第26話 田村弟の葛藤④

文字数 3,849文字

「おい、樋口」
 翌日、二限目が終わって昼休みになると、講義室を出ようとしていた樋口に丸井が言った。ドスの利いた声で、まわりにいた人も同時に振り向いた。
「お前、昨日のクジ引き、イカサマしたよな?」
「イカサマって何?」
 丸井は手に持っていた小さな紙を、樋口の目の前に出した。
「見ろよ。アタリのクジ、三角に折っただろ」
「さあ、適当に折ったから」
「とぼけんなよ」
 樋口は首をかしげ、バカにしたような表情を見せて目を背けた。
「アタリを引いた奴どうなんだ! 三角に折られてただろ。ハズレは四角に折られてたんだよ!」
「……」
 誰に向かって言っているのか分からない。だんだん見ていられなくなってきた。
「何とか言えよ。そろって、とぼけんなよ」
「百歩譲ってそうだったとして、自分がハズレ引いた理由にはならないよね?」
 反論し始めたのは意外にも芽以だった。
「少なくとも不正をした連中がいるんだよ」
「やり直せって言ってるの?」
「ああ、そうだ」
「少なくとも私は、アタリが三角に折られてるとか知らなかったから。巻き込まないで」
「不正があったことは認めるんだな?」
「バカじゃない。百歩譲ってって言ったわよね。私知らないし」
 俺は丸井と芽以の間に入った。もうこれ以上、二人のこんな姿を見たくなかった。
「丸井、もういいって」
「もういいって何だよ」
「それだけじゃ証拠にならない」
「じゃあ、何が証拠になるんだよ」
「何が証拠になるかは分からないけど……」
 まわりを見ると、樋口も芽以もいなくなっていた。
「……箱は用意して、クジはここで作ったんだよな?」
「たぶん、そうだと思う。見たわけじゃないから、言い切れないけど」
「カメラに映ってないか?」
「カメラ? 誰かがスマホで撮ってたのか?」
「そうじゃなくて、防犯カメラ」
「……」
「教授に言いに行くぞ」
 ムダだ。それで解決するなら去年はもっとマシだったはずだ。あくまでも兄貴から聞いた話による想像なんだけど。丸井の足は動き出していた。仕方なく俺は後を追って、一つ下の階に行った。
 二階の廊下を進む。等間隔に並ぶドアの前をいくつか通り過ぎ、掲げられたボードを確認して丸井が足を止めた。確か滝山教授がいなくなったって、誰か言ってた気がする。丸井がノックすると、しばらくしてドアが開き、中から現れたのは細身の女性だった。この人が新しく来た教授か。
「……誰?」
 何も言わない丸井に教授が尋ねた。視線がキツい。
「一年、国際コース一年の、丸井と言います」
 緊張してるのか。さっきまでの勢いはどこに行った。少し呆れていると、教授の視線がこっちに向いた。
「あっ、同じ国際コース一年のた、田村です」
 妙なオーラが伝わってくる。俺も緊張してきた。部屋に入るよう促され、俺たちは並んでソファに腰を下ろした。自然と手はひざの上に行った。
「用件は?」
 向かい側のソファに教授が座り、丸井が話を始める。
「昨日クジ引きをしたんですけど、勝ち残りを決めるために。その時にアタリを引いた方に不正がありまして……」
「勝ち残りって、どういうこと?」
「進級するのに10単位足りないじゃないですか。だからハズレを引いた人が、アタリを引いた人にコインを渡すっていうことになりまして……」
「厳密に言うと、先に全員から最初に持ってた30単位を集めて、アタリを引いた人が40単位もらえることになったんです」
 丸井の説明がたどたどしいので、俺は補足した。
「……それで?」
「だから不正がありまして、アタリの方が三角に折られてまして、ハズレの方は四角に折られてたんですけど……」
「それで何?」
「不正があったんですから、ナシじゃないですか。コインを返してもらいたいんですよ」
 そういう話だったか。防犯カメラの映像じゃなかったのか。教授は細い足を組み直した。
「無理ね」
「なんでですか?」
「窃盗とか暴力については、確認できれば処分するけど、そんなの対象外」
「……」
 丸井が何も言えなくなったようなので、俺が代わりに話をしようとした。
「あの、講義室の防犯カメラの映像って、見せてもらえませんか?」
「それも無理。学生は見ることができない。常識的に考えたら分かるわよね」
「……」
「分かったら、行って。私も暇じゃないんだから」
 腰を上げ、俺たちが廊下に出ると、すぐにドアが閉められた。ただ、俺にとっては予想の範囲内ではあった。
「まあ、そうだろな」
「……なんだ、あの高圧的なクソアマ」
「えっ?」
「終始上から目線で、感じ悪っ。あんな奴、絶対彼氏いねえし。彼氏になったら死んだ方がマシだし。滝山教授の方が一億倍良かったわ」
「丸井、やめろ。聞こえるって」
「聞こえてほしいわ!」
「落ち着けって。まだ手がなくなったわけじゃない」
「何かあるのか?」
 つい言ってしまった。
「……二回目の会議で、二年生が提案してきたプランがあるんだけど」
「どんな?」
「コインとお金のレートを決めて、二年生に単位を余分に取らせるっていう……」
「コインを金で買えってか? 冗談じゃない。樋口はどうすんだ。もういいのか?」
「証拠がない。先に確認しなかった時点で負けだ」
「田村はクジやってないから、簡単に言えるかもしれないけど、あんな汚い奴と一緒に講義聞いてると思うだけで胸クソ悪くて仕方ないわ」
 なんだか丸井の口調が変わってきた気がする。
「……さっきのレートの話だけど、俺たちは買わずに、余った単位を回収してもらうんだ」
「誰に?」
「成瀬さんに」
「頭ん中お花畑だって。そんなことしてくれるわけないだろ」
「……」
「とりあえず昼飯食いに行くか」
 俺がうなずくと、ようやく丸井は歩き出した。

