第15話
文字数 3,236文字
ココアは再び戦場へ駆けていく。麓の敵はほとんど掃討できたようで、砦に続く一本道の攻略に入っている。多数の蝉人が道を守っているが、戦況はこちらが優勢だ。先ほどの蜘蛛人は撤退したのか姿が見えない。
「優真はどんな感じだった?」
「迷ってそうだった。生き物を殺すのに戸惑ってるみたい」
イリュはどこか歯がゆさを持った表情だ。
「素人だな。戦闘力は並外れなのに」
「優しいんだよ。あたしは尊敬する」
「そんなものか? だが、それだといつか死ぬぞ」
ココアは投げ捨てるように言葉を吐く。
「たとえ死んでもだよ。命を数字でしか見なくなったら神々と同じだよ。あたしはそうはなりたくない。でも、さっきまでだいぶ麻痺しちゃってた。優真さんを見て思い出せた」
「……まあ、その点は同意だ」
どこか諦めたような表情をしながら、ココアたちも戦闘に参加していく。ココアにとって今戦おうとしている蝉人は難敵となるが、一対一ならば戦うことはできる。一方、イリュは平気で複数体を相手にしているようだ。下位種である犬人の彼女がどうやって、というふつふつとした悔しさが湧き上がってくるが、事実なのだから認めざるを得ない。より強くなって彼女を見返す以外にこれに対抗する手立てはない。
蝉人がワラワラと出てきているが、幸いなことに、戦況はこちらが押している。優真の重火力による初撃で、敵へ大損害を与えられたのが功を奏している。だが、それを認めないと言わんばかりに、先ほど戦った二体とは異なる蜘蛛人が姿を現す。
くそ、あれは俺たちでは手に余る。
蜘蛛人は眷属種の中でも頭二つ抜けている。上位種には劣るが、空間子の把握、基礎戦闘力、各構成子への対応いずれもバランスがよく、数で押しても勝てないことがある。
「ココア! あたしが隙をつくる! 刺し込んで!」
イリュが決死の突貫を敢行する。普通なら無謀に見えるが、彼女はそれすらもやり遂げてしまう実力の持ち主。信じて後ろに続く。イリュと蜘蛛人が激しく打ち合う。刃渡りおよそ四十センチの短剣一本で、八本もある蜘蛛の足を良くさばけるものだ。イリュがかなり無理をしながら蜘蛛人の懐へ懐へと入り込んでいく。
今だ!
ココアはわずかにできた隙を見逃さず自身の爪をあらんかぎり打ち込む。
取った!
――と思ったが、次の瞬間、ココアは岩に打ち据えられていた。それに遅れて、打ち込んだ腕に痛みが走る。
軌道が逸れた……? いや、逸らされたのか。
「チッ、糸か」
打ち込む寸前にわずかに引かれる感覚があった。
イリュが後退してくる。彼女も無理が祟ってか腹部を負傷している。
「まだやれる?」
「片腕がうまく動かないが、やれないことはない」
「蜘蛛人が敵の主力だと思う。さっきの二体は優真さんが撃退してくれたから、こいつを撃退できればこの戦いはあたしたちの勝ちじゃないかな」
その通りだ。敵を見渡す限り、蜘蛛人がこの場において最も厄介だ。つまり、こいつさえ何とかできればこちらは勝利に大きく近づく。だが、他の獣人たちも蜘蛛人に攻撃を仕掛けているが、シュレッダーに自ら突っ込んでいっているようなものだ。
「ココア、低めに攻撃して。あの蜘蛛人、低いのをすごく嫌がる。苦手なんだと思う」
「戦いながらそんなところまで見抜くとはさすがだな」
二人は再び駆ける。
イリュの助言通り、低めに攻撃を仕掛けていく。
本当だ、さっきよりもやりやすい。
ココアとイリュの両者がサイドから挟撃を仕掛ける。だが、蜘蛛人からすれば子犬が一匹から二匹に増えたようなものだ。いくら爪が鋭かろうと届かなければ意味がない。
数度の打ち合いの末、こちらが損耗していく。味方も援護してくれているが、焼け石に水状態だ。勝てる気配がない。
ダメだ。このままだと負ける。
