷や汚れがあるけど……それに文句を付けられて、勝負がなくなるのは面白くない。いつの間にか表を見ている。表は勝負に影響ないだろ。
「ジョーカーは抜いとくな」
「はい」
 ジョーカーをテーブルの隅に置き、またカードに目を通していく。
「オッケーだ」
 そう言って成瀬さんがシャッフルし始めたので、俺は手を差し出した。
「俺が並べますよ」
「これくらい、いいって」
「……じゃあ、お願いします」
 任せることにした。カードが裏向きに置かれていく。52枚を並べ終え、成瀬さんは手をこすり合わせた。
「オレからでいいか?」
「え、あの……先手が不利っていうこと、知ってます?」
「知ってる」
「いいですけど、負けた時の言い訳にしないでくださいね。見苦しいだけなんで」
 この人、バカなのか。兄貴の情報が間違っていたんじゃないか。噛ませ犬が開く合コンで、女子としゃべる練習でもするか。成瀬さんがカードをめくる。スペードのAだ。もう一枚めくる。ダイヤのAが出た。
「おおっ、すごいですね」
 俺は思わず声を上げてしまった。確率的にはかなり低い。運はあるみたいだ。成瀬さんが続けてカードをめくる。クラブのAだ。もう一枚めくる。出たのはハートのA……待て、どういうことだ。状況が理解できないまま2、3、4とテンポ良く、順番に四枚ずつめくられていく。四枚の7が表に向いた時点で成瀬さんは手を止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。絶対イカサマですって。こんなの、ありえないじゃないですか」
「後でイカサマとか言われても困るんだけどな」
「……」
 俺は言葉が出なかった。
「待って。まだ勝負は終わってないわ。裏向きのカードがこんなに残ってるじゃない」
 隣のぽっちゃり女子が何か言っていたが、成瀬さんは構わずにブリーフケースから取り出したプリントを、俺の目の前に置いた。
「これって……」
「こうしないとな、面白くないんだよ」
 そう言いながら成瀬さんが裏向きのカードを一枚めくる。スペードの8が出た。

 4月4日、月曜。朝8時に起きて大学に向かうと、正門には行列ができていた。みんなのソワソワした感じが初々しい。
「こちらに学生証を入れてください」
 スーツ姿の女性がATMの使い方を教えてくれる。俺は兄貴から聞いていたので必要ない。挿入口に学生証を入れると、画面に学籍番号や名前が表示され、スライドして開いた左の取り出し口には10単位コインが3枚あった。そのコインと返ってきた学生証を財布に戻し、銀色のバーを押して正門を抜ける。
 キャンパスに入った俺は、一直線に掲示板へ進んだ。中には見向きもせず一号館に直行する人もいる。掲示板の情報が大事だと知らないのか。ただ、立ち止まって見る人はいない。食堂のバイト募集が一枚、寂しく貼られているだけだった。
 それよりも隣にある機械だ。横長の小さなディスプレイに『進級券1枚=6単位』と表示されている。俺が交換できるのか。罰ゲームもある。二年生のシステムが載ったプリント。レートが上がれば二年生は余分にコインが必要になる。一年生が進級券を手に入れて、二年生にメリットはない。むしろ、デメリットのはずだ。
 プリントを貼れば俺と同じように他の一年生も、進級券を交換してコインを増やす方法に気づくだろう。そうなって俺にメリットはあるのか。そもそも俺は兄貴に教えてもらって、すでに二年生のシステムを知っていた。なんで他の一年生にも教えないといけないんだ。俺は交換機を離れ、一号館に足を向けた。

「時間になりましたので、講義を終わります。来週は休講です」
 生まれて初めて受ける大学の授業が終わった。90分は長い。これが続くのかと思うとゾッとした。
 部屋は静かだ。休憩は10分あるが、誰もしゃべっていない。目だけ動かして、まわりを見る。これが国際コースのメンバーか。いきなりしゃべりかける勇気がないのは俺も同じ……いや、コインを奪われてはいけない警戒感が話し辛くさせているのか。こんな空気が続くのも嫌だな。
 有名大学の糸下と畑は、楽しいキャンパスライフを送っているのか。笑顔の先輩たちに囲まれ、サークルに勧誘される姿を想像してしまった。悲観的な考えはやめよう。まだ初日だ。しばらく様子を見よう。いろいろ思っていると教官が入ってきて二限目が始まった。

 昼休みになると、三階の小講義室から一斉に人が廊下に流れ出し、食堂も売店もいっぱいになった。一号館を出た俺は、正門に足を向けた。驚くことに誰もいない。外に出られることを知らないのか。掲示板の隣に置かれた交換機が目に入る。やるなら今がチャンスだ。俺は財布を取り出した。
 息を吐く。緊張する。二年生が使う物を一年生が使うわけだから、何らかの抵抗があってもおかしくはない。俺は思い切って10単位コインを入れてみた。すると1単位コインが4枚戻ってきて、カードが一枚出てきた。摘まんで引き出す。見ると『進級券』と書かれ、リンギス大学のロゴも入っていた。
 学生部から人が出てくる。学生ではなく職員のようだ。とりあえず交換できることは分かった。俺は進級券とコインを財布に入れ、出口のATMに向かった。挿入口に学生証を入れる。『完了』ボタンが表示された画面の上にあるふたがスライドしたが、二つあるうちの左しか開いていない。どういうことだ。このATMは二年生も共有して使うはずだが、一年生は進級券を所持しない前提でプログラムされているのか。
 俺はダメ元でコインと進級券を同じ場所に入れて『完了』を押した。ふたは閉じたがすぐに開き、画面には『コイン以外の物を入れないでください』と表示された。進級券を持ったまま正門を抜けられないのか……いや、コインを持ったまま出ようとすると、守衛に止められてATMでやり直しさせられると、兄貴が言っていた気がする。たぶんセンサーでもあって、進級券でも同じことになるだろう。
 いったん進級券はコインに戻そう。ただ、これもできるかどうか分からない。俺は『取消』を押し、学生証を取ってキャンパスに戻った。交換機に進級券を入れてみる。すると5単位コインが1枚と1単位コインが1枚出てきた。ちゃんと同じ機械で交換できる。
 俺はまた出口に行き、ATMに30単位分のコインを預け入れ、銀色のバーを押してようやく外に出た。進級券を手に入れたところで、キャンパスのどこかに隠さないといけない。悩ましい問題だ。俺は兄貴と行ったハンバーガー屋に足を向けた。
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