 マンションに帰ってくる。一人暮らしを始めて半年が経ち、この四畳半の部屋にも慣れた。授業が始まった時はワクワクしていた。芽以という彼女ができて、国際コースで仲良くやっていけたはず。それが、こんなに追い詰められるなんて……俺が悪かった。俺が判断を間違ったんだ。
 一年生はゼロサムゲームだ。誰かの単位が増えれば誰かの単位が減る。何とかして上限のない二年生からもらいたい。成瀬さんに頼むしか……いや、虫のいい話だ。俺は一回目の会議で話をぶち壊し、二回目の会議ではほとんど相手にしなかった。進級券がなくなった今、形勢は逆転してしまっている。
 ダメ元で頼んでみるか。少しでも誠意を見せることにしよう。俺はまず『一年生の進級券の所持を禁止します』と送り、それから『狩野さんの言っていたプランでお願いします』と送った。しばらくして既読になり、返事が来た。
『そのつもりだ』
 読んだ俺は涙が出そうになった。成瀬さんは本当に俺たち一年生を助けてくれる。もう余計なことは考えず、プランを進めるのみだ。俺は一年生の代表のグループを開いた。
『狩野さんのプランで行くから進級券所持禁止条例案に賛成を入れてほしい』
 返事を待っていると、君嶋と森からは『了解』と来たが、真中からは『どんなプラン?』と質問が返ってきた。めんどくさい。会議に参加しなかったくせに、いちいち説明しないといけないのか。
『狩野さん本人に聞いて』
 突き放すように俺は送った。三人でも可決はできる。こんなとこで余計な力を使っていてはいけない。

 土日の休みが終わり、また一週間が始まる。大学に行った俺は早速、学生部で用紙をもらってきた。二限目の授業中に書き込み、昼休みに提出する。翌日には掲示板に投票のお知らせが貼られた。
『進級券所持禁止条例案(一年生)が審査を通りました。この条例案の内容は、進級券を所持した者を退学処分にするというものです。投票日は11月1日、一号館(旧本館)四階の投票所で行います』

「田村くん」
 妙に丁寧な言い方だった。顔を向けると、渡部だった。
「今度の投票って当然、賛成に入れるよね? 反対なんて意味ないもんな」
「ああ、もち……」
 普通に答えようとすると、近くの席にいた丸井が急に立ち上がって、俺たちの方を向いた。
「コインくれたら教えてやるよ」
「そ、そんな、卑怯だぞ」
「どっちが卑怯なんだよ。クジ引きでイカサマしたこと認めたらどうなんだ」
「証拠ないだろ」
「やったことは認めんだな」
「いや、そうじゃなくて、根拠がおかしい……」
「じゃあ、証拠はお前が探せ。見つけたら、どっちに入れるか教えてやる」
「そんな……」
「丸井、やめろ」
 俺は言った。
「なんでだよ」
「理不尽だ。さすがに筋が通ってない」
「じゃあ、どうすんだ? このまま不正に屈して、俺たちは退学してくのか?」
「……成瀬さんは神だ。信じれば救われる」
「頭おかしくなったのか」
 比喩表現だと説明しようとしたが、丸井は俺から目を背け、席に着いてしまった。

 不穏な空気は続いた。投票日が近づいてきた時、負け組で作ったグループにメッセージが入った。
『俺たちは反対に入れる』
 丸井からだった。もちろん意図は分かった。俺に断りなく強引に進めるつもりのようだ。了解の返事やスタンプが次々に入ってくる。こうなると止めるのが難しい。狩野さんのプランを信じさせるだけの材料もない。
 ただ、このやり方は絶対に良くない。権力の乱用だ。確実に俺は悪者になる。さすがにこれ以上はごめんだ。心を鬼にするつもりはない。俺はメッセージを送らず、大学でも負け組とは関わらないようにした。

『投票率99パーセント、賛成187票、反対12票で可決。進級券所持禁止条例(一年生)が成立しました。明日より進級券を所持すると退学処分となりますので、ご注意ください』
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