第24話 田村弟の葛藤②

文字数 3,005文字

 投票日の前日、四限目が終わって二号館の食堂に行くと、四人掛けのテーブル席にいる成瀬さんと目が合った。向かい側には二人が並んで座っていて、一人は狩野さんだったが、もう一人のあごひげの長い人は知らなかった。確認したい奴って、この人か?
「企業コースの高橋だ」
 成瀬さんに紹介され、俺も「国際の田村です」と軽く頭を下げた。
「持ってきたか?」
 俺はレジ袋をテーブルの真ん中に置き、成瀬さんの隣に腰を下ろした。進級券は今日の朝、芽以に手伝ってもらって、またキャンパスに戻していた。何度同じことをしたんだ。本当に今日で終わりにしたい。成瀬さんが袋の中から進級券を取り出した。
「見せてえな」
 そう言って狩野さんが一枚取ると、高橋さんも一枚手にした。二人とも表と裏を見ている。
「これが進級券なんや」
「本物だ。間違いない」
 高橋さんは見たことがあるような言い方だった。これで終わりならいいけど……。
「一年生が持ってるのは、これで全部か?」
「……」
 俺以外で交換した一年生っているのか。確か進級券を所持する法案を出した時、レートは上がらなかった。みんな最初の俺と同じように、預けられないことを知ってやめたのか。それとも交換した人が少なくて、レートが上がるほどじゃなかったのか。
 そもそも最初の時点で交換したのは本当に俺だけなのか。成瀬さんに渡されたプリントは、五限目が終わって食堂でうどんを食べてから掲示板に貼った。そのあとに交換した一年生がいるとは考えにくい。俺と丸井が正門が閉まるギリギリまで交換機を使っていた。
 その次の日は機械が故障中になって、ゴールデンウイーク前くらいまで、なかなか直らなかった。二年生は条例で交換を禁止されたけど、一年生はいつでも交換はできる。結局、俺以外で交換した一年生がいないとは言い切れないのか。
「……分かりません」
「なら、全部かどうか確認させてもらう」
「ちょっと待て。その必要はあるのか?」
 成瀬さんが口を挟んだ。
「必要はある。これ以外の進級券を一年生以外が所持してたらどうする?」
 一年生以外って誰だ。二年生は条例で所持を禁止されているから、売店の店員、食堂のおばちゃん、図書室の受付とか、教官か教授?
「可能性だけで最後の一枚まで調べる気か?」
「ここにあるので最後になる可能性もある」
「……」
 成瀬さんは反論しない……いや、できないのか。ヤバい感じだ。どうしよう。
「全部かどうか、どうやって確認するんですか?」
「交換機でコインに戻せば分かるだろ」
「……」
「行くぞ」
 高橋さんが腰を上げた。断りたいけど、理由が思いつかない。進級券を取って、ダッシュで逃げようか。いや、この狭いキャンパスで逃げ切れるはずがない。成瀬さんと狩野さんも立ち上がった。成瀬さんが何とかしてくれるはず……それに賭けるしかないのか。

 俺たち四人は二号館を出て、円い池の横を通りすぎ、掲示板の隣にある交換機に来た。『進級券1枚=7単位』と表示されている。高橋さんに促され、俺は持っていた進級券を機械に入れた。5単位コイン1枚と1単位コイン2枚が出てくる。俺は何度も繰り返し、大量のコインが溜まっていった。
「止めてくれ」
 表示が『進級券1枚=6単位』になったところで、高橋さんが言った。続けて「進級券は何枚ある?」と聞いてきたので、俺は数え始めた。また単調な作業だ。
「……8、150。2、4、6、8、160。2……」
「全部か」
 数え終わる前に、成瀬さんがつぶやいた。手元に残っていた進級券は165枚だった。他に誰か一枚でも持っていれば、レートは7になっているはず。俺以外で交換した一年生はいなかったということだ。誰もリスクを冒さなかった。俺は兄貴がいたから強気に出られたけど、普通はそうなのかもしれない。高橋さんを見ると、俺に目を向けていた。
「分かっていると思うが、この進級券は一度見つかっている。明日の投票が可決になっても、俺たち二年生はこの進級券を探し続ける」
「高橋、一年を脅す気か?」
「事実を伝えてるだけだ。人聞きの悪いことを言うな」
「……」
「悪いことは言わん。進級券を見つけられて二度と戻らないより、コインでATMに預けている方が安心だろ?」
 懸念していたことを見事に言われた。もう無理だ。この状況を打開する方法なんてない。俺は成瀬さんに視線を送った。
「……全部コインに戻せ」
 ほぼ思考停止していた俺は、成瀬さんの言葉に従った。

 翌日、俺は入口のATMから大量のコインを受け取った。怪しまれるんじゃないかと、後ろに並んでいる人の視線が気になった。すぐに掲示板を離れ、講義室に向かう。丸井の姿を見つけ、隣に座った。
「……おはよう」
「どうした? 何かあった?」
 勘がいいな。いつもより暗い声だったか。俺はレジ袋から10単位コインを3枚取り出した。
「返す」
「ど、どういうこと?」
「進級券が見つかった」
「マジで?」
 丸井の反応で事の重大さを痛感する。胃が重たくなってきた。
「また外に出すとか」
「いや、バレてる以上、もう無理だ」
「じゃあ、振り出しに戻るってことか?」
「そうなるな」
「マジか……兄貴は何とかしてくれないのか?」
「……残念だけど、兄貴にできることはない」
 兄貴は頭が良くなかった。情報を引き出させてもらうだけで、計画に協力してもらおうなどとは全く考えてなかった。大学が始まってからは、俺のことをペラペラ話されても困るので、必要最低限以外の会話はしていなかった。
「本日の講義はこの辺で終わりにします。お疲れ様でした」
 二限目があっという間に終わった。いつも長い講義のくせに、したくないことがあると短く感じる。国際コースの一年生たちが部屋を出ていく。昼飯から戻ってきてからにしよう。
「昼ご飯行かないの?」
 芽以が聞いてきた。
「ごめん、今日は食べない」
「何かあったの?」
「事情は後で話す」
 しばらくして、まわりを見ると俺は一人ぼっちになっていた。俺はひどく後悔していた。変な気を起こさず、最初の会議で成瀬さんの言う通りにしとけば良かった。でも、もう遅い。最悪だ。
 俺は講義室に戻ってきた一人一人に、進級券が見つかってしまったと素直に説明してコインを返していった。ほとんどの人が不安や絶望を滲ませ、俺はまともに顔を見ることができなかった。その中でも樋口はひどかった。
「……コインを増やせませんでしたって、投資詐欺と同じと思うけど。今から辞める人がいても大学入学共通テストの出願には間に合わないから。どう責任取ってくれんの?」
「どうって……」
「ノルマを達成する方法はないの?」
「……今出てる二年生の条例案が成立すれば」
「あのコイン徴収ってやつ? 成立すればどうなんのって思うけど」
「とりあえず今日が投票日だから、その結果見て、また考えるから……」
「さっき食堂に行ってきたけど、投票に行く人、一人も見なかったけど。たいてい昼休みに済ませるはずだから、成立しないんじゃないの? 成立しなかったらどうすんのって思うけど」
「と、とにかく、考えとくから」
 ネチネチとしつこい野郎だ。俺は心のどこかで成瀬さんが、何とかしてくれることを期待していた。平静を保つにはそう思うしかなった。だが、翌日には投票の結果が貼り出され、現実を突きつけられた。
『投票率0パーセント、賛成0票、反対0票で否決。コイン徴収条例案(二年生)は成立しませんでした』
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