いくらあがいても強い個体には数では敵わない。眷属種がどれだけ群れても上位種に手が出ないように、蜘蛛人は相当の実力者をぶつけないと勝てない。獣人の中でやつらに対抗できるのは熊人か野人様くらいであろう。だが、生憎とこの戦場にそれらはいない。
諦めかけていたココアの心に叫び声が響く。
「ココア! イリュ!」
この言葉を聞いて、俺たちは瞬時にその場を退避した。退避しろという掛け声ではなかった。だが、そうして欲しいという直感を自分の名前が叫ばれた中に感じた。
「意外と早く向き合えたんだな」
ココアは独り言を小さく漏らす。
轟音が鳴り響き、蜘蛛人が土煙に包まれる。あの爆発が蜘蛛人に有効であることは一匹目で確認済みだ。これで戦況はひっくり返った。
声の主の元へココアとイリュは歩み寄る。
「もう大丈夫なのか?」
彼の顔はスッキリと晴れているわけではない。だが、さっきよりはマシに見える。
「……まだ、踏ん切りはついていない。けど、迷っている間にココアとイリュが死体で帰ってきたりしたら、俺は自分が許せない。だから戦う」
ココアは鼻で笑う。
「はんっ、落第点だな」
彼の肩を軽く叩く。
「だが、今はそれで十分だ」
「優真さん、あたしは及第点だと思うよ。仲間のために戦うのって大切だもん」
蜘蛛人の様子を窺う。かなり損傷している。表皮は剥げ、ところどころから紫色の血が吹き出している。もう一度あの魔法をくらわせられればこちらの勝利だ。
だが、それがわかってか蜘蛛人は優真に目掛けて一直線に向かってくる。ココアとイリュが盾になってこれを防ぐが、こうなってしまうとあの魔法を優真は撃てない。ココアたちを巻き込んでしまうからだ。かといって、離れれば優真に突っ込んでいくだろう。
「ココア、大丈夫だ。こいつの倒し方はわかっている」
優真がこちらに向かってくる。どうする気だ。優真は近接が得意ではないはず。
急に、蜘蛛人が浮いたように見えた。
ジャンプか? いや、違う、浮いている?
蜘蛛人の巨体が宙に浮いていく。優真の魔法だ。
そのまま空中に放りだされ、あの爆発魔法を直撃させた。
「動きを封じてとにかく強い物理魔法で殴る。これが蜘蛛人の倒し方だ」
蜘蛛人が落ちてくる。あの爆発を二撃もくらったのだ。タダで済むはずがない。
「やったな、優真」
だが、彼はまだ緊張した面持ちだ。
まだ倒せていない?
イリュも剣を構えたままだ。
蜘蛛人はかなりの重傷だが死んではいない。足の五本が千切れ、上半の人部分も片腕がない。表皮は焦げるか剥げるかのどちらかとなっており、かなりの傷を負っている。
しかし、蜘蛛人は生きている限り時間が経てば体のあらゆる箇所を自然治癒できてしまう。ここで確実に仕留めるべきだ。
優真が前に出る。
「……また、逃がすのか」
ココアの言葉に優真は静かに頷く。
「優真、どうせ何を言っても聞かないんだろうが、一応忠告しておく。蜘蛛人は逃がせばまた復活する。こいつらは自然治癒で千切れた腕や足も全部治せるんだ。そして、治れば再び戦場に来て仲間たちを殺していくだろう。それに今日だってかなりの獣人が殺されている。お前はそれをわかってなおも逃がすのか」
「恨んでくれて構わない」
優真を見る。唇はすでに噛み潰して血の跡がにじんでいるし、目尻も赤くなっていた。人間の表情を良くは知らないが、きっと彼にとっても苦渋の選択なのだろう。一瞬、虫人に通じているスパイかとも思ったが、俺たちと敵対したいという表情には見えない。
まだ、悩んでいるんだな。再び戦場に来たから吹っ切れたのかと思ったのに……。くそ、いいのか、そんなに甘くて。それじゃあいつか死ぬ。そうやって死んだ仲間をいっぱい知っている。いや、俺はそもそも優真のことを仲間と思っているのか。こいつはポチ様から監視を言い渡されている相手だ。……けど、彼の悩む姿をみて、久しく忘れていた感情を思い出した。それは戦いにおいては不要なものだ。だが、一生物としては不要と言い捨てられるほど心は廃れていない。
ココアは大きく息を吐きだす。
「ったく、甘いな。勝手にしろ。俺はもう知らないからな」
「優真はどんな感じだった?」
「迷ってそうだった。生き物を殺すのに戸惑ってるみたい」
イリュはどこか歯がゆさを持った表情だ。
「素人だな。戦闘力は並外れなのに」
「優しいんだよ。あたしは尊敬する」
「そんなものか? だが、それだといつか死ぬぞ」
ココアは投げ捨てるように言葉を吐く。
「たとえ死んでもだよ。命を数字でしか見なくなったら神々と同じだよ。あたしはそうはなりたくない。でも、さっきまでだいぶ麻痺しちゃってた。優真さんを見て思い出せた」
「……まあ、その点は同意だ」
どこか諦めたような表情をしながら、ココアたちも戦闘に参加していく。ココアにとって今戦おうとしている蝉人は難敵となるが、一対一ならば戦うことはできる。一方、イリュは平気で複数体を相手にしているようだ。下位種である犬人の彼女がどうやって、というふつふつとした悔しさが湧き上がってくるが、事実なのだから認めざるを得ない。より強くなって彼女を見返す以外にこれに対抗する手立てはない。
蝉人がワラワラと出てきているが、幸いなことに、戦況はこちらが押している。優真の重火力による初撃で、敵へ大損害を与えられたのが功を奏している。だが、それを認めないと言わんばかりに、先ほど戦った二体とは異なる蜘蛛人が姿を現す。
くそ、あれは俺たちでは手に余る。
蜘蛛人は眷属種の中でも頭二つ抜けている。上位種には劣るが、空間子の把握、基礎戦闘力、各構成子への対応いずれもバランスがよく、数で押しても勝てないことがある。
「ココア! あたしが隙をつくる! 刺し込んで!」
イリュが決死の突貫を敢行する。普通なら無謀に見えるが、彼女はそれすらもやり遂げてしまう実力の持ち主。信じて後ろに続く。イリュと蜘蛛人が激しく打ち合う。刃渡りおよそ四十センチの短剣一本で、八本もある蜘蛛の足を良くさばけるものだ。イリュがかなり無理をしながら蜘蛛人の懐へ懐へと入り込んでいく。
今だ!
ココアはわずかにできた隙を見逃さず自身の爪をあらんかぎり打ち込む。
取った!
――と思ったが、次の瞬間、ココアは岩に打ち据えられていた。それに遅れて、打ち込んだ腕に痛みが走る。
軌道が逸れた……? いや、逸らされたのか。
「チッ、糸か」
打ち込む寸前にわずかに引かれる感覚があった。
イリュが後退してくる。彼女も無理が祟ってか腹部を負傷している。
「まだやれる?」
「片腕がうまく動かないが、やれないことはない」
「蜘蛛人が敵の主力だと思う。さっきの二体は優真さんが撃退してくれたから、こいつを撃退できればこの戦いはあたしたちの勝ちじゃないかな」
その通りだ。敵を見渡す限り、蜘蛛人がこの場において最も厄介だ。つまり、こいつさえ何とかできればこちらは勝利に大きく近づく。だが、他の獣人たちも蜘蛛人に攻撃を仕掛けているが、シュレッダーに自ら突っ込んでいっているようなものだ。
「ココア、低めに攻撃して。あの蜘蛛人、低いのをすごく嫌がる。苦手なんだと思う」
「戦いながらそんなところまで見抜くとはさすがだな」
二人は再び駆ける。
イリュの助言通り、低めに攻撃を仕掛けていく。
本当だ、さっきよりもやりやすい。
ココアとイリュの両者がサイドから挟撃を仕掛ける。だが、蜘蛛人からすれば子犬が一匹から二匹に増えたようなものだ。いくら爪が鋭かろうと届かなければ意味がない。
数度の打ち合いの末、こちらが損耗していく。味方も援護してくれているが、焼け石に水状態だ。勝てる気配がない。
ダメだ。このままだと負ける。
いくらあがいても強い個体には数では敵わない。眷属種がどれだけ群れても上位種に手が出ないように、蜘蛛人は相当の実力者をぶつけないと勝てない。獣人の中でやつらに対抗できるのは熊人か野人様くらいであろう。だが、生憎とこの戦場にそれらはいない。
諦めかけていたココアの心に叫び声が響く。
「ココア! イリュ!」
この言葉を聞いて、俺たちは瞬時にその場を退避した。退避しろという掛け声ではなかった。だが、そうして欲しいという直感を自分の名前が叫ばれた中に感じた。
「意外と早く向き合えたんだな」
ココアは独り言を小さく漏らす。
轟音が鳴り響き、蜘蛛人が土煙に包まれる。あの爆発が蜘蛛人に有効であることは一匹目で確認済みだ。これで戦況はひっくり返った。
声の主の元へココアとイリュは歩み寄る。
「もう大丈夫なのか?」
彼の顔はスッキリと晴れているわけではない。だが、さっきよりはマシに見える。
「……まだ、踏ん切りはついていない。けど、迷っている間にココアとイリュが死体で帰ってきたりしたら、俺は自分が許せない。だから戦う」
ココアは鼻で笑う。
「はんっ、落第点だな」
彼の肩を軽く叩く。
「だが、今はそれで十分だ」
「優真さん、あたしは及第点だと思うよ。仲間のために戦うのって大切だもん」
蜘蛛人の様子を窺う。かなり損傷している。表皮は剥げ、ところどころから紫色の血が吹き出している。もう一度あの魔法をくらわせられればこちらの勝利だ。
だが、それがわかってか蜘蛛人は優真に目掛けて一直線に向かってくる。ココアとイリュが盾になってこれを防ぐが、こうなってしまうとあの魔法を優真は撃てない。ココアたちを巻き込んでしまうからだ。かといって、離れれば優真に突っ込んでいくだろう。
「ココア、大丈夫だ。こいつの倒し方はわかっている」
優真がこちらに向かってくる。どうする気だ。優真は近接が得意ではないはず。
急に、蜘蛛人が浮いたように見えた。
ジャンプか? いや、違う、浮いている?
蜘蛛人の巨体が宙に浮いていく。優真の魔法だ。
そのまま空中に放りだされ、あの爆発魔法を直撃させた。
「動きを封じてとにかく強い物理魔法で殴る。これが蜘蛛人の倒し方だ」
蜘蛛人が落ちてくる。あの爆発を二撃もくらったのだ。タダで済むはずがない。
「やったな、優真」
だが、彼はまだ緊張した面持ちだ。
まだ倒せていない?
イリュも剣を構えたままだ。
蜘蛛人はかなりの重傷だが死んではいない。足の五本が千切れ、上半の人部分も片腕がない。表皮は焦げるか剥げるかのどちらかとなっており、かなりの傷を負っている。
しかし、蜘蛛人は生きている限り時間が経てば体のあらゆる箇所を自然治癒できてしまう。ここで確実に仕留めるべきだ。
優真が前に出る。
「……また、逃がすのか」
ココアの言葉に優真は静かに頷く。
「優真、どうせ何を言っても聞かないんだろうが、一応忠告しておく。蜘蛛人は逃がせばまた復活する。こいつらは自然治癒で千切れた腕や足も全部治せるんだ。そして、治れば再び戦場に来て仲間たちを殺していくだろう。それに今日だってかなりの獣人が殺されている。お前はそれをわかってなおも逃がすのか」
「恨んでくれて構わない」
優真を見る。唇はすでに噛み潰して血の跡がにじんでいるし、目尻も赤くなっていた。人間の表情を良くは知らないが、きっと彼にとっても苦渋の選択なのだろう。一瞬、虫人に通じているスパイかとも思ったが、俺たちと敵対したいという表情には見えない。
まだ、悩んでいるんだな。再び戦場に来たから吹っ切れたのかと思ったのに……。くそ、いいのか、そんなに甘くて。それじゃあいつか死ぬ。そうやって死んだ仲間をいっぱい知っている。いや、俺はそもそも優真のことを仲間と思っているのか。こいつはポチ様から監視を言い渡されている相手だ。……けど、彼の悩む姿をみて、久しく忘れていた感情を思い出した。それは戦いにおいては不要なものだ。だが、一生物としては不要と言い捨てられるほど心は廃れていない。
ココアは大きく息を吐きだす。
「ったく、甘いな。勝手にしろ。俺はもう知らないからな」