第1話 新たなシステム

文字数 2,983文字

「二年生のみなさん、進級おめでとうございます。昨年は200人いた学生も、今年は166人になりましたが、このリンギス大学も二年目を迎えることができました。誠にうれしい限りであります。新館も完成し、四階には図書室を設けましたので、残念ながらマンガはありませんが、存分に利用していただきたいと思います。
 我がリンギス社はメッセージアプリや企業向けSNSなど、ウェブ関連サービスを主な事業とするアメリカの会社です。時価総額は1兆ドルを超え、世界37ヶ国に支社を置き、暗号資産やメタバースといった成長分野にも力を注いでいます。社員に性別や人種による差別はなく、28歳の営業職の女性は年収2000万円で……」
 天井のプロジェクターからホワイトボードに動画が投射され、音声が流れる。最初に上半身が大きく映し出され、挨拶をしていた白髪混じりの外国人はリンギス社のCEO、リチャード・ゲインズだ。
 オリエンテーションは完成したばかりの二号館の三階にある大講義室で行われていた。挨拶の後の映像は昨年の入学式の時に見たものと全く同じで、学生たちの興味を引いていたのは、部屋に入る時に配布されたプリントの方だった。

  単位について

・一年次に取得した単位は、そのまま繰り越されている。
・単位はコインとして物体化されており、1単位コイン、5単位コイン、10単位コインの三種類がある。
・二年次は授業1コマを3単位で計算する。
・三年次への進級には進級券を15枚必要とし、3月1日0時00分時点で満たない場合は退学とする。
・コインと進級券の交換レートは次の式で表される。

 x:全学生が所持する進級券の総数
 y:進級券1枚を交換するのに必要なコインの数(小数点以下は切り捨て)
・大学に入る際は正門のATMで学生証を入れてコインと進級券を引き出し、大学を出る際も同じ手順で預け入れ、コインと進級券を学外に持ち出すことは禁止する。

  学内法と条例について

・学内法もしくは条例を破った学生は、退学処分とする。
・条例には、それぞれの学年にのみ適用される一年生条例と二年生条例がある。
・学内法は条例よりも優先され、学内法に抵触した条例は削除される。
・学内法案、条例案は学生部に提出し、大学側の審査結果を数日以内に掲示板で発表するので、通った場合はその日から一週間後に投票を行う。
・学内法案は全学生に、条例案はその学年の学生にのみ投票権が与えられ、賛成か反対のどちらかに入れる。
・投票権を持つ学生の3分の2以上が賛成票を投じれば可決となり、学内法もしくは条例が成立する。

 横に長くつながった机に両肘をつき、重ねた手の上にあごを置き、隣の女子学生がしているように、プリントに目を通していた経済学部国際コースの国柴由香里(くにしばゆかり)だったが、内容はほとんど入っていなかった。
 お腹すいた。ケーキ食べたい。ショートケーキ食べたい。パンケーキでもいい。フワフワの生地がいい。クリームたっぷりがいい。イチゴいっぱいがいい。むさぼりたい。チョコレートでフォンデュしてむさぼりたい。鷲掴みにしてイチゴむさぼりたい……小柄で目が大きいロングヘアの由香里の頭の中は妄想に支配されていた。
 外から光が差し込んでくる。顔を上げると、ホワイトボードの映像は消えていた。カーテンを操作していたスマホをしまい、前に立ったのは身長181センチの元シンガー・ソング・ライター、滝山俊貴(たきやまとしき)だった。まさかの活動休止から大学教授に転身。去年の今頃は女子を中心に随分と騒がれていたが、今では一人の大学教授としてすっかり納まっていた。
 マイクを通して声が響く。滝山教授はプリントを一字一句変えることなく、付け加えることもなく読み始めた。聞く気のない由香里はスマホで時刻を確かめる。11時を回っていた。あともう少し我慢すればランチタイムだ。
「今から質問を受け付けますので、もしあれば手を上げてください」
 その言葉に反応して一斉に手が上がり、何事かと由香里はまわりを見た。滝山教授は前から順番に当てていく。
「一年生の条例案は、私たちは出せるんですか?」
「いいえ、出せません」
「進級券の交換は、どこですればいいんですか?」
「掲示板の横に専用の交換機を置きましたので、見てもらえれば分かると思います」
「一年生の時には取れる単位に上限があったんですけど、今年はないのですか?」
「はい、ありません」
「学内法と条例の抵触って、どういうことですか?」
「例えば先に『タブレットを所持してはいけない』という条例があったとします。その後に『タブレットを所持しなければならない』という学内法が成立したとします。この場合、先にあった条例は削除されます。順番が逆で先に学内法があった場合、条例案は審査に通らないので投票も行いません」
「進級券の交換は早い者勝ちってことになるんですか?」
「まあ、そうなりますかね……」
 一番後ろにいた学生の質問が終わり、滝山教授が部屋の中を見回す。
「それでは、これで二年生のオリエンテーションを終わります。前期の授業開始は4月6日の水曜日となっていますが、これは混雑を避けるため、新入生の授業開始の二日後にしていますので、ご了承ください」
 マイクのスイッチが切れ、ようやく学生たちが腰を上げようとした時だった。
「ちょっと聞いてくれ」
 声がした方に視線が集まった。一人の男子が立ち上がっている。その国の言語をしゃべっていれば、韓国人でもタイ人でも違和感のない顔つきで、体格は中肉中背。これといった特徴はなく、個性のない容姿の彼は、由香里と同じ経済学部国際コースの成瀬優理(なるせゆうり)だった。
「今回は全員がルールを守れば、全員が確実に進級できる」
 成瀬の二言目で部屋の中が静まり返った。何事かと学長も顔を上げている。ところが、男女五人のグループがドアに向かって歩いていた。
「おい、どこに行く」
 成瀬が言うと、グループの先頭にいる男子が振り向いた。
「悪いけど、ボウリング予約してるから」
「話が終わってからにしろ」
「そんなこと言ったって時間ないし……」
 隣にいた女子が一歩前に出た。
「教授が早い者勝ちって言ってんだから、それでいいじゃん」
「教授がとか言う前に、まず自分の頭で考えてみろ。全員が助かるチャンスを逃す気か」
「なんなの、あいつ。ムカつく。行こう」
「おい、待て!」
 成瀬の声が虚しく響き、五人組はこの場を去った。再び成瀬に視線が集まる。由香里も心配そうに見つめるが、彼はうつむいたまま動かない。そうしているうちに一人、また一人と立ち上がり、次々に部屋から出ていき、もはや止める術もなく解散となった。
 いまだ動かない成瀬の元に、脂肪も筋肉もほとんどついていない、細身でメガネをかけた法学部法曹コースの市川毅(いちかわつよし)がやって来た。
「しょっぱなから穏やかじゃないな」
 その言葉に反応する間もなく今度は、色黒でやたらと白い歯が目立つ肩幅の広い法学部企業コースの狩野哲次(かのうてつじ)が近寄ってきた。
「えらいこっちゃな、どないする?」
 ようやく成瀬は顔を上げたが、二人とは目を合わせない。
「なかなか面白くなくなりそうだ」
「えっ、面白く、なくなり?」
 言ったことの意味を確かめようと、狩野は聞き返したつもりだったが、成瀬は何も言わずに歩き始めた。市川と狩野も黙って後に続き、その様子を見て由香里も三人の後を追った。